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鮨、ベルギー・スタイル




わたしが一番好きな食べ物、それはお鮨。

アントワープで食べた、え? ベルギー・スタイルの鮨?

ワッフル鮨っ!

ベルギーに住んで13年、英国に住んで13年、これを味わうのは初めてです...


「変な和食」は多い。
特に食のセンスの悪い(ダイレクトで失礼)英国。

でも、食べ物のおいしいベルギーだもの...




ブリュッセルから車を駆って来てくれた友人とランチを...
行きたかった店の上位は全滅で、彼女が選んでくれたのがこちらだった。

新しい店だとは知っていたが、ベルギーに住んだことのある人なら一回は絶対に行ったことがあるであろうVersoのカフェ、あちらが"Izakaya"に変身しているのですよ!

ベルギーで言う"Izakaya"は、もちろん「居酒屋」から来ている。
にしろ、同じものだとは思ってはいけない。

「おまかせ」とか「シェア」などという和の概念を取り入れ、土地の食材や食習慣ひねりで和風に調理し、新鮮で、美しく盛った少量ずつの皿を数多く食卓に供する式なのである。どの店もとってもおしゃれでシックということになっている。

ちなみに最近では"Omakase"も "Izakaya"は辞書に登録されたと思う。

最近の英国の高級紙ガーディアンの記事には "Akiya"(空き家)が社会問題としてそのまま使用されていた。




それでですね、このワッフルとトロ(もちろん生)の組み合わせがすごく美味しかったの!!
ワッフルは甘いワッフルではなく、海藻がたくさん入った軽いもので、さっぱりしたオイルベースのソースが合う合う!

わたしたちが選んだ「おまかせ」コースには、おしゃれな「餃子」やおしゃれな「唐揚げ」も入っていたが、これが一番おいしかった!
おしゃれな餃子って何?...餃子にはビール! というよりも、白ワインで、という感じ...

いやだ、このワッフル鮨、また食べたい...と思う。

日本でも十分人気が出そう。


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アントワープ、初夏。




初夏のアントワープに来た。

前回の訪問は2月で、この時もお天気はよかったが...

第一日曜日は例外で商店の営業があるため、街には異常な活気がある。お天気も上々で野外コンサートもあったり。


グローテ・マルクトにある記念碑「ブラボーの噴水」が水を噴き上げているのを久しぶりに見た。


「アントワープ」という街の名前の由来を民間伝承はこう伝える。

アンティゴーンという名の巨人が、アントワープを流れるスヘルデ川の近くに住んでいた。
巨人は、川を行く交易船から通行料を取っており、支払いを拒んだ人の手は切断、それを川に投げ捨てていた。
あるとき、シルビウス・ブラボーという若いローマ兵によって懲らしめられ、ブラボーは巨人アンティゴーン自身の手を切り落として川に投げ込んだという。

これが真の語源である可能性は低いものの、フラマン語の「アントワープ」という語感はまさに「手を投げる」である。

そういった「巨人」(有力者とか手強い相手)が実際に存在し、通行税を取っていたのは事実かもしれない。わたしは事実だと思う。




現代有力な語源説としては:

アントワープは古代ローマ時代に起源があるとされており、市内中心部で見つかったローマ時代ののコインには「アンド・ヴェルピア」と記されている。
この伝ならば、川岸の手前の沖積堆積物、あるいは土嚢のような堤、または埠頭になるのだとか。

アントワープの街が、スヘルデ川と共に形成され、交易都市として栄え(16世紀までにはヨーロッパ最大の交易基地にまでなった)たのがよく分かる語源である。

わたしはこういう話が大好物。
そんな時代に思いを馳せながら今日も街歩きをする。
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「資本主義の」美しき宮殿@アントワープ




アントワープの中心街、路地の奥の扉をくぐると、まるで聖遺物箱の中に入り込んでしまったかのような輝きに目が眩む。

ここは宮殿?
劇場?

この建物をフラマン語でHandelsbeursと呼ぶ。




アントワープ証券取引所だ。

確かに、資本主義の宮殿に違いない。

便宜上、アントワープの「証券取引所」と呼ばれているが、世界初のそれとして建築された1531年にはまだ株式や債権は発明されていなかったため、正確には商品取引所、となる。


16世紀アントワープの繁栄は、のちにオランダのアムステルダムに移り、オランダは歴史上初の「覇権国家」になる(16世紀)のだが、その前段階から始めよう。

アントワープが繁栄のバトンを受け取ったのは...

ブルージュからである。





今となっては意外に思われる方も多いのかもしれないが、12世紀から15世紀あたりのヨーロッパにおいて、ブルージュは欧州一と謳われるほどの栄華を誇っていたという。

このフレーズ、このブログ上で何度も繰り返している。
わたしは、昔大いに栄え、今はそうでもない都市が大好きなのだ。
盛者必衰のことわり。


遠隔地からの商品輸送には、陸路ではなく水路を介した海のルートが不可欠であり、ブルージュは北海を港湾とすることで国際商業センターへと成長した。
在地商業の成功や、比較的平和だったことも、背景として無視できない要因だという。

次第にブルージュに外国商人が増え、商品だけでなく、商習慣や情報をももたらすようになる。

北と南の貿易ルートに戦略的な位置を占めたブルージュの取引所は、1309年(おそらく世界初。為替手形(約束手形)や信用状を扱う)にオープン。

イングランドの毛織物や、ポルトガルのもたらす砂糖、東方のスパイスなどを商うだけでなく(どのような商品が扱われていたかのリストは眺めているだけで楽しい。非常に豊富な商品が世界のあちこちから!)、14世紀には最も洗練された金融市場に発展したのである。
当然、芸術も花開く。

