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Brugge Style
うちのパパが言うことには
義理の父が
人生のすべては「待つこと」ですよ。
と、言う。
トーストが焼けるのを
信号が変わるのを
子どもが学校から出てくるのを
メールの返事が来るのを
朝が来るのを
そして死が訪れるのを。
今日、車を使わずにブラッセルで複数多数の用事を消化していて、トラムとメトロを待つことに耐えきれず、タクシーに手を上げながら思い出した。
特別にイラチなわたしが、彼のような心境に達するのに、あと幾年必要だろう。
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子どものことはよく分からない
学校の先生から、「お嬢さんはご家庭ではどういうお子さんですか?」
と質問された。
間抜けな顔でしばし考えていると、先生の方から「私が思うには...」と切り出されてしまった。
先生、わたしの意見が聞きたかったのか。自分の意見が言いたかったのか。それとも助け舟を出してくれたのか。
しかし、「お宅のお嬢さんはどんな子どもか?」と質問されて、答えを全く用意していなかった自分にも少し驚いた。
どんな子どもか。形容する言葉を常日頃から用意しておき、質問があったら即答できねば、まるで親としての義務を果たしていないような印象を与えかねない。わたしが他人から「怠惰な母親」と思われるのは全然かまわないが、娘が不憫だ(笑)。
もちろん、状況に対して娘が取りがちな一定のリアクションや、好みの食べ物や、典型的な行動や、思考のバイアスや、そういうフラグメントとしての彼女の情報ならばたくさん持っている。
でもそういうものをまとめてパッケージにしたキャラクター名は一度も考えてみたことがなかったのだ。
子どもの一人一人にクリアカットな性質があり、それに「勤勉な子」とか「融通の利かない子」などと名前をつけるわけではないところが難しい。
「融通が利かない子」と名前を付けるからそういう性質が際立って目についてイライラしてくるだけのハナシである。
みなさん、こういう場合は大人としてどういう答えを用意しておられるのだろう?
「引っ込み思案な子」
「落ち着きがない子」
「のろい子」
「無礼な子」
など、愚息などという言い方があるように、多少ネガティブな言い方をするのがデフォなのか?
親バカと思われるも口惜しいし(笑)。
まあ、これらは
「思慮深い子」
「元気で活発な子」
「おっとりした子」
「はっきりした子」
などと、言いかえられるわけだが。
わたしに人のことは言えない。自分のこともよくわからないのに。
自分の人格陶冶のほうが問題だ。
親を演じるのは難しい。
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意外~
雑誌やインターネットを初めとしたマスコミなどに露出が多く、美しくいかにもおしゃれで、裕福で知性と教養にあふれ(という宣伝文句で)、上品なイメージで...というある女性がいる。最近よくいるタイプかもしれないが。
なんとはなしにわたしの好きなタイプの顔立ちをしておられて、素敵な方だなと思っていた。
それなのに、ああそれなのに...
この人の筆跡を見て椅子からずり落ちそうになった。
天が2ブツも3ブツも与えたもうた人が、小学2年生のような筆跡...彼女の価値観を疑う。顔を綺麗にしたり華麗なる生活を語る前に、見つめ直した方がいいことがあるのである。
ま、ええかっこせずに筆跡を世間に公表するという態度は公平ではあるが(もしかしたら彼女にとってはどうでもいいことなのかもしれない)。
そういえば今まで人に接してきて、美しい字を書く人は、まず育ちがよろしそうで、美意識が高そうで、かなり印象に残っている。
姿勢がいい人。食事の仕方が美しい人。接客業の人に礼儀正しい人。筆跡の美しい人。ボロボロの靴を履いていたとしても「実はお姫さま(王子さま)かも」オーラが出ているはずである。
いつものように前置きが長く続いたが、ここからが今日の本当に言いたいこと、である。
人間の心は意外性にがっかりし、意外性にドキッとするものなのだ。
前者は冒頭に書いた露出の多い女性の例など。後者は例えば今時の子が達筆だったり、箸にも棒にもかからない男の子が実はピアノがかなり上手に弾けたり、パシリをさせていた子が実はケンブリッジを出てたりとか(笑)...
