むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

安田城(新潟県)

2021年09月03日 | 百名城以外の城
安田城安田城
別名
構造山城
築城者安田憲朝
築城年代室町時代
指定史跡
場所新潟県柏崎市大字安田字南谷 地図

安田城は、大江系毛利氏の流れを受け継ぐ安田憲朝が築いた山城です。
経光の四男時親は、中国地方を領した安芸国系毛利氏の祖となっています。
越後国佐橋荘を拠点とした越後毛利氏は、越後北条氏と安田氏に分かれ、
安田氏は長尾家や上杉謙信らに従い、御館の乱では上杉景勝の味方をするなど
功績を認められ、上杉家の忠臣となり活躍しました。
後に景勝が会津に移封となると、ともに会津へ移り住み、
ここ、越後の安田城は廃城となりました。



入口

安田城址入口の石柱があります。
この入口付近を「御屋敷」と呼び、現在の道路とは別に民家の裏側の二の郭と北郭の間に
桝形へ向かって伸びる大手道(王坂)があります。
しかし、今回は三の郭(墓地)側から桝形の上に出るルートで登ります。


公園入口

公園入口にやって来ました。
写真には写ってませんが、左手が桝形と呼ばれる場所です。
とりあえず主郭目指して登って行きます。


二の郭

登り始めてすぐに二の郭があります。
細長い郭で、奥の方にはトイレがあるようです。
が、ここも覗く程度で更に上を目指します。



この坂がとっても日当たりが良くて、暑さで一気に体力を奪われてしまいました。
地面にコンクリートが敷かれているので照り返しでめちゃ暑い。


実城

それでも何とか頂上へ到着しました。
実際はあまり大変な距離ではないです。
涼しければ、むしろ気軽に登れる城跡です。


城址碑

四阿もあり、立派な城址碑もあります。


顕章碑

碑文は築城から廃城までの流れと、城址が荒れてしまうのを惜しみ地元の城之組の人々をはじめ
今でも続く米沢に移り住んだ子孫の方々や上杉家16代当主と協力して建立したことが記されています。 


主郭

日本海が見えるのを期待したのですが、やはりこの時期は無理ですね。



ここから東へ約2kmのところに北条氏の北条城があります。
安田家は北条家の分家になるのですが、安田城主の安田景元は
北条高広が武田信玄に内通し、上杉謙信に背いたことをいち早く上杉謙信に伝えています。 
この後、北条城を攻める際、上条城琵琶島城へ援兵を送り北条城を降伏させ
この時の安田氏が謙信の軍を誘導し、戦功をあげています。
本当は、ここから周辺が見えたらいいのに、この時期はやはりムリです。残念。。。



主郭の南側へは大堀切へと下る階段があり、その先には南郭があるのですが、
今回は南側へは下らずに、二の郭の方へ下って(戻る)行きます。


桝形

ここから二の郭へ下ることが出来ます。
二の郭から主郭へは、ここを桝形にすることで防御していたと思われます。



ここを下ると二の郭へ。


二の郭

二の郭まで下って来ました。
トイレや鉄棒などありますが、こちらの公園も遊具で遊んでいる感じはないですね。


桝形(王坂)

竹林の中に見える土塁や堀。
本来この中を通って三の郭や二の郭へと登る、大手口だったようです。



現在はこの竹林を通ることなく、整備された舗装路を通って
公園や墓地へと足を運んでいることでしょう。


大手道

堀切だと思っていたら、御屋敷から登って来る登城路でした。


三の郭

三の郭は墓地になっています。






道の右手が桝形と呼ばれる城の入り口で、北郭になります。
この写真では人が一人も見えてないですが、土塁の向こう側には地元の方が整備をしています。
土塁が土塁の役目をしている光景なのです。


北郭の中を整備をされている方が数名いて、休憩をされていたようですが、
こちらがどこから攻めようかと算段をしているところを
車より一段高い郭から見られていたようです(/ω\)
確かに、今道路になっている場所は堀切だった場所でもあるので
北郭の小さな平地(郭)は、数人溜まれる場所であり、戦国時代であれば
私は上から狙い撃ちされていたことでしょう。
さすが大手口で侵入者を防ぐための郭だけある。なかなかの造りでした。


令和3年7月18日登城


今回の参考本