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ギネスでカルボナードを




ここでも何度か書いているが、カルボナードはフランダースの郷土料理のひとつだ。
牛肉のビール煮込み、である。オランダ語ではストーヴァー (Stoverij) と言う。カルボナードは Carbonade Flamande で仏語。

わたしが義理父から受け継いだのがこのレシピ(「ビール煮込みのプロトコル」)。おそらく家庭ごとに何万というレシピが存在するのだろう。日本のカレーみたいな感じか。


最近、遅くまでの外出と外食が続いていたので、前日に作り置きできるシチューを用意しておこうと英国に来て初めてギネス・ビールでカルボナードを作ってみた。
ベルギーで使う「生きている」黒ビール(正確にはブラウン・ビール)とは風味が全然違い、かなり苦みも出たのでプルーンを通常の倍ほど投入してみたら、自画自賛、こくのあるおいしいカルボナードが出来上がった。

夫は自分の母親の前でも「もえの作るカルボナードは世界で一番おいしい」と言ってはばからないが、それを「すごい!レシピ教えて!」と無邪気に言える姑の彼女はもっとすごいと思うの...


今回はクロケット(じゃがいものみのコロッケ。日本のコロッケの元祖で、常につけ合わせの立場)添えで。


肉をぱさぱさにしないこつとしては、分量の玉ねぎを刻んだら肉と一緒に何時間かマリネしておく、肉に焼き色を手早くつけてビールを注いだら決して一度たりともぐつぐつ煮ない(ホタル火で何時間も煮込む)、完成したら一度完全にさまして何時間か置き、食べる前に再びホタル火で温め直す、などを実践している。

ぜひギネスで作ってみて下さい!

...


先日、こんなものを発見。ギネス風味のクリスプズ(ポテトチップス)。
どんな味なのか...怖くて袋が開けられない(笑)。
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alice's adventures in wonderland @ royal ballet




ロイヤル・バレエの「不思議の国のアリス」は、ロンドン滞在時に見る価値があるかとの心躍るご質問を頂いたので、わたしの分かる範囲でお返事を差し上げた(E様その節はありがとうございました!)。


即答すると「ある」と思う。
これを目的に英国に行くのは価値があるかと聞かれたら5秒黙ってしまうかもしれないが、もし旅行と公演期間とが重なったら絶対におすすめしたい。


ロイヤル・バレエの新プロダクション「不思議の国のアリス」は、去年の初演時から娘の心(わたしのも)をがっちり掴んで離さなくなった。家でも何度繰り返しDVDを見たことだろう。

今シーズンは娘のたっての願い...「DVDと同じ主要キャストのヴァージョンが見たい」を叶えるために行ってきた。
そんな言い訳がなくても、わたしの方からお願いしてでも見たかったのだ。今後ロンドンの近くに住む限り毎年馳せ参じ続けるだろう。


総合芸術の醍醐味を味わうとはまさにこういうことだと思う。
全体を見ても細部を見ても妙なりで、押し具合と引き具合の巧みな構成に快感を覚えるのだ。
時間と空間の移動のさせ方、洗練された舞台装置と衣装のデザイン、舞台の使い方、キャラクターそれぞれの魅力、忘れてはならないこの作品のために書かれた音楽の完成度、オーケストラボックスを覗いてみて分かった打楽器の尋常でない多さ(木琴鉄琴の数! ロイヤル・バレエの楽しみのひとつはオーケストラだ)、そしてダンサーの...何と言えばいいのだろう、すごいよみなさん上手すぎ...
すべてのタイミングとコーディネーションの「これ以外にはあり得ない」ほどの隙のなさ。いったいどうしたらこんなアイデアを思いつくの? という場面が次々登場し、ごまかしのひとつもない技術で、観客の関心を一瞬たりとも逃すことなく進行して行く。快感。

お話的にはストーリーよりもプロットを好むロイヤル・バレエだけあって、たっぷり因果と意味付けがしてあるのはあるのだが(ここにもそれについて書いたことがある)、ハリウッド映画、ティム・バートン監督の「不思議の国のアリス」を「意味の国のアリス」でこき下ろした時とは違い、意味付けがあまり気にならなかったのは何のマジックだろう。言葉が介在しないからか...