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先輩マダムの話
ジンバブエとザンビアを旅行した時、ホテルが同じだったマダムと親しくなった。
彼女がブラッセルに滞在中というので会いに行って来た。
フランス人医師の夫を亡くしてからもパリに住み続け、完全にパリ化した、わたしよりも20歳は年上のアムステルダム出身の女性だ。
近寄り難い雰囲気にもかかわらず実は人なつこい。
長身でスタイルがよく、(俗悪なたとえを承知で)ディートリッヒをもっと普通っぽくした容貌、シックな色でまとめた有名ブランドの服、めいっぱい付けた宝石、チェーンスモーカーであり、そしていつもわたしと同年代のボーイフレンドがいる。ずっと同じ子を連れているのか時々変わるのか、印象が薄くてわたしには覚えられない(笑)。
わたしはかっこいい若い子より、かっこいいおっさんのほうが好きなのだ。
2人乗りカヌーを使い、カバやワニが当たり前にいる河を下ってジンバブエからザンビアに渡った時、急流を避けようと奮闘する同乗のボーイフレンドの後ろでリップグロスを塗っていた、彼女はそんな人である。
何を考えているのか不明なところも、パリの豪華なアパートの値段も、興味をそそられるところはたくさんあるのだが、わたしが一番惹かれるのは彼女が幅の狭い声で話す冒険譚。
そのパターンはこうである。
「この間ね、○○が食べたくなって○○に行ったのよ。(そしてここに多くの登場人物との珍奇なやりとりの描写が続く)でもね、結局○○を食べるのは忘れて帰ってきたのよ。」
「この間ね、女友だちと○○に○○を見に行こうということになったのよ。(そしてここに珍道中の説明が入る)でもね、結局○○は見つからなかったのよ。」
ええわあ。
事実人生はこういう感じで移ろいゆくのだ。
彼女は特にそれを悲しむわけでもおもしろがるわけでもなく、普通に話す。
わたしはコテコテの関西人なのでオチのない話や会話は許せないのだが、彼女の話はオチがないのとはまた違っている。
わたしも立派な中年になった今、先輩にこういう女がいると妙に嬉しく思う。
上手く説明できなくてもどかしいのだが、分かって下さる人、いるだろうか。
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幼稚園の砂場で
娘が、校庭で男の子が大怪我をした話をしてくれた。
彼女の話しぶりが大変おもしろかったので、それに添ってなぜ男の子が怪我をすることが多いのか?なぜ男の子は怪我をしても泣かないのか?などと突っ込む。わたしが時々挿む「女の子はお砂糖でできてるってマザーグースのお歌にもあるから?」などの無意味な質問はスルーしながら、一所懸命考えていた。
「男の子は勝ち負けをはっきりさせたい子が多いの。だから勝ち負けがはっきりするスポーツやゲームが好きだし、(はっきりさせようとするあまり)最後には暴力(まがい)になったり、喧嘩になったりする。だから怪我をする子も多いのだと思う。でも女の子は勝ち負けをはっきりさせるよりも、みんなで仲良くしたほうがいいと思っているから、怪我をする子も少ないの。」(( )内はわたくし)
へえ~。
わたしはジェンダー的な発言はしないようにしている(例えば、女の子らしくとか、男の子なのにとか、ママはお家でパパはお仕事とか)。
彼女自身も、一般論にあてはまらない男の子、女の子がいることを知っているし、わたしたちはここで正解を出そうとしているのではないが、しかしこの観察のするどさには驚いた(あるいはわたしが子どもを甘く見過ぎなのか)?
人生で一番大切なことは(笑)やはり幼稚園の砂場で学ぶのか(笑)?
次回はさらに踏み込んで「どうして男の子は女の子よりも勝ち負けをはっきりさせたがるのか?」について質問してみたいと思う。
彼女が、わたしのなぜ?なぜ?に答え始めたら、トートロジーに陥ってやたらと時間がかかるのだけれど、ふっとおもしろい結論が出るので(こちらに体力と時間のある時に限る)大変興味深いのである。
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