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すみれ september love




そうです、前回の記事は、すみれ...が書きたかっただけです。

古くて恐縮です。

こんな一言に対してメールを下さった方々、ありがとうございました(笑)。


オスカー・ワイルドの末裔、ジャパンの後継者、フリルとレースの服を着せられたチワワ(すっんごい反漸層法)、ニューロマンティックの諸兄は今もお元気だろうか。

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寝覚月




9月のイメージが一年中で一番好きだ。








夏を惜しむ気持ちがクライマックスに達するから。

夜長
お月さん
旬の食物
秋晴れ

...すみれseptember love


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がんばっ




娘が便利な言葉を覚えたようだ。

「わたし、がんばったよ」(意外な結果に終わった時使用)
「がんばっているんです」(母親がうるさい時に使用)

「『わたしはがんばった』というのは何も説明していません。『わたしは人間だ』と言うのと同じことですから、以後使わないように。」
といいかげんなことを言ったら、彼女はもっともだと(笑)快諾した。


そうしたら
「わたし、一所懸命やったよ」
「一所懸命やっています」
と言い始めた。

「『一所懸命やりました』という言葉は自分に対して使う言葉ではありません。誰か他の人を評価する時に使う言葉です。自分に使うのは品がないのでやめて下さい。」


次は「最善を尽くしました」などと言い出すのだろうか。
...ダメだという理由が見つけられないな。
わたしも娘を丸め込む言葉をもっと身につけるべく最善を尽くして小言道を邁進しよう。



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日本を遠く離れて




ブラッセルで水を買うためにこじゃれたコンビニに入ったら、パック入りの寿司が燦然と輝いていた。
このあたりはEUがあるため、寿司を昼食に食べるような非日本人人口(一般的に比較的裕福な知的階層)は多い。


不健康なファストフードの代替物として世界中のあちこちで寿司を見かけようになったが、「日本人が管理監督しているもの」しか口にしてはならぬという鉄則はワタクシとて学習済みだ。

紙のように水分と味の抜けたネタや、冷えきって固くぱさぱさになったすし飯...わたしの中の国粋主義が目覚める瞬間である。


だが、このパック寿司、ネタもつやつやで厚みも切り口もいい具合だし、なにしろノブのハウスロールのような太巻きが媚態を呈していたので、15ユーロ(6貫よ)を支払った。


...太巻きに入ったきれいな黄色の沢庵、噛んだとたんに黄色の生ピーマンであることが判明したらあなたはどうしますか?



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終の住処




エステでネイルをしてもらっていたら、窓にかかったブラインドを覗き込むようにして80歳(いや、もっと上)くらいの男性がエステのおねえさんに手を振った。


彼女のおじいさまかと思ったが、サロンの先にある老人ホームの住人なのだそうだ。
毎日散歩の通りがかりに愛想良く手を振ってくれるらしい。幸いなるかな、愛想のいい人。


福祉国家ベルギー、高齢化している。
ブルージュにも老人ホームは数あり、予算と好みと体調に合わせて入居できる。例えばこの男性が入居しているホームは、修道院であった建物を改築して使用している「高級ホーム」(エステのおねえさん談)であり、内部は瀟洒なホテル並みの設備を整えているのだそうだ。わたしも一度モニュメントの日に庭を拝見したことがあるが、なるほど手入れが行き届いて、俗っぽいものは何一つ置かれていなかった。

おねえさんが「将来のことを考えさせられるわよね。でもああいう高級老人ホームならいいかもね。」(彼女はワタシより若い)と言う。



わたしはできたら老後は日本に住まいたい。
人と食事が恋しいからである。
わたしの友人に、楽しくも入居審査の厳しいホームを計画している人がいて、わたしは大声で入居を希望している。敬愛する友人たちの近くに住めたらどんなに愉快だろう。
そこで昔話をしたり、うわさ話をしたり、最近の若者は...という出だしの話をしたり、手習いをしたり、勉強会をしたり、イベントを企画したり、ボランティアをしたり、そういうことをして暮らしたい(ぜんぜん枯れてないな・笑)。

あるいは高齢になった夫に日本住まいを強要するのは酷かもしれない。ならば中をとってハワイ島あたりどうだろうねえ。子どもに書道なんかを教えながら常夏の島で暮らしたいねえ。

あるいは僧侶になるのも捨てがたい。


願えば叶う、というのはスピリチェル系の特許ではなく事実なので、将来を思い描くときは際限ない幸せを思い描く方がいい。



...わたしがそういう将来を想像する時、自分が寝たきりになっているとか、一文無しになっているとか、そういうファクターは注意深く排除されている。

自分も年を取る。自分も病気になる。
老人ホームなぞ夢のまた夢、ホームレスになるかもしれないし、身寄りがなくなるかもしれない。認知症になるかもしれない。



ある時から、これからは自分のためではなく人のために生きようと思ったものだが、まだまだ自分の娘のためにさえも生きられていない。
このまま、自己中のまま、ガワだけ老女化していくのだと思うと情けない。

終の住処を得るまでにはこの自己中をできるだけ治療し、清らかな庵を結びたいものである。



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