オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その100 100回目配信までのこと   05-03-13

2013-03-18 16:29:19 | 第91-100回
..100..                     05-03-13

100回目配信までのこと

3月になったとたん、庭で蝉がジージー鳴いて、夏を名残り惜しんでいるようで
す。
朝晩涼しくなり、心なしか秋の気配が感じられます。


さて、私の出たっきり邦人の配信は100目を迎えます。
この北米、オセアニア編も前回1000回、この号は1001回です。
すごいですね。
私が配信し始めたのが2006年、丸7年近いです。
これまで続けて、あるいはちょこっと読んで下さった皆様、ありがとうございま
した。

2013年2月2日で、我が家は、ニュージーランドへきて20周年を迎えまし
た。
オークランド通信の第100号も記念致しまして、この20年を振り返って
みたいと思います。


1993年にオークランドへやって来た時は、娘11歳、息子は9歳でした。
ビルマ人の夫にとってそれまでの日本での生活は、いい友人に恵まれたけれど、
決して楽ななものではなかったと思います。
私もフルタイムで働いていたし、保育所、小学校に通う子供の子育ての時期でも
あり、いつもカリカリして時間に追われていたように思います。
日本は私の国であるため、私は自分のほうに余計に責任を感じていました。

オークランド大学に夫の仕事が決まった時は、本当にほっとしました。
ずっと子供たちを英語圏で育てたいと思っていたので、ニュージーランドにこれ
て本当によかったです。
ここでは私たち夫婦はフィフティーフィフティーの立場で一家をささえていける
し、オークランドは移民が多く、私たちは普通の市民として暮らしていけます。
その頃の日本では、夫が外国人というだけで特別な目で見られ、遠慮のない関西
人の興味のターゲットになると、質問攻めにうんざりしてました。


最初は、ほとんど英語のできなかった子供たちですが、数年でなんとか追いつき
オークランドで大学を卒業しました。
今は二人とも家庭を持って、それぞれの家族と充実した生活を送っています。

夫は、ずっとオークランド大学に勤め、数年前にリタイアしました。
今は、ビルマ難民のサポートのボランティアと、週2回は孫の学校のお迎えに
忙しくしてます。

私は、ニュージーランドへ来てすぐに、フローリスト養成の講師の職を得て6年
勤め、その後フローリストで働きました。
健康の転機(いつか書いたと思いますが)に、自分のビジネスを始め12年経ち
ました。
現在、フリーランスのフラワーデザイン、いけばな講師、ブライダルなどの花の
仕事をしています。

6年前に縁あって、いけばな草月流を始めました。
2年前に師範の資格を頂き、コミュニティーセンター、自宅で教えています。

2月26日にブライダルのお仕事があり、初めて草月のスタイルで個人のお宅を
装飾しました。
これまでどちらかというと趣味のいけばなが、今回は実際の仕事となり、私に
とって記念すべき出来事でした。
竹のスタンドを使ったいけばな、巨大な流木をアンスリウム、アステリア、アー
ゲイブで装飾、庭の植え込み、垣根にいけばなを活けました。
もちろん、オーソドックスなブライダルブーケ、ブートニアも作りましたけれど。


オークランドは、ニュージーランドの中では都会ですし、コンサートやイベント
も多く、海に囲まれマリンスポーツも楽しめます。
おいしい中華、日本料理、イタリアンなどエスニックなレストランも多いです。
みな人それぞれであまり余計な干渉をされないのも、住み心地がいいです。
地震、台風などの災害、大気汚染は比較的少なく、適度の都会であるオークラン
ドは住みやすいと思います。

ニュージーランドは、人口が少ない分、就職の機会も少なく、若い人たちには困
難なこともあるかもしれません。
我が家の息子も含めまして、いい仕事を求めてオーストラリアに移住する人も多
いです。
日本の地方都市から東京へ行くような感覚で、ニュージーランドからオーストラ
リアに渡っていくようです。


最近の私の悩みは、日本からの観光客が減ったせいで、日本行きの直行便が減り、
航空料金が高いことです。
ニュージーランド航空は、20年前は東京、大阪だけでなく福岡、名古屋からも
直行便がでてました。

1993年2月2日、私たちは旧名古屋空港から出発しました。
その日はとても寒く、滑走路の隅に雪がかきよせられていたのを覚えています。
ところが、オークランドに到着すると夕方なのに青空が晴れ渡り、さわやかな夏
風が吹いてました。
オークランド空港と市内を結ぶMangere Bridgeから見る水面が。きらきら光
ってました。


