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夜明けのコーヒー




週末、夫が朝食用のパンを買いに出かける朝8時頃、必ずご機嫌の酔っぱらいに出会うらしい。


夫は若い頃でも、人々が出動する時刻まで飲み明かすことは決してなかったそうだが、わたしが若かった頃は...


夜が明けたら、朝食を食べてから帰る、というのが流儀になった時期があった。

当時、よく行っていたバアが朝5時前になったら朝食を出していたので、図に乗って(関西弁では「いちびる」と言う)、近辺の一番いいホテルに移動し、素面で朝食をしたのだ。


...この行動の違いは夫よりわたしの方がだらしがないから、というわけではなく(笑)、都市の作りの違いゆえと言えるだろう。

ブルージュの子が飲みに行く時は、当然ブルージュの旧市街で飲むのであり、徒歩でいつでも帰宅できるが、神戸の子が飲みに行く時は三宮か大阪で飲むのであり(たまに夙川)、帰宅のためには終電までに帰るか、自分の車を運転できるようずっと素面でいるか、タクシーを使うか、始発電車を待つかが問題になるのである。

わたしはタ○シーチケ○トを常備しており、始発電車を待つ必要はなかったにもかかわらず、ほら、「今帰ったら今夜で一番おもしろい事件を体験できへんのちゃうかな」というあの強迫観念から、なかなか席が立てなかったのだ。
もちろん夜通し起きていることが報われた事件なんかただの一度も起きなかった...
あ、いや...そんなこともないかも。


と言うのは、夜中に入ったバアの中にずっといたため時間の感覚を失い、外に出てみたら手品のように空が明け始めている、という時間帯が好きだからである。


最近はシャンパン4杯ほどで寝てしまうし、ある種の赤ワインを飲んだら頭を外してしまいたいほどの頭痛に襲われるし、何より、酔っぱらってしまうよりも素面でいる方がずっとおもしろいということにも気づいたので、外出時のアルコール摂取には特に気をつけている。


でも朝の光が神々しく街と自分の中にしみわたってゆくあの時間は、また体験したい。
ああ、まだ生きているのだ、という実感。
愛しい友人たちの朝日に滲んだ姿。
それだけでも夜通し起きていた価値は千金に値したかも。



夜明けのコーヒーは4時に早起きしてパリへ行く前、とかいう年寄りなタイミングではダメなのだ...

前日からの続きでないと。

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サマルカンド




ウズベキスタンのサマルカンドへ行きたい。



娘がナショナル・ジオグラフィックでマルコポーロ特集を見ていて、噴水が一番最初の水を吹き上げるように思い出が戻って来たのだ。


サマルカンドやブハラをずっと忘れていたとは、いったいどういうことか。


80年から放送された○HK「シルクロード」の影響で、東方(日本から見たら西方だけど)への夢を培養し続け、東洋学者になるのだと鼻息荒く、へディンや江上波夫や井上靖に憧れ、中央アジアはわたしの輝かしいものすべての象徴だった。

大月氏、大夏、白匈奴(エフタル)、西遼、「どんな民族だったか詳細は不明」な、どこからか来て、どこかへ消えた人々、栄華を誇っては破壊された今はただ埃っぽい街、さまよえる湖...

わたしの思春期にちょうど重なるように日本はいよいよ豊かになり、西洋以外の土地文化にも目を向ける余裕が出て来た頃であったのかもしれない。



「異邦人」という歌謡曲もタイミング良く流行りましたね。




早速、若き日の熱き思いを実現すべく、わたしの魔法のツエである夫に話してみたら、「ウズベキスタンは危険地帯ですよ」と言われた。
そうなのだ、今となっては「もし何かあって娘が一人残されたら」などと考えてしまうためになかなか行けない場所がある。


独身の時にしておくべきことはまだあった、と思いながら、下調べを開始したが間に合わず、結局4月は予定通りドバイに行くことになった。
ドバイか...アレクサンダーもマルコポーロも○HK取材班も行かなかったけど、千一夜物語っぽい、砂漠に突如現れた摩天楼。


絶対に行くぞ待っておれ、ウズベキスタン。あの街の時間の流れからしたら1年の遅れなどなんともないよね。

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la grande dame




義理の母は身長170センチ、押し出し堂々たる女性である。

加えておしゃれが大好で、「おお!グランダム」と誤解(?)されることしばしばであるが、彼女の中の人は一昔前の小さな少女であり、はにかみやで、そこが逆に落ち着いたマダムの風格、と勘違いされるわけだ。


先日も友人が彼女と初対面の挨拶をかわし、「ヨーロッパのマダム、っていう感じだわあ」とほれぼれ言うから、

彼女の人となりをひとことで表わすとですね...