バレリーナのオムニバス、"Ballerina"の中で、ダイアナ・ヴィシュネワ (Diana Vishneva) が「新しい演目を創造することの不可欠さ」を語っており、それがすべて成功するとは素人のわたしにも思えない。そんな中で、ロイヤルバレエの「不思議の国のアリス」は、近年まれに見る大成功と言っていいのではないか。



今回残念だったのは、オリジナルキャスト版(DVDのキャスト)のチケットを取ったのにもかかわらず、主役アリスのローレン・カスバートソン (Lauren Cuthbertson)が怪我で代役が立ったこと...
しかしサラ・ラム (Sarah Lamb) が代役(なんと豪華な代役)で、初めこそがっかりしていた娘も「やっぱりすごい」とつぶやいたほどだった。
まあ雰囲気的な「アリス」はローレン・カスバートソン、と娘は最後まで言い張っていたが(ちなみにローレン・カスバートソンのアリスは、ダーシー・バッセル (Darcey Bussell) 以来の人気を誇っているそうだ)。


もしも機会があったらこれはぜひご覧になって頂きたい「とっても英国的なもの」のひとつ。
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american beauty




アメリカの美、
あるいはアメリカの風景。

「芸術のモチーフとは日常の風景」と、リヒテンシュタイン本人が言っていた(たぶん)。

日常の風景。それはつまり「美」のことなのか。

彼が描く「日常」がすでに亡きものとなった現代からしてみると、なるほど彼の切り取った「日常」は確実にある時代の「美」として遺されている。

クレーは「芸術は見えているものを再現するのではなく、(見えていないものを)見えるようにするのだ」“Art does not reproduce the visible; rather, it makes visible” と言ったが、リヒテンシュタインは一見、見えてるものだけを忠実に再現しているようでありながら、その実、見えていないものを見えるようにしたのだ。



テイト・モダンで開催中のロイ・リヒテンシュタイン展へ、2度目行ってきた。今回はお供で。

1度目にこの展覧会を訪れた時、自分がリヒテンシュタインが好きだということを自覚したショックは割と大きかった。

教科書や美術書等で親しんだ世界の名画と初めて対面する時、想像していたものとは大きさがまるで違ったりするのはよくあることだと思うが、カタログなどの媒体上と実物とがリヒテンシュタインほど違う作品を創造した芸術家はそれほど多くないような気がする。もしかするとそれが彼の意図だったのかも、とすら思う。

リヒテンシュタインの作品は媒体を介すると、元々のモチーフである「アメリカのコミック」や「アメリカの広告」そのものにしか見えなくなる。しかし実物に接近した途端、筆のストローク、黒々と盛り上がった枠線、ドットのかすれ具合などが迫って来て、なるほど彼がポップ・アートの旗手とみなされるのは単に題材の選び方故だけではなかったのだ、ということがやっと分かる。

もちろんすべてのアートは可能なら実物を見るべきだと思うが、リヒテンシュタインは実物を見ないことには、なぜ優れているとされているのかその理由が分かりにくいのではないか。NYのMOMAや、ワシントンのナショナル・ギャラリーでも見学した時よりも、「アメリカの美」を再認識することができたのは数をまとめて見たからか。


あと1ヶ月、5月の27日まで開催しているので、ロンドンにおいでになる方はぜひぜひ。
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わたしの罹った中2病




友人のお嬢さんが春から大学生になられた。
日本屈指の大学に入学した彼女は子供の頃からはっとさせられるような美人で、いつもにこにこ気だてがよく、どうしたらこんな子に育つの? と誰もが思うすばらしいお嬢さんである。
ほんとうにおめでたい。


先日友人が話してくれたのが以下のことだ。

中学2年生で成績や生活態度が変わって来た時、母親である彼女はお嬢さんに
「もえさん、あんなにゴージャスだけど国立大に行ったのよ。勉強もできてゴージャスっていうのが一番かっこいいと思わない?」(原文ママ)と言い続けたそうである。
あ、わたしが客観的にゴージャスかどうかは、勉強の出来と同様に別の問題なのでスルーして下さい。嘲笑して下さっても結構(笑)。

それで娘の価値観が変わってがんばって勉強に打ち込めた、あなたのおかげだ、と言ってくれたのである。

元々大変優秀なご両親とお子さんなので、わたしのおかげではありえないから、身に余る光栄とはこのことだ。実像がどうであれ、他の人に「あの人のようになりたい」「困った時はあの人ならどうするか考えてみる」と思ってもらえるほどの気持ちの良さが他にあるだろうか。
わたしが大好きな星新一もこう言っていた。「人生最大の楽しさと言ったら、人に模倣されることでしょうね 」と。ええ、彼とわたしとでは次元が違いますがね...



ところで、うちの13歳の娘が今夢中のアイドルがいる。
ティーンエイジャーのポップ・スター!

と言いたいところだが、全然違う。

英国人俳優のヒュー・ローリーだ。
うむ、うちの娘はわたしと同じでおじさんが好きなようである。

わたし世代ではヒュー・ローリーは、ブラックアダー・シリーズでご存知の方が多いと思うが、最近、米国のTVシリーズ「House MD」(邦題はドクター・ハウス)で世界的に有名になった。
娘はこのシリーズを見てヒュー・ローリー/ドクター・ハウスに「夢中」になり(TVを見ながら自分でカルテを作るほど・笑)、ジャズ・ミュージシャンとしても活躍しているローリーのコンサートに行きたいと父親にせがんでる。だからドラマの中のキャラクターに憧れているのかローリー氏に憧れているのかは定かではない...

