異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「戦争法廃止・安倍政権の暴走許さない3.19総がかり日比谷大集会」に5600人参加!

2016-03-19 21:28:51 | 案内 情報 デモ 集会 逮捕
 樋口 昭夫  FB憲法九条の会 さんより

「戦争法廃止・安倍政権の暴走許さない3.19総がかり日比谷大集会」に5600人参加!

 

 

  一筆ずつ 地道に集めた署名、今 500万筆です!by岡野道子

                                                                   

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 LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2016/0319puraより転載

3.19 総がかり日比谷大集会の「手作りプラカード」

 19日、「戦争法廃止・安倍政権の暴走許さない3.19総がかり日比谷大集会」が5600人を集めて開催された。労組の参加者が多かったが、手作りプラカードを持参する人も目立った。どんな思いでプラカードをつくったのか、聞いてみた。共通していたのは、みんな個人の参加者で、多くの人に伝えるために表現を工夫していることだった。撮影=レイバーネットTV。

動画(5分)

↓「ピカソのゲルニカの絵をアレンジしました。デモアレルギーの人にも関心をもってもらいたいから」

↓「自衛隊が最初にスーダンに派兵されることがまだまだ知られていないので、川柳でアピールしている」

↓「瀬戸内寂聴の言葉がいいでしょ?」

↓「つくるのは簡単。A4で元をつくればコンビニで4倍のポスターにできる。やはり文字だけでは見てくれない。絵をつけないと」

 

 

 

 

 


吉永小百合が福島を訪問、140人涙させた「激励のスピーチ」 (女性自身)

2016-03-19 19:10:20 | 福島、原発

http://jisin.jp/serial/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/23380

女性自身

吉永小百合が福島を訪問、140人涙させた「激励のスピーチ」

投稿日: 2016年03月19日 06:00 JST

image


「最初に言っておかなければならないことがあって……。皆さんを励ましに来たはずなのに、こんな元気でない姿を見せてしまって本当に恥ずかしいです。申し訳ありません」


 8日、福島県郡山市にある複合施設・ビッグパレットふくしまを訪れたのは女優・吉永小百合(71)。2月20日、仕事先で転倒し左手首のとう骨を骨折し、その傷の癒えないなかでの登壇だった。この日、彼女が訪れた会場に呼ばれたのは福島県富岡町と川内村の住民約140人。これらの町は、いまだ原発事故の影響により、帰還困難区域に指定されている。 “原発禍”に巻き込まれ、戻りたくても戻れない被災者たちは、郡山市内での仮設住宅生活を余儀なくされてきた。

ビッグパレットふくしまでは現在、「第二楽章 男鹿和雄展~吉永小百合と語り継ぐ~」が開催されている。『第二楽章』は、吉永小百合が31年間続けてきた“詩の朗読”を集めたCD作品集。スタジオジブリの美術監督も務めた男鹿和雄さんが、文庫化に際して挿絵を描いている。この展示会は、男鹿さんの『第二楽章』の挿絵原画、桜の名所として知られる富岡町の桜のスケッチなど約100点の作品が置かれている。

この日のイベントは、ほとんど対外的な告知もされない“ボランティア”的なもの。だが彼女は、集まった被災者に対し“福島への思い”を熱く語り続けていた。「20代のころに観た浜田光夫さんとの共演映画がいまでも心に残っています」という70代女性の声が読み上げられると、

「彼とご一緒した映画で『風と木と空と』があります。ここ福島県の二本松市でロケをしたんです。中学卒業後、東京に集団就職に行くという映画です。当時まだ中学生だった西田敏行さんはこの映画を観て、『東京に行ってみたいなあ』と思ったそうです(笑)」

この意見を寄せた被災者の女性は、目に涙を浮かべながら彼女の話を聴いていた。震災後、吉永は朗読会や被災地訪問、さらには“原発禍”の現地まで訪れて、被災者に寄り添う活動を続けてきた。そんな彼女はこの場で「“復興”を感じた」と笑顔を浮かべて被災者に語っていた。

