マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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今市の田んぼの注連縄立て

2014年05月20日 08時03分03秒 | 奈良市へ
奈良市の今市町。

広大寺池より西方に広がる田んぼの一角に挿してあった輪っかの注連縄があった。

それは竹に掛けてあった。

ダイダイかミカンか判らないが、注連縄であるには違わない。

そう思った不思議な物体を初見したのは平成23年の2月5日であった。

風雨にさらされたウラジロやユズリハも見られたその場は2カ所。

付近で農作業をしていたご婦人の話しによれば、そこは苗代を作る田だと云っていた。

床の間に飾る注連縄と同様にオシメサンと呼んでいた婦人は、竹に掛けた注連縄を立てた人は存知しない。

どなたが、どのような意味をもって立てたのか判らない。

平成24年の1月5日にも訪れた今市の田んぼ。

前年に拝見した同じ場所にあった田んぼの注連縄は七、五、三の輪っかであった。

この日も田んぼの主と会えなかった。

「大晦日の前日辺りにしているのでは」の一言を聞いて採訪していたが、そこにはなかった。

翌日の朝も畑に行ったがそれはなかった。

止めてしまったのではと思っていた。

念のためと考えて5日にやってきた今市の田んぼである。

この辺りをいつも散歩されていた男性の話しによれが、苗代をされる時期まで立っているという。

田植えが終われば、その苗代辺りに放置されていたと話していた。

そう、その場は2カ所とも苗代床であったのだ。

田んぼの主を探してみるも結局は判らなかった。

毎日出かけるわけにもいかない田主の探訪は続いて平成25年の3月14日にも訪れた。

その辺りを歩いてみる。

ガマ池手前の田んぼにあった注連縄。

3例目の発見である。

追ってその年の4月29日。

苗代作りをされていた田主にようやく巡り合った。

注連縄の本質を知りたくて3年間も通った今市の田んぼの出合いである。

苗代作りをされていた田主は、大晦日の夕方、日が落ちる直前に立てていると話していた。

輪っかの注連縄は玄関、蔵、便所、農道具にトラクターまで数多く作っておく。

何週間も前から作っておいたうちの一つを田んぼに立てているのだと話していた。

その時間に着いて待っていた今市の田んぼ。

軽トラに乗ってやってきた。

車から降りて、すぐさま竹ごと挿した。

数秒間のできごとである。

竹を挿した場は苗代をする処であった。

高く背を伸ばすような格好の葉付きの笹竹。

下部に輪っかの注連縄とウラジロを垂らしている。

竹の先は削って尖らし、ミカンを挿していた。

夕陽が挿し込む時間帯は逆光だ。



中央のミカン色が眩しい。

豊作を願う苗代場の注連縄立て。

手を合わせることもなく足早に去っていった。

挿した田主曰く、「あっちは2軒のYDさんで、こっちはYMさんや」と話していた。

昔は何軒もされていたが「これくらいになった」と云っていた。

それらを探して今市の田んぼの注連縄巡り。



一つは笹の葉もなくミカンを挿してユズリハを括りつけた輪っかの注連縄だった。



すぐ傍にもあった二つ目はユズリハではなく、ウラジロである。

ここも苗代の場である。

北側にたしかあったはずだと思って足を伸ばした田んぼには枯れ草がはびこっていた。



ミカンもなく笹にウラジロだけであった。

傍には前年の枯れた竹が残っている。

南側へ戻って池近く。



ここでは枯れた竹一本を立てて、七・五・三の輪っか注連縄を水平に、ウラジロを添えて水引で括っていた。

前年に拝見したときはミカンもあったと思うが・・・。

簡略化したものと思われるが、ここの田主とはお会いできていない。



傍にあったのは竹に挿したミカンにユズリハ、ウラジロに輪っかの注連縄だ。

合計で6カ所にもあった今市の田んぼの注連縄。

立てる人たちの時間はまちまち。

すべての人にお聞きして待っておれば不審者扱い間違いなしになるであろう。



再び戻って私が思う一番恰好が良いMさんが挿した注連縄の立ち姿にしばらく見惚れていた。

(H25.12.31 EOS40D撮影)

雑穀町旧家の三宝飾り

2014年05月19日 07時20分22秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市の観光ボランティアガイドをされている婦人。

