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「北朝鮮発表は“非核化”宣言ではない」「正式な核保有国への手続き」と米専門家 2018.4.22  BUSINESS INSIDER JAPAN

2018-04-22 23:09:09 | 外交、国際

 

「北朝鮮発表は“非核化”宣言ではない」「正式な核保有国への手続き」と米専門家

BUSINESS INSIDER JAPAN   https://www.businessinsider.jp/post-166194

北朝鮮が4月21日から、核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を中止し、北部の核実験場を廃棄すると発表したのを受け、アメリカでは、トランプ大統領がすかさず「非常に良いニュースで、大きな進展だ」とツイートした。

しかし、金正恩朝鮮労働党委員長が4月27日に予定されている韓国との南北首脳会談、さらに、過去に実現できなかったアメリカ大統領との会談を控え、「会談をスムーズに運び、金委員長にとって歴史に残る成果にするための発表で、会談後、元に戻せる」と指摘する専門家もいる。

今回の発表は“非核化”宣言ではない

金正恩とトランプ

金正恩氏はこの後、韓国、アメリカとの首脳会談を控えている。

REUTERS PICTURES

政治ニュース専門サイト「Axios」によると、ジョージ・W・ブッシュ政権の米国家安全保障会議(NSC)メンバーが、こう指摘しているという。

「首脳会談が近づく中、核・ミサイル実験を中断することぐらい、何でもない。(会談が終わったら)元に戻すことはできる。(一時しのぎの)目薬みたいなものだ」

米戦略国際問題研究所(CSIS)の韓国部長ビクター・チャもAxiosにこう語った。

「北朝鮮はこれまでの交渉で、実験を中止すると言明していた。今回の発表は、その約束を正式なものにしたものだ。発表は、核による先制攻撃をしない、核兵器・核技術の移転をしないというのに触れている。つまり、責任ある核兵器保有国家になる場合に条件となってくる項目だ。従って、今回の発表は“非核化宣言”ではないこれは、北朝鮮が、責任が持てる核兵器保有国家になることができるという宣言だ

「それを信じる人はいないが、北朝鮮がそれでトランプを説得することができれば、それこそ、彼らが欲しているものだ」

つまり今回の発表は、北朝鮮側としては手続きを踏んだ意味があるもので、「ひょうたんから駒」ではない、その見返りに欲しているのが、米朝首脳会談の成功という見方だ。

見返りにアメリカは何を持っていけるのか

日米首脳会談

日米首脳会談を終え、トランプ大統領は4月19日、「北朝鮮や貿易について徹底的に話し合った。よいことが起きるだろう」とツイートした。

REUTERS PICTURES

さらにチャ氏は、「最も関心がある問いは、北朝鮮が先手を打って示した妥協に対する見返りとして、アメリカが何を持っていけるかということだ」と、トランプ政権の出方が今後の焦点になるとしている。制裁措置解除なのか、平和交渉や国交正常化なのか、北朝鮮がのどから手が出るほど欲しがっているものがあるが、トランプ大統領のツイートからは、まだ方向性が見えていない。

トランプ大統領は北朝鮮の発表に先立つ4月19日、米朝首脳会談の見通しについて、強硬姿勢を見せていた。

「もし会談が成功しないと思ったら、会談には行かない。会談にこぎつけても、生産的なものでなければ、途中で立ち去るだけだ。北朝鮮が非核化するまで、最大のプレッシャーをかけ続ける」(日米首脳会談後の共同記者会見より)

こうしたトランプ氏の発言から、北朝鮮が実験中止という発表で先制し、アメリカと韓国政府にシグナルを送ったとすれば、北朝鮮が「一枚上手」だ。

Axiosのマイク・アレン氏は、

「金正恩氏は、トランプ大統領の『アート・オブ・ディール(トランプのビジネス書の題名、邦題「トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ」)』から学んだのかもしれない。トランプに勝ちを持たせろ、少なくともトランプが勝ったと思うようなもの、あるいは勝ちになりそうなものを、という教訓だ」

と指摘した。同書には、トランプ大統領がビジネス交渉の際、話題作りなどで優位な立場になるように先制攻撃を仕掛け、取引を有利に運んできた様子が書いてある。今回は、金正恩が先手を打ったわけだ。

祖父も父も成し遂げなかった“偉業”