「私は伊達市の柿が大好きなんです。いつもスタッフに送ってもらっていたのですが、震災後はなかなか食べられなくて……。でも、去年久しぶりに福島の柿をいただきました。“検品済み”と書いているのを見たら嬉しい思いがこみあげてきたんです」

その言葉は、故郷に帰れぬ被災者を“帰れる日も近い”と励ます思いもあったことだろう。イベントの最後に発した言葉は、被災者の人たちを力強くうなずかせた。

「東京にいると、福島の皆さんがどれほど辛い思いをしているかがわからない。だからこそ今日のこの思いを、福島のいまを東京に帰って伝えたい。皆さんがふるさとに帰れるその日まで、私はいつも皆さまのために祈っています。一歩一歩、前に向かって歩いていけますよう、切に願っております」

イベント終了後は、来場者と記念撮影。来場者が握手を求めてくると、「ありがとうございます」と笑顔で応じた。会場を名残惜しそうに出て行く女性は、イベント終了後こう漏らしていた。

「私の青春時代から輝いていた人が目の前に現れただけでも嬉しいのに、私たちを励ましてくれていることが嬉しくてたまらなかったです」

震災から5年。被災者たちの笑顔は、密着取材していた記者にも輝いて見えた。

【関連記事】
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「ロシア政府報告書」驚愕の全貌 フクシマ小児甲状腺がんはチェルノブイリ被曝と符合する!

2016-03-19 18:21:02 | 福島、原発

毎日新聞http://mainichi.jp/sunday/articles/20160311/org/00m/040/014000d

忘れない3.11

「ロシア政府報告書」驚愕の全貌 フクシマ小児甲状腺がんはチェルノブイリ被曝と符合する!

 東京電力福島第1原発事故から5年。福島県の調査で見つかった小児甲状腺がん患者は166人に上っている。国や福島県はチェルノブイリ原発事故の知見を理由に被曝との因果関係を頑なに否定するが、気鋭のロシア研究者が異議を唱えるのだ。

 2月15日午後、福島駅前のホテルで第22回「県民健康調査」(元「県民健康管理調査」)の検討委員会が開かれた。この日の主な議題は、これまでの調査を総括する「中間取りまとめ」だった。

 これまでの検査で見つかった166人もの小児甲状腺がん患者(切除手術を受けていない疑い例も含む)と事故による被曝(ひばく)との因果関係をどう評価するかが最大の焦点だった。本来は100万人に1人か2人見つかるとされる珍しい病気で、現状は「多発」状態というしかない。国や県の公式見解に沿う形で、検討委の星北斗座長(福島県医師会副会長)らもこれまで、「考えにくい」という表現で、被曝との因果関係を否定してきた。

 この日の会議でも、星座長は「完全に否定はできないが」としつつ、因果関係を否定する従来の見解を踏襲。中間取りまとめ最終案では、「被曝線量がチェルノブイリ事故と比べてはるかに少ないこと、被曝からがん発見までの期間がおおむね1年から4年と短いこと、事故当時5歳以下からの発見はないこと、地域別の発見率に大きな差がないこと」から、放射線の影響は「考えにくい」とした。そもそも、事故後3年間の調査は「先行検査」と名付けられており、その間に見つかった患者は被曝と因果関係がない、という前提だ。

 こうしたチェルノブイリの「知見」を提供してきたのは、長崎大の山下俊一副学長や福島県立医大の鈴木眞一教授ら、福島県の甲状腺検査を主導してきた専門家たちだ。例えば、山下氏はロシアの研究者の見解を和訳する形で、「放射線誘発小児甲状腺癌(がん)の潜伏期は5年以上である」「放射性ヨウ素による甲状腺被ばく線量が150~200ミリグレイ(注1)以下では有意な増加は検出できなかった」(首相官邸災害対策ホームページから)。また2012年1月の記者会見では、「今回の検診(=先行検査)は事故の影響は全くない、ほとんど考えられないという基礎ベースライン検診になります」と述べている。

