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saatchi gallery で会いましょう




先月末、サーチ・ギャラリーで催されたエルメス展にお誘いを頂いたのに、時間が取れなかったのは残念だった。

ちょうどそろそろ「サーチ切れ」だったので、エルメスの職人芸を見せてもらうほか、あの不思議で居心地のいい空間をクラゲのように上昇したり下降したりしたかったのに。
あのカフェもそろそろ扉を開け放って半テラスっぽくなった頃か、などと。


それで昨日は、最近寝言にも「○○のお寿司食べたい...」と言うようになった悲しき食欲と美への渇きの両方を癒すためにロンドンへ。

サーチ・ギャラリーの不可思議な白い空間で "Paper" 展を見ながらボテロのインタビューの一節を思い出した。

「もしあなたが例えばパリに生まれ育ったのだとしたら、芸術はどこにでもあります。だから芸術を作り出すような年齢に達した頃には、あなたの興味はすっかり損なわれていたり、美というものにうんざりさせられていて、きっと他のことをしたいと思うようになっているでしょう。私は全くそうではありませんでした。わたしは美に食傷してはいなかったし、飢えてさえいたのです。」

パリに生まれ育って「美にうんざり」したスノッブになるか、美とはかけ離れた場所に育ち、美への渇望を芸術創作に昇華させる芸術家になるか、どちらかを選べと言われたら...



ところで、サーチ・ギャラリーはロンドンの他の大美術館ほど知られていないようだが、サーチ氏自身の魅力や、そのコレクション、建物も、エリア的にもおすすめしたい。先日もある方におすすめしたばかり...
観光客の方に、テイト・モダンよりこっちに行けとは大きな声では言えないが、友達が来るならばサーチ・ギャラリーで会いたいな。さらに自宅がこの辺りにあるなら言うことなしなのだが。


と、書いたところ、サーチ氏、妻(料理家のナイジェラ・ローソン)虐待の疑いで取り調べを受けたそうですね...美術館には関係ない事件だが。事実は芸術より奇なり。

このおっさんはいったい何に渇いてるんでしょうかね。
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英国の美を求めて







来年の夏はベルギーに本帰国できるかもしれない(!)ので、英国在住のうちに国内小旅行もしたいと考えている。

娘はケンブリッジ(家から車で2時間程度)、夫はハドリアヌスの長城(560キロ。車で行くとしたら6時間程度)を第一希望にあげ、その他、エジンバラ(700キロ)、近場でウインザー城や、リーズ城等もリストアップされている。

ハドリアヌスの長城はわたしもぜひ見たいと思い続けているのだが、ここよりさらに寒く、さらに空が灰色の土地にすすんで行く気がせず、まずどこか灼熱の太陽が照る土地に行って、身体の中の太陽電池を完全に充電してからにしたい、と思っているうち...どんどん後回しに。
片道2時間以内の近場も「いつでも行けそう」という理由で後回しにされる傾向があるので、今年は各週末にしっかり予定を立てて行くようにしたい。

わたしの第一希望はと言えば、わたしは建築家パッラーディオの作品を求めてイタリアのヴィチエンツァへ行ったほどのパラディアン(<そんな言葉はない)だから、できたら英国では英国パッラーディオ様式(例えば上の写真はオックスフォードのラドクリフ・カメラ)を見学して回りたい...
一カ所に固まっているわけではないので、このプランは実現されない可能性大、さらに後回しになる要素大、なのだが。

で、この週末は早速、といきたいところ...いや、まず先に太陽電池を充電しに参ります。
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メッセージ




先日のイングリッシュ・ナショナル・バレエの公演では、思い出すたびにやにや笑いしてしまう出来事もあった。

今回の白鳥の湖は3幕構成だったのだが、最後の幕間になった時に3歳くらいの男の子を連れた女性がわたしの隣に現れた。
男の子はお行儀よく足を揃えて座り、早速おやつの生のにんじんを食べ初めた。母親である女性は彼に「ティナが白鳥を踊るよ」「マミーも昔は白鳥だったのよね」「暗くなったら静かにして、みんなが拍手をしたらあなたも拍手してね」などと話しかけていた。
元バレリーナなのだろう。おそらく息子と他の観客への気遣いから最後の幕だけ見に来たのだろう。わたしもおむつをした娘をマチネで劇場デビューさせた頃を思い出す。