ミサイル実験

北朝鮮は2017年11月29日にも弾道ミサイルを発射した。

REUTERS PICTURES

「金正恩は、賢明な一手を打った」

マサチューセッツ工科大学(MIT)の政治学准教授ヴィピン・ナランも、CBSニュースにこう語った。

「発表は、将来相手を出し抜く余裕を持たせてあるものだ。逆戻りできないという事柄は、一つも含まれていない。非核化の文言もいかなる形でも含まれていない」

金氏は発表を決定した20日の党中央委員会総会で「国家核戦力建設という大事業を短い期間で完璧に達成した」とし、核実験場は使命を終えたとした。総会で採択された決定書によると、核実験中止を

「世界的な核軍縮のための重要なプロセスだ。我が国は、核実験の全面中止のための国際的な志向と努力に合流する」

としている。

一方で、アメリカのメディアによれば、金正恩氏はアメリカ大統領と会談する初の労働党委員長となる。祖父・金日成、父・金正日も達成できなかった「偉業」を成し遂げることに、北朝鮮が、全力で成功に導こうとしているのは必至だ。

トランプ大統領に表面的に花を持たせたとしても、「偉業」を成功させるための戦略を、北朝鮮首脳と初会談する米大統領となるトランプよりもかなり真剣に練っているのがうかがえる。

(文・津山恵子)

 

 

 

 


公文書管理問題=保阪正康・・・東条軍閥内閣と同様の時代が来ているかのようだ 2018.4.21 毎日新聞

2018-04-22 22:13:01 | 戦前回帰 明治 国家思想
昭和史のかたち

公文書管理問題=保阪正康

 
東条英機元首相(上)佐川宣寿前国税庁長官(下)=コラージュ・深澤かんな
 

東条軍閥内閣と同様の構図

 連日の新聞報道にふれていて、この国の骨格が音を立てて崩れていることがわかる。加計学園問題が「首相案件」であったとの文書が発見されるまでの官僚機構のシラを切った答弁、ないはずの文書が次々と発見され、それも意図的な隠蔽(いんぺい)と思われる工作、さらには存在しないとされていた自衛隊イラク派遣時の日報の開示、首相秘書官が愛媛県職員と面会した際に同県が作成した文書の発見。ついには財務省の事務次官のセクハラ疑惑など、この国は一度落ちるところまで落ちた方がいいと言いたくなるほどの体たらくである。

 

 原因は何か。主要な点は、次の三つに絞られるのではないか。

 (1)現内閣の強圧政治と世論誘導策

 (2)官僚機構の腐敗と道徳的退廃

 (3)行政文書管理のずさんさと歴史的無責任

 この3点が重なり合って、この国の骨格に今や大きなヒビが入っている状態である。単純に比較するわけにはいかないにしても、これと似たような状況は過去にもあった。最もわかりやすいのは、太平洋戦争の末期と終戦時の国家体制の崩壊の折に、この3点が表出していたことだ。

 敗戦時は鈴木貫太郎内閣だが、問題なのは太平洋戦争の3分の2の期間を担った東条英機内閣であった。この内閣の独裁政治と自らの延命しか考えていない首相により国民はおびえ、沈黙し、そして面従腹背を生活上の知恵とした。

 むろん今はこの時とは時代背景も異なるのだが、こと中央官庁の官僚だけを例にとると、その構図は東条内閣当時と同様ではないかとの思いがする。官僚が身を守るためにうそをつき、責任は下僚に押しつける。そのために自殺者まで出ている。何より歴然たる事実を真正面から否定する高級官僚の心中には私益しかないとはいえ、相当の恐怖心があるということだろう。その恐怖心は報道の中からも十分にくみとれるのだが、私は彼らのおびえの深さを知り、がくぜんとする。

 21ということだろう。

 この構図がわかった時、前述の(2)と(3)は官僚機構そのものが内閣に屈服している結果という側面がうかがえる。ただ(3)の行政文書の管理とその責任について、国会で証人喚問された佐川宣寿・前国税庁長官の答弁にみられる内容を含め、高級官僚の弁明を聞いていると、記録文書そのものへのあまりにも無責任な発言に驚かされる。自衛隊の日報にしてもそうである。

 言うまでもなく行政機構において、記録文書の管理は重要な責務である。それを放棄するのは当事者たちが単に責任逃れをしただけでなく、歴史的犯罪を犯していると言っていい。太平洋戦争の終結時に、高級官僚、軍官僚は、あの戦争に関する書類をすべて焼却するよう命じた。戦争責任の追及を妨害しようとの意思であった。

