慶喜

心意気
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池田名誉会長へ公明党に「造反」の兆しあり

2019年04月13日 | 政治
創価学会名誉会長新たな病状も噂されるなか

 ☆創価学会会員の中に、自公政権はうんざりとの声も
 *公明党大幹部の家族が反学会活動に走る
 ☆池田氏に関する新たな”病状”を池田氏元側近グループ語る
 *池田氏は、いつXデーが来てもおかしくない状態
 *親族は『延命治療』やめてほしい旨伝える
 *学会執行部は、まだその時期ではないと判断しているようだ
 ☆会長は「池田後のストーリー作り」で、中堅広告代理店に”発注”したともいう
 *亡くなった次男の息子が「大作氏に生き写し」との情報もある
 ☆Xデー後の学会の惨状を察知した学会専従職員
 *大手ゼネコンに転職するという情報も飛び交う
 ☆創価学会への公明党の「造反」は広がりを見せてきた

公明党幹事長の身内が脱会へ?
 ☆日本の政治に多大な影響力を行使する創価学会=公明党の実状を検証
 ☆「池田代作」なる人物から一通の告発文
 *創価学会内部に「造反」の動きがあることを示す内容
 *公明党の幹事長の娘は、創価学会を離れ宗教法人日蓮正宗に帰服した
 *これが事実なら幹事長を辞めなければならない
 ☆これが本当なら、公明党のこれからの選挙にも影響するはず
創価学会、宗教団体というより選挙団体
 ☆公明党議員の親族が創価学会を脱会して日蓮正宗側に走るケースは少なくない
 *公明党議員の娘が日蓮正宗に寝返った
 *創価学会婦人部にその情報伝わり、その議員は「落選」した
 ☆親族の脱会以外等でも創価学会婦人部は即座に反応する
 ☆公明党の脱会者といえば、竹入義勝氏や矢野絢也氏が有名
 *彼らは学会機関紙(誌)などで徹底的に叩かれる
 *それでも創価学会=公明党のおかしさを追及するのは貴重な存在
 ☆最近、気になる動きが伝わってきた
 *公明党議員による池田名誉会長への上納金「P献金」の実態
 *それを告発した元公明党参院議員の動き
 ☆公明党議員は、創価学会を「組織」、会長を「総裁」と表現していた
 *最近、公明党は宗教団体というより選挙団体に傾斜した
 *公明党会長や副会長が、公明党を通さず、直に自民党トップと交渉をしている
 ☆これは従来の政教分離以上に深刻な”違憲状態”
創価学会員が「赤旗」に登場し
 ☆学会会長は、4月の統一地方選や7月の参院選に向けて日本全国を回っている
 *創価学会の地方支部や婦人部にハッパをかける
 *新たなF票の掘り起こしを狙っている
 ☆創価学会=公明党内では、混迷をきわめる事態が起きた
 *創価学会員が「赤旗」に登場し赤旗のインタビューに答えた内容
 (民意を無視する安倍自公政権の態度こそ、日本を不幸にする元凶と)
 ☆本来なら公明党=創価学会は、登場した人物をを説得しなければならない
 *中央の本部は全く動いていない
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『THEMIS4月号』


池田名誉会長へ公明党に「造反」の兆しあり
(『THEMIS4月号』記事より画像引用)

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神社本庁とは何か3(神社本庁、神宮大麻、神道政治連盟)

2019年04月13日 | 宗教
神社本庁とは何か3

 ☆神社本庁は、本宗として仰ぐ伊勢神宮の神宮大麻や神宮暦を各神社に頒布させる
 *売り上げの半分は伊勢神宮のものとなる
 ☆残りの半分は、神社本庁を通して、各神社に還元されるシステムを確立した
 *すべてが各神社に戻されず、都道府県の神社庁や支部の経費としても活用されてる
 ☆神社庁は、各神社に対して負担金や特別寄贈金を納めさせている
 *集めた負担金等は、神社本庁自体の運営費にあてている
 ☆神社庁は、関連団体である神道政治連盟の会費等を納めさせている
 *政治運動を推進するための費用としている

