慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

インドの独立11(現代の社会)

2021年04月12日 | 歴史
🌸インドの独立11(現代の社会)

 ☆ガンディーの思いもむなしくインドは分裂した

宗教の対立からインドとパキスタンに分かれた
 ☆多くの国が、ヨーロッパ諸国の植民地となっていた南・東南アジア
 *本国が大戦により荒廃したため、戦後、独立運動が活発化した
 ☆イギリスの植民地ビルマ、マレーシア、シンポール
 *イギリスが独立を容認したために戦争によらずに独立できた
 ☆オランダ領のインドネシアやフランス領のベトナム
 *本国が独立許さす、独立戦争を経て独立した
 ☆イギリスの植民地だったインド
 *独立戦争の形をとらずに戦後独立が認められた
 *インドの場合、イギリスが独立運動を防ぐための対策
 *「ヒンドー教徒、イスラーム教徒の仲間割れ作戦」が効いていた
 ☆宗教融和を唱るガンディーの思いもむなしく
 *ヒンドゥー教徒のインド連邦とイラーム教徒のパキスタンに分離独立
 ☆ガンディーはヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の融和に努める
 *インド独立後、ガンディーと同じヒンドゥー教徒から暗殺される
 *パレスチナ問題と同様「味方から殺さる」というパターン

⛳カシミール問題とパキスタンの分裂
 ☆独立後のインドとパキスタンは北部の国境未画定の地域
 *カシミール地方領土問題で激しく対立する
 *現在に至っても、この問題は未解決のまま
 ☆インドもパキスタンも核兵器の保有国
 *対立する2つの国の双方が核兵器を持ち、世界のリスク要因である
 ☆独立後のパキスタン
 *現在のパキスタンとバングラデシュを合わせた「飛び地国家」
 *東西のパキスタンの経済格差が対立が原因で、両国に分裂する

⛳独立がかえって「不安定化」を招いたアフリカ
 ☆アフリカの多くの国は、ヨーロッパの植民地だった
 ☆1960年の「アフリカの年」前後に独立を果たした
 *独立戦争に犠牲を払った国や、ヨーロッパの国々が手を引いた
 *政治的、経済的に不安定になった国も多い
 ☆アフリカでは、内戦が頻発する
 *コンゴ動乱やルワンダ内戦、ソマリア内戦など
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界史の教科書』より


インドの独立11(現代の社会)
『世界史の教科書』記事より画像引用)
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朝日は、新聞人権侵害大国・中国も批判せよ

2021年04月12日 | 朝日新聞
🌸朝日新聞「森降ろせ報道」異常なり
 
 ☆朝日新聞森発言を「女性蔑視発言」と決めつける
 ☆森氏に対して、撤回・謝罪しても許さず
 ☆辞任に追い込む迄許さない
 ☆冬季五輪の中国こそオリンピック憲章違反
 *中国は世界最大の人権侵害大国

⛳朝日新聞、森氏翌日の謝罪が虐め本能への火
 ☆オリンピック組織委員会の森喜朗元総理
 *女性の役割に対する何気ない発言が問題にされて辞任した
 ☆巨大なメディア・スクラムによるものだ
 *中心的な役割を演じた朝日新聞の報道も最初は地味な扱い
 *翌日の紙面から、朝日新聞は攻撃的な大報道を展開する
 ☆森氏は直ちに発言を撤回し謝罪した
 *森氏が意外に早く撤回し謝罪し、朝日の虐め本能に火をつけた
 ☆タイトルは「女性差別発言 森会長の辞任を求める」と掲げた
 *1面のリードでは、「女性を蔑視したと受け取れる発言」
 *社説のタイトルでも「女性差別発言」と表現していた
 *明確に「女性蔑視発言」と定義された
 ☆この言葉が決定的なキーワード、以後、繰り返し使われる

⛳過去の森氏発言も並べ立て批判
 ☆森氏問題に関する根本的な報道姿勢を打ち出した
 *いくら撤回しても謝罪しても、絶対に許さない
 *「森会長 撤回で終わり?」
 *森会長「辞任まで追い込むのだという」
 ☆森喜朗会長の過去の発言と題する囲み記事も記載
 *「神の国」発言以下6個ほどの発言が挙げられている
 *「旧悪」も暴いて 辞意の理由を解説している