 そのため、喜劇とも言うべき光景が演じられた。東京裁判で検察側はA級戦犯被告の罪を問うために、被告たちが虐殺事件の責任者である旨告発した。弁護側はそれを否定しようと試みるも、文書を焼却したため雑誌記事などを反証の材料に用いた(半藤一利・保阪正康・井上亮著「『東京裁判』を読む」日経ビジネス人文庫)。揚げ句の果てに、弁護に有力な証拠となる文書を焼却した証明書を提示する状態になった。

 この証明書は旧陸軍省の事務を引き継いだ第一復員局の文書課長が書いた「調査の結果、終戦時焼却せられ現在保管書類中に存在しあらざる」といった内容だった。こういう報告書を次々に持ちだすために、ウェッブ裁判長は「こんな議論はばかげている」と怒り出す有り様であった。国際社会で、日本の資料管理は笑いものになった感もあった。これは重要な教訓になったはずだ。

 しかし今後とも、記録文書の管理について、あるいはその内容について、高級官僚は下僚に責任を押しつけるだろう。この構図とてBC級戦犯時と同様の光景になるはずだ。捕虜を殺害した兵士が罪を問われて、「上官の命令」と答えた時に、その上官は「始末しろとは言ったが殺せとは言っていない」と言い逃れ、兵士が銃殺になったケースも数多い。これが日本の官僚機構の慣例である。

 大日本帝国憲法下にあって、あの軍部でさえ、天皇が裁可した文書を改ざんすることはありえなかった。もっとも天皇に示す文書の中で、事実を改ざんしていたことはあった。ところが現代日本では主権者(国民)に示した文書記録を平気で手直ししたり、虚偽の説明をしたりする。そして責任は、官僚機構の末端に押しつけていくとの構図を繰り返している。

 私は、前述の3条件が重なり合って描き出されている日本の現在が、「2度目の歴史だ」と断言してはばからないのである。


 ■人物略歴

ほさか・まさやす

 ノンフィクション作家。次回は5月19日に掲載します。

 

 

 

 

 


トスカーナの春を描いた美しい「花野」をみて~わたしたちがいつか忘れても大地は記憶しているー歴史はくりかえさない。ただ歴史は警告する。2018.4.21 Anno Kazuki 

2018-04-22 17:25:53 | 平和 戦争 自衛隊
トスカーナの春を描いた「花野」
トスカーナの春を描いた「花野」をみて、確認したかったことがあった
Anno Kazuki 2018.4.21
記憶
白寿記念「堀文子展」より
 
枯れたひまわりを描いた「終り」に出逢いたかった。戦後の復興期に浜辺であそぶ人びとを描く「海辺」にも再会したかった。だが、わたしが近代美術館葉山へ出かけたのは、なににもまして、トスカーナの春を描いた「花野」をみて、確認したかったことがあったからである。
 
最初、この絵を銀座のちいさい画廊でみたとき、恐怖を感じた。それが不可解だった。野の花々が描かれている。限りなくうつくしい。恐怖を覚える理由などない。
 
錯覚だろうか。たしかに、「海辺」は二重写しになっていて、浜辺であそぶ現在の人びとの姿を映すと同時に、戦争で非業の死をとげた過去の人びとを描いていた。こう解釈する人は数少ない。文子はなにも語らないからだ。
 
「海辺」には読み解くきっかけとなるヒントがあった。文子の分身がふたつ絵のなかに佇み、それぞれ昼と夜、光と影、現在と過去、生と死、繁栄と滅亡を見つめていたからだ。
自動代替テキストはありません。
 

だが、「花野」にはそんなヒントは見当たらない。ふたたびこの絵の前にたち、みつめつづけた。うつくしい、この世のものとはおもえないくらいに・・・。花々は生きている。生命がある。植物として季節をめぐり咲いているのではない。野の花は失われた人びとの霊魂を宿して咲く。

 
わたしたちがいつか忘れても大地は記憶している。目に映るものだけが現実ではない。さまざまな記憶のベールが幾層も折り重なった現実がある。
 
いま銀座の街をあるくとき、わたしたちには何をみているか。平和と繁栄を享受する人びとがみえる。日日うまれかわる街並みがみえる。しかし、空襲によって焼けつくされた銀座はみえない。有楽町駅のトンネルをぬけようとして、ずたずたに裂かれた死体をみるひとはいない。あの日、疎開する人びとであふれた駅を爆弾が直撃していた。
 
