異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

「批判されるべきは、アルマーニを選んだ泰明の校長だけか」 弁護士が問う「子どもの権利」 2018.2.10 huffingtonpost.jp

2018-02-11 19:29:56 | 教育 学校 家庭 いじめ

 

 

「批判されるべきは、アルマーニを選んだ泰明の校長だけか」 弁護士が問う「子どもの権利」

「○○の生徒という所属や属性の枠に子どもたちを合わせようとするのは『支配』です。自分の頭で考えて育っていくことにつながりません」

http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/10/yamashitalawer_a_23358031/

山下敏雅さん提供
弁護士の山下敏雅さん
 
 

「アルマーニ標準服」を採用した中央区立泰明小学校の和田利次校長が保護者宛てに綴った文書を、「子どもの権利」の観点から検証すると、どういうことが見えてくるのか。このテーマに詳しい弁護士の山下敏雅さんに読み解いてもらった。

山下さんは、ブログ「どうなってるんだろう? 子どもの法律」で、子どもの視点にたった法律や社会との向き合いかたを説き続けている。

 

■個人が尊重される教育とは対極

ーー和田校長の文書を読むと「泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていること」「泰明小学校の児童はかくあるべき」という主張が展開されている。

 

子どもが学校で学ぶのは何のためかを考える際、参考になる訴訟事例があります。

「旭川学力テスト事件」という訴訟の最高裁判所の判決(1976年)で、こんな一節があります。

(憲法26条が教育を受ける権利を規定している背後には)「国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること...が存在していることが考えられる。......換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的機能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にあるももの責務に属する」

つまり、憲法が「教育を受ける権利」を保障しているのは、一市民として、一人の人間として生きていくのに必要だから。憲法13条もいうように、人は「個人」として尊重される。そのための教育なのです。

教育基本法学校教育法でも、教育は、個人の価値の尊重や、自主・自律の精神を養うことなどのためのものだと書かれています。

 

泰明小の文書で説かれている内容は、この判決と対極の考えになっています。子どもたちを一人ひとり個人として尊重するのではなく、「この小学校のあるべき姿」のほうに子ども達を合わせようとしている。ここが一番の問題だと思います。

今回は制服がテーマですが、昨年問題となった公立高校の「地毛証明書」で高校側が主張する内容と同じ論理です。

あの事例でも、乱れたりすると、就職などに響くから、などと言われていました。頭髪指導や服装指導を行う理由を学校はいろいろ弁解しますが実質は、あの学校は荒れていると言われるのでは、と、「学校の評判」を非常に気にしています。

 

■「体面」でしかる親も同じ論理

こうした論理は学校特有の論理なのかというと、違います。

「外(他人)からどう言われるか」という親の子どもに対する叱り方も同じです。子どもたちは、よく見ています。「親は自分の体面ばかりを気にしている。自分のことを大切に思って叱っているんじゃない。」と。それを思い返してみて欲しいと思います。

もちろん、自分が周囲からどのように見られるかを考えることも、社会の一員として暮らしていくうえで、大事なことです。しかし、「周囲の目」を過度に重視し、そこから出発するような指導は、教育とはいえません。

 

ーー泰明小の文書には、「公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられない」と綴られていた。

この学校の生徒なのだからこうしなさい、といった、所属や属性による押しつけは、体罰と似た問題があります。

体罰がなぜだめなのか。ルール違反をした子どもが、「なぜそれが悪いことなのか」をきちんと自分で理解するのではなく、「殴られるからやめよう」と思って表面上服従するだけに終わるからです。暴力を受けない場所では、また子どもはルールを破るでしょう。体罰は、教育ではなく、単なる支配です。

「この学校の生徒だからこうしなさい、こういうことはやめなさい」という指導も、それと似ています。

こういう伝統のある学校に所属しているのだから公共の場で騒ぐな、というのは、その学校でなければ騒いでよいのでしょうか。そうではないはずです。なぜ○○をすべきなのか、なぜ××が許されないのかを、その理由に遡って丁寧に教え、身につけさせることが教育です。

 

■所属や属性の枠に子を当てはめるのは「支配」

「○○の生徒だから」という所属や属性の論理で、その枠に子どもたちを合わせようとするのは、体罰と形は違えども、教育ではなく「支配」です。一人の人間として、社会の一員として、自分の頭で考えて育っていくことにつながりません。