不思議なもので、20年たった今、Mangere Bridgeに住み、20年前に見たお
なじ景色を毎日見て暮らしてます。
今朝も1時間ほど、海岸線を渡り鳥を眺めながら歩いてきました。


老いていく日本の母のこと、いろんな不安や心配事はあります。
しかし、考えてもどうにもならないこともあるし、日々小さな目標を達成しなが
ら、日々楽しく暮らして行きたいと思います。
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その99 6 weeks running plan 10-02-13

2013-03-18 16:24:41 | 第91-100回
..99..
10-02-13
6 weeks running plan


前回お伝えしたとおり、3月10日の市民マラソン、” Round the Bays”に
向けて6週間のプログラムを終了しました。
来週、ジムのインストラクターに会って、あと5週間のプログラムを組んでもら
います。

クリスマス前に、SPCAから子猫2匹をもらって、このクリスマスホリデーは
どこもいけなくなりました。
だれないように、退屈しのぎにトレーニングを始めたけれど、終わってみると
いささか疲れました。
今日は、午前中今年初めてのボクシングのクラスに行ったので、よけいに疲労を
感じてます。

プログラムの内容は、週3回45分くらいのWalking&Runningと週2-3回マシ
ンなどを使った私用のプログラムをジムで1時間づつやりました。

ジムで足、腰など部分的に鍛えると、長く走っても疲れにくく、効果的でした。

Walking&Runningの時は、iphoneのGPSつきのアプリで記録しました。
終了するとFace bookの私のページにアップされます。
それを見て、婿が対抗して、走ったりしてました。
iphoneで、ルート、ベース、距離など見れてとても便利です。
音声で10分ごととか設定したキューで知らせてくれるのも、走る目安になって
いいです。


過去10年ほどは、週3回のジムのクラスでしか運動していませんでした。
外を走るようになって判明したのは、Runningはまったく違うタイプの運動で、
足首への負担がかなり大きいということです。
ジムのマシンは足首にあまり負担がかからないようにできているし、カーペット
の上で、エアコンのかかっている室内の運動と外とではまるで違います。
うちの近くの海岸線のランニングコースは、コンクリートで舗装されていて、
芝生や土よりずっと固いです。
雨の日は濡れるし(当たり前ですが)、暑いと体がだるいです。
風に向って走るのもつらいです。

5週目くらいから、走った日の夜、右足首が腫れてきました。
アイスパックで冷やすと、あくる朝は治っているけど、8.4KMを走りきれるか
心配になってきました。

ジムのインストラクターに進められて、クリスマスにランニングシューズを購入しました。
お店で赤外線で足型をとり、走ってみて、内側のかかとにサポートのある靴
にしました。
足首が腫れた時、新しい靴のせいかなと思いました。
たぶんそれもあるかもしれないけれど、ランニングは思った以上に過酷なスポー
ツだということです。
ジム通いで筋力やスタミナは充分あるけれど、部品、足首がついていかないです。


あと、こんなに運動しているのに体重が減らないのです。
2KGへれば、もうちょっと走りやすいかもしれません。
クリスマス、お正月は飲み食いの機会が多くて、ちょっとやそっとでは体重が減
らないです。
でも、今日ジム行って友人に会ったら体型が変わっていたし、現状維持できてる
だけでもましかと思いました。


いろいろ考えた結果、今年のRound the Baysは歩くことにしました。
娯楽でやっていることで、体を痛めるなんで意味ありませんしね。
月曜日に、8.4kmを試しに歩いたら、1時間15分でした。
あと一ヶ月で1時間くらいまでタイムを縮められると思います。

私の所属するジム、YMCAが今年からRound the Bays をサポートするそうです。
YMCA から申し込むと、YMCAのTシャツがもらえて(もちろん着て参加しなければなりませんが)、
ゴールでBBQがあるそうです。
友人たちと楽しく参加したいと恩います。
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その98 New Year Resolution     04-01-13