東京で暮らす人は70年ほど前に数十万人が殺害されたことをもう忘れている。黒焦げの死体の山が築かれた。まだ燃えている死体の火で暖を取った人びともいる。その街をわたしたちはアイスクリームをたべながらあるく。火をのがれて隅田川に浮かぶ人びとを火が舐め、顔を焼いていった。いまとなっては川沿いの桜をたのしむばかりだ。
 
わたしたちがみようとしないだけで、東京の隅々に霊が宿っていたとしても不思議はない。
 
▽ ピオンビーノの反乱
 
1943年9月10日、トスカーナ地方ピオンビーノの港にドイツ海軍の小艦隊が停泊しようとした。港管理局はこれを拒絶するが、イタリア軍湾岸警備部隊の将軍が入港を許した。
 
ドイツ軍は上陸すると横暴なふるまいをみせ、ピオンビーノを占領しようと始動する。町の住民はイタリア軍に毅然とした対応をするようにもとめ、反乱の覚悟を示すが、イタリア軍の司令官は戦車をならべ住民にむかって砲撃した。
 
すると、イタリア軍の将校たちが命令にそむき、指揮系統を掌握し、住民に武器を提供して、イタリア軍兵士とともに防衛戦に打って出た。戦闘は午後9時15分にはじまった。ドイツ軍の反撃は11日の夜明けまでに退けられ、ドイツ兵は120人が戦死し、200人から300人が捕虜となった。
 
しかし、イタリア軍の将軍が捕虜に武器をかえしたうえで解放した。ここから戦況が一変し、イタリア軍の将校と兵士は住民たちとともに町を捨て、森へ逃れた。
 
トスカーナのパルチザンはここにはじまる。
 
▽ サンタンナ・ディ・スタッツェーマ村の虐殺
 
1944年8月12日、トスカーナ地方のサンタンナ・ディ・スタッツェーマ村において、イタリア・レジスタンス運動を鎮圧するために作戦を展開していたナチス親衛隊がファシスト民間武装組織「黒い旅団」の支援を得て、村人と地元難民560人を虐殺した。そのうち130人はこどもだった。
 
ナチスとファシストは村人と難民をいくつかの納屋に閉じ込め、機関銃で射殺し、あるいは地下室など密封された空間に押し入れ、手榴弾を投げ入れて爆殺した。教会には100人ほどの信者があつまっていたが、まず神父が至近距離から拳銃で頭を撃たれ、信者たちは機関銃で射殺された。8人の妊婦がいた。そのうちのひとりは銃剣で腹を切り裂かれ、胎児が引き出され、母と子がべつべつに殺害されている。
 
すべての家畜も殺され、村には火が放たれた。3時間の惨劇だった。そのあと、ナチス親衛隊は村の外にすわりランチを食べている。
 
▽ 花のいのち
 
歴史はくりかえさない。ただ歴史は警告する。わたしたちを導く。ナチズムとファシズムに戦いを挑んだ人びとがいる。虐殺された人びとがいる。歴史はわたしたちが共有する記憶だ。この記憶のなかに、警告も教訓も希望もある。
 
空は覚えている。大地も記憶している。野の花々は犠牲者の魂を宿しながら春を咲き継ぐ。文子が描いたのは記憶をとどめた空と大地と花々だった。
 
もし忘れてしまったのなら、また思い出せばいい。きっと花々がおしえてくれる。文子がみていた世界はいつかわたしたちの眼にもみえる。
 
その日は、わたしたちがおもっているよりも、ちかい。
 

 
画像に含まれている可能性があるもの:空、屋外、自然
 
 
 
<追記>
 
ああ、なんてばかなんだろう。絵の中にヒントなんかなくていいんだ。イタリア映画「ひまわり」の花畑も夥しい数の死者をあらわす。背景はナチスドイツと枢軸国によるソ連侵略戦争だ。ソ連の犠牲者は兵士500万人、民間人2500万人だった。枢軸国も100万人の戦死者を出している。

フォークソング Where Have All the Flowers Gone? の歌詞でも、花は死者をあらわしている。男たちはすべて戦場で死に、女たちはひとつのこらず花を摘んで、男たちの墓を花で埋め尽くした。

わたしたちの記憶のなかでは花と死者が結びついている。いまおもいだした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