娘のお友達が遊びに来てくれた時、

「まいちゃんとまきちゃん。まいちゃんはパパがベルギー人、ママが日本人でアントワープに住んでて、
まきちゃんはご両親ともに日本人でブラッセルに住んでるの。」


「まあっーかわいいわあ!

で、二人、姉妹?!」



この逸話ほど彼女のエッセンスを表すものはないと思う。

このように人の話を全然聞いてなくて、いつも失敗するわけです。


このうえなく人のいい女性なんですけれどね...
わたしが祖母になっても彼女ほどは孫に好かれないだろうという自信があるほど。





本当に少しの邪気というもののない人物なのだが、物の分かった方は、そういう人物の及ぼす害毒の方が時に大きいということをご存知であろう。
そしてこのように人のことを笑っていながら、もちろんMoetを表す逸話もある。またの機会に。



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ブルージュである日焼かれたブラウニー 




わたしは甘いお菓子も喜んで頂くが、多くを食べることはできない。

ケーキとクッキーが媚態を呈していても、からすみやブルーチーズの方を選んでしまう方だ。


先日、午後のお茶のためにブラウニーを焼いた。
ミルクチョコレートがたくさんあったので、砂糖なしで粉等の分量も変えて作ってみたら意外とおいしくできたのでメモとして残しておこう。
夕食後デザートに甘いものを一口だけ食べたがる夫にも大変好評だった。


ブルージュのブラウニー (19センチ角の焼き型一枚分。ブラウニーは約1センチで焼き上がる)

粉類

薄力粉 55グラム
ベーキングパウダー 小さじ1/2
ココアパウダー 25グラム
塩ひとつまみ


ミルクチョコレート 50グラム
無塩バター 100グラム
卵 2個
くるみかアーモンド 適宜


オーブンを180度に温める。
型にバターを塗っておく。
バターとチョコレートを湯煎にして溶かす。
卵を一個ずつ加え、そのつどよく混ぜる。
ナッツを加えて混ぜる。
粉類を全部合わせてふるい、2回に分けて生地に加え、さっくり混ぜる。

オーブンで20分焼く。
冷めたら型から外して切り分ける。



バニラアイスクリームを添えて食べると想定したらこのくらいの甘さがちょうどいいかもしれない。


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i like chopin




ガゼボ...なつかしの大ヒット。
あの歌詞の薄っぺらさはなんだったのか、いったい。




今年はショパン生誕200年にあたるそうだ。
それにちなんで娘はショパンをいくつか練習中である。


ベルギー人の先生(彼女は日本人とベルギー人2人の先生から習っている)は、

「10歳の子どもにこんな曲を弾かせたらコンセルバトワールの審査員に注意されるのだけれど(なんとなれば弾くことは可能だが悲嘆を奏でることは無理だという理由だ)、生誕200年ですからね、特別」
とおっしゃった。


そこで大人はショパンが悲しみの中で作曲を続けたという話を娘に繰り返し聞かせて、胸がえぐられるような感情を彼女に表現させようと努めている。


ところで、感情等の表現技術を高めるためには訓練が必要であるというのは分かるが、どうなのだろう、感情というものは、自分で経験したものでなければ表現できないのだろうか?

例えばわたしなどは平凡以下の書き手であるから、自分の「知っていること」しか書けない。
だが一方、歴史に名を連ねる書き手の作品には、彼/彼女自身が経験したこと、知っていること以上のものが書かれており、ゆえに「名作」であるのだ。
例えば有名な例ではカントは自分の住む小さな街から一歩も出たことがなかったが、世界と人間に対する深い洞察を展開した、とか。
トルストイは男性なのに複数の女性が書き分けられる、とか。

楽器演奏者はどうなのだろうか?
もし極端な話、望郷と結核を経験しなければショパンの悲愴を表現することができないならば、その人物は演奏者としては平凡で終わるしかないのではないか。
人生経験に乏しくとも、自分の知っている以上の感情の表現ができるから名演奏者になるのではないか。

合理主義か経験主義か、みたいな話になるのだろうか。

わたしには分からない。



ショパンの調べを聞いていると、それがあたかも自分が経験したことがある絶望のように感じてそれに「名札」を付けてしまいそうになるのが危ないところである。

雨音がショパンの調べに聞こえてきたり...


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