マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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中院町の薬師如来縁日の御供上げ

2017年01月26日 09時22分27秒 | 奈良市へ
何年も前から聞いていた奈良市中院町の薬師如来さんの縁日。

連絡してくださったのは写真家のKさんだ。

縁日は7月12日。

始めて聞いたのはいつだったろうか。

記憶を辿れば平成22年だったような気がする。

その年はK家が廻りの当番だった。

それから6年後の今年は平成28年。

再びかどうかわからないが御供当番を務めるから取材に来られてはどうかとお願いされた。

が、である。

その日は毎週行かなければならない心臓を元気するリハビリ運動がある。

その日と重なった。

折角のご案内は嬉しかったが病回復の運動は調整できない。

涙を呑んで断念した。

それから数日後に電話があった。

御供は前日の11日にもする。

それで良ければと云われて小躍りする。

ありがたくもある御供を拝見したい。

そう伝えてこの日に伺った。

実をいえば中院町の薬師如来仏は同町にある元興寺極楽坊本堂(別名に極楽堂・曼荼羅堂)にある。

安置はされているが元興寺の行事にはなく、中院町の行事であるが、法要は元興寺の僧侶がお勤めになるようだ。

元興寺の受付に中院町の薬師如来縁日に取材に来たと申し出れば通してくれるように手配してくださった。

身体のことも心配してくださったKさんは車の駐車位置までも手配してくださった。

ありがたい配慮に喜んで出かけた。

説明してくださったのは町代表の自治会長さんだ。

中院町は30戸ほどであるが、薬師如来縁日の廻りをしているのは14、15軒の町屋の人たち。

30か月に一度の廻りになるらしい。

縁日は毎月の12日。

月廻りの当番は毎月の12日に御供をあげる。

毎月の営みは御供あげだけになるが7月12日は元興寺僧侶がお勤めをしてくださる、ということだ。

何故に中院町の薬師如来立像があるのか。

住まいして200年間。

8代目になると過去帳でわかったという自治会長が云うには平成の時代に元興寺に移したそうだ。

それまで安置していた地は今の元興寺の駐車場がある処である。

そこに薬師如来立像を祭る蔵があった。

夏祭り、子供のころはスクリーンを張って映画上映会をしていた場。

道に櫓を立てて祭りをしていた。

道路に面したところが拡幅されることになった。

今もある道路歩道付近に石造りの線香立てがある。

これも移設の対象となって移動した。

そのときに薬師如来立像を元興寺が預かることになったと話す。

後日というか、3か月後の10月11日に訪れて、話されていた石造りの線香立てを拝見する。



それには刻印があった。

施主7人の寄進によって建之された線香立ては明治39年4月建之。

「奉納南無薬師如来御寶」の銘があった。

元興寺の一木造薬師如来立像は平安期の作で国宝。

現在は奈良国立博物館に寄託されている。

中院町の元興寺預かり薬師如来立像の作は江戸時代の前期、元禄時代の作のようだ。

お厨子は同時期であるのかわからないが、厨子内部には月光・日光菩薩に十二神将が並ぶ。

なお、花立や燭台は天保十二年になるそうだ。

元興寺にある仏像などのすべてが撮影禁止になっているが、本来は中院町の仏像。

自治会長らのご厚意もあって撮影・公開の許可を貰って撮らせていただいた。合掌。



御供当番が供えた御供は山や海、土から生み出す幸である。

サツマイモやキュウリ、ナスビ、カンピョウに乾物も盛った。

詳しくみればサツマイモの他にトウモロコシ、ミカン、アゼマメもある。

ヒジキやコーヤドーフ、紅白のカンテン、クルマフ(車麩)、アオノリは乾物。

メロン、ブドウ、バナナにモモは果物盛り。

ご飯を盛った「おぶっぱん(御仏飯)」は三杯。

かつては7杯だった。

毎月の縁日には豪華盛りではなく、洗い米とか炊いたご飯にお家で食べている調理ものである。

高めのローソクに火を点けて撞木(しゅもく)で鉦を打つ。

そして手を合わして拝む。

念仏は唱えることなく手を合わす。



話してくださった自治会長夫妻も静かに手を合わせて拝まれた。

(H28. 7.11 EOS40D撮影)
(H28.10.11 SB932SH撮影)