2013-01-31 06:17:43 | 第91-100回
..98..                      04-01-13

New Year Resolution


皆様、
新年あけましておめでとうございます。

今年のオークランドのお正月は好天に恵まれ、ビーチはパーキングに2時間待ち
するくらい賑わったようです。

我が家は12月23日に、SPCAから2匹の子猫を養子に迎え、にぎやかなお正月
となりました。

元旦は、恒例の家族のおせち料理のランチでした。
お雑煮、筑前煮、まき寿司、重箱におせち料理を詰め、シャンパンでお祝いしま
した。
午後は娘夫婦と潮干狩りにでかけました。
晴れ着から、短パンに着替え、日焼け止めを塗っておでかけです。
旦那は、飲みすぎてダウン、お昼寝してました。

毎年元旦、娘の婿が、みんなにNew Year Resolutionを尋ねます。
私のNew Year Resolutionは、3月10日Round the bayマラソン大会にでる
ことです。
詳細はこちら、
http://www.roundthebays.co.nz/

8.4kmを歩くか、走るかはまだ決めてません。
ここ10年くらい、週3回ジムに通い運動はしているのですが、何か目標がほし
なと思い、参加することにしました。
暮れから、ジムのトレイナーにプログラムを組んでもらい、週2日はジムのマシ
ンでトレーニング、間の日を海岸沿いを歩いたり走ったりしてます。
Round the bayは、リクレーション的なイベントで、子供がスクーターで走った
り、乳母車押しながらの参加もできます。
ダウンタウンからSt Heliers Bayまでの海岸線のコースです。
ゴールではミニコンサート、エアロビ、合同バーベキューが別会場であります。

私は、クリスマスお正月のパーティー続きで少し太ってしまいました。
3月までに2Kgくらい体重をおとして、ベストの体調で挑みたいものです。

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その97 SPCA    07-12-12

2013-01-04 10:08:55 | 第91-100回
      ..97..                 07-12-12

      
    SPCA


最近、SPCA のサイトをよく見てます。
クリスマスまでに、兄弟子猫をSPCAから引き取ろうと思ってます。

オークランドのSPCA
http://www.spca.org.nz


10月の配信で、我が家の猫、タマが突然死したことをお伝えしました。
タマが亡くなってから、もう一匹の猫、カズは挙動不審で、ご飯食べていて固まって
食べるの忘れたり、寂しがって、やたら家族にまとわりついたりしてました。
11年間、タマとカズは一緒に暮らしたのに、雄同士せいか全然仲良くしてません
でした。
ところが、カズは相棒を失ってから、一気に痴呆になってしまいました。
私たちは、タマが突然亡くなってショックだったけど、カズは心まで失ってしま
いました。


10月始めに、カズはまた風邪を引き、ガリガリにやせていました。
大丈夫かなと思いつつ、ベトナムに出かけました。

30日にオークランドに戻ったら、本当にさみしかったよ、と言って、カズは私た
ちと三本川に字になってベッドで寝ました。

その2日後、11月1日からカズは帰ってきません。
もう丸一ヶ月経つから、隣の草原のどこかで静かに眠っていると思います。
まるで私たちがベトナムから帰ってくるのを待って、旅立ったようでした。


20年間のニュージーランド生活の中で、一番悲しい年になりました。
40日しか間をおかず、2匹も猫を失うなんて、こういう年もあるのですね。


3年前に父が亡くなった時よりこたえてます。
ペットの死が、実の親の死より悲しいというのは不謹慎ですが、毎日私たちと暮
らし、いつも帰りを待っていてくれた猫たちの存在は大きいです。

日本の父は、私がニュージーランドに住んでいることもあり、今でさえ生きてい
るような錯覚を覚えます。
3年前の12月、飛行機に飛び乗って、お葬式、家の片付けをしたのが、まるで夢
の中のできごとのようです。
私自身の生活の場で起きていないので、そう感じるのかもしれません。


それに引き換え、猫たちは、私の日々の生活の一部でした。
手を触れるとふさふさのあの暖かい体が、もう今はない。
朝起きるたび、お母さん、早くご飯ちょうだい、催促をするタマとカズがいない
のだな、と実感します。



夫と話し合った結果、3ヶ月くらいの兄弟の子猫を2匹、SPCAから養子にしよ
うと思います。
ニュージーランドでは、これからクリスマスに向けて、SPCAにたくさんの動物
達が集まります。

SPCA って何の略だろうと思って調べてみました。
Society for the prevention of cruelty of animals
動物虐待予防協会、とでも訳せるのでしょうか。

2匹の猫を失ったから、2匹の子猫の命を救いたいと、思います。
一匹につきNZ$150,二匹で$300です。
節約しなくっちゃ、です。
$150の内訳は、最初の予防注射、去勢手術、マイクロチップうえ込みです。
これから時々、SPCA覗きにいこうと思います。

