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fly me to brussels




ロンドン・ヒースローとブラッセル・ザベンタム間の飛行距離は217マイル(約349キロ)で、大阪の空港から東京の空港へ280マイル飛ぶより近い。



朝7時前のブラッセル行きに搭乗するのに、5時にはヒースローに着いてなあかんから、空港まで車プラスお茶で1時間見て、朝3時起きか...寝えへんほうがええかな...

オリンピック開催期間中のヒースローのカオスを想像すると萎えるが(わたしはヒースロー・ターミナル5のオープニング当日にもそこにおり、ひどい目にあった)どうしても行きたいのだ。

ブラッセル南部で友だちと合宿。

しゃべりすぎで声を枯らし、笑いすぎで腹筋を痛め、おいしいものを食べます。


みなさまもよい週末を!

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music talks




春頃のことだったか、12歳の娘がピアノの練習の仕方を少し変えるとしたら具体的にはどうすればいいかと聞いてきた。

今までは先生にアドバイスされた通りを次のレッスンまでにこなしておくという方法一筋だったのだ。

わたしは「先生に聞いたら?」と答えそうになったが、うむ、こういう時は何らかの理由で「先生に聞き」にくいから音楽家でもない母親に聞いているのに違いないと思いなおし、敬愛する友人音楽家Kに連絡を取り、本とDVDをすすめてもらった。


本、Music Talks は世界的に有名な音楽家が独自の練習方法を述べている点が興味深いのだそうだ(わたしは無精ゆえ未読。でも絶対読みたい)。

そしてこのDVD、Art of Piano。
20世紀が誇るピアニストのヴィルトーソを現代の音楽家が解説する方式で、まるで古今東西の知識の粋を集めた魔法の書のような感じ。貴重な呪文があちこちにちりばめられている。
呪文を口にしたら誰でも魔法が使えるわけではないように、このDVDを見たら誰でもピアノが上達するわけではないが、一般的なものの見方ですらもちょっとは変わる、というのはわたしが保証しても良い。

わたしの人生テーマは「われわれは世界をどのように解釈するか」「われわれは何者か」「何がわれわれを人間にしたか」ということで、もちろんそこにも深く切り込まれるようなメッセージがたくさんあった。


わたしのまずい解説で申し訳ない...

モームの「月と六ペンス」から借用しよう。

「美はすばらしいもの、ふしぎなもので、芸術家が、魂の苦悶のうちに世界の混沌かの底から作り出してくるものなのだ。そして、それが作りだされても、すべての人間にそれがわかるということにはならないのだ。それを認識するには、その芸術家の冒険をくりかえさなければならない。それは、芸術家が歌ってくれるひとつの旋律であって、それをふたたび自分の心の中で聞くには、こちらにも知識と感性と想像力とが必要になってくるのだ


おすすめです。


DVDにはわたしの青春の憧れ、リヒター、ミケランジェリ、ゴールドが連続で登場し、そこでわたしは一気に奇声を上げるミーハーに。大人になってからはアラウに憧れる。こういう見方も楽しい。

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lime wood, hampshire




娘のいない週末。






わが家から約1時間半、ハンプシャー州ニュー・フォレスト国立公園の中にあるホテルLime Woodへ。

ニュー・フォレストは11世紀ノルマン朝のウィリアム一世が開いた狩猟地で、今も当時の自然がそのまま保護されているそうな。
国立公園内に入るなり、車道に毛並みのつやつやした馬が佇み、芝生でピクニックをする人のそばには巨大な牛が。


わたしは雨女の中の雨女、晴れ女もびっくりの雨女だ。
しかしこの週末は何ヶ月ぶりかというほどの好天(気温22度、空はぬけるように青く、風がいい具合に吹く)で、わたしには珍しく滞在中のほとんどを屋外で過ごした。こんな天気が続くならば、南仏や伊まで行くこともないか?!とうっかり思わせるほど「素晴らしい英国」ここにあり。
部屋数わずか29かそこら、サービスはもちろん、建物、部屋のデザインと設備も、スパやレストランもすばらしい。


わたしたちは娘抜きで来たが(彼女はブルージュ滞在中)、全体としては大人だけの滞在者が半数、子ども連れ、行儀のいい犬連れの人が半数といった感じ、しかもこのホテルのすみずみに行き渡った優雅で静かな雰囲気はぶちこわしになっておらず、娘が帰って来たら必ず3人と1匹で行こうと思う。

この先にあるワイト島にも渡ってみたい。
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praalstoet van de gouden boom




今年は5年に一度の Praalstoet van de Gouden Boom (黄金の木のパレード)が開催される年度だ。

8月19日と26日。

このパレードの歴史は浅く50年足らず。
15世紀(1468年)、フランダース伯にしてブルゴーニュ公シャルル豪胆公とイングランドのマーガレット・オブ・ヨークの結婚式がブルージュでとり行われた。当時最も豊かと謳われたブルゴーニュ公国での豪華絢爛な式の様子が再現される。
(一昨日、BBCが薔薇戦争を題材にした歴史物の制作に取りかかり、ブルージュでもロケが行われるそうだ、と書いたが、ひょっとしてこの辺りのストーリーを撮るのかもしれない)



夫は子どものとき、親友と一緒にこのパレードに出たそうである。夫は黄金の木の騎士役を、黒髪の親友はスペイン人の役をやったと酔っぱらった時にこれまで何百回聞かされたろう。

今年も聞かされるに違いないのである。
また出たらいいのに。
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nomina nuda tenemus




ベルギーは世界でも珍しい「夫婦別姓」の国である。

別姓を選択する自由と権利があるとかいうレベルの制度ではなく、「生まれ持った姓は一生変わらない」制度なのである。
結婚しても夫婦は元の姓を名乗り、父系であるから生まれてくる子どもは特別な事情がない限り父親の姓を名乗る。

