★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

加摩羅神社を訪ねる(香川の神社105)

2017-11-06 17:56:53 | 神社仏閣
三谷町の加摩羅神社にやってきました。加摩羅とはなんだろう……謎です。

 

碑は昭和61年。

『香川県神社誌』曰く、

「三谷村郷社八幡神社境外末社。香川県史によれば、郷社八幡神社創祀以前の古社にして往古は一村の社なりしなるべしといへり。」


こんなに面白い名前がついているのに、これだけか……。しかし三谷八幡よりも古いということであるな。祭神は少彦名命、例の天乃羅摩船(アメノカガミノフネ ――ガガイモの船)に乗ってきた小さい人である。この神を祭るのだったら、例の地神塔で十分じゃねえかと思ったわたくしに、陰魔羅鬼の詛いあれ。わたくしが思うに、加摩羅とは、「鳩摩羅天」(クマーラ)のことで彼は童子だから、少彦名命の小さいところとも合うねとも思ったが、なんとも想像しているだけだからわからない。このお方、無執着を示す方であって、加摩羅と聞いて、すぐおっデい摩羅のことであろうかとか思ったそこのあなた

go to hell


まあ、熊楠なんかが、古事記に出てくる鍛冶集団「天津麻羅」と男根のイメージは一緒になったのがいつでとかなんとか、春色雑誌顔負けの議論をしていたのであるが、いずれにせよ、加摩羅が何かの職人集団を現す考え方もあり得るのかもしれない。わたくしは近代文学の徒なので、安部公房の小説(「Sカルマ氏の犯罪」)を思い出す。

壁よ
私はおまえの偉大ないとなみをほめる
人間を生むために人間から生まれ
人間から生まれるために人間を生み
おまえは自然から人間を解き放った
私はおまえを呼ぶ
人間の仮設(ヒポテーゼ)と


そんな感じで、安部公房は穴を掘ったり箱をかぶったり、美少女と暮らしたりと、自らいろんな仮説を繰り出しながら――、壁であり穴でもあり、男根でもあり女陰でもあるような、言語の世界を旅していったのである。はじめは中国の粘土塀だったのに、最後は愛人の腕の中だったのが何か納得いかないが、まあいいか……

数ヶ月、神社めぐりしていて思ったのですが、わたくしは安部とちごうて人間よりも石が好きだということであります。



昭和6年、平成2年、と注連石が続きます。

 

狛犬さん(慶応3年)。


拝殿


本殿


境内社の皆さん。

  

真ん中の人をよく見ると……



この人がこの神社のホントの祭神だったりしてね……


トイレにも注連縄あり


昭和四十三年、明治百年記念。三谷町老人(会?)


となりの公園から鎮守の森を眺める。


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