荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『深夜食堂』 松岡錠司

2015-02-18 23:48:38 | 映画
 2009年暮れに興行的惨敗を喫した『スノープリンス 禁じられた恋のメロディ』から、はや5年余の歳月が流れてしまった。松岡錠司監督の久々の新作は、TBS深夜ドラマのスピンオフである。松岡としては、同ドラマが放送開始された2009年の時点ですでに映画化を画策したようだが、話が出ては消えしていたようで、それが今ようやく結実した格好となった。長く映画の演出から離れていた松岡にとって、これは自身の演出の健在を示す機会であり、また、来るべき時にむけたウォーミングアップでもあろう。深夜ドラマのスピンオフはいわば現代のプログラムピクチャーであって、作り手の純粋な技術が験される場だ。
 新宿歌舞伎町の狭い路地にある「めしや」というのが、この映画の空間である。「コ」の字型をしたカウンターに客が囲むように腰かけ、「めしや」の主人・小林薫の出すビールや熱燗およびナポリタン、ウィンナー、タラコ、豚汁といった大衆的な料理、それから他愛ない会話、これらをひとしきり愉しんで帰る。深夜0時から朝7時までという営業時間が、客の性質にある種の色をつける。また客の側も、オンでもオフでもない独特な顔を見せているのだろう。
 また、この「コ」の字型空間は、告解室でもある。登場人物が進退窮まって(と言ったら大げさだが、ようするにそんな精神状態で)店に現れ、小林薫はみごとに客の精神を強制再起動させる裏スイッチとなるような図星のメニューで遇し、それを食べた客にゲロさせるのである。裏スイッチが入ると、客は自己吐露が止まらなくなる。ここから先はある種の演出放棄にも似たカットバックあるのみ。小林薫はやおら煙草に火をつけ、客の自己吐露を聴いてやるための態勢をいつのまにか整えている。一生懸命に語る客と、それを聴くカウンセラーとしての小林のカットバックが2、3度繰り返される。そして、このカットバックに説得力を持たせるための裏工作に、松岡は余念がない。そしてその裏工作の加担者たる『バタアシ金魚』の高岡早紀と筒井道隆、『東京タワー』の小林薫、オダギリジョー、安藤玉恵、小林麻子、吉本菜穂子ら、新旧松岡組の面々がすばらしい。これで渡辺美佐子、夏川結衣が出ていたらなお良かったが。
 ここでは松岡の悪魔的なまでの映画的才覚は、そのツノを隠している。それは近い将来見られることだろう。その時に楽しみを取っておこうではないか。松岡錠司の映画というのは、人生に絶望した人々を映画の力で復活させようという遠大な試みなのである。今回の「めしや」でもその一端は伺えるだろう。「めしや」での無銭飲食をきっかけに救われてゆく多部未華子のエピソードの末尾シーン、厨房ごしに料亭の廊下を見通す縦構図の画面に、イタリア・バロック期のドメニコ・スカルラッティ作曲「チェンバロ・ソナタ イ長調 K.208」のピアノ版がかかる時、私の目に涙がわっと湧いた。秘かに同調してくれる人は多いと思うが、松岡錠司という人は初期作品のころからずっとクラシック音楽の使い方が日本一うまい人だと思う。選曲センス、使いどころ、入り方、切り方、そのすべてが完璧である。


全国東映系ほかにて上映中
http://meshiya-movie.com
*上写真は、楽天地シネマ錦糸町で配布されていた、タコ型切れ込みウィンナーのレシピ付き冊子