単行本から目を離すと、先ほどからわたしの方をうかがっていた男の子と目が合った。「にんじん、おいしい?」と話しかけようとしたら、彼から先制で、「あなたもバレリーナ?」とためらいもなく言われた。出た、マダム・キラー。
彼は3歳児でありながら「相手をある状態から違う状態へ変化し難くさせる」技を使ったのだ。

わたしは「バレリーナだったことはないわ。白鳥が踊れたらどんなに素敵でしょう」と答えた。うん、もしかしたら「いや...わしの正体は...ロットバルトじゃあ!!」と脅かせば気が利いてたかもしれない。

お母さんである女性は「ごめんなさい、ちょっとうるさくなるかもしれないけれど」と言った。

しかしどこの誰が「あなたバレリーナ?」と言ってくれた男の子をうるさいと叱ることができよう。
実際その子は拍手を真似、誰かが咳払いをしたら真似(<かわいい)、時々「死んだの?死んだの?!」と小声でお母さんに聞くくらいで最終幕30分間ほどはとてもいい子にしていた。


昔はアメリカでバレエ鑑賞に行くと、ロビーやバアで集っているおばあさんたちに「あなた、あなた自身、バレリーナ?」とよく聞かれていたのだが...あの頃は細くて身軽だったのです。
この男の子がわたしの雰囲気がバレリーナのように優雅だと判断したのかどうかは大した問題ではない。たぶん、母親やティナがバレリーナであるように、周りの女もそうなのかと思っただけだ(なんとラッキーな男子だろう)。彼は隣の女が肥満した猪首の持ち主であっても同じようにあなたはバレリーナなのか、と聞いたかもしれない。

何はともあれ、わたしはこの男の子のおかげで、おばあさんになってもバレリーナのように優雅な動作を意識して行おう、と決心(1000回目くらいの決心)。

こういう魔法のようなメッセージって実際あると思う。
あなたの一日をごきげんにするような誰かからの言葉。
友達が「天使のタロットカード」に夢中になっていたのを思い出す。決断を迫られた時、あるいはその日一日を過ごす心構えとしてタロットカードを引き、そこに隠された意味を解釈し、天使からの重要なメッセージとして指針にするのだった。占い全般に冷笑的なわたしは「そんなんバーナム効果の一種やんか」と思いながら見ていたが、今は「天使のメッセージ」はある、と思う。そしてそれはカードを通して受け取るよりも、隣にたまたま居合わせた人から通して受け取る方がずっと幸せだ。

わたしも「天使からのメッセージ」を通過させて誰かを一日にこにこさせる、そんな媒体になりたい。
このブログがうざったいだけでなく、せめて時々はそういう役目を果たしてくれているといいのだけれど...


写真は Tim Walker 。
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ballet @ royal albert hall




ご招待頂いて(正確には夫に手を回してもらった)イングリッシュ・ナショナル・バレエのロイヤル・アルバート・ホール公演を鑑賞した。
演目は「白鳥の湖」。わたしは白鳥の湖が三度の飯より好きなのである。

イングリッシュ・ナショナル・バレエに関しては今までの経験からあまり期待感はなく、それがいい方向に裏切られるといいと念じつつ、今回はセッティングを目当てに。

ロイヤル・アルバート・ホールはすり鉢状、つまり古代ギリシャ劇場の形をしており、360度の舞台をどのように活用するのかとても興味があったのだ。


さすがにいい席(正面8列目)を頂いたので、とにかく舞台と観客が近いことを強烈に感じた。舞台がそのまま観客席につながっており(普通はオーケストラボックスが間にある)、まるで自分がギリシャ喜劇のコロス(コーラス)の一員になったかのような近さ。

ニーチェはギリシャ悲劇のコーラスを「事物の根底にある生命」にふれる理想的な観客と考える。
「ギリシャ人の悲劇のコーラスは、舞台上の人物を生身の肉体を備えた実在の人物と見なすよう強いられている。オケアノスの娘たちのコーラスは、巨人プロメテウスを目の前にながめているのだとほんとうに信じているし、自身、舞台の神と同様に実在の身であると考えているのである」
「完全に理想的な観客とは、舞台の世界を美的なものとしてではなく、生身の肉体をそなえた経験的なものとして感受することだというのである」(ニーチェ、「悲劇の誕生」、西尾幹二訳)