我が家には、まだ元のらの黒猫のセンパイが元気に、勝手口の猫小屋で暮らして
ます。
ご飯の時しか泣かない、愛想のない猫ですが、いるだけで癒されます。


12月となり、一気に年の瀬が迫ってきました。
今週末は、Farmer’s Marketでクリスマスリースの実演販売します。
明日から、内職のようにリース作りです。
我が家にも、ツリーを飾らなくっちゃ、です。

12月、これが今年最後の私の配信です。
この一年間、私の拙いメルマガをお読み下さりありがとうございました。
皆様、楽しいクリスマス、お正月をお迎え下さい。



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その96 ベトナム旅行 09-11-12

2012-11-28 10:52:03 | 第91-100回
..96..                     09-11-12

ベトナム旅行


夫が70歳の誕生日祝いにどっか行きたいというので、2週間ベトナムに行ってき
ました。

夫は、最初は中国がいいと言っていたのですが、8月にあったトラベルフェアー
のベトナム担当の人の話がおもろかったのでベトナムにしました。
9月くらいから、尖閣諸島の問題で中国では日本人は歓迎されていないようで、
ベトナムにしてよかったと思いました。

うちは、夫がビルマ人で、私も結婚してから7年間ビルマに住んでいました。
タイ、シンガポール、マレーシアも旅行で行ったことがあります。
96だから、東南アジアはたぶんよく知ってるほうでしょう。


しかし、ベトナムに行くのは、初めてなので、ツアーに参加することにしました。
8日間のツアーで、サイゴンから始まり、ハノイに終わるものです。
日本の友人達からも、ベトナムが最近ブームだと聞いてました。

ツアーだと見どころはだいたいカバーされるし、あまり歩かずに済みます。
暑いところで効率よく回れるのは、いいと思います。
うちは、夫が足腰が弱いので、楽に観光できるというのはポイントです。
あと、ずっと夫婦二人きりより、他のツアーの参加者と交流できるのもいいです
ね。


結論からいうと、今回のベトナムツアーはすごくよかったです。

Flight Centreの企画商品ということで、参加者はオーストラリアの夫婦2組、
イギリス人一人、私たちで、合計7名の小さなツアーでした。
ガイドは28歳のベトナム青年クリスで、ボスがキーウィーだそうで、オセアニ
アからのお客さんの好みをよく理解してました。



ツアーは10月19日にサイゴン(ホーチミンシティ)からスタートしました。
翌日、午前中ベトコンが作ったChu Chiトンネルに行き、午後はフランス様式の
ノートルダム教会、郵便局、戦争博物館に行きました。

3日目は空路ダナンへ飛び、ホイアンに2泊しました。
ホイアンはユネスコから世界文化遺産に指定されていて、ベトナム、フランス、
一部日本の影響を受けた建造物のある美しい町でした。
夫は、町屋(shop houses)に興味があったので、一般公開されている
Historical Housesを一軒づつ丁寧に見て回りました。
夫は京都に留学中、京の町屋、喜多方をゼミに学んだので、ホイアンは気に入っ
たようです。

友人からお買い物するならここと聞いていたので、私も有名なお店をみて回りま
した。
私は、ここでカスタムメイドで靴を作りました。
注文から24時間で作ってくれました。
試着に行った時、左足がゆるかったのを、30分でなおしてくれました。
ここと、チェーン店のテーラーYalyは、まけてくれませんが、クレジットカード
も使えて、仕事も丁寧でした。
服とかつまらないものも買ってしまいましたが、ホイアンで作った靴は大変満足
してます。
US$80とそんなに安くはないけど、自分の足にぴったりくるのはいいですね。
ダナンの空港で、2-3着スーツを抱えているアメリカ人を見かけたし、ここの

6日目はハノイからHalong Bayにむかいました。
Halong Bayで船で一泊しました。
私たちグループだけのクルーズで、デッキでサンベッドを楽しんだりと、ゆった
り過ごせました。
どんなところで寝るんだろうと不安でしたが、船のベッドルームはシャワー、
トイレも各自ついていて快適でした。
蟹、えびなどのシーフードの食事もとてもおいしかったです。
ここが一番ワインの種類が豊富でした。