家では「大晦日の日に三宝飾りをしてますねん」と話していた。

冬至の日、家の行事である「シンノウサン」の取材に引き続いての訪問である。

郡山城下町の元藩医であった旧家の大晦日の日はお節料理作りが忙しい。



当主の妹さんに大正11年生まれの祖母も手伝って作るお節料理。

「3軒分も作るので朝からしてましてん」と話す。

同家の大晦日はお節料理作りの合間を縫って三宝飾りも設える。

なにかと忙しい旧家の正月迎えである。

三宝飾りを飾る三方は大きい。

盛るところは四辺形で、一辺がおよそ40cm、高さは35cmもある。

半紙を垂らして鏡餅を据える。

そこに松・竹・梅を挿していく。



鏡餅を飾るように回りに置いたのはみかんだ。

周りにトコロやカヤの実、カチグリ、稲藁で作ったタワラ(俵)をパラパラと載せていく。

かつて聞いたことがある稲藁のタワラである。

城下町で行商に人が売りにきていたそうだ。



今ではそのような光景も見られず、トコロもカヤの実も手に入れるのが難しくなったと話す。

売り子が来なくなってからは祖母が作り溜めておいたそうだ。

毎年作る新しいタワラはあっさり系。

昔のタワラは手が込んでいる作りだ。

初めて見たタワラの姿に感動した。

そこにお米をパラパラと振り掛けて、白昆布やダイダイ、吊るし柿、ヒナゴ(タツクリ)を乗せてできあがった。

玄関の登り口の間に赤の毛氈を敷いて、金粉を散らした「砂子」の六枚屏風を立てる。



その前に供えた旧家の三宝飾りが美しい。

(H25.12.31 EOS40D撮影)

室生下笠間のオンボさん

2014年05月18日 07時56分08秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
室生の下笠間。

昨年の正月明けに訪れた民家の庭先に砂盛りが三つあった。

「これって何ですか」と尋ねれば「オンボサンや」と答えた婦人。

それは一体どういうものなのか。

確かめたくて、忙しい御主人と奥さんに無理を云ってお願いして撮らせてもらった。

20日に予め作っていた手編みの注連縄を玄関に取り付けて、オンボサン作りに移った。

3本の杭を地面に打ち付けてオンマツ、メンマツ、葉付きのカシの木を括りつける。



その順は玄関からみての並びで3本に掛けたのは注連縄で、その間にウロジロをやユズリハを取り付ける。



右端に立てたカシの木の「オンボサン」だけには房垂れのある注連縄と紙垂れを付けた注連縄を掛ける。

砂盛りはそれらの作業を終えてからだ。

おもむろに始めた砂撒き。



山砂を撒くのは場を清めるためだと云う。

「オンボサンは当家の男の数だけや」と云ってカシの木の2本を立てた。



オン松・メン松は家の門松に違わないが、「オンボサン」は何故に祭ってきたのか。

「昔からずっとやっているが、意味は判らん」と云う当家の隣家にも見られたが、注連縄は張っていなかった。

話しによれば、どれほど家がされているか判らないが、カキ、クリ、ホウソ、フクラシ(フクラギとも)、ナラなどさまざまのようである。

正月三日間立てておいた「オンボサン」は翌日の四日には倒す。

倒したカシの木は家で一年間も保管しておく。

一年前のカシの木は枯れて、正月三日間の火焚きに使っていた。

「昔はもっと大きかったから三日間の火焚きはそれで充分やった」と云う竃の火焚きに再利用していたのである。

昨年に拝見した穴があった砂盛りの在り方は、僅かであるが、ようやく光が見えてきた。

ご主人の正月飾りはまだ続く。

前庭にあるお稲荷さんにもオン松・メン松を立てる。

手編みして作った小注連縄は玄関の他、農器具、トイレなどにも数多く掛ける。



調ったところで拝見したトシハジメの膳。

座敷の神さんの前に置かれているのはイタダキサンだ。

お正月の迎えた午前0時、若水を汲んできた家長は財産目録や通帳を膳に乗せて、アキの方角に向かい両手で頭の上に捧げて拝むトシハジメの膳である。

同家では暮れの28日に正月に供えるモチを作る。

翌日の29日は「苦」が付く日なのでモチはこしらえない。

七つのモチを並べた膳には長い髭のような根があるトコロイモやゴマメの田作りもある。

昔は雑魚を川で採って来てそれを炊いていたと話していたのは奥さんだ。

この時間帯は春覚寺で一切講のお念仏をしている。

ミカンは葉付きのコウジミカンが2個。

クリは3個である。

いつもニコニコ、仲睦まじくの語呂合わせの10個の串ガキも置いてある。



輪っかの注連縄で飾ったウラジロを添えた膳はイタダキサン、ダイジングウサン、ダイコクサン、エビスサン、サンポウコウジンサン、センゾサン、ミズコサン、イナリサンなど8品もある。