神宮大麻の歴史
 ☆神社本庁と伊勢神宮、神社本庁傘下の神社との関係
 ☆「神宮大麻」の頒布
 *神宮大麻とは、「天照皇太神宮」と記された伊勢神宮の神札
 ☆室町時代の伊勢神宮の御師
 *伊勢神宮への参拝者を案内する役割を果だした人間
 *各地の檀家を回って神宮大麻を頒布した
 ☆明治に御師の活動は停止された
 *神宮大麻の頒布は、伊勢神宮の神宮教院が担う
 *神宮教院は神宮教となり、神社本庁の母体の一つ、神宮奉斎会となる
 *神社本庁が神宮大麻の頒布を担う
 ☆結果、神宮大麻を頒布するのは、全国各地にある神社本庁傘下の各神社
神宮大麻とは
 ☆神宮大麻(じんぐうたいま)
 *祓い具である祓い串の御真を清浄な和紙で包んだ伊勢神宮の神札(おふだ)である
 ☆神宮大麻の値段
 *一般的な神宮大麻(800円)、神宮中大麻(1、200円)、神宮大大麻(2,000円)
 ☆富岡八幡宮のように神社本庁傘下にない神社の氏子
 *その神社がある神社庁が、神宮大麻取り扱う
 ☆神宮大麻と神宮暦の頒布予定数
 *各都道府県にある神社庁が申告する
 *神宮暦とは、御師によって販売されていた「伊勢暦」が前身
 ☆各神社庁では、伊勢神官から送られた神官大麻の頒布を各神社に任せる
 *その際には「厳しいノルマ」が課せられるという
 *ノルマに達しない場合返却することが難しい
 *神社でそれを引き取ることになる?(「週刊ダイヤモンド」記事より)
減少する貴重な収入源
 ☆神社では、神職が氏子の家庭を回って神宮大麻の頒布にあたる
 *頒布数がもっとも多かったのは、 1943年の1.2千万体
 *現在では、1千万体が目標とされているが、年々減少している
 ☆神宮大麻約950万体、神宮暦約8部がすべて頒布での収入
 *大麻79億円、神宮暦で約2千万円で、合計約80億円
神社本庁への特別納付金
 ☆神社は、頒布した神宮大麻の代金を各都道府県の神社庁に納める
 *それが伊勢神官に送られる
 ☆伊勢神宮では、その金の半分を「本宗交付金」で神社本庁に戻す
 ☆神社本庁は、数パーセント上乗せして、各神社に戻すとされている
 ☆こうした仕組みの通りなら
 *神社では、神宮大麻を一体販売すれば、400円強が収入として入ってくる
 ☆複数の神職は、そんなバックマージンなど存在しないという
 *神宮大麻を頒布した額の半分が一律に戻ってくるというわけではないのでは
 ☆逆に、神社に対しては、神社本庁に対する「負担金」が課せられる
 *都道府県の世帯数や神社数などをもとに、都道府県単位の負担額が決められている
本庁と神宮、各神社の経済的な関係
 ☆負担金の金額(「SAPIO」の記事により)
 *年間の納付金が 数千円の神社もあれば、数百万円の神社もある
 *社務所もない無人の神社、初詣に百万人規模が訪れる有名神社もあるから
 ☆「週刊ダイャモンド」記事より
 *神社本庁に納められる負担金の総額は3億円位と記されている
 ☆各神社が支払っている金は更にある
 *神社本庁の関連団体である「神道政治連盟」の会費や協賛金
 *神道政治連盟は、憲法の改正などを運動の目的に掲げる政治団体
 ☆各神社からは、神道政治連盟の会費と約1.5億円が支払われている
 *別に協賛金が約1億円支出されている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』








神社本庁とは何か3(神社本庁、神宮大麻、神道政治連盟)
(ネットより画像引用)





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打倒信長!戦国忍者の戦い

2019年04月13日 | 歴史
戦国忍者が信長に挑んだ「天正伊賀の乱」

 ☆織田軍を苦しめた伊賀衆の強さ、
 ☆超人的な忍術で人々を魅力する影のヒーロー忍者
 ☆伊賀を舞台にした「天正伊賀の乱」敵は織田信長
 *第一次天正伊賀の乱(織田軍を苦しめ織田軍を敗退させた伊賀衆)
 *第二次天正伊賀の乱(織田信長の全軍との戦い敗れた伊賀衆)
 ☆信長に最後まで抵抗した戦国忍者の実像

第一次天正伊賀の乱
 ☆北畠家の養子となっていた織田信長の次男織田信雄
 *北畠具教ら北畠一族を三瀬の変で暗殺し伊勢国を掌握する
 *伊賀国の領国化を狙っていた
 *信雄は、伊賀国の滝川雄利に丸山城の修築を命じた
 ☆伊賀国郷士衆は驚き、丸山城の西にある天童山に密偵を送り、築城の様子をうかがう
 ☆信雄は、信長に相談もせず独断で8千の兵を率いて伊賀国に3方から侵攻
 ☆伊賀郷士衆は、各地で抗戦し信雄軍を伊勢国に敗走させた
 ☆信雄軍は重臣の柘植保重を討たれるなど被害は甚大
 ☆侵攻は失敗に終わり、信長は激怒し、信雄を叱責した
 *信長は、この時期石山本願寺との抗争が激化
 *伊賀国平定は後回しせざるを得なかった
第二次天正伊賀の乱(織田信長の戦い)
 ☆織田信雄を総大将に5万の兵で伊賀国に侵攻した
 ☆戦闘が開始され、伊賀衆は比自山城に3,500人、平楽寺に1,500人で籠城した
 ☆伊賀衆に内応者が出た事もあり織田軍は各地で進撃し伊賀国を制圧した
 ☆村や寺院は焼き払われ、住民は殺害された
 *平楽寺では僧侶700人余りが斬首、伊賀の人口の約4割(3万人↑)が殺害された
 ☆伊賀衆は、城兵の人命保護を条件に和睦を行い城を開けた
 ☆柏原城が開城した時点で、天正伊賀の乱は終わりを告げた
 ☆残党は捕縛され殺された
 ☆多くの指揮官は他国へ逃げ、ほとぼりが冷めた頃に帰国した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、NHKBS『英雄たちの選択』、WIKIPEDIA












戦国忍者が信長に挑んだ「天正伊賀の乱」
(NHKBS『英雄たちの選択』テレビ画面より画像引用)

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