翌朝、島々の間から上がってくるサンライズは、美しかったです。
一瞬、あたりが柔らかいオレンジ色の光に包まれ、水面に移った太陽がきらきら
輝いてました。


最後の日は、ベトナム戦争で身障者になった人たちの作業場、ショップに立ち寄
りました。
チャリティーのつもりで、夫も私もここで何枚が服を買いました。
ここは、値段も安くないのに、ミシンの糸の後始末をしてなくて、仕事があらい
なと思いました。
刺繍の実演を見せられて、ベトナム人は、器用で几帳面なのだと思った後なので、
よけいがっかりしました。

今回の旅行で、ベトナム戦争、南北にベトナム分断、ホーチミンのことなと
所どころしか知らなかったベトナムのこれまでの歴史がつながり、理解できまし
た。


ツアー中、本来は仕事ではないのに、ガイドのクリス自身がグルメということも
あり、毎晩ローカルのおいしいレストランに連れて行ってくれました。
おかげで、旅行中毎日ベトナム料理を食べ、私たちもベトナム料理通になれまし
た。
最初は毎晩のように、ワインのボトルを注文したのですが、白ワインが冷えてな
かったり、サーブの仕方を知らないお店もありました。
急激に観光客がたくさん訪れるようになったため、一応メニューはそれ向きにワ
インリストとかあっても、社員教育はそこまで行き届いてないようでした。
お店の人がもたもたしていると、クリスが氷を用意させたり、サーブの仕方を教
えたりしてくれました。
そのうちワインはニュージーランドに帰ってからいくらでも飲めるし思い、
ビールに切り替えました。
ベトナムのビールはおいしく、私たちは毎回いろんなものを試してみました。


Pho(フォー、米粉の麺入りのスープ)、春巻き、トロピカルフルーツ、ベトナ
ムコーヒーなど地方によりスタイルが違い、楽しめました。
私は、ふだん家でもビルマカレーやタイ料理など作るので、材料になじみがあり、
大いに参考になり、楽しみました。
コリアンダー、ミント、サラダ菜、ねぎなどがふんだんに使ってあり、旅行中
野菜不足にならずよかったです。
フランスの影響で、パケット、ペイストリー、ケーキもおいしかったです。

ベトナムコーヒーとそれ用のアルミのブランジャー?を買ってきたので、家でも
楽しんでます。
濃くてこくのあるコーヒーがコンデンスミルクによくあいます。
先日、女友達の持ち寄りランチの時に作ってあげたら好評で、みんなお代わりし
てました。


ベトナムは、現在社会主義ですが、経済活動は自由に行われているようでした。
ハノイ、サイゴンは、人、バイク、中国からの物資であふれていて、活気が感じ
られました。
多少なりの問題はあっても、国としても勢いが感じられました。
ニュージーランドのような、matureな管理された社会からくると、混沌として
少々疲れますが。

都会の交通はひどくて、横断歩道であっても、バイクがどんどんやってきて、
最初は道が渡れませんでした。
ホテルの前は、外国人観光客のために、いつもボーイが立っていて、道を
渡してくれます。
歩道を歩こうとすると、歩道上に小さな椅子をならべてPhoやビール、揚げ物の
お店で占領されてます。車が歩道上に止められていたりして、ここは弱者には厳
しいところです。
うちの家の前の歩道は、老人がモーターつきの車椅子にのってお散歩したり、
スーパーにお買い物にいったりしてます。
ベトナムでは、障害物が多すぎてこんなことできませんね。

ベトナムのお金、2万ドンがUS$1くらいでした。
US$50両替すると、私はミリオネアーです。
ゼロが多すぎて、お買い物する時、10倍くらい間違えることもしょっちゅうでし
た。
USドルでもお買い物できることがわかり、後半は、200000ドンといわれた
ら、USドルでいくらになるが聞いて、US$10払うようにしました。

東南アジアどこでもそうですが、観光客とみると3倍くらいの値段をふっかける
ので、値段交渉しないといけません。
たぶん値切っても、ベトナム一般人よりはるかに高く買わされていると思います。

すり、バイクでのひったくりが多く、外国人観光客はターゲットになっているそ
うです。
ガイドのクリスが、各町で事前のああいうのは引ったくりのギャングだとか事前
に教えてくれたので、だれも被害にあわずにすみました。



