★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

不良と非悲

2024-06-01 23:50:51 | 文学


扨も太宗皇帝は、闇王に瓜果を送り、相良に金銀を返し、「今は施餓鬼を修行して陰司の約束を終るべし」と、天下の名僧をまねきあつめ、其中より選み出し給へる導主には、西方金蝉長老の轉世奘禪師、則陳光雌蕊が子、殷開山の外孫なり。此時貞観十三年九月三日、化生寺に壇をひらき、一千二百人の僧をあつめ、施餓鬼の大會を執行ひ給ふ。

孫悟空の物語には、ちゃんと施餓鬼がよいものだというような前提がある。これにくらべるとニーチェのほうがよほど獣の思想家だし、例えば「青春ヒヒヒ」という漫画なんか天才的である。作者が壇蜜氏と結婚しているのもすごい。孫悟空なんか大した不良ではない。だから「ドラゴンボール」にも変形可能なのである。こういう半端な人生訓でなまざとりしているのがその実、天皇制なんかを支えているとおもうのだ。

最果タヒなんかも相当な不良である。もうすでにいい歳の筈であるが、中学生1年生の頃気分のことを題材にしている。最新詩集少し読んだが、刊行ペースがはやいせいかどれが最新だか分からなくなってきた。ある意味で、処女作からの成熟を拒否しているのであろう。もう恋愛とか「好き」とはなにかみたいなことをいいながら突然死ぬタイプなのではないか。恋愛や「好き」で人生そのものの破壊が可能かどうか試みているようだ。

むかしから、「先生は悲しいです」みたいなせりふを説教として言ってしまう教師を心からバカにしていたが、考えてみると、「悲しい」という感情そのものがわたくしはよくわからない。絶望や喜びは分かるような気がするんだが。モンティーニュも「エセー」の最初のほうで、悲しみとはあまり縁がないんだと言って、いつも理屈の外皮で覆ってしまうのでみたいな理由をつけていたが、わたしの言っているのはそういうことではない。