 鈴木氏も「チェルノブイリで発症したとされる100ミリシーベルトを超える内部被曝線量も考えられない」「放射線の影響による甲状腺がんの発症は最も早いとされるチェルノブイリですら事故後4、5年後」などと学会誌に記載している。

 しかし、これまで流布されてきたチェルノブイリの「知見」に疑義を投げかけるリポートが発表され、波紋を広げている。

 月刊誌『世界』(岩波書店)3月号(2月8日発売)に掲載された「『チェルノブイリ被災国』の知見は生かされているか 『ロシア政府報告書』から読み解く甲状腺癌の実態」と題した6ページのリポートだ。

 筆者はロシア研究者の尾松亮氏(38)。福島第1原発事故後にロシア国内のチェルノブイリ被災地を現地調査し、被災者への国家補償を定めたチェルノブイリ法を当時政権にあった民主党議員たちに紹介。自主避難者の支援を定めた議員立法「子ども・被災者生活支援法」の基礎になった。

 

「尾松リポートは読んでいない」

 1986年4月に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故による被災地はウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3カ国に広がる。事故後25年にあたる2011年、各国政府はそれぞれ事故被害などをまとめた報告書を作成した。このうちロシア政府報告書の全訳は公開されておらず、ロシア語に堪能な尾松氏が原文を読んだところ、福島原発事故後に日本で流布されているチェルノブイリの「知見」と異なる記載の数々に気づいたという。

 尾松氏によると、ロシア政府報告書は全160ページ。ロシア国内の政府系研究所が作成に関わり、非常事態省がとりまとめたもので、他の2カ国に比べて健康被害の認定に消極的な内容という。それでも小児甲状腺がんの多発は事故の健康被害と認定している。

 まずは患者の増加が明らかになった時期だ。被曝でがんが発生し、検査で見つかるほど大きくなる時間はどのぐらいなのか、という点で重要な判断材料になる。報告書はこう記載している。

「チェルノブイリ原発事故以前、甲状腺がんの検出件数は平均で1年あたり102件で、最少年間件数は1984年の78件。それが87年には著しく増加し、169件に達した」

 発症した年齢層に関する記載にも相違がある。チェルノブイリで事故当時5歳以下の層に患者が増加したのは確かだが、それが明らかになったのは事故から10年以上経(た)ってからで、事故直後にまず目立って増え始めたのは、むしろ事故当時15~19歳の層や、20歳以上の層であることを報告書は記載している。これはウクライナ政府報告書の記載もほぼ同様なのだという。

 さらには、がんを引き起こす被曝線量。ロシア政府報告書には、子どもの甲状腺被曝推計値を被災3州でマップ化している。これによると、原発から500キロ以上も遠く離れ、10~20ミリグレイないしは20~50ミリグレイ程度の推計値にとどまる地域でも甲状腺がん患者が増えている。

 検討委員会終了後の記者会見で、私は尾松氏のリポートについて尋ねた。しかし星座長の回答は「読んでない」とにべもなかった。

 またロシア政府報告書との相違について尋ねる質問状を山下氏と鈴木氏に送ったが、いずれも大学の広報を通じて「多忙のため依頼に答えられない」と返答があった。

 尾松氏はこう指摘する。

「ロシア語の文献は翻訳も乏しいが、チェルノブイリの知見を根拠にして評価するのならば、少なくとも政府報告書に書かれた内容くらいは正確に紹介すべきではないか。もし意図的に異なる内容だけを紹介しているのであれば、結論ありきの姿勢と言わざるを得ない」

   ◇   ◇

「あんなにたくさん見つかるなんて思ってなかった。子ども全員の調査なんてやらなきゃよかった、なんて声も聞くよ」。県民健康調査の関係者は苦笑した。

 甲状腺検査は事故当時18歳以下の福島県民約38万人が対象で、11年10月に開始し、約2年半かけて1巡目の「先行検査」の1次検査(エコー検査)を終え、事故から5年が経つ現在は、先行検査のエコー検査で結節(しこり)などが見つかった人を対象にがんを探す詳細な検査や、2巡目の「本格検査」が進んでいる。

