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merry widow


ウィーン・オペレッタ続き...

イングリッシュ・ナショナル・オペラのフランツ・レハール『メリー・ウィドウ』へ。

「陽気な未亡人」。

わたしがこの話を始めて知ったのは、小学生の頃、たしか宝塚で見たのだった(今調べたら、過去の公演はわたしが生まれる前なので勘違いのよう。でも確かに見た!)。


『メリー・ウィドウ』の初演は1905年、いわゆる文化爛熟期の世紀末ウィーンだ。
当時たいへん流行し、ヒットラーが好んだとか、マーラーが「自分が作曲した曲だったらどんなによかったか」と言ったとか、逸話がたくさん残っている。


今シーズンのイングリッシュ・ナショナル・オペラ版は新プロダクションで上演される。
コスチュームや舞台装置は20世紀初頭のウィーンのまま、当時の最先端のフロイトの精神分析や、ダラー・プリンセスの豪遊、欧州社会の歪みが揶揄されている。有名な曲の数々もそのまま。
一方、セリフの言い回しや社会感覚は現代にマッチするようにアップデイトされていて...

めっちゃくちゃおもしろかったです! 

オペレッタとミュージカルのブリッジ的な作品のひとつと見なされているため、セリフがかなり多く(英語)、ダンサーや、社交界の人たちが着飾ってわさわさ騒いでいる様子、ポンデヴェドロ公国のシンボル「ビーバー」の着ぐるみが登場したり、ドタバタが楽しすぎる。「8時だよ全員集合」か?!


監督がこのように言っていた。

"Great comedy doesn't judge people, it just shows us with all our flaws"
「優れた喜劇は、人を良いとか悪いとかジャッジしたりせず、単にわれわれ人間の欠点を並べて見せてくれるまでです」


ただ、わたしは舞台男優に関しては超面食いだということを、今まで認めたくなかったのだが、今日ここに認めようと思う。
バレエの舞台で端麗な姿の男性を見慣れているせいだろうか、世紀の色男役がいくら美声でも、猪首だったり、腕が真っ白でぶよぶよしていたら全く興ざめ、説得力がない(わたしにとっては、ですよ)。話に没頭できない。
もちろん、正当なオペラファンはナンセンスだとおっしゃるだろう。


ところで、わたしが浮かれて毎日趣味に走っているのを娘が微苦笑していた。彼女が先の秋に大学に進学するまでは、これでも母親として控えめにしておいたのだ。
自分のことはよくわからない...もしかしたら「空の巣症候群」の症状なのかも(違うと思うけど・笑)
わたしは"Merry empty nest syndrome"「陽気な空の巣症候群」なのか?!



実は明日からまたウィーンへ旅行する。
ひとり気分が盛り上がり、 "Vilja Song"をキッチンで調子っ外れで歌っている。
この曲、2016年BBC制作の「検察側の証人」内でとても効果的に使われたのが印象に残っている。


(写真はダラー・プリンセスの代表としてプログラムに紹介されているコンスエロ・ヴァンダービルト。彼女は未亡人ではないが、なんと美しい人なんでしょうね!)
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mrs kensington





なんて素敵な朝だろう!
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cosi fan tutte




昨夜は英国ロイヤル・オペラ、モーツアルトの『コジ・ファン・トゥッテ』(女なんてみんな同じそういうもの)のオープニング・ナイトへ行って来た。

夫は仕事のパーティーに出るはずだったのが免除され、しかしロンドンのホテルはもう取ってあったので、ついでに泊まった。

うちからロンドン中心へは1時間かからない距離だが、音楽やバレエの公演のあとホテルに泊まるのは、「劇場から劇場型ホテル」への移動で、夢見心地が持続してよい。

一方で、車中で音楽を大音響でかけて自分で車を運転し、街灯の少ないサリー州の道を(真っ暗...)な中を疾走するのもまたいいのである。


『コジ・ファン・トゥッテ』で一番最初に思い出すのはフィリップ・ソレルスの『女たち』だ。
ミソジニーにあふれている。あんな小説はうら若き頃に読んでおいてよかった(たぶんクリステヴァから)。今だったら「このおっさん...ヤレヤレ」という感じで絶対に読み進めないと思う。

ああ、話が次々脱線する...


数ヶ月前に読んだ上田浩二『ウィーン』にオペラ・ブッファの来歴が詳しく書かれていたのを思い出した。

オペラ・ブッファが作成された背景には、当時の欧州の社会情勢を背景に、「国民国家のアイデンティティ」形成を促す意思が強くあったんですって! なんと。

当時、ウィーンで人気があったのはイタリアもの、次にフランスものだったが、自らを啓蒙君主と自認していたヨーゼフ2世は「国民劇」の育成を目指した。
また、中央集権的な統一国家であったフランスと違って、小国分立の状態が続いていたドイツをまとめるためには「国民文化」育成が必要だと考えもされたのだった。
さらに、ハプスブルグ国家の近代化を推し進めるためには多民族国家に「公用語」形成の必要もあったと。

そこでウィーンの国民劇場内では「ドイツ・オペラ」のみの上演が許可され、この3年後にモーツアルトがウィーンへ25歳で乗り込む。彼はドイツオペラの作曲に取り掛かるが、しかし一般にはドイツ・オペラは不人気だった。
ヨーゼフ2世もこれを憂いてイタリア部門復活を認めるが、条件付きで「オペラブッファ(喜歌劇)」のみ。

その後のモーツアルトのオペラがフィガロ、コジなどと喜劇続きなのもこのことと関係しているのだとか。

さらに『コジ・ファン・トッテ』は当時不道徳的すぎると上映禁止になったんですからね...