ローリー演じるドクター・ハウスは人格は崩壊しているものの、知的で文化資本豊かで皮肉な、それなりに魅力的な初老の男性だ。「他の誰も診断できない症状を診断する」手法がおもしろい。
娘は、ハウスが自分の職業を定義した時の
ハウス「オレは医師でね。診断をするんだ」
女「...でも医師ってみんな診断するんじゃないんですか?」
ハウス「他の奴らはオレみたいにダンスできないんだよ」
というセリフのやり取りがクールすぎると、のたうち回って喜んでいたが(笑)、まさに。

そんなこんなで娘がおじいさんほども年の離れているハウスをアイドル化し、「将来は医師になると決めた!」と言ったり、ローリーのジャズ・コンサートをぜひ見たいと言ったりするのも単に微笑ましいと思っていた。


そこへ友人から「もえのおかげで勉強に打ち込めた」という話を聞いてひらめいた。

14歳だった友人のお嬢さんは、われわれ全員がそうであったように、大人であり子供である状態(つまり理想の自分と現実の自分)に知ってか知らずか引き裂かれていた...

たぶん、うちの13歳の娘もそういう感覚を抱いている。
娘の場合、ハウスという抜群に知的でありながらも、他人とコミュニケーションを取れず、自制することもできず、横柄で自分勝手でいい加減で、しかもそのことについて時々悩むらしい「大人」を見て、「理想の自分と現実の自分」に引き裂かれることはどうも変なことでもないらしい、もしかしたら(やり方によっては)カッコいいかも? と観察することができたのだ。
それがおそらく娘が「ドクター・ハウス」に憧れる大きな要因だ...
と、思春期は遠い昔になってしまったわたしは思う。

「理想の自分」と「現実の自分」の二項対立の場面に「観察する自分」という第三の自分が出現することは、思春期の人間に安定感を与え「別にすべて片付かなくていいようだ」という大人の道への涼しい第一歩を示す。友人のお嬢さんがわたしのことを思い浮かべて勉強と遊びをうまく両立できるようになったというのは、そういうことだったのではないかと思う。


最近の親はわたしも含め、変わった人を子どもたちからできるだけ遠ざけ、均質化した綺麗な世界で子育てをしたがっているように感じる。でも「親戚のあのちょっと変わった伯父さん」とか「近所の大邸宅に住んでいて何をしているか分からないお姉さん」とか、「外国人」とか、そういう人は子供が大人になる過程で必ず必要なキャラクターなのではないか...





わたしは高校生の頃「勉強ができる遊び人」を密かに目指していた。誰に教えられたわけでもないが、たぶん仏映画などを通して、あるいは仏思想が華やかなりし雰囲気の頃だったのでそういうのに憧れたのかもしれない。心からそういうのが一番クールな生き方だと思っていたのである。
わたしが疾患した中2病は未だに完治しておらず、だからこのブログにも Antonio Berardi などの見るからに遊び人服を着て遊んでいるわたしと、「われわれは世界をどう解釈したから人間になったのか」などと考える真似事をする、という記事が並立しているのである...と、ここには書いておこう。

写真は tumblr から拝借。
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ブルージュのレストラン




毎年、特にゴールデンウィーク前後になるとブルージュ観光にまつわるメールをたくさん頂きます。
大切なご旅行に関して当ブログにご質問下さり、ほんとうに光栄です。

ひとつづつお答えするのはわたしの大きな喜びでもあるのですが、現在は13年間住んだブルージュを離れて英国ロンドン近郊に来て2年弱、以前のように「明日見てきます」という具合にブルージュ情報をアップデートできない状態です(2ヶ月に1、2回ペースでしか帰っていません)。

レストランやカフェ等は、わたしは流行りの店や新しい店を開拓するよりも馴染みの店に何度も行く方が好きなので、最新情報はガイドブックに任せるとして、よろしければブログの左コラム中ほどにある categories 内のブルージュ/ベルギー 街のアドレスをご覧下さい。
拙い紹介ではありますが、例えばブルージュで食べるものムール貝は家で食べるもの;ブルージュのレストラン2件などの記事があります。


観光に関してはブルージュ/ベルギーのカテゴリーの中に埋もれているブルージュ24時 考案というのがあり...これは「考案」なのであまりお役に立てないかもしれませんが。


...



1ヶ月間あった娘の春休みも今日で終わり。
最後の週末は日本から来ている親族とブルージュへ行った。
久しぶりに悠々と観光案内をし、毎晩義理の母が料理に腕を振るってくれ...

家族全員でブルージュに本帰国できたらいいなあとつくづく思った。
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