 旭川学力テスト事件の最高裁判決が言っているように、教育は、教育をする側の「支配的機能」ではなく、子どもの学習権を充足するためにこそあるのです。

校長の文書の中で、歴史や風格、地域とのつながりにも言及している部分もありました。

140年も続いた学校の歴史や風格への誇りが先にあるのでしょう。そういう面を大切にしたい気持ちは分かります。

しかし、一人ひとりの子どもに向き合った教育を積み重ねた結果としてその歴史や風格が続くならともかく、その逆に、歴史や風格を維持するために子どもを教育する、という姿勢は本末転倒です。

ーー泰明小の文書には「対外的にも、『泰明小』そして『泰明の子』は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか」とあった。

子どもが育つ中で、地域とのかかわりはとても大切です。子どもたちが自分も社会の一員として生きているという意識を持てますし、虐待などの対応で地域が大切な機能を持っていることを、日々の業務で実感します。子どもの育つ上で、地域の「絆」は不可分です。

しかし、その地域との「絆」は、「地域からこう見られてしまうから、子どものあなたはこうふるまうべき」「こうしてはいけない」というものに使われるものとは違います。

子どもたちが、地域の中で一人の人間として尊重されていると実感できること、地域が自分の居場所なのだと感じられることが重要なのです。

 

■「アイデンティティー」は自ら形づくるもの

――泰明小の文書には「よりよい自分であるためによい集団にしなければならない、というスクールアイデンティティー」も求められている。

アイデンティティーは、子どもが成長、発達していくなかで、模索しながら自分で形づくっていくものです。特に10代は、自分探しをしながら自分を形づくっていく大事な時期です。

自分が所属する社会や組織・団体、ルーツや性別、セクシュアリティ、民族というもののなかで、自分で少しずつ、お互い尊重しあいながら築いていくものです。「○○学校の生徒だから」「男の子だから」「日本人だから」などと、周囲から押しつけられ、それに従わされるものではありません。

自分で「この学校が大好きで、愛着や誇りを持っている」と、自らアイデンティティーを持てるのは素敵なことだと思います。だけど、それは押しつけられてもたらされるものではないのです。


■批判されるべきは、泰明の校長だけなのか

――山下弁護士は、ブログ「どうなってるんだろう? 子どもの法律」で制服についても取り上げている。

 どんな人も,一人ひとりが,大切な人間です。 工場で作られているような,どれも同じ形をした商品ではありませんし, 着せ替え人形でもなければ,奴隷でもありません。
 教育基本法という,教育のベースとなる法律にも,一人ひとりを大切にすることが,はっきり書いてあります。
 それなのに,体型も,服のセンスも,みんなばらばらの生徒たちが,まったく同じ服を着させられているのは,おかしなことなのです。
 むかしは,校則で男子が丸坊主にさせられる中学校がとても多かったのですが,みんなが「おかしい」と声を上げたことで,丸坊主にさせる学校は,とても少なくなりました。
 制服についても,同じように「おかしい」と声を上げて変えていくことが大切だと,私は思っています。
「どうなっているんだろう? 子どもの法律」から抜粋

今回は「アルマーニ」のものだからという理由で標準服が問われていますが、そもそも制服自体必要なのでしょうか。

アルマーニでなく、他のブランドであれば、それでよいのでしょうか。

小学校は私服の学校が多いですが、なぜ中学になると制服を着るのが当たり前になるのでしょうか。

制服自体必要なのかという視点からみると、批判されるのは泰明小学校の校長だけではないと思っています。

 

 

【関連記事】

必読記事です!<「アルマーニ」とは真逆の公立学校で> 虐待・貧困・発達障害…全てを抱えた子が「みんなの学校」で得たもの 2018.2.10

 

 

 


必読記事です!<「アルマーニ」とは真逆の公立学校で> 虐待・貧困・発達障害…全てを抱えた子が「みんなの学校」で得たもの 2018.2.10

2018-02-11 16:24:30 | 教育 学校 家庭 いじめ

 ※この記事は、皆さんにぜひ読んでいただきたい。
・・・どんな家庭に育った子でも、パブリックでは平等に学べるようにしなければなりません。何一つ肩身の狭い思いをしないで学び、社会で役に立つことができるように導く。それが学校の役割では(文中より)


虐待・貧困・発達障害…全てを抱えた子が「みんなの学校」で得たもの

「アルマーニ」とは真逆の公立学校で

2018.02.10http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54397
「みんなの学校」と呼ばれている公立小学校がある。大阪府住吉区に2006年開校された大空小学校だ。「すべての子どもが安心して学んでいる奇跡の学校」として注目を集めた。2013年にはドキュメンタリー番組として放送され、文化庁芸術祭大賞をはじめとした多くの賞を受賞。そして、2015年に劇場版『みんなの学校』として全国の映画館で公開となった。