 これまでに166人もの患者が見つかり、検討委員会も客観的に「多発」は認めざるを得ない状況だ。しかし、原因については、一定の層を全数調査したことで発見された「過剰診断」によるものだとして、被曝との因果関係を否定し続けている。

 そうだとすれば、どこで調査しても多くのがん患者が見つかることになる。だが、そう言い切る自信はないのだろう。検討委員会で星座長は「放射線との因果関係は否定できない」と繰り返し予防線を張った。

 

県民健康調査「中立公正」は本当か

 関係者はこぼした。

「『被曝と因果関係がないなら、日本中どこででもあんなに見つかるのか』と聞かれて往生している。はっきり言って、誰も自信を持って答えられない」

 初めて甲状腺がん患者が見つかったことが公表されたのは、12年9月11日の第8回検討委員会だった。実はその直前、県の担当者と検討委員たちは秘密裏に集まっていた。司会の県職員が「本番は2時から。今日の議題は甲状腺です」と切り出すと、「一般論として、チェルノブイリより線量が低い、そしてチェルノブイリでは最短で4年ほどで起きた」「検査を受けている以上は手遅れにならないというメッセージをマスコミに出そう」などと公開の検討委でどう話すのかを協議した。中には「質問をしてもらったほうがよい」などと、「やらせ」を想起する意見まであった。

 被曝との因果関係を否定し、公開の検討委で安全・安心をアピールする「シナリオ」作りの場であるのは明らかだった。私は同年10月、この「秘密会」問題を『毎日新聞』紙上で報道した(注2)。「結論ありき」の姿勢が明らかになった。

 報道を受けて、多くの検討委員が入れ替わり、山下氏は表舞台から去った。甲状腺検査を担当する鈴木氏も検討委に出てこなくなった。名称は「県民健康管理調査」から「管理」が取れ、調査目的から「県民の健康不安の解消」という文言が削除された。

 秘密会を報道してから既に3年半が経つ。166人もの患者が見つかっている今も、被曝との因果関係を否定する根拠は当時と変わらず、チェルノブイリの「知見」。それなら、何のための調査だろうか。

 この調査は本当に中立公正なものに生まれ変わったのか。中間取りまとめ最終案は最後にこう書かれている。

〈調査の目的として『県民の健康不安の解消』を掲げていたことや非公開で事前の資料説明を行っていたことが、調査結果の評価に関し委員会が予断を以て臨んでいるかのような疑念を生むことになったことから、これを一つの教訓として、委員会を運営してきた〉

「疑念」に押し込めるようなら、一体何を教訓にするというのだろう。

(毎日新聞特別報道グループ・日野行介)


 (注1)グレイ

 放射線を浴びた時に物質がどれだけ吸収したかの度合いを測る単位。シーベルトは人体への影響を評価する単位で、ガンマ線だけを考慮した場合はほぼ同じになる

 (注2)「秘密会」問題

 県民健康管理調査(当時)の検討委開催直前、福島県が秘密裏に委員たちを集め、公開の委員会で話す内容を協議していた。12年10月に『毎日新聞』の報道で発覚。事前に「シナリオ」を作成したり、記者に察知されないよう会場を変更したこともあった


 ■人物略歴

ひの・こうすけ

 1975年生まれ。毎日新聞記者。大阪社会部、東京社会部などを経て特別報道グループ。福島第1原発事故を巡り、県民健康管理調査(現・県民健康調査)の「秘密会」や、復興庁参事官による「暴言ツイッター」などを特報。著書に『原発棄民 フクシマ5年後の真実』(毎日新聞出版)など

(サンデー毎日2016年3月27日号から)

 

<関連>

福島第1原発事故 福島の甲状腺がん患者ら、「家族の会」を発足

 

 

 

 

 


【衆参ダブル 選】共産党の覚悟!200選挙区擁立見送りで“自公59人敗北”?(日刊ゲンダイ)

2016-03-19 17:54:44 | 政治 選挙 

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/177555より転載

衆参ダブル 共産党200選挙区擁立見送りで“自公59人敗北”