<財務事務次官のセクハラ疑惑>【特集】彼女は反省する必要などあるのか~恥ずべきは誰か  2018.4.20 共同通信

2018-04-22 00:17:37 | いじめ セクハラ ヘイト 差別

 

【特集】彼女は反省する必要などあるのか

 財務事務次官のセクハラ疑惑

©一般社団法人共同通信社  https://this.kiji.is/359990252502598753

2018/4/20 18:31

 

女性社員が福田淳一財務事務次官のセクハラ被害を受けていたと明らかにしたテレビ朝日の記者会見=19日未明、東京都港区

 

 福田淳一財務事務次官のセクハラ疑惑で、テレビ朝日は4月19日未明、緊急記者会見を開いた。それを見て、大きな違和感を覚えた。

 会見でテレ朝の篠塚浩報道局長は、同社の女性社員が福田氏のセクハラの被害者であること、何度か被害に遭った本人が、自身の身を守るために福田氏との会食におけるやりとりを録音し、週刊新潮に提供したこと、当初はテレビ朝日で報じるべきだとして上司に相談したが、上司は2次被害の心配などを理由に「報道は難しい」と判断したことなどを説明した。その上で、被害者の女性社員が音声データなどを週刊新潮に提供したことについて「取材活動で得た情報を第三者に渡したことは、報道機関として不適切な行為で、遺憾」と述べ、この女性社員も今は「反省している」と話した。

 しかし、彼女は反省する必要があるのだろうか。そもそもこの録音データは「取材活動で得た情報」と言えるのか。

 ■根深い障害■

 強調したいのは、この女性社員が一度は自身が所属する媒体で報道することを提案したという点だ。勇気を奮って決断したはずだ。それなのに、上司に握りつぶされる結果となった。よくぞ絶望せずに、週刊誌に持ち込んでくれたと思う。

 おかげで真実が表に出た。市民にとって、この情報は極めて重要なものだった。いま、財務省は疑惑の渦中にある。その事務方トップが卑劣な行動を続けていたという新たな疑惑なのだから。

 さらに、女性が働く上でセクハラの問題がどれほど根深い障害になっているかを浮き彫りにした。誰もが加害者・被害者になり得る、身近で大事な問題である。

 記者である私にも、似たような経験がある。手を握らせてくれたら一つ教えてやる。キスをさせてくれたらもう一つ教えてやる。全容を知りたいなら、一晩つきあう気で来い―。重要な取材先から、夜回りで毎回のように言われた。今も時々思い出し、悔しく、情けない気持ちになる。

 そのとき私は、情報戦で他社に後れを取っていた。ネタがほしかった。だから「そんなことを言うと、書きますよ」などと言ってかわしながら、取材を続けた。こっそり録音もしていた。不安だったからだ。

 ■傷つくのは自分■

 でも、社内の人間には黙っていた。それまでの経験で、誰かに相談する気にはなれなかったからだ。例えば社内でのセクハラ被害を周囲に訴えても「酔っぱらっていたんだから許してやれ」と言われる。それどころか、酒席の笑い話にされたこともある。うわさになるのも怖かった。不利益を被り、傷つくのは自分だ。

 最も恐れたのは、担当を変えられることだった。こんなことでキャリアを傷つけられたくなかった。「女は使えない」とレッテルを貼られるのも嫌だった。後輩の女性記者たちにも迷惑をかけるかもしれない。

 今もマスコミは圧倒的な男社会である。取材現場には女性が増えたが、組織の幹部や重要な取材先は、男性の論理で動いている。

 恥ずべきは誰か

 今回、その壁を突き破ったのはテレ朝の女性社員の行動だった。彼女がもし週刊新潮に音声データを持ち込まなければ、この話は闇に葬られていたはずだ。

 彼女は今、世間の批判を受けて落ち込んでいないだろうか。社内でけん責されていないだろうか。とても気になる。「全ての女性が働きやすい社会になってほしい」と話していたという。共感と敬意を伝えたい。

セクハラが起きたとき、最も恥ずべきは加害者である。しかし、それをうやむやにし、結果的に容認している周囲も自らを恥ずべきだ。

 テレ朝は女性社員の訴えを受けても、当初は適切な行動を取れなかった。これはテレ朝だけの問題ではないだろう。

 どのようにして、組織に内在する不合理に切り込み、差別や不公正を正していくのか。それこそが、問われている。 (共同通信文化部編集委員・田村文)

 

 

 

 

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