ダンサーは精霊や影絵ではなく、生身の肉体を持った人間なのだ、そしてわたしの感動も、ということがはっきりと分かる距離...非常に新鮮な体験だった。これがよかった点。


360度の舞台について。普通の舞台は180度だから、倍のスペースを使うことになる。これは、スペースが倍、だからダンサーも倍、とすることで解消しようとしていた。
例えば白鳥の姫オデットには、同じように白鳥に姿を変えられた乙女が群舞(コール・ド・バレエ)として従っている。この人数が実に58人(<数えました)! 普通に考えて180度の舞台における人数の倍。ちょっと多すぎるとも言えようが、劇場の形に合わせた豪華な感じと、前後のオデット姫とジークフリード王子のパ・ド・ドゥとの対照が幻想的な感じを与えていて成功だったと思う。
他にも、有名な4羽の小さい白鳥の踊りも、4羽x2組で踊られ、そこまでしなくてもいいのではという気もする一方、ショーマンシップ的にはこういうのもありなのかもしれない。


振り付けについて。360度の観客を意識してだろうが、主流のいくつかの振り付けとはかなり異なっていた。
もちろんアレンジはあっていいと思う。しかしパ・ド・ドゥの見せ場が極々少なく、バレエファンとしては非常に残念だった。アレンジをするなら改悪ではなくて改良でなければならないし、変えることによって観客を納得させなければならないと思うのだがどうだろう。
あるいは単純に考えて舞台の広さが倍なのでダンサーの体力も倍必要、だから体力を最後まで消耗しないよう...そういうことだったのかもしれない。


最後にダンサーについて。
群舞は全く悪くないと思った。でもでもでも...主役のオデット姫のあの人選は何だったのだろう。最初の登場場面から目立つミスもあり、力不足なのでは?と嫌な予感はした。王宮の舞踏会の場面では「絶対無理」と思ったら、やはり黒鳥のグラン・フェッテが回りきれず、(アクシデントは常にあり得るのを承知の上で言う)、取り繕うことすら出来ず、バランスを崩すというのはどういうことだ! 雰囲気ぶち壊し。なにしろあの場面は黒鳥の魔の魅力が全開し、登場人物も観客も幻惑されて完全に取り憑かれた状態になり、当然、当事者のジークフリード王子の気持ちも滅茶苦茶に盛り上がるクライマックス、最重要シーンなのに。
どういう事情でとか、プロのレヴューなども探す気にすらなれない。


全体的にはアートというよりはショウ寄りの構成だった、と。


このセッティングで、例えばスヴェトラーナ・ザハロワを見ることができたなら...

次回の白鳥の湖は、7月末にロイヤル・オペラでザハロワなのである。わたしは南仏で休暇中なのだが、一泊二日で飛行機でロンドンに戻って絶対に見るつもりにしている。
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monochrome




昨日の続きで「白黒モノクロームのドレス」について書きたくて。

ずいぶん前の話だが、春夏ものの一番最初は Giambattista Valli でこの上下を頼んだ。
一目惚れ。
髪型もぜひ真似したくて、この写真を衣装部屋の姿見にも貼ってあるのだ。
今週末はこれを着てロイヤル・アルバート・ホールへ行くつもり。


この姿見の周りにはモノクロームの写真がたくさん貼りつけてあり...この髪型を結ってみようとか、こんな襟の形のブラウスが欲しいとか、一番多いのはこんな女に生まれたかったという大量のイメージ...スクラップブック状態になっている。
まさにアナログ版 tumblr 。量が増えてどこに何があるのか分からなくなるところまでそっくりだ。


わたしは白が好きでよく着るが、実は白が似合わない肌色のタイプだと思う(だから黒を合わせることが多い)。清らかな白が近くにくると、濁りが目立つ。真っ白が似合う人、ほんとうにうらやましい。

そういえば腹黒い人間は己の黒さを隠すために好んで白を着たがる、と大衆的な心理学の何かに書いてあった...隠せてないやんか! と思う。


白黒写真が好きなのはなぜだろう。生臭さがとたんに抜けるからか? なぜなのだろう。
インテリアもモノクロームが好き。


それではみなさまよい週末を!
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