2016年3月19日

野党5党の幹事長はいい関係(C)日刊ゲンダイ

 ノーベル賞経済学者が「消費税10%の見送り」を安倍首相に提言し、17日は自民党の稲田政調会長も増税延期解散は「あり得る」と言及。永田町で「衆参ダブル選」ムードが急拡大している。

 だが、安倍の描く「ダブルで衆参圧勝」シナリオは甘い。野党共闘の一環として、共産党は衆院選の小選挙区についても候補者を取り下げる方針で、その数、実に200選挙区。全295選挙区の7割弱で野党統一候補ができれば、自公はガタガタだ。

「今月上旬の野党5党の幹事長・書記局長会談の場で、共産党が200選挙区で候補者擁立を見送る用意のあることを明らかにした。公式発表になっていないのは、民主党内のハレーションを避けるためではないか。『民共共闘』と騒がれ、自公に攻撃材料を与えてしまう。民主党は表向き共産党との選挙協力に距離を置いていますが、共産党の覚悟は相当のものです。京都3区補選で民主府連は『共産党とは共闘しない』と宣言しましたが、それでも共産党は候補者を立てなかった。衆院選でも同様の行動を取ると思う」(野党関係者)

 共産党が200選挙区で候補者擁立を見送れば、「20~30は容易に結果がひっくり返る」(自民党関係者)というが、2014年衆院選の得票で計算すると、逆転区はそんなもんじゃない。少なく見積もっても59選挙区で野党5党の得票が自公候補を上回っていた(別表参照)。

 北海道、埼玉、東京、愛知など、もともと民主党が強く、共産党も票の多い地域、各県の1区など都市部で逆転現象が起こる。自公は多くが当選2期や3期の若手で、あのゲス議員の妻・金子恵美(新潟4区)も敗北だ。閣僚経験者では、松島みどり元法相(東京14区)や伊藤達也元金融担当相(東京22区)も苦杯をなめることになる。

 5野党の幹事長は15日夜も都内の日本料理屋で会談。「いい関係が築けている」(前出の関係者)という。大量落選覚悟で安倍首相は解散を打てるのか。

 

 

 

 


【日本てそんなにひどい国かい?】泥 憲和(元自衛官)さん/改憲急ぐ安倍首相を応援する人々(毎日新聞)

2016-03-19 11:19:22 | 憲法
 特集ワイド:続報真相 改憲急ぐ安倍首相を応援する人々
  「美しい日本の憲法」とは - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20160318/dde/012/010/017000c
 
泥 憲和さんの写真
 
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【日本てそんなにひどい国かい?】
</form>
泥 憲和(元自衛官)さんのFBより

 2016.3.18

 憲法を変えろと、ひと群れの人々がいう。
 「憲法が日本をこんな国にしてしまった」と。
 それほど日本はひどい国かい?

...

 史上初めて庶民がまともに食える国になったんだぜ。
 軍艦がデカくて兵隊が強くても、食えなきゃ意味ないじゃん。
 この70年で殺人事件は10分の1だぞ。
 強盗に怯えなくても夜道を歩けるんだぞ。
 どんだけ人心が安定しているかってことだよ。
 
 関東大震災の時は朝鮮人を何千人も虐殺したよね。
 恐ろしい出来事だった。
 朝鮮を支配して辛く当たってたから、仕返しを恐れたんだ。
 阪神大震災の時や東日本大震災の時はそんなこと起きなかった。
 人種も民族も乗り越えてみんな助け合ったよ。
 仕返しを恐れなくてもいい国になったからだよ。

 憲法を無視した政治のためにずいぶんひどい国にはなったけど、まだ救いはあるよ。

 戦後の日本が全然ダメっていう意見は根強くある。
 だけど世の中が悪くなったなんてセリフはいつの時代も同じだ。
 明治時代はこう嘆いていた。
 「徳川さまのころはよかった、ご一新から人が悪くなった」と。
 大正時代と昭和前期はこうだ。
 「明治の人というのは気骨がしっかりしていたのに今は…」
 国民みんながこれ以上はないぐらい国に尽くした戦時中でさえこうだ、
 「物がない?窮屈だ?日清日露の時代の団結はどこにいった!」
 そしていまもまた
 「日本人は気骨がなくなり国がバラバラで外国からなめられている」
 「戦前はよかった。憲法が日本人から魂を奪った」 
 こんな根拠なきノスタルジーのために日本を変えられてたまるか!