旅行中面倒だなと思ったのは、チップです。
ツアーガイド、ドライバーに要求されるのは不当で、サービスに対してすでに料
金を払ってるのにと思います。
ニュージーランドでは、チップはいりません。
アメリカの観光客は、世界どこへ行ってもチップを払うようですが。
ある日、チップを置くのを忘れて外出したら、ホテルの部屋の電源が切ってあり
ました。
冷蔵庫の中におみやげのチョコを入れていたので、もう少しで溶けるとこでした。
フロントに言いに行くと、従業員がくすくす笑っていて、感じが悪かったです。


帰りは、台湾、台北トランジット中、娘の義理のお父さんと、なぜかビルマ人街
でビルマカレーを食べて帰ってきました。
オークランドは、車がゆったりと走って、横断歩道ではかならず車はとまってく
れます。
最近、オークランドは世界で3番目す暮らしやすい街にランクされたようですが、
住むのはやっぱりここがいいな、と思いました。
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その95 タマの突然死  06-10-12

2012-10-16 13:35:03 | 第91-100回
..95..                     06-10-12

タマの突然死



うちの猫、タマが9月20日に14歳で突然死しました。
私の誕生日のちょうど1週間前でした。

私たち家族にとって、タマはペット以上、家族の一員であっただけに、
とても悲しい出来事でした。

なにから書いていいかわからなくて、さっきタマのお墓に行って、タマに聞いて
きました。
花が大好きだったタマは、ピンクの椿の木の下で、14年間ずっと大切にしてきた
羊のぬいぐるみと眠ってます。


今年は、人やペットの死が続いてます。

5月に娘のところの猫、バズが交通事故で家の前で死にました。
1歳でした。バズはとても気立てのいい猫で、スピッツ犬のハナとお互いなめあ
いっこして、一緒に寝る子でした。

そして、7月、二人の親友の旦那さんたち、私の一番仲のよかった叔父の3人が
亡くなりました。


9月20日夜にタマ。
きょうだけは、ペット親ばかを許して下さい。



勝手口の外の階段下で、タマは、くつろいだかっこうのまま死んでました。
目が上向き白目で、口が空いてました。
医療関係の仕事をしてる娘によると、脳血栓ではないかと言ってました。
あくびかなんかした拍子に、血栓がつまり、一瞬のうちに死んでしまったようで
した。
見つけた時は、まだ体も温かく、毛もふさふさしてました。
その日タマは、夕方6時ごろ、ふつうに猫缶の晩御飯を食べて、お散歩にでかけ
てました。

娘に電話すると、夫婦ですぐにタマに会いにきました。
赤ワインを開けて、タマのお通夜をしました。
あくる朝、我が家の庭の片隅にタマを埋めてやりました。
穴の中には、さわやかな香りのするティーツリーを敷き詰め、お花をいっぱい
まいてあげました。羊も一緒です。
大きな岩を上にのせて、墓石にしました。
毎日、庭にでるたびに、タマに会いに行ってます。


あれは、1998年の9月の事でした。
私は、ニュージーランドで初めて就いた仕事、フラワーデザイン講師をやめる決
心をしたところでした。
私は、その職業訓練校にニュージーランドに来た当初から6年近く働いていまし
た。
9月のはじめに、上司から私が教えているフローリスト養成のコースは、その年
限りでなくなると聞かされました。
12月まで勤めることはできたのですが、私は9月いっぱいでやめることにしてい
ました。幸いにも、生花の仕入れ問屋の紹介で、あるフローリストのマネージャ
ーの仕事がすぐ決まりました。

そういった9月のある日、学校の敷地内をフラワーアレンジメントに使うグリー
ンを生徒さんたちと探し回ってました。

アスパラガスの根元に、子猫が隠れているのをみつけました。
親、兄弟からはぐれて、一匹逃げ遅れたようでした。
のらで生まれたらしく、人が近づくとハー、ハーと毛をさがだてて威嚇してきま
す。
わたしは、その子猫が私のこれからの人生を応援してくれているような気がして、
家に連れて帰りました。

でも、目が青くて、毛の長い、グレーのかわいい子猫でした。
この子猫をTamaと名前をつけました。
マオリ語で男の子という意味です。タマは雄です。


タマは私の手のひらにのるくらいの大きさで、たぶん生後1ヶ月くらいだったと
思います。一匹ではさびしいだろうと思って、タマくらいの大きさの羊のぬいぐ
るみを買ってやりました。

タマは近所でも評判のかわいい子猫で、お隣のペット写真家に頼まれて、
SPCAマガジンの表紙のモデルにもなりました。
その写真が、お花、キャンドルとともに、居間に飾ってあります。