例年こうして作っておいた膳でトシハジメを祝う。

柱に掛けてあった「カケダイ」と呼ぶ干した2尾のタイ。



ダイコクサンとエビスサンに供える。

まさに恵比須さんが釣った鯛のようで、豊作始めとされる11日に食べる家があったが、同家では田植え始めと4月末頃の田植え仕舞いに食べるそうだ。

(H25.12.31 EOS40D撮影)

トライアルのカレーパン

2014年05月17日 09時41分19秒 | あれこれテイクアウト
憧れていたトライアルスーパー大和小泉店のカレーパン。

買い物に出かけるときの時間帯が合わずに時を待っていた。

ようやく訪れたその日。



お店で作ったパンが並ぶ。

どれもこれも美味しそうである。



この日も皿に盛っていたカレーパンがあって、ほっとする。

欧風ビーフカレーパンの名で売っているカレーパンは1個で69円。

やや小ぶりであるカレーパンは2個にした。

それだけでは物足りないと思って買ったパンは98円のスパイシーハム。

美味しいのは後回し。

そう思って先に食べたスパイシーハム。



モチモチ食感のパンである。

スパイスを降っているが舌は感じない。

まぁまぁか。

目当てのカレーパンは表面がサクサク。

この感触がたまらない。

中からでてきた欧風ビーフカレー。

ずっしりとした味である。

中身が詰まって69円とは思えない味に感動する。

(H25.12.31 SB932SH撮影)