⛳冬季五輪の中国こそオリンピック憲章違反
 ☆森氏は、日本での辞職要求運動によって退いたのではない
 *IOC側の裏切りで、無念の涙を呑んだ
 *IOCの変節は、「最上位のスポンサー」の意向によるもの
 (アメリカの放送局NBC?)
 ☆外圧によって、朝日の願望通りの結果になった
 ☆朝日新聞の言い草ではないが
 *この問題は「これで終わらせてはならない」
 ☆森氏は、五輪憲章違反問題が辞任の根拠となった
 *中国の冬季五輪のこそ、五輪憲章違反に遥かににあてはまる
 *中国は世界最大の人権侵害大国である
 *朝日新聞は、人権侵害大国・中国も批判せよ
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『THEMIS4月号』より


朝日は、新聞人権侵害大国・中国も批判せよ
『THEMIS4月号』記事より画像引用)
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戦国の声を聞く3(関ヶ原の戦い他)最終回

2021年04月12日 | 歴史
🌸戦国の声を聞く3(関ヶ原の戦い他)最終回

⛳島津の強みは銃にあり
 ☆徳川幕府は、薩摩を滅ぼさず明治維新で薩摩にやられた
 *関ヶ原後での処置が近代史にまで影響した
 ☆徳川は薩摩を外せなかったのは、大坂城に豊臣秀頼がいたから
 *西国には豊臣系の大名がひしめいていた
 ☆しかし、徳川が薩摩を潰せなかった理由はまだ別にある
 *家康が薩摩の島津軍の強さに戦慄していたから
 *関ヶ原で島津義弘は有名な中央突破による撤退戦を敢行
 *家康のほうに向かって突進してきて、徳川軍に甚大な損害がでた
 ☆島津軍は主君島津義弘一人を逃がすため全軍が命を捨てる
 *島津軍は、「捨てかまり戦法」で千人が60人になった
 ☆島津軍の強さの秘密は火力にあった
 *当時の武士は鉄砲を卑怯な飛び道具と考えた
 *足軽に持たせたが、武士は持たなかった
 *薩摩ではこの考えがうすく、身分のある武士も鉄砲を使った
 ☆島津義弘の中央突破で、大量の銃で徳川の要人を死傷させた
 *それが、家康を恐怖させ薩摩征服をあきらめさせた


⛳井伊直政が撃たれた理由
 ☆関ヶ原合戦で、徳川軍の先鋒大将井伊直政は被弾し二年後に死んだ
 *直政ほどの高級指揮官が敗走する敵に撃たれて
 *むざむざ殺されたのか?家来は人垣を作って守らなかったのか?
 ☆「井伊家慶長記」によると
 *直政にむけ種子島鉄砲での待ち伏せ攻撃で撃たれた
 *田あぜに隠れた薩摩の二人組が潜んでいた
 ☆関ヶ原での薩摩軍は大半が戦死と思われている
 *この狙撃手たちのように実は時間をかけて相当数が生還している
 ☆武士は家臣でもあるが、自立した領主でもある
 *合戦では手柄をたて領地を増やそうと独自の動きをする
 *合戦参加は自分の手柄高名が第一であり、主君の護衛は二の次
 *自分の家が、大切というのが武士の本音
 ☆日本人は君国に忠義にみえるが
 *根っこには「家の利己主義」で、直政はそれで死んだ

新幹線で関ヶ原を通過する愉しみ(家康篇)
 ☆東海道新幹線は関ヶ原古戦場が見物できる
 ☆関ケ原の家康の本陣がおかれた赤坂の丘
 *関ヶ原当日、朝もやのなか、家康は二人の侍女とこの丘で寝ていた
 ☆本陣より、家康軍は、長蛇の列で関ヶ原のほうへと行軍した
 *途中で、家康は南官山を見上げたに違いない、恐怖があったであろう
 *毛利勢がこの山から攻め下ってきたら
 *長くのびた家康の軍列は、瞬く間に切り裂かれ壊滅した
 ☆ところが毛利勢は動かなかった

⛳新幹線で関ヶ原を通過する愉しみ(三成編)
 ☆東海道新幹線は関ヶ原古戦場が見物できる
 ☆本能寺の変後、秀吉が明智光秀を破った古戦場
 ☆山崎付近の裏山が天王山、三成の主君、秀吉公の宝寺城があった
 ☆「米原を通過」と電光掲示が出たらそこら一帯が三成の故郷
 *トンネルを抜けると伊吹山がみえそこが関ヶ原
 ☆一瞬みえる白い関ヶ原病院の建物
 ☆そのかなたにみえる丘が三成の陣所
 ☆最後に三成は、ここで「小早川はひきょう」と一声叫ぶ
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『歴史の愉しみ方』より




戦国の声を聞く3(関ヶ原の戦い他)最終回
(ネットより画像引用)
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