その頃私たちは、マイホーム建築用に郊外に土地を購入したところでした。
タマも一緒に引っ越すことになり、勝手口横にタマの玄関も作りました。
ふつうキャットドアはドアをくり抜いてつけるのですが、タマの入り口は
外壁に穴を空け、電話台のキャビネットの下に出られるようししました。

1999年5月に引っ越してから、この家は私たち一家とタマの家です。



我が家には、タマを含め3匹の猫がいます。

カズ(雄)、11年前にうちの養子になりました。
娘達が飼っていたのですが、義母さんに嫌われて、うちの子になりました。
タマとカズは仲が悪くて、特にタマは事あるごとに嫌悪感を表してました。
今年8月に、カズは風邪をこじらせて、ご飯を食べなくなり、一時は随分心配し
ました。
Vetで2回点滴をしてもらい、抗生物質の注射をしてもらいました。
ふたんは買わない高級な猫缶を少しづつ食べさせると、1週間目くらいから回復
してきました。
もともとカズは、病気がちな猫で、冬の寒さはこたえるようでした。
冬の間、カズはリュウマチで足を引きずって、アレルギーのため鼻をたらし、
くしゃみしてます。


もう一匹は、先輩です。
黒い大きな猫で、うちが引っ越してきた当初から、この辺にいて、タマがいつも
慕っていたし、タマより1歳以上は年上だと思うので、タマの先輩と呼んでまし
た。

引越しの翌日、我が家の玄関前で大きなドブネズミの死体が置いてありました。
きっと先輩の仕業にちがいありません。
挑戦状のかわりが、あるいはタマに引越し祝いかわかりません。
自分より大きなドブネズミの死体にタマは恐れおののいて、家にとびこんで来ま
した。

先輩はうちのまわりにしじゅううろついていたのですが、私たちにはなつきませ
んでした。
1年ほど前、体調が悪いらしく、オレンジの木の下でうずくまってました。
かわいそうなので、えさをやると、だんだんなついてきました。
夫が勝手口の外に猫小屋を作ってやり、今はそこに住んでます。

この9月のはじめ、先輩は尿道結石になり、とても弱ってました。
とても寒い朝、先輩は冷たいおしっこで濡れた毛布の上で、ビショビジョになっ
て寝てました。みると膀胱から出血しているようです。
この時、先輩が女の子だとわかりました。
ずっとおしっこが漏れるようで、一日の数回敷きタオルを替えてもすぐ湿ってき
ます。湯たんぽも入れてやりました。
先輩は元のら猫で、トイレのトレーニングもできてなし、おしっこだだもれの状
態では、家の中に入れられません。
お気に入りの猫缶を口元まで持っていき、食べさせました。

先輩に、カズの飲み残しの抗生剤を飲ませました。
うちはほかに2匹猫がいるし、のらちゃんを病院に連れていくほどうちは裕福で
はありません。

抗生剤が効いたのか、先輩は1週間目くらいから元気になりました。
足もよたつかず、おしっこも漏れなくなりました。

8月は、カズと先輩、こいつらもうだめかな、死ぬのかな、と思ってました。
なのに、なんでタマちゃん。


タマは、14年の間、一回も病気したことがなく、とても健康な猫でした。
キャットファイトでよその猫にかまれたところが化膿したり、ちょっとした怪我
で病院のお世話になったくらいです。

タマは前世は人間ではなかったのかな、と思わせるくらい賢い猫でした。
ご飯がほしいときは、後ろ足で立って「ごはん」といいます。
キスと私がいうと、ひざの上の乗ってキスします。
キーボードをおさえて、パソコンを起動させます。
ドアをあけて欲しい時やごはんが欲しい時は、私の足を軽くかんで、要求を伝え
ます。
車の音でわかるのか、私たちが帰ってくると、必ず玄関前でお出迎えします。


タマがきた時は、私たち一家4人で暮らしてました。
子供たちが巣立った後は、私たち夫婦と猫たちが家族でした。
タマはいつも一家のボスで、えらそうににしてました。


タマ、14年間ありがとう。
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その94 ピッカピッカの0年生 14-09-12