大晦日の買出し

2014年05月16日 07時23分44秒 | だんらん(大晦日買い出し編)
大晦日の買出しは奈良県中央卸売市場。

朝一番、夜が明ける前に出かけた。

今年の到着時間は6時半。

昨年よりも一時間早くした。

買出しメモを手にして巡る中央卸売市場。

真っ先に行ったのは「都水産」。

これって指をさしたのはブリ一尾だが、そんなに多くは要らない。

肩身で充分である。

造りにするのは腹の部分。

背はブリの照り焼きにする。

アラも食べられるので煮つけにする。

造りで食べるのは正月に入ってからなので皮はそのまま。



その日に皮剥ぎをすると希望を申し出て奇麗にさばいてくれる大将。

一時間早くなっても客の多さはあまり変わらない。

ペラペラしゃべる東洋人。

T国なのか、それとももう一つのT国なのか判らない。

大きいブラックタイーガーを手にして袋に突っ込んでいく。

締めて八匹。値段は840円だ。

安いと思ったが我が家の注文にはない。

さばいている途中でカニのポーションを買う客もいた。

表には出てなかったので気がつかなかった。

「都水産」にあったのだ。

思わず「私も」と売り子さんに声をかけた。

1パックで5kg。

それで2600円は高いのか、安いのか判らない。

殻がない剥きカニは食べやすい。

さばいたブリは奇麗な身。

いつもの年と同じように美味そうに見える。

これで3400円。

昨年買ったときよりも千円上昇した。

次に買う目的地は西側の棟。

まっしぐらに突き進んでいけばお店があった。



店名は「㈱ビッグウエーブフーズ」だが、売っているのは玉子焼き。

専門店の味はいつも美味しい。

そう思って焼き立てほかほかの玉子焼きは大きく、しかも分厚くて2個で570円ぐらいだったと思う。

買ったらその都度、車に乗せる。

あっちへ行ったり、こっちへ行ったりであるころは7時。

なぜか今年の客足が伸びない。

あるお店の売り子さんの話しでは前日の30日が多かったという。

商品も多いし客も多いということだが・・・。

西棟を少し歩いてみた。

晦日蕎麦に入れるエビ天が売っているのか、売ってないのかである。



先に目についたお店は「奈良県麺類卸売㈱」だ。

蕎麦もあればうどんもある。

一旦帰宅してからスーパーへ行くのももどかしい。

そう思って買った蕎麦は一袋で40円。

エビ天はどこで売っているのか聞いてみた。

結果は「うちにある」だ。

思わず頼んだエビ天は一匹で120円。

たしかスーパーなら倍ほどだ。

時間が節約できたので、それも良しである。

ついでといってはなんだが、隣の店でお節パックが並んでいた。

クロマメパックが100円。これも買っちゃえである。

ひと回りして最後の狙いは鮮魚のマグロ。



昨年と同じみせである「法魚」にはパック詰めされたマグロが並んでいた。

どれにするか迷っていたら売り子さんが「2300円を1500円にしたる」と云われて飛びついた。

物足りないので500円のも買ってしまった。

ひと通り買い終わって、なにかめぼしいものがあるのかうろついた。

目についたのが三段お重のお節料理。

金沢の有名なお店のお節だという。

値段は9000円。

とびきり安いのは多めに発注したので余ったらしい。

売れ残っても仕方がないからと格安にしたというが、我が家のお節はすでに注文済みなのでやんわりと答えて立ち去った。

帰宅してようやく朝ごはん。



おかずは買ってきたばかりの玉子焼き。

美味い。

(H25.12.31 SB932SH撮影)