しかし、15世紀末にブルージュの水路に砂が堆積し、航行不可能になると、アントワープが重要性を増し、ブルージュの黄金時代は終焉を迎えた。

じょじょに商人はブルージュを捨て、アントワープへ移動する。




アントワープはブルージュから貿易センターの役割を引き継ぐにつれて、1万人の外国人商人(主にスペインとイタリア)を含む、10万人以上の住民を抱える大都市になった。

そして1531年にこのアントワープ証券取引所がオープンする。
当初は屋根なしの長方形の広場であり、ブラバント・ゴシック様式で建てられた。

取引は毎日行われ、取引をスムースにするための商業情報と商業慣行が均質化され(情報を印刷した印刷物の発行も)、アントワープに莫大な富をもたらした。


しかし、八十年戦争中の「アントワープの崩壊(16世紀末)」がきっかけで衰退し、17世紀ごろには使用されなくなったという。もったいない。

ここでもまた商人の大移動が起きる。
彼らが目指したのはアムステルダムだった。




19世紀には火災が起き、建物はネオ・ゴシックと、時代の流行であった金属とガラスを組み合わせて再建され、再び証券取引所を収容する目的を果たした。
が、再び放棄され...

大規模な修復の後、現在ではアントワープ見本市として知られる多目的イベント会場の一部である。




わたしは自分が神戸出身だというのではないが、網野善彦のいう「無縁」の人、一ヶ所に定住しない、この世の秩序にからめとられていないマーチャント・アドヴェンチャラーズや、貿易商人たち、スパイや植民地官僚などに強い興味がある。

壁に一面に描かれた、航路の記された世界地図を眺めて、人の移動を想像しているだけで何時間も時が過ぎていく。

ヨーロッパの隅々から集まってきた商人たちが、珍しい文物を持ち込み、あるいは購入し、それぞれの服装で、それぞれの言語を話し...想像しただけでクラクラする。
ロマンだなあ。





証券取引所の一部はレストランに改装されていて、こちらがまた素敵だった。
滞在中に3回も利用した。

アントワープ証券取引所は一般公開(無料)されているが、不定期なので調べてからお越しください...
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黄金の アントワープ街歩き


Museum Eugeen van Mieghem Museum


月曜日。
アントワープの美術館や博物館はどこも休業、ルーベンス・ハウスは改装中...

上の写真、陽が落ちる寸前、まるでルーベンスの筆跡のように、建物の輪郭が黄金の光の中に揺れていた。

冬晴れ(晴れ女参上)を大いに楽しむため、ランチの後は18時に商店街のお店が閉まるまで、ぶらぶらと歩いて楽しんだ。




先日、在英国の友達経由で、復活祭の休暇にお子さん三人連れでブルージュを訪問する予定という家族から相談を受け、ブルージュ以外にもう一ヶ所選ぶなら、ゲントがいいだろうか、ブリュッセルがいいだろうか、というものだった。

ゲントはブルージュから車で30分ほど、ブリュッセルは1時間だ。

それぞれの街にそれぞれの魅力があるとはいえ、わたし的にはアントワープかな、と思いながら返信をしたのだが...

今回、久しぶりにアントワープに滞在して、以前よりもさらに勢いがあるのではと感じるこの街が、今の一番おすすめかもしれないなあ、と思った。




アントワープは規模的にはゲントやブルージュと首都ブリュッセルの間くらいだろうか。
ブリュッセルに次ぐ、ベルギー第二の都市である。

基本的にヨーロッパの街は子供向けには作られていない大人の街なので、どなたでも楽しめるかどうかはわたしには判断がし難い。

しかし、アントワープが、ブルージュの繁栄を引き継いで交易、取引、金融のセンターになった時代、あるいはそれ以前、以後の美しい建物が多く、建物の装飾を眺めながら街歩きをするのは楽しい。
ましてや、インテリア好きにはたまらなく欲望をそそるお店がたくさん...

美しいだけでなく、おいしいレストランやバアも多い。

近隣の街から買い物や食事に来る人や、国境を超えてオランダからの買い物客でもにぎわう。




ファッションの都として有名なこのオランダに程近い街は、MoMuモード美術館はもちろん

「普段美術館に馴染みがない人でも楽しめるように」とのコンセプトで改装オープンした王立美術館

プランタン=モレトゥス博物館(印刷博物館。15世紀以降、国内外の商人同士がスムースにビジネスできるように工夫を重ねた都市としてこの街と印刷物とは切っても切り離せない)

16世紀まで個人コレクションを邸宅に展示した、わたしの大好きなMuseum Mayer van den Bergh(ブリューゲルの「狂女フリート」収蔵)、
17世紀までの蒐集でSnijders&Rockox House

黄金期を追体験できる、肉屋のギルドハウス

フランダースの黄金時代を象徴するルーベンスの、その邸宅

一番上の写真のMuseum Eugeen van Mieghem Museum

モダン美術館のMAS




スヘルデ川岸に立ち、街を守る中世の砦Het Steen(すぐ上の写真)

そうそう、『フランダースの犬』のなかで、ネロが圧倒されるルーベンスがある聖母大聖堂も(この辺りはレストラン街)

他にイリュージョン体験型博物館もあると聞く。


次回は美術館ではないが、絶対におすすめしたい建物があり、そちらを紹介したい...
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アントワープは 雨あがりブルー・アワー




英国等からドーバー海峡を渡り、ベルギー北部のアントワープに到着。17時。

途中、大きな虹を高速道路から2回眺めた。




雨上がり日曜日の夕暮れは人気がなく、青い。



植物園も青い。




ホテルのバアでばったり旧知の友人に会う。

明日朝10時の飛行機でミラノに飛ぶのにと言いながら、彼は朝からハシゴでシャンパンを飲み続けているそう...
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