2012-10-16 13:31:45 | 第91-100回
..94..                   14-09-12

ピッカピッカの0年生


私達の孫、Yちゃんが小学生になりました。
8月27日からE小学校に通ってます。

Yちゃんは,8月22日に5歳になりました。
オークランドホスピタルで、初めて対面したのが、昨日のことのようです。


ニュージーランドでは、5歳の誕生日を迎えると小学校に入学します。

ニュージーランドの教育システム
Primary School Year0-6 5-10歳
Intermediate School Year7,8 11,12歳
Secondary School( Grammar, High School, Collage) Year9-13
13―18歳
だいたいこのようです。


Yちゃんは、Year0です。
一年生ではなく、0年生です。
Yちゃんは、最近入学したばかりの子供たち12名のクラスです。
担任の先生と補助の先生、2名が担当してます。
来年2月の新学期から、Year1のクラスになるそうです。

Yちゃんは、Out of Zone(学区外)の生徒としてE小学校に通ってます。
オークランドでは、人気にある公立校がいくつかあり、そのSchool Zone(学区)
の住宅は高めです。
娘達は、Mt Edenに住んでいるのですが、地元の学校があまり好きでないらしく、
Yちゃんの入学願書をいくつかの小学校にだしました。
運よく、E小学校から入学許可がおりました。
Zone内の学校なら問題無く行けるのですが、Out of Zoneからはなかなかの関
門です。
E小学校は、うちの息子も20年前に通っていたし、私達もその地区になじみがあ
るので、入学できてとてもよかったと思います。


Yちゃんは、4年半通ったデイケアセンターを24日(金)に卒業して、週明け
27日(月)から小学生です。
間にお休みもなく、いつものように毎日学校です。


7月の終わり、Yちゃんは、入学に先立ちE小学校のPowhiriに招待されました。
3学期中に入学する生徒達、最近就任した先生、スタッフ全員が招待されました。
Powhiriは、入学式のようなものだと思います。
Powhiriはマオリ式の歓迎儀式です。ニュージーランドの公的機関では、
オープニングの時など必ず行われます。
学校にはKapa-haka Group(マオリのダンスと歌)があり、こういう行事の時に、
パフォーマンスを行います。
娘夫婦は仕事で行けないので、私がYちゃんを連れて行きました。
Yちゃんをデイケアにピックアップして、終わったらまた送って行きました。


それから、27日の入学までに3回のSchool Visitがありました。
週1回朝の1時間目だけ出席します。
ちゃんと制服を着て行きます。
昔は、公立小学校は制服はなかったけど、最近はどこでもあるようです。
グリーンのポロシャツに半ズボン、ジャケット、に黒靴です。
子供たちが授業を受けている間、送ってきた親はスタッフルームでお茶を飲んで
待ち、お互いの交流を深めます。
1時間目が終わったら、そのままの格好でデイケアに行くので、Yちゃんはみん
なに注目され、すごくお兄さんになった気分です。


8月27日、正式の初登校です。
モーニングティーとお弁当を持って行きます。
デイケアでは給食で、朝ごはんを含め一日4回食べてました。

E小学校では、モーニングティーは果物か野菜と決まっているようです。
りんご、セロリや人参のスチィックなどが入っているそうです。

新入生は、最初の2週間は2時に終了するので、Yちゃんを旦那がお迎えに行き、
娘がうちに迎えにくるまで子守してました。
娘は、お迎えにきたついでに、うちで晩御飯を食べ、Yちゃんをお風呂にいれ、
パジャマに着替えさせ、寝る体制で帰って行きます。
Yちゃんは、お昼寝もないし、慣れない学校生活に疲れて、7時過ぎると眠くて
たまりません。
時には、娘は、「仕事帰りにジムによってもいい?」とか言ってくるし、便乗も
なはだしいです。
まあ、自分の親だから甘えられるということもあるでしょう。


新入生も第一日目から毎日宿題がでます。
一日一冊やさしい絵本を親と読んで、連絡帳に親はコメント、サインをします。


3週目からは、他の生徒同様、Yちゃんのクラスも3時に終了するようになりま
した。
台湾からパパ側のおじいちゃん、おばあちゃんが来てくれたので、私たちとお迎
えは交代です。


こちらでも、働いている親のために学童保育があります。
E小学校でも、Before and After School careがあり、他の機関で運営されて
ます。
ショッピングモールなどにも、Hubと呼ばれるAfter School care After
School care があります。
学期休みには、スポーツジムなどでもホリデープログラムが行われてます。
ニュージーランドの法律では、子供は14歳まで一人で家にいてはいけないので、
働く親にとってAfter School care は、必須です。

価