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where should we meet?









そりゃもちろんカウンターの居心地が抜群にいいところに決まっている。

早めに到着して相手を待ちたくなるようなところ。


...待ち合わせの相手は夫だが。

いや、夫だから遊んだ後も一緒に帰宅できる、それがいいなあ。

そう言ったら喜ぶだろう。
言ってあげよう。
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le guide littéraire de paris




そうだ、パリに行こう。

しつこい。


このところ、続けて友達2人に「モエのパリ案内」をする機会があった。
パリに関してはどなたも一家言あると思うが、わたしにもやっぱりあるのだ。

パリの詳細なガイドブックはほんとうにたくさん出版されており、わたし風情が今更という感一杯だが、友達はとても関心を持ってくれるのでついついしゃべりすぎてしまう。

英国に住むようになってからはベルギー時代よりは行く頻度もだいぶ減ったものの、過去18年間だけでもあの街をあまりにもうろうろうろうろしたので、もうパリのガイドブックは持っていないし、また在住の友達に付き合ってもらうことも多く、観光っぽいことはほとんどしないくせに、それでもあれこれアドバイスしたくなるのだ。


先日も書いたように、個人的には次にパリへ行くときはヘミングウェイを携行したい。

「私たちは顔をあげた。すると、愛するすべてがそこにあった。私たちのセーヌと、私たちの街と、私たちの街の中の島とが」(ヘミングウェイ、高見浩訳『移動祝祭日』より)


そして日本の友達におすすめしたのがこちら。

仏文学者鹿島茂さんの『文学的パリガイド』。

目次だけでも見てみてください。

「エッフェル塔あるいはアポリネール」から始まり、「パサージュあるいはセリーヌ」を経て「マレ地区あるいはアレクサンドル・デュマ」で終わる。

自分がハイブラウであるかのような薬物的高揚感が味わえ最高。

実は実はわたし、「文学部の先生」のような属性の男性と結婚して、トリビアルな知識をたくさんいろいろ教えて欲しいと思っていたので、この本でちょっとだけ叶った気分。
伴侶を「先生」(関西弁ではせんせえーと発音、一番最初の「せ」にアクセント)と呼びたかったのですよ(笑)。

「『感情教育』に出てきますよ」とか「ロートレアモンの詩は知ってるよね?」とか言われたい!!

実際、他校の「文学部の先生」とは何人かと親しくしていたが、どなたもわたしをもらってはくれなかったのだ。一緒にパリに遊びにくらいは行けばよかった。ああ残念なことをした。

と、パリを眺めながら叶わぬことを思うのも一興。
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そうだ、誰そ彼のトラファルガー広場








先日、ヘミングウェイの「移動祝祭日」つながりで「そうだ、パリに行こう」と書いたが、


誰そ彼(たそがれ)時のトラファルガー広場を足早に横切りながら思った。

トラファルガー広場は、もしここに住んでいなければ、わたしにとって特別な場所だったのではないか? と。


何年も経ってから、どこか違う国で

「トラファルガー広場の誰そ彼時。ナショナル・ギャラリーの扉が閉まり、人が徐々に減り、ダブルデッカーの光が蛍のように飛び、ネルソンの上に空が大きく開き、甘い匂いのするようなあの空気。何ものにも干渉されないかのように存在するあの空間。 懐かしい! またあそこを当たり前のように通り過ぎたい!」

などと惚けたことを言うんだろうな...


というわけで、足早に過ぎるのは止め、左に曲がって、広場の階段のところにしばらく観光客のように佇んでこの不思議な空間を存分に味わった。BGMはなぜかショパンのピアノ協奏曲1番第2楽章で(わたし、ロンドンを去る予感がしているのか?)。



(写真がなく、上のは一ヶ月前のもの。クリスマス、遠く感じるがまだ一ヶ月前なんですね)
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until the lions




アクラム・カーン(Akram Kahn)の新作、Until the Lionsへ。

ロンドンの中心部からは北の方、チョーク・ファームに、扇形庫(ラウンドハウス)を改造してヴェニューに仕立てた建物がある。

その円形の劇場に合わせて製作されたカーンの新作。


このラウンドハウスは、外観は味わいも何もない建物で、内部もロビー部分や階段部分はほんとうにそっけないが、劇場に入るやその特別な設計に驚く。

Until thr Lionsの舞台は直径9メートルの木の切り株、ひび割れからはスモークが立っている。舞台は近く(カーンの頭から吹き出る汗さえ見えた)、始まる前から地鳴りのようなチャントがかかっており、これから闘鶏が始まるのか? という雰囲気。


マハーバーラタに題材をとり、インド舞踊とコンテンポラリーダンスで織り上げたものすごくインテンシブな1時間、すばらしかった。


話の筋を知っていると楽しみ二倍だと思うので、自分のための覚書としてここに記す。

王女アンバーはビーシュマに誘拐され、無理やり結婚の儀式に参加させられるが、アンバーには婚約者がいたため、ビーシュマは彼女を婚約者に送り返す。しかしビーシュマに負かされたことを婚約者は恥じており、送り返されたアンバーを拒絶する。
アンバーはビーシュマの元に戻るが、ビーシュマは不淫の誓いを立てているため彼女を拒否する。ビーシュマを恨んだ彼女は憤死し転生して戦士となる。

ちなみに内容にはバリエーションがあり、カーン版の筋書きはもっとシンプルだ。アンバーが結婚相手を選ぶ儀式を行っている最中、悪者ビーシュマがアンバーを誘拐する。不正に怒ったアンバーはビーシュマを倒す誓いを立て、焼身自殺の末、戦士に生まれ変わり、とうとうビーシュマを殺す。

マハーバーラタは世界史の暗記モノで覚えたが、内容にはほとんど接する機会がなかったのでとても興味深い。


ダンサーはカーンを含めて3人(アンバー、ビーシュマ、アンバー生まれ変わりの戦士)、ミュージシャンが4人でこれがまたすごかった。素朴な太鼓とギターと男女の歌。インドあたりの腹の底から出るああいう祈りのような歌、手足を踏む鳴らす音、まさに「この世の始まり」という感じ。


タイトルのUntil the Lionsは、カーン版の筋書きを鑑みて

"from an African proverb: “Until the lions have their own historians, the history of the hunt will always glorify the hunter.”
「ライオンどもが自分たちで歴史を語り始めるまでは、狩りの歴史は永遠に狩人を賞賛し続けるだろう」(アフリカのことわざより)

で、ファミニズム的な意味なのか...

どうなのだろう。もっと深くてもいいはずだと思う。誰か教えて...


(写真はwww.telegraph.comより@ALASTAIR MUIR)
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girl baptised in gold








ヴィクトリア&アルバート博物館へ

今一番気になる彼女
Kim Simonsson の Girl Baptised in Gold

(彼のつくる犬も好き)
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