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蝶よ花よと




年末で不良主婦のわたしでさえあれこれ忙しいのに学校に頼まれてこんな夜なべをしていた昨夜12時。
実はアイシングなど初心者なのに...

このクッキーは大きくて上辺が18センチもあるので大変だった。写真の2枚は最初の2枚なのでいまいちだが、最後の方はもっと上手に書けるようになったんですよ(笑)! 
特に左右対称をフリーハンドで書くのは難しい...わたしは右利きのせいだからだろうか、左側が右側ほどはうまく書けないような気がした。

でもレース柄を書くのは楽しいことが分かったので、ちゃんとしたお道具を揃えてもっと練習してみるつもり。あ、ブルージュで本物のレースを何枚か買って来て図柄の参考にしようか知らん。


みなさまもスイートな週末を。
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赤の季節










灰色の冬世界に赤。
いいなあ。赤。

今年のクリスマスはわたしも赤を着ようかと思う(去年は緑だった)。

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基本のワードローブ 




「娘のワードローブを整理する」という記事の中で「基本のワードローブ」という単語を使ったためか、このキーワードでここに迷い込まれる方が毎日いらっしゃる。

おしゃれブログでなくてごめんなさい。

おしゃれブログではないのだが、あるリクエストを受け、今日はその方のお嬢様のために小さな意見を差し上げたい。
迷い込んで来られた方も、ぜひ一服しながらご覧になって行って下さい。

わたしなどよりずっとずっとずーっとおしゃれなその道の達人が、さまざまな形式でファッションブログを書いておられる昨今、わたしがこんな記事を書くのは口幅ったいのは百も承知。また、基本の、と言ってもこれが万人向けでないことも分かっている。わたしのイメージとしては「今後おしゃれ上手になりそうなヨーロッパのお嬢さんの秋冬服」(<こんなお嬢さん自体が「雪のように肌の白いお姫様」のようなおとぎ話なのかもしれない)。
うちの娘の学校は制服だが、6th Form(高等学校)では私服になるのでこういう感じで揃えてやるつもりだ。

では早速。


紺色のVネックセーター。ローゲージで身体に沿ったもの、一枚でも、下に白のタンクトップを着てもいい具合の開きなこと。

濃いグレーか淡いグレーの目の詰んだウールのスカート。フレアだったり、太めのプリーツやタック入りだったり、ふんわり台型になっているのがかわいいと思う。膝の真ん中辺りの丈。

デニム数本。ホワイトジーンズもぜひ。

白のTシャツ。てろっとした綿とモダールの混合などがいいと思う。

グレーのツインセット。身体に合うもの。年寄り臭いと思うかもしれないが、セットで着る必要はない。本当に役に立つ。

グレーのパーカー。ロゴなし。

白と紺のボーダー長袖Tシャツ。日本人の肌色には白に紺ストライプよりも紺に白ストライプの方が合うのではと思う。

リトルブラックドレス。おすすめなのはボートネックでノースリーブ。ウールでもちろんいいが、タフタなどを選ぶともっと華がある。シンプルで飾りのないシフトドレスがおすすめ。

膝丈のトレンチコート。砂色。

コート。若い人のピーコート姿はかわいい。ベーシックが黒、紺、グレーなら、赤などを選んだらすごくかわいいと思う。

ストール。厚めの大判がおすすめ。これは何枚かあったら便利。カーキートーンとか、焦げ茶トーンとか紫とか赤...くれぐれもパステル等は選ばないよう。

黒のタイツ。グレーのタイツ。綿入りのがかわいい。

ブーツ。 黒か茶。

黒のバレリーナシューズ。飾りなし。


これだけあればかなりそしてシックに着回せます。


エクストラとしては、好みで
薄手のタートルネックセーター、ウールでもカットソーでもいい(シフトドレスの下に着てもいいし)
黒のスカート
今年流行りのボルドー色(えんじ)のスカート
デニム地のシャツ
白のコットンシャツ
黒のシングルのジャケット 
Gジャン
革のライダースジャケット
帽子
大きめブローチ

などなど...


アクセサリーは大学生のお姉さんならシンプルなパールのネックレス(わたしは40センチ強が好み)や、高校生ならパールの一粒イヤリングとか。
余力があれば、ビブ状の華やかなネックレスをひとつ。例えばマルニには布と石でできたものがたくさんあるし、最近わたしがベルギーで手に入れたアントワープブランドの EK Thongprasert はシリコンと石の組み合わせでおすすめ。
クロスやイニシャルなどの華奢なネックレス。
ベルト。

バッグは難しい...わたしはとりあえず娘にはウプラのものを買ってやるつもり。


コツとしては、決してリボンやフリルやチャームつき、パステルのものを買わないこと。
まずは安いもので揃えて、「これは役に立つ」と自分で気がついた時に改めて高価で長く使えるものに買い替えるのも賢くておすすめ。
とにかくサイズの合うもの(肩)を買うこと。


アイドルや雑誌のおしゃれさんやお友達が着ている服に目がいくかもしれないが、まあそれはそれ、これはこれ、ということで...
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poinsettia




一気にクリスマスの雰囲気を運んで来てくれる小道具のひとつ、ポインセチア。

tumblrにも載せた、Andrew Hill のPoinsettiaを聞きながら 。


毎年一番最初に飾る植物のつるでできたツリーも出し、わが家もだんだんクリスマスを迎える雰囲気になってきた。



今年もあと1ヶ月ですね...