阪手北八坂神社の簾注連縄

2014年05月15日 08時35分00秒 | 田原本町へ
田原本町阪手北に鎮座する八阪神社。

2月中旬辺りの日曜日に華鎮祭行事が行われる神社である。

阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷社の一つ。

守屋尚広宮司が村屋坐弥冨都比売神社と同じようにゾウガイの注連縄を掛けていると話していた。

一昨日、昨日の両日に亘って訪問したが村人の姿もなく、注連縄飾りも見られなかった。

もしやと思ってこの日も訪れた八阪神社。

拝殿前に立ててあった簾型の注連縄があった。

狛犬の処に竹箒が立ててある。

どうやら作業中のようである。

しばらく待っておれば村人がやってきた。

宮役員と3人のトーヤ(トーヤ・向こう三軒両隣の2人)である。

話しを伺えば、門松、注連縄飾りをしている最中だったと云う。

阪手北は村屋坐弥冨都比売神社の郷中。

「村屋坐弥冨都比売神社が本家で、阪手北は分家の宮さんやから正月飾りはこの日にしている」と云う。

早朝から作業をしていたそうだ。

始めに手掛けたのが注連縄作り。

3人のトーヤが編んで作る注連縄は、88歳の長老から手ほどき教わりながら作っていたと云う。

守屋尚広宮司が呼んでいた村屋坐弥冨都比売神社の注連縄はドウガイの名があるが、阪手北の人たちは「単に、注連縄や」と話していた。

左右に杭を打ちって二本の葉付き竹を立てる。

そこに注連縄を張って砂盛りをしていた。

その場を一旦離れていた宮役員はトーヤ家で準備していた梅、松、葉ボタンを運んで戻ってきたのだ。



中断していた作業は再び始まった。

砂盛り部分に梅、松、葉ボタンを添える。



さらにスーパーで買ってきたウラジロ・クシガキ、ダイダイことミカンを中央に飾りつけてできあがった門松と注連縄飾り。



正月飾りはそれだけでなく、小注連縄も掛ける。

小注連縄もスーパーで買ってきたもの。

昔は手作りであったが、編むことができなくなって、今では市販品になったそうだ。

小注連縄は庚申さんの石、郷神さんと呼ぶ大神宮、大師堂、西と東の地蔵堂に東の神さんと呼ばれる森市神社、公民館などに取り付ける。



これですべての正月飾り作業を終えた。

郷神さんの呼び名であれば、7月16日にお祭りがあるのではと思って尋ねてみた。

結果は「ある」である。

昼過ぎぐらいに大神宮にお神酒を供えているようだ。

華鎮祭の行事は平成16年に訪れたことがある。

村屋尚広宮司が的場に向かって祭文(嘉永年間)を詠みあげる。

次に梅の弓を用いて女竹で作った矢を放つ。

的は黒い三重丸。

五人組が矢を放つケイチン行事の作法である。

村屋家三代に亘って華鎮の祭文詠みを見てきたのは大正四年生の長老である。

村の行事は細部に亘って存じておられる。

阪手北の旧村戸数は30戸。

上から下へと廻る当主(トーヤ)。

息子、孫が家の廻り。

一巡すれば再び戻って当主(トーヤ)となるそうだ。

平安時代に橿原の今井からきたという長老家。

注連縄作りには培った技術をいつまでも教えなくてはと話す。

華鎮祭は村行事。

それとは別に神社行事に神職が登場しない明神講の行事もあると云う。

トーヤ(当家)は3人。

一人がオヤトーヤで、新入りとミトドケが就く。

軒数が少ないから5、6年の廻りになると云う。

明神講の神さんと呼ばれるヤシロをトーヤ家に祀る。

毎月の1日、15日はお神酒を供える。

一年間も祀っていたヤシロは10月のマツリに次のトーヤに受け継ぐ儀式をすると云う。

(H25.12.30 EOS40D撮影)

荒蒔のドウガイ注連縄

2014年05月14日 07時16分27秒 | 天理市へ
天理市荒蒔町に鎮座する勝手神社。

拝殿前に簾型の注連縄が掛けてあった。

作業道具が残っている神社。

待つこと十数分間、数人がやってきた。

一昨日、昨日に訪れた際にはどなたもおられなかった勝手神社。

もしかとすれば、この日に正月飾りをすると判断して探っていたのである。

やってきた人たちに尋ねた結果は、西に鎮座する的場大明神にも注連縄を掛けていたと云う。

的場大明神は正月12日にケイチンの鬼打ちをされる場である。

鬼の的を目がけて矢を射る。

小字は野田であるが、そういう場であるから「的場」の名がついた地であろう。

勝手神社が鎮座する小字は法田。

道を挟んだ南側は堂ノ前である。

どことなく勝手神社にはお堂があるように思えた。

それもそのはず神社拝殿西側に建つお堂は薬師堂であった。

ケイチンの日に鬼打ちをされる的場大明神にも注連縄を掛けていたと戻ってきた村神主やマツリ當家(ケイチン當家はケイチン行事のみ)は云う。

朝9時前ぐらいから注連縄掛け作業をしていたのであった。

荒蒔の注連縄は簾型だ。

充てる漢字は判らないが、注連縄の名を「ドウガイ」と呼んでいる。

安永九年(1780)、文政三年(1820)・十一年(1828)に記された『荒蒔村宮座営帳』の写しに「その名があったはずや」と見せていただいた古文書には「どをがゑ(ドウガイ)」の文字があった。

ドウガイの名がある注連縄は数日前に當家宅で五人衆が作っていたそうだ。



少し短めのドウガイは拝殿前の他、鳥居とケイチンの場の的場大明神にも掛けていた。

いずれも葉付きの笹竹を右側にしている。

中央にウラジロ、ダイダイを括り付けていた。

そこにはビニール袋に包んだトコロやホシガキ、カチグリ、カタスミを入れているそうだ。

拝殿両脇に松だけの門松を竹の筒に入れる。

正月飾りはこれらだけでなく、小注連縄もある。

狛犬や薬師堂に聚楽さんと呼ばれるお堂にも飾っておく。

これらの作業を終えて解散された氏子たち。

村神主は薬師堂に献花もされていた。

立ち去った後で拝見した的場大明神に足を運んだ。



左右二本の竹を立てた場にドウガイを掛けていた。

中央のウラジロやダイダイなどは鳥居、拝殿とも同じ形式である。

石垣の前にはシンプルな門松も立てていた。

気になっていたのがノガミの地である。

8年前にノガミの地を教えて貰ったが判らなかった。

あらためてお聞きしたノガミの地は勝手神社より東方にある。



村の外れの十字路にあった小社。

それは「野上さん」と呼ばれている社殿である。

石を組んだ土台に建之された「野上さん」は愛称で正式には野神大明神と呼び、布に包んだノガミ石を祀っていた。

5月末に神社衆がチマキを供えるらしい。

(H25.12.30 EOS40D撮影)