例えば Jan Brugge さんという男性とMarie Kobe さんという女性が結婚した場合、ヤンさんの姓もマリーさんの姓も変わらず、子が生まれたらその子は父親の 「Bruggeさん」を名乗ることになる。Pieter Brugge くん、Louise Brugge ちゃんという具合に。

だからカップルの連名を見ただけでは彼らが結婚しているのかどうか分からない。事実婚も多く(たしか5割位)、それで何ら権利も損なわれず社会的支障は全くない。実際わたしたちの友人カップルにも事実婚は半分より多い。


わたしと夫とは法律婚をしていて、ベルギーの慣習にのっとり別の姓を名乗っている。夫と娘は同じ姓、わたしのは違う。
家族内だと、義理の父、夫、娘は同じ姓、義理の母とわたしの2人は違う姓だ。わたしから見た一親等家族内に3つの姓があることになる。

当然パスポートや身分証明書の記載もそのとおりであり、旅行の時など姓の異なる子どもを連れていてパスポートコントロールに時間がかかったり誤解されたりすることがあるのではないか?と不安に思ったりもしたものの、日本を始めアジア諸国、米国でもアラブ諸国でも問題にされたことは一度もない。



実はわたしは今も前夫の姓を名乗っている。
離婚したときにすでにこの姓で社会活動をしていたので変えるのが面倒だったことと、再婚する気も満々だった(笑)ので、「もう一回結婚したらまた変わるし2回も変えるのはわずらわしい」と判断したからだった。

それでなんという確率か、再婚相手がベルギー人。
初めは前の夫の姓を名乗ったままというのはどうかとも思ったが、現夫本人は全く気にしていないし、わたし自身もこの姓が気に入ってもいるしで問題ない。

そういうわけでベルギー時代、われわれは常に、Mijnheer Brugge とMevrouw Kobe だった(Mijnheer、Mevrouw は蘭語の敬称で、仏語のムッシュー、マダムの意)。

わたしがおもしろいと思うのは、例えば仏語蘭語の女性の敬称「マダム」には現在では既婚未婚の意味合いが失われている。例えば1920年代を舞台にしたアガサ・クリスティーが原作のTVシリーズ「ポワロ」では、ポワロは女性を見ると恭しくマダモアゼルを連発している。しかし現代では既婚未婚にかかわらず、妙齢の女にはマダムを使用するのが失礼がなく無難だ。
たとえばわたしの友人がパリで、マダモアゼルと呼ばれた、若く見られたと喜んでいたが、それは喜ぶところではなく、ちょっと軽く見られたということである。
一方、別の友人がロンドンでマダムと呼びかけられ「貴婦人」と思われた?と喜んでいたが、マダムは単なる「敬称」で、うちの12歳の娘でさえマダムと呼ばれる(笑)。



そしてMijnheer Brugge とMevrouw Kobe が一年前に引っ越して来たのが英国だ。
わたしは英国の慣習を考えることもせず、Ms Kobe と名乗った。Msというのは周知の通り、既婚未婚の区別無く使用できる敬称である。
入学手続きの書類を書いた時も、わたしは何の躊躇もなくMs Kobe と記入した。

ところがしばらくして配布された名簿や書類を見て驚く。
そこには1人のMsもおらず母親である女は皆Mrs.であり、夫婦別姓の人などひとりもいないという事実だった。Mr. Brown とMrs. Brown、 Mr. Smith とMrs. Smith...
そういえば先生方も女性は必ずMrs. か Miss である。

わたし自身、夫と事実婚では?と思われたとしても全然かまわない。
参考のため、「法律婚ではない」という印象をある階層グループの英国人(英国はわたしが今まで暮らしたどの国よりもすさまじき階層社会である。出身校、居住地、職業、財産、地位が交わることはほとんどない)に与えるのはどうなのかと質問してみたら、あなたたちの場合は外国人だからさほど問題にはならないかもしれないが、一方で外国人故の何か事情があると思われるかもしれない、という回答が返って来た。
英国は別姓の自由もあるにはあるとは言え、結婚前の名前を残したい場合、Mrs. Kobe-Brugge と名乗る方が圧倒的に多いとも教えてくれた。

正式な法律婚をしていることが社会的信用であり、次世代に伝えるステイタス(財産や名誉)の有無を匂わせる、そんな社会集団もあるのですね...


わたしは守るべき信条もポリシーも何もない人間なので、機会があったら名前を全部 Mrs. Kobe-Brugge に変えようかと思っている。

わたしは外国に住む限り「郷に入っては郷に従え」の教えに従いたい人間だ。
納豆を食うなとか、レストランで日本語で盛り上がるなとか、最近イラクからのニュースであったように「女性の処女検査」などと言われたら断然戦う気持ちで一杯だが、その国の穏便平和な慣習に限りリスペクトしていることは示したい(<そう、示したいだけである)と思っている。
それは自由な国においてであってもだ。真の自由というのは自分の好き勝手100パーセントやり放題が許されているということではなく、自分の自由の中から何割かを公共に差し出し、他の人達とお互いの自由を少しずつ譲り合い、少しずつ不自由を甘受することだからだ。

敬称の話はそんな大したことではないか。ま、学校の名簿で悪目立ちしたくないとか結局セコいそういうことなんです...



高等学校の時の英語の先生(マルレーネ・デイトリッヒの大ファンのモダンなマダムだった)が「Mrs というのは、男性の敬称 Mr. に所有格のS がついたもので、田中さんのものである女性という意味なのよ」と言っていたのを思い出す。

今となってはこの辺りの国々で、もし旦那さんが妻は所有物だなどと思っていたとしたら、彼は明晩にも...以下略。
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