慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

創価学会(政教分離、日蓮正宗と決別)

2019年04月28日 | 宗教
創価学会とはどういう宗教なのか5

世間からのバッシング
 ☆公明党2度目の衆議院選挙で47名を当選させた
 ☆大石寺に本尊を祀るための「正本堂」が建立された
 *創価学会は、正本堂建立のために355億円を集めた
 ☆大石寺に正本堂が完成した
 *広宣流布が実現したとされ「民衆立の戒壇」であるとされた
 *国立戒壇ということは主張されていなかった
 ☆創価学会と公明党「政教一致」ではないかといぅ批判が起こる
 ☆両者は「政教分離」を明確にしなければならなくなった
 *公明党の議員の多くが創価学会の幹部を兼ねていたのをやめる
 ☆創価大学が開学時
 *「政教一致」批判で、池田氏は大学を訪れることができなかった
 *当時の創価大学の職員
 (創価学会の会員ではない教員が少なくなかった)
 ☆この時期、創価学会をめぐってさまざまな騒動が起こるようになる
日蓮正宗との決別
 ☆池田氏は、講演で「出家も在家も同格」という発言をおこなう
 *大石寺の側から強い反発を受けた
 *創価学会の側は、自分たちの過ちを謝罪し池田氏は会長を退く
 ☆池田氏名誉会長となるが、組織に対する池田氏の影響力は一時失われた
 ☆池田氏の復権がはかられ、創価学会と日蓮正宗との対立は激化
 ☆両者は決別の道を歩むこととなった
 ☆創価学会をやめ、日蓮正宗の側につく会員は、少数にとどまり
 ☆創価学会はこの危機を乗り越えた。
創価学会のなかで一番問題が葬儀
 ☆冠婚葬祭をどうするのかということだった
 ☆創価学会の会員は、冠婚葬祭を日蓮正宗のお寺僧侶に任せてきた
 ☆葬儀に日蓮正宗の僧侶を導師として呼べない、戒名を授かれない事態
 ☆創価学会では、それを「友人葬」を導入することで乗り越えた
 *創価学会の会員は、日頃勤行をおこなっており、読経することができる
 *会員が集まって読経し、戒名は授からない葬儀の方法を開拓
 *墓は、既に創価学会は墓園事業に乗り出していた
 *結果、日蓮正宗からの離脱がスムーズに進んだ
「世代交代」とともに薄れる組織の熱意
 ☆創価学会は、ほかの新宗教が実現できなかった世代交代には成功した
 *「親が創価学会」という人間が多数誕生する
 ☆自分で入会した会員に比べると、親から信仰を受け継いだ会員
 *多少の差はあるが、どうしても信仰活動に熱心ではなくなる
 ☆公明党の候補者への投票を依頼する活動
 *世代交代が進むことで、組織全体の熱意はかなり薄れてきたように見える
 *それでも、創価学会が280万人を抱える巨大組織である点は重要である
 ☆公明党は長く自由民主党と連立を組み、政権の座にある
 ☆「親が創価学会」である人間たち、これからどのような行動に出るのか
 *日本の社会にかなり大きな影響を与える
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『親が創価学会』








創価学会(政教分離、日蓮正宗と決別)(週刊ダイヤモンド)
記事より画像
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参拝者、穢れ、放生会

2019年04月28日 | 宗教
おわりに(神社は再生できるのか?)1

減少する参拝者
 ☆初詣する参拝者、17年に比べて18年の方が人出は少なかった?
 ☆プロ野球の読売巨人軍
 *必勝祈願のため宮崎神宮にチーム全体で参拝を行ってきた
 *2018年はそれが中止された
 ☆神社離れという事態が関係している?
宗教離れしていく世界
 ☆新宗教の教団は、 一部を除いて、信者数が激減している
 ☆既成仏教の場合
 *葬儀が重要な役割を果たし、新宗教ほど信者数が激減していない
 ☆神道の場合
 *信者としての自覚を持っている人間が少ない(墓もない)
 *神社の場合には、宮司が数か所の神社を兼務している
 *兼務により、神社が消滅するという事態が回避されている
 ☆神道には、死や血を穢れとする観念がある
 *神域は穢れを免れた空間でなければならないとされてきた
 *神道が、葬儀を営まなかったのも穢れの観念が関係する
 ☆神道は仏教にその役割を任せてきた
 *神仏習合の時代、密教がその役割を担っていた
富岡八幡宮の「再生」の手段
 ☆富岡八幡宮でも、放生会が営まれていたが、現在では行われていない
 ☆富岡八幡宮で、放生会を再興することは、意味を持つのではないか
 ☆放生会
 *仏教に由来するもので、殺生戒の考え方が基盤になっている
 *人は、生き物を殺すことによつてしか生き続けることができない
 *それを改めて認識するために、鳥獣や魚を海や川に放つのが放生会
 *放生会は、仏教の思想にもとづいており、基本は仏教寺院で営まれるもの
 *人幡神を祀る神社にも伝わっている
 *八幡神が八幡大菩薩と称された武神、軍神として信仰を集めたことが関係している
 *八幡信仰の宇佐神宮では、現在でも放生会が行われている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『神社崩壊』






参拝者、穢れ、放生会(ネットより画像引用)
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薬師再来~慧日寺に蘇る仏都会津の礎~

2019年04月28日 | 歴史
慧日(えにち)寺に蘇る仏像薬師如来像

 ☆福島県の会津地方、「史跡慧日寺金堂」に薬師如来坐像がお目見え
 ☆平安時代に時の高僧・徳一が建立したと言われる慧日寺
 ☆幾度の焼失を経ながら、1,200年前の姿が蘇る
 ☆恵日寺は真言宗豊山派の仏教寺院

慧日寺の歴史
 ☆平安時代初めに法相宗の僧・徳一によって開かれた
 ☆徳一は南都の学僧で、会津地方に仏教文化を広めていた
 ☆徳一の死去し、今与が跡を継いだ
 ☆この頃の慧日寺は寺僧300人、僧兵数千人と隆盛を誇っていた
 ☆中世には、領主の庇護などもあり伽藍の復興が進む
 ☆伊達政宗が会津へ侵入した際にその戦火に巻き込まれる
 *金堂を残して全て焼失してしまった
 ☆その後は再建されたが、かっての大伽藍にはほど遠い
 ☆明治時代のの廃仏毀釈によって廃寺となる
 ☆復興運動の成果が実を結び「恵日寺」という寺号で復興された
 ☆現在は真言宗に属している
慧日寺の遺構
 ☆遺構は「本寺地区」「戒壇地区」「観音寺地区」の三カ所に残されている
 ☆本寺地区(復元された金堂)
 *慧日寺の中心伽藍があった場所
 *薬師堂にはもともと薬師如来像が納められたいた
 *金堂内に復元された、薬師如来坐像が2018年に公開された
 ☆戒壇地区
 *丘陵末端部を利用した小山状の遺構(戒壇跡)が残っている
 ☆観音寺地区
 *山中に位置しており、5棟の礎石建物跡
 *規模や配置から門、塔、本堂、倉の跡と推定されている
慧日寺と山岳信仰
 ☆慧日寺は山岳信仰の盛んな山を抱えている
 *山岳信仰に大きな役割を果たしてきた
 ☆慧日寺の開基は磐梯山が噴火した翌年創建された
 ☆噴火と慧日寺開基との間に山岳信仰上の関連がある?
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BS朝日『薬師 再来』、WIKIEDIA






慧日(えにち)寺に蘇る仏像薬師如来像
(BS朝日『薬師 再来』、ネットより画像引用)

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