長安寺町厳島神社の簾注連縄

2014年05月13日 08時30分14秒 | 大和郡山市へ
28日辺りに簾型の注連縄を掛けると送迎患者から聞いていた大和郡山市長安寺町の厳島神社。

その日も29日もなかった朝9時。

もしかと思って出かけた三日目の30日にはすでに掛けてあった。



おそらく29日の10時ころだったかも知れない。

掛けてあった注連縄を拝見して違和感をもった。



前年に掛けていた注連縄は一本の笹竹であったが、今回は二本で左右に笹の葉が見られる。



中央にはウラジロ、クシガキにダイダイがあるが、これもまた前年とは異なる形式であるし、簾の間はまばらになっていた。

作り手(トーヤ)が替ったのではないかと思った。

拝殿前に立てていたのは門松だ。

左右にオン松、メン松を配置し、南天、笹、梅を挿していた。

同様の形式の門松は境内に建つ薬師堂にもある。



村の婦人たちが集まって、正月初めは「初薬師」、7月は「夏の薬師さん」を営んでいる薬師堂である。

(H25.12.30 EOS40D撮影)

入れ替えガスファンヒーター

2014年05月12日 07時14分42秒 | ぽつりと
ガスファンヒーターがときおりピコピコと音を鳴らす。

発生したエラーの症状は一旦電源オフをすれば元に戻る。

何年か前までは掃除をすれば治った。

が、今年になってからはそれでも発生するエラー。

器械の製造根月日を見れば22年前。

なんと驚くなかれの年月を頑張ってきたクリーンなガスファンヒーターは排気口をもつ。

汚れた空気は外に追い出す装置だ。

幼い子供がいた時期には備えておかねばならない換気方法だった。

大きくなればそれは必要ともしない。

価格面から考えても排気付きのガスファンヒーターはもう不要だ。

そう思って選んだ製品はリンナイ製の140-9403型。ブラウン色とホワイト色の二種類があった。

デザインはまったく同じだが、室内にマッチするのはどっち。

迷うことなくホワイトである。

140-9372型もあったがやや熱量が不足ぎみ。

我が家の住宅構造であれば「11畳」目安の140-9403型に決めた。

価格は通常販売の23,800円。

ジョーシン会員であれば千円引き。

それで手を打った。

家に持って帰って早速取り付け。

1980円で売っていた1mガスホースも買ってきた。

これは15%引きだ。

ホースはカチット方式。

難なく取りつけてスイッチを押した。

早いのがとりえのガスファンヒーターは室内空気が汚れる。

一時間おきぐらいに窓を開けなくてはならないと説明書に書いてあった・・と思うが、温かくなればその行為を忘れてしまう。

ピコピコと鳴りだす空気入れ替えの音。

測ってみればどうやら1時間おきに鳴る警告音であった。

それにしても室内が温かくなる早さはとにかく驚く。

噴き出す熱風もそうとうな風で新聞紙がめくれ上がってしまうのだ。

その熱風で熱さアタリになったおふくろ。

寝込んでしまったのは翌日の30日だった。

穏やかに温かくなるのは空調で良い。

冷え込む朝に最適だと思ったガスファンヒーター。

年が明けた1月11日、新聞チラシに目が飛んだ。

ジョーシン大和郡山店のチラシだ。

ガス機器もジョーシンにおまかせと銘打っていたチラシは特別大商売談会。

そこにあった同じ機種のガスファンヒーターは18,800円。

なんと5千円も安くなったのだ。

こりゃ、まいった。

(H25.12.29 SB932SH撮影)

村屋坐弥冨都比売神社のゾウガイ

2014年05月11日 08時55分48秒 | 田原本町へ
掛ける一週間も前から村屋坐弥冨都比売神社の守屋広尚宮司が製作されていた簾型の注連縄。

この年は29日に掛けると話していた。

村屋坐弥冨都比売神社が鎮座する田原本町の蔵堂の正月飾りは宮司さんや禰宜さんが設える。

簾型の注連縄の長さは十三尺。

宮司が話していた長さだ。

換算すればおよそ3m60cmの長さである。

拝殿前の前庭に立てた門松。

砂を盛って松・竹・梅。

そこに長い葉付きの笹竹を立てる。

その両側に取り付けた長い簾型の注連縄は「ゾウガイ」の名であると宮司が話していた。

左右寄りに分けてウラジロとサカキを括りつけている。

昼過ぎ辺りに飾ると云っていたが、時既に遅しで、飾り付けは終わっていた。

拝殿いっぱいの長さに設えたゾウガイの姿が美しい。

「ソウガイ」はおそらく「ドウガイ」が訛ったのであろう。

大和郡山市のある地域ではこれを「ドウガン」、「ドンガン」、「ドンガ」と呼んでいた人もいる。

(H25.12.29 EOS40D撮影)