 いつだって国という奴は国民をカンペキに支配したがる。
 でも力だけで支配は完成しない。
 強いものに従うことを喜ぶ人々を育ててこそカンペキとなる。 
 いつだって強い者を信奉してひざまづく奴がいる。
 強いものと一体化できた幻覚に酔いしれるのだ。
 支配者と一緒に賢くなった気がして誇らしいのだ。

 どうして戦後日本がいい国になったのか、その答えは簡単だ。
 強い奴に媚びたらどうなるのか、人々が身を以て知ったからだ。
 そんなのは間違っててみっともないと国民が知ったからだ。
 権力の横暴とたたかうのが正しいしカッコいいと思って、そうしてきたからだ。

 その心が弱くなっている。
 うるさく文句ばかり言うのはみっともないし迷惑だと人々がいう。
 権力なんて自分の暮らしと関係ないと人々がいう。
 でもそれじゃだめだと思う人が、ようやく増えてきた。
 憲法を変えられてしまう直前になって、ようやく増えてきた。
 もっと増えなくてはならない。
 増えつつはあるが、間に合うのだろうか。
 間に合わさなくては。

 憲法を変えろとひと群れの人々がいう。
 「憲法が日本をこんな国にしてしまった」と。
 私たちは問い返そう。
 それほど日本はひどい国かい?と。
 自信をもって語ろう。
 そんなに卑下するなよ、日本はまだそこそこいい国じゃん。
 憲法を変えろという為政者のためにずいぶんひどい国にはなったけど、まだ救いはあるよ。
 もっといい国に出来るよ、この憲法があれば、と。

 そしてもっともっとうるさく文句言おうよ。
 大切な憲法を守るために。

 

<コメント>

I・Yさん
  一番、すごい国だと私自身が思ったのはやはり震災の時ですね。知人もやはりボランティアで現地に出かけ、がれきの撤去作業や泥のかき出しをしたそうですが、着いた途端にこれどうするんだ?と思ったそうです。被災地では暴動などが起きず、皆が並んで支援品を受け取っていた。こんな国は無いと、それだけでも世界から絶賛された。

 また、日本の人は可能な限り募金活動に参加したり、募金をした。一人平均2回以上は募金をしていたそうで、私も募金を路上やコンビニでもした。他の国なら暴動や窃盗などが起きてもおかしくは無いのに、皆がやれることをした。

 税金が上げられても、被災地のためと、ほとんど文句は言わなかった。世界中から支援の手が伸びてきた。それは日本が戦後、たくさんの国や人を支援したから。お金持ちの中には、巨額の支援をした人もいた。自販機が壊されているところを見たことはほぼ無い。こんな国のどこが不満なのか?

T・Sさん
 「日本を取り戻す」って自民党は、犯罪の多かった時代、在日朝鮮の人々を差別した時代、多くの国民が貧しかった時代、軍部が政治を操っていた時代、新聞やラジオが政府の下請けだった時代
・・・に戻したいということだろうね。

K・Mさん
 俺んちなんか戦前は小作農、つまり貧乏百姓。
農地解放があり、また、戦後民主主義のお陰でかつての貧農の小倅の俺は大学まで行かせてもらえたし、兄貴なんか弁護士だよ

戦後日本は、庶民にとっては実に素晴らしい国だ\(^o^)/

これも憲法があればこそ
この日本が酷い国なんて言うのは、アベちゃんみたいな戦前特権階級の子孫とネトウヨだけとちゃう?

H・Sさん
 歴史・経験を学ばなければ、同じ失敗を繰り返すでしょう。
失敗を学ばない人が多く、も一度失敗を繰返して、
独裁者に成りたい人が経験を学んでいる事の恐ろしさ。