この映画では、いわゆる「特別支援学級」や「特別支援校」に通っていた子どもたちが、普通にほかの子どもたちと同じ教室で学び、ともに成長していく様子がとらえられており、今でも日本全国で上映会が行われている。映画をベースにした書籍『「みんなの学校」が教えてくれたこと』も刊行されている。

ちなみに大空小学校は、全国学力調査の平均点が、日本で必ず成績上位3位に入る秋田県を上回ったこともある。それだけ幸せに学べる学校を卒業したら、その子たちはどうなるのだろうか? 開校から9年間校長をつとめた木村泰子さんが、レイ(仮名)という男の子の「その後」を語ってくれた。

校則のない学校


大空小学校は、2006年の開校から、校則はつくっていません。

例えば、学校によくある決まりごとに「学習に必要な物以外のものは持ってきてはいけません」というものがあります。

実はそういうことは、子どもたちは言われなくてもわかっています。

それなのに、この決まりごとがあると、例えばカードゲームを学校に持ってきた子に対して、なんでこんなもの持ってきたの? 授業が面白くないの? 学校楽しくないの? 友達と何かあったの? といった「その子の心を探る問いかけ」は出てきません。

決まりがあるがゆえに「学校で決まってるやろ。持ってきたらあかんやろ!」と、その「決まりを破ったという現象」のみを教師は言及しがちです。そうなると、見なくてはいけないのものが、見えなくなる。

ですから、大空では「校則」をつくらなかったのです。

その代わりとして、「たった一つの約束」をつくりました。それは「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」です。大空では、子どもも大人も、この約束を徹底して守ります。どんな大事な授業をしていても、この約束が守れなかったときは、やり直しの部屋(校長室)に「やり直し」に来ます。

「この約束があるのなら、自分もこの学校なら行けるかもしれない」と思って入学・転校してきた子もいるのです。


開校から9年校長を務めた木村先生と生徒。映画『みんなの学校』では、校長先生と子どもたちとの近い距離間をまぶしく感じる。©関西テレビ放送

「しんどい」をすべて抱えた男の子

私は開校から9年間、大空小学校の校長をしてきました。

その9年間でこの子くらいしんどい子はいないなといえるのが、レイです。虐待、貧困、障害、「こういうことがあったら子どもは大変だな」と思われるようなことを、ひとりで全部受けていた子です。

彼が開校2年目で入学してきたとき、「あの子がいるなら大空はやめとこう」と保護者が大空に入れるのを躊躇している――そんなこと噂が立てられるような存在でした。

レイには両親がいましたが、彼ら自身、苦労して育った人たちでした。1週間姿を見ないこともありました。食べ物がきちんと用意されているわけではありません。洗濯をしてくれているわけでもありません。家庭訪問に行った教職員によると、家の中は決して衛生的に保たれていませんでした。

夏になると、彼の体からはえも言われぬにおいが漂います。登校したレイが靴箱の前で上履きに履き替える時も、臭くてみながその場から逃げ出すほどでした。

しかし「それぞれの事情があるので我慢しましょう」といったきれいごとで、子どもたちの関係は決して成り立ちません。

私は子どもに言いました。

「臭いのは事実。なぜ臭いのかを知ろうや。だいたい、なんで臭いの我慢するの? 臭かったら、臭いってレイに直接言いや。言うのを我慢してレイのそばから離れるのは、おかしいやろ?」

レイとその周りの子どもたち、教職員は、何度もこのことについて考え、話し合いました。

4年生のときに子どもたちと話し合っていたとき、ひとりの子がレイに向かって言いました。

「おまえな、水でいいから、学校来てから頭洗えや」


臭いなら洗えばいい。なら洗えや。そういえる環境が、レイに居場所を作った。Photo by iStock

翌日から、登校するとシャンプーと石けんを抱えて手洗い場に行き、頭を洗い、足の裏を洗い、顔も洗って教室に行くようになりました。暖かい季節だけでしたが、それ以来、子どもたちの訴えはなくなりました。そうやってレイは大空に、自分の居場所を見つけたのでした。

どんな家庭に育った子でも、パブリックでは平等に学べるようにしなければなりません。何一つ肩身の狭い思いをしないで学び、社会で役に立つことができるように導く。それが学校の役割でもあり、レイはそんな可能性を持っている子でした。また、そういう子と一緒に学ぶことで、確実に周囲の子も大変多くのことを学んでいくのです。