昨夜のロイヤル・オペラ版は劇中劇に料理し直されていたがエッセンスはそのままで、こりゃ当時の人は相当喜んだろうな! と改めて思った。

SNSはおろか、ネット、テレビも映画もなく、旅行だってそんなに簡単には行けなかった世界で! だからといって彼らの人生がつまらなかったかといえば全然そうとは思えない。かえって今より楽しかったのでは? 

フィオルディリージ(ソプラノ)役のSalome Jiciaのすばらしき美声に酔わされ二日酔いになりそうだった。
一番演じ甲斐があるのは女中のデスピーナ(ソプラノ)か。Serena Gamberoniノリッノリでとてもよかった! 

男性2人はわたしにとってはあまり(全然)魅力的じゃなかったけど...男なんてそういうもの、か。


(左上の写真はブロンツィーノの《愛のアレゴリー》。今日は11時から18時までナショナル・ギャラリーをうろうろしていて、この絵を見て、あ、昨日の話ね、と思った次第。モエは毎日、芝居・浄瑠璃・イモ・タコ・ナンキン...女なんてそういうもの)
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どら焼きとリストのソナタ






日曜日の朝からどら焼きの皮を焼いたのは、娘がとっておいた源吉兆庵のどら焼きをドラえもんわたしが食べてしまい、責められたからだ...

どら焼きの皮は簡単に焼けるが、とても柔らかくひっつきやすく、一枚一枚しか焼けないため、ものすごく時間がかかるのである。

リストのソナタを10人分聞き比べながら2時間くらいかけて10個分を焼いた。

本みりん入りの本格タイプ(笑)。餡はお正月に冷凍しておいたもの。


お昼は温室内のサロン(暖房なしで48度!)で大阪風お好み焼き。

お天気のいい日曜日、これ以上の幸福があるだろうか。


わたしはPogorelichの演奏は全てが好きなわけではないが、こちらとショパンのスケルツォ(特に1番)は大好きだ。
Cziffraも好みです。

Ivo Pogorelich

Georges Cziffra
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beethoven, piano concert cycle




London Philharmonic Orchestra
Juanjo Mena, conductor
Javier Perianes, piano

Beethoven Piano Concert No. 2, 3, 4
Beethoven Piano Concerto No.1, 5

ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールで、二夜に渡ってベートーベンのピアノコンチェルト祭りがあった。

最初の夜が2番、3番、4番、次の夜は1番と5番。

もちろん両方見に(聴きに)行った!
夫は隣の紳士にワクワクした様子で「あなた、昨夜も来ておられましたね」と声をかけられていた。


最近ではマレイ・ペライヤとアカデミー室内管弦楽団(Academy of St. Martin-in-the-Fields)の演奏がとてつもなく最高にすばらしく、今後もたぶんあれを超える演奏を見ることはないだろうと思う。
あの演奏がずっと忘れられない...


一夜目のコンチェルト2番がわたしにはほとんど理解できず、ハヴィエル・ペリアネスって生で聴くとこの程度なのかと驚いたのが、いや、3番4番はとてもよかったです。

3番の良さはもちろん、特に4番の最初の弱音の部分が、どうしたらあんなに静かに優しく味わい深く、しかもきっちり奏でることができるのだろうと。あんなに小さい音なのになぜオーケストラにかき消されてしまわないの...
ところで4番ってほんとうに美しい曲ですよねえ。3番も好きです。


二夜目...やはり彼はピアニシモを奏でるのがものすごくうまいと思う。唸らせられた。
1番も美しく、特にコーダに酔った。

そして真打。5番は圧倒的に圧ー倒ー的にすばらしく、これのために先の4つがあったのかも、と思えたほどだった。
第一楽章ですでに爆発的に盛り上がり、終わったところで会場全体が立ち上がって拍手し始めるのではないかというくらいの緊迫感に包まれ、喜びと期待に会場が膨れ上がっているようだった。



一方、並行して娘は数駅先のロイヤル・オペラハウスでロイヤル・バレエの『ドン・キホーテ』(もちろんMarianela NunezとVadim Muntagirovのペア。わたしはすでに2回見ている)を鑑賞しており、こちらもやはり常軌を逸して素晴らしかったそうだ。

帰りの車の中はバレエとピアノコンチェルトの話で大騒ぎ、23時半に帰宅してから準備しておいた日本のカレーを夜食にしながらほとんどハイでDVDで『ドン・キホーテ』を観てまた盛り上がった。

とてもいい土曜の夜だった!
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