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いい学校、いい社会




英国にご縁のある方から「いい学校」とはどういう学校だと思うか聞かせて欲しいとメッセージを頂いたので、少し考えてみた。


わたし自身は中等教育に関しては日本での経験しかないが、それでも13歳/中学2年生(8年生)の娘は英国でとても「いい学校」に行っていると思う。

お嬢様学校ゆえののびのびした感じや偏差値の高さ、またスポーツや音楽強豪校であるから...ではない(もちろん親としてはそういう気持ちもあることは認める)。

生徒がお互いの成長をお互いに支援し合うことに非常に高い価値を置いていることが、毎日の学校生活を通して伝わって来るからだ。
学校という小さい社会の中に自分の居場所がある、自分が役に立っている実感がある、頼り頼ってくれる人がいる、達成目標がある、認めてくれる人がいる...簡単に言えばそのようなことだ。
「生徒がお互いの成長をお互いに支援し合う」のは校内で奨励されているだけではく、国内や国外の子ども達の成長を支援することにも非常に力を入れていて、詳細は書けないが、施設を貸し出すことから、ボランティア、チャリティ、コンペティションの主催、世話役、国際交流や勉強会なども。

他を蹴落とし、いい大学に行き、いい職に就き、高い地位を得、より金儲けをする、それらを達成するために教育を受けるのではない。
教育とは「自分だけがよければいい」というグローバル・スタンダード式人間を生産するためにではなく、社会をメインテナンスし、縁の下から支える人間を1人でも多く社会に出すためにある。
過去と歴史に敬意を払い、今に集中し、未来に責任を持つ。この社会をよりよい社会にするのは自分たちひとりひとりであるという自覚と成長を促すのが教育なのだと思う。


今日は日本のニュースにもこんなヘッドラインが踊った。
イングランドの若者、100万人超がニート
「イングランドの16~24歳のうち、就業せず教育や職業訓練も受けていないニート(NEET)は102万7,000人に上ることが、教育省が22日発表した最新の統計で明らかになった。1年前からは減少しているものの、依然として100万人を上回っている

それによると、若者のニートの割合は第3四半期(7~9月)に17%に上った。前年同期から2.1ポイント減少したが、19~24歳に限ると19.6%と、依然として5人に1人がニートとなっている。このような無就業者の数は季節によって変動し、毎年、第3四半期に最も増加するという。

教育省の報道担当者は、イングランドでは16~19歳の教育や職業訓練に75億ポンド、成人向けの職業訓練にも38億ポンドが費やされている点を指摘。ニートの減少を歓迎しながらも、「依然として気を緩めず問題に対応していく」と話している。」(NNA.EU の記事 2012年11月26日)


こういう記事を読むと英国の若者も気の毒だが、所得税を半分持って行かれる英国中産階級の「あの税金、役に立ってないやん」的哀愁もひしひし感じるのである。


英国では50年代から「ゆりかごから墓場まで」が抜群に有効な処方箋となった。その後、いわゆる英国病を発症、社会保障制度を利己的に受給する人は年々増加し、各種生活保護を受けるのは全体で400万人(英国の人口は日本の約半分で6000万人)、負担は1兆円以上、英国経済破綻の一因になっている。

保護が必要な人は手厚く保護しなければならない。スフィンクスの謎かけではないが、朝には4つ足、昼には2本足、夜には3つ足で歩く人間には、自分が明日「保護が必要な人」になる可能性がゼロではないからだ。特に英国ではチャンスは全く平等ではなく、才能も元から平等ではない。しかし「働くより保護を受けた方が多くもらえる」からとか「シングルマザーなのは保護を受けるため」とか「エスタブリッシュメントに対する反抗のジェスチャーである」という考えは泥でできた舟に乗っているか、タコが自分の足を食うのと同じことである。

「自分だけ(金儲けができたら)よければいい」方式の教育が主流になった過去のある時点で、社会保障制度に無闇に頼る人が徐々に増え始めたのではないかとさえ思う。自分1人くらいズルをしてもいいという考え方は、自分だけ高い地位に就いて高収入が得られればいいという考え方と紙一重ではないだろうか。



そういうわけでわたしが思う「いい学校」とは、過去と歴史に敬意を払い、未来に責任を持ち、この社会をよりよい社会にするのは自分たちひとりひとりであるという自覚と成長を促す学校のことだと思う。自分の居場所がある、役に立っている実感がある、頼り頼ってくれる人がいる...という小さい社会。

こういった類いの小さな社会を喜々としてぶっ壊して来たのはわれわれ自身だ。失ってしまったものを構築しなおすのは難しいと思うが、小さな幸福な社会(例えば学校、例えば家庭、例えば町内)をたくさん作りそれらを緩やかにつなげることでしか「いい社会」は再生できないのではないか、と思う。難しいが、アドバンテージは誰でも今日から着手できる、ということだ(家庭レベルから始められる)。
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