『みんなの学校』は地域で作られている


大空には、子どもと教職員、サポーターと呼んでいる保護者とともに、学校をつくっていく大人がほかにもいます。学校の外からやってきて、学校を力強く支えてくれる地域の人です。地域の人は毎日のように学校へきて、さまざまな形で子どもたちとふれあいます。また、「大空パトレンジャー」といって、子どもたちの登校する様子を見守ってくれます。

学校の中を支えているのは、管理作業員です。彼らは子どもたちを毎朝校門で出迎えているためか、子どもたちが何気なく発した言葉で家庭状況などの異変を敏感に感じ取ります。また、遅刻なのか、欠席なのか、朝連絡の取れない子の家に自転車を飛ばして様子を見に行くこともあります。

レイは、この管理作業員とパトレンジャーの人々に温かく育んでもらいました。朝学校に行けないでいると、管理作業員が自転車で様子を見に行きます。集団登校に間に合わず遅刻してしまえば、自宅近くでパトレンジャーの方が待っていて学校まで付き添ってくれます。


運動会でも、保護者や勤務している人のみならず地域の人たちが協力してくれる ©関西テレビ放送

私たちは、レイの在学中から、大空を卒業した後のことが気になっていました。6年間一緒にすごした大空の仲間がいるとはいえ、レイの事情を中学の先生方にもわかっていただく必要があります。地域の中学校と密に連絡をとり、中学進学の準備もしていました。

ところが、家庭の事情で本当に突然引っ越すこととなり、彼は地域外の中学に行くことになったのです。レイは、地域の愛に支えられて小学校に6年間通っていたので、まったく知らない中学だと行かなくなってしまうのではと不安に思っていました。

それでも「当たり」だったのです。中学進学後、レイはこう報告してくれました。

「担任の先生、めっちゃいい人やねん。若くてサッカーの顧問してるんやけど、『お前のことは俺が何があっても守ったる、安心して来い』って言ってくれたん」

よかった、少なくとも1年レイは学校に行ける、と思った6月のある日のことでした。
レイが学校に行かなくなったのです。

「見えないところを見る」教育


行かなくなった理由は、生活指導の教師に体罰を受けたことでした。
中学には校則があります。体育館に全員集められて集団行動を学びます。そこに生活指導の先生が入ってきて、レイに「お前は校則違反の靴下を履いている」と言いました。校則は白なので、レイが白くない靴下を履いていると注意したのです。

それでもレイは「白です」と答えました。先生は「なんでこれが白やねん、嘘つくな!」と怒ったそうです。しかし白なのです。白だけど、親が洗濯をしない。洗濯機がないのです。大空でも、ひとつかふたつしかない靴下を、「明日は洗いや」と言われながら水で洗い、生乾きで履いてきていました。だからグレーだったりまだら模様だったりするのです。

でも元は「白」です。地毛なのに「なんで染めてくるんや!」というのと同じです。生活指導の先生は「嘘つくな!」と怒り、体操服の首根っこを引きずり出そうとしました。レイは靴を脱いだらすごい臭いもするであろうこともわかっている。思春期ですし、みなの前で靴を脱ぎたくない。先生は引きずり出そうとする。そうしているうちに首が締まり、息がつまって倒れてしまいました。

こうしてレイは中学に行けなくなりました。

その後、レイは別の中学に転校して、施設にもお世話になりながら中学3年生まで学びました。私はその間一度も会っていませんでした。

中学に行けなくなった本当の理由


レイが中学3年生になったとき、私は大空を退職しました。レイが私に会いたがっていると聞き、久しぶりにレイに会いに行きました。

ものすごく大きくなっていました。「あんた大きくなったなあ!」と言いましたら、彼はこう答えました。

「そら、1日3回ご飯食べれてる」

そのあとレイは私に足の裏を見せました。「あれ、臭ないな」と言いましたら、

「毎晩お風呂入っとる」

と答えました。

お風呂に入れているから臭くない。入れないから臭い。それが分かっていれば、子どもは排除しません。先にお伝えしたように、「学校で足洗え」と子どもたちも言えるのです。むしろ、「臭いから洗いや」と平気で言える環境であることが大切なのです。

しかしレイが足の裏を見せた理由は、臭いをかいでもらうためではありませんでした。「ちゃう、かかと見て」というので見てみると、足のかかとにひどいケロイドができていたのです。中学で体罰を受けたときのものでした。かかとにケロイドができるほどの力で、引きずられていたのです。

