何でも信じてみないと始まらない。
疑いだすと止まらない。
大人になると純粋には信じられなくる気がする。
信じる前に『あ~だ。こ~だ』と頭の中で考えてしまう。
実際は違う事も良くある。
信仰もそうだ。お参りして良いことがあると。
『お参りしてよかった。』と思う。
だが少しでも悪いことがおきると。
『な~んだ。参ってもムダムダ』と言う人が多い。
どんなにお参りしても悪いことも起こる。
それを!どう乗り越えて行くかが問題。
だと思う。
よく父の事を『あんなに人を助けたのに早く死んだのわ何故ですか?』と聞く人がいます。
『人間だから!』と言うけど、なかなか伝わりません。
どんなに、凄い善人でも死は避けられませ。
お釈迦様が生老病死苦と上げられて居るように。
生まれた時から苦が始まり。
老いていく苦。
病気になる苦。
死んで行く苦。
は絶対に逆らえ無い。と説いています。
この苦しみをどう乗り越えて行くかを仏教は支えて行く宗教かな?と思います。
先ずは自分を信じる事から始まり。
自分を信じるには努力が必要なのかなあ?
ダラダラと甘えた自分を自分は信じられないから。
そして自分がシッカリすれば何を信じたら良いか判断出来るはず。
その為には情報は常にキャッチする事。
やはり詐欺に合う方も多いので。
そして自分の信じた仏様に心から祈り信じる。
自分で遣るべき事を果たして信じた信仰の道を進む。
仏様はいつも見守ってくれて居ます。 ただ私達が気付かないだけです。
人間の親の様には甘やかしてはくれません。
甘やかす事が良い方には進まないからです。
中には『先生が、死んだから八面山は信じられない』と家の父の死が受け居られずにお参りを止めた方もいらっしゃいます。
父は死にましたし。私も、何時かは死にます。
でも仏様は死にません。だから何時も変わらず見守ってくれます。
私達、僧侶が皆様の願いを叶えるのではなく皆様の願い事を仏様にお願いする。お役目なんです。
仏様と信者サンの間を取り持つ様なかんじかな。
人生の中で時には、本当に辛い時があります。
そんな時も甘やかしはせず。そっと助けてくれます。
辛い時ほど甘い方に逃げずに自分自身を信じて見て下さい。
周りの方が助けてくれている事に気づくかもしれません。
一人では有りませ。
自分自身を信じる力は大きいはず。