青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

佃島の白魚漁 ~怖いマスコミとネット情報

2008-12-18 | 今を考える

皆さんは白魚をご存知ですか?鮭と同じで、卵を産みに大川を遡る。季節は真冬で、しかも夜。白魚は体長10センチにも満たない小魚で、この魚の漁獲は「江戸名所図会」に「佃島の白魚漁」で見ることが出来ます。白魚は高級魚であり、簡単に食べられるものではありません。江戸時代も同じで、獲れた白魚は徳川家に献上され、余りは市中で売りさばきました。

江戸時代には料亭が競って白魚を供したと言います。それを一手に供給したのが、佃島の漁師だった。幕府は11月から2月まで、佃島漁民を白魚漁だけに専念させました。漁民たちは期間中は毎日、獲れたての魚を江戸城に収めました。生命力の強くない魚を生きたまま献上するのは至難でしたが、毎日繰り返す中で、生きたまま白魚を運ぶ技術が磨かれたのです。

そして献上した残りを、生きたまま料亭に収めることが出来るようになりました。食したのは大店の主たち。将軍様と同じ魚を食べていると自慢する為に、金に糸目をつけなかった。白魚は高値で取引され、漁師は収入が良くなる。そのお金で漁に使う道具の手入れや漁船も新しいものに変えることが出来た。白魚漁が終わると日本橋や尾張町の手代が、佃島に押し掛けた。懐のあたたかい漁師に、物を買って貰う為にです。白魚漁が江戸の金の流れを円滑にしました。

 

 

今の日本は経済不況のどん底。マスコミがありとあらゆる言葉を使って不況を嘆き、不景気の理由を論じている。しかしこれだけは言える。TVや新聞で「不景気」と言えば言うほど不景気は終わらない。皆が財布を閉めるからです。しかし不景気退治はそんなに難しいだろうか?今日の記事の江戸の話でお分かりだと思います。

金持ちは白魚を食べる為に大金を使った。その金で漁師が潤い、さらには佃島の商人が潤った。「金は天下の回りもの」と言うように、金持ちが使った金は、滞留せずに循環していた。今、多くの人が明日の暮らしを憂うが余りに、少しでも多くの金を貯えようとしている。しかし国民1人が10円多く使えば、日に十数億円の金が流れる。月に三百数億円、年間に四千億円の経済効果が生じる。

無駄使いは無用だし、貯蓄も必要だ。しかし景気回復の芽をはぐくむのは、国でも政府でもなく、われわれ自身の手に委ねられているのではないでしょうか?マスコミの不況という言葉に会社の馬鹿な経営者が踊らされ、社員を整理したり派遣に切り替えて、形ばかりの会社決算を黒字にしようとしている。その為に職を失う人がいる。求人はあっても、人材紹介会社という馬鹿な会社が出来てしまい、彼らが職が人に渡るのを結果的に止めている。「風が吹けば桶屋が儲かる」世の中を、風が吹いても誰もが泣くようなシステムにしているのは、馬鹿な企業のトップに思えてならない。そしてそれをマスコミが後押しする。「不況」という言葉で金の流れを止め、「ベンチャーだ」「時代の寵児だ」と、根のない浮草のような企業を持ち上げて、梯子を外して流れを止めるどころか金を失わせる。

企業は故事にならい、白魚を食え!それが投資というものだ!単に雇用を切って黒字を計上しても、法人税額が上がるだけ。そんなのは投資とは言えないと肝に銘じるべきなのです。お金持ちではない人も、今がチャンスです。電機屋さんに行ってみましたか?白物と言われる家電製品もPCも、現金が欲しいので思い切りお買い得になっていますよ!

ちなみに、佃煮は、佃島の漁師が献上品である白魚などの余りを塩で煮付けたものが始まりだといわれている。保存食としての生活の知恵だった。離れ小島の佃島は、時化(しけ)で食料の流通が止まったときにも安心だし、漁に出るときにも腐らない佃煮は便利な食べ物だった。佃島は漁師町として発展し、進んだ漁業技術を江戸にもたらした。日本橋の魚河岸の基礎を築いたのも佃島の漁師たちである。

これからの世の中で、1番怖いのは何かあった時の「流言」で、それを流すのは「マスコミ」だと僕は考えます。情報を読み取る力・考える力を身に付けない限り、マスコミ」や「素人のネット情報」というものは人間の最大の敵になり、多くの人間を烏合の衆に変えてしまう危険性を常に持っています