レイは生活指導の先生に首を絞められたいきさつも改めて話してくれました。そしてこう言いました。「おれは次の日から学校に行ったらアカンと思って、学校には行かないことにした、そうやって出した答えが正しかったのか間違っているのか、ずっと考えているけどわからん。先生どう思う? 先生の考えを聞きたかった」

行かなくなった理由を聞かないと私の考えも言えません。

レイは生活指導の先生にひっぱられた時に担任の先生がいたことも教えてくれました。担任の先生はレイの味方で、靴下が本当は白いことも知っています。だから先生が「校則違反ではありません」と言って守ってくれるのかと思ったのだそうです。しかしそのまま気を失ってしまい、起きたら保健の先生しかいなかったと。その翌日から「学校に行ったらあかん」と思ったのだというのです。

「レイ、あんたそんなヘタレか? 担任の先生に守ってもらえなかったくらいで!」

思わず私はそう言いました。ところが戻ってきた返事は、とても意外なものでした。

「ちゃうねん。担任な、生活指導の先生から俺を守りたかったに違いない。ただな、担任、若いねん。生活指導の先生、年いったえら~い先生やねん。若い先生が年いった先生に『やめたって』って言えなかったんや。でも次の日俺が行ったら、担任は守りたかった俺を守れなかったって、苦しいやろ? だから俺は行ったらあかん、と思って行かんかった」

「信じられる人はいますか?」

レイから学んだのはかけがえのないことです。

親がいつも側にいなくても、勉強ができなくても、貧しくても、発達障害というレッテルを貼られても、一人の子が安心して学べる居場所がある、ただこれだけで、この子は安心して自分が育つという事実を作ったのです。ですから中学で体罰を受けても、「担任の先生が苦しくなるから行くのを止めよう」と考えられるのです。

大阪には、基礎的な学習を学び直すことのできる高校があります。レイはその公立高校に合格しました。今では、自転車で高校に通い、毎日高校から大空に戻って来て、大空小学校でボランティアをしています。

もちろん私はいません。今の大空は校長が変わり、教頭が変わり、職員の3分の2が変わっています。それでも理念はひとつですから、たとえぶれることがあっても戻るのです。レイはその職員室にひとりのボランティアとして加わっているのです。

虐待を受けるような問題にさらされたことのある子どもたちにとっては「酷」ともいえる、あるアンケートがあります。大人に裏切られたことのある子どもたちに、「あなたはこれまで生きてきた中で信じられる人がいましたか」と問うのです。そのアンケートではほとんどの子が「いない」と書くそうです。

しかし、レイは「います」と答えていました

「それは誰ですか?」とアンケートはさらに問います。レイは何と書いたでしょうか。「大空の先生」?「校長先生」? いえ、違います。

レイは、「大空の人たち」と書いたのです。「人たち」というのは、レイの周りにいつもいた、「大空をつくっている大人たち」なのです。先生はたった一握りです。

レイは、ぶれそうになった私の心を何度も揺り戻してくれます。
教育の原点は、ここを外して未来はないということの、確信をもたせてくれるのです。

今、レイには夢が二つあるそうです。一つは困った子どもを支える施設で働く人になりたいというもの、もう一つは大空の地域で暮らしたいというものです。

大空小学校は、「当たり前の教育」をしています。そんな「当たり前の教育」の中で、すべての子どもたちが地域の学校に居場所を作り、自分から自分らしく「未来の自分」を誇らしく感じられるような学びができることを、私は心から願っています。



映画『みんなの学校』

「不登校も特別支援学級もない、同じ教室で一緒に学ぶふつうの公立小学校のみんなが笑顔になる挑戦」。テレビドキュメンタリーを作成したチームが、2012年からの一年を追い続け、作成した映画。通常ならば撮影カメラが入ると子どもたちはそこに近づいてくることが多いが、大空で撮影カメラを回しても、生徒たちはまったく動じることはなく、勉強に集中して普段の生活をしていたという。上映会を個別に依頼することも可能だ。(詳しくは映画公式HPをご覧ください)

映画『みんなの学校』のドキュメンタリー内容をベースに、木村さんがどうやって「当たり前の教育」をするようになったのかも綴られている。教育実習生のときの一人の先生との出会いをきっかけとして自身が子どもたちと触れ合いながら探り、身につけていった、大空小学校の前から実践してきた教育の姿勢は必読。「学び」とはこういうことなのかという本質を教えてくれる一冊だ。

 

 【関連記事】

東京新聞:公立小の制服にアルマーニ 銀座・泰明小 一式8万円、保護者なぜ

公立小の「制服」にアルマーニ 8万円以上、国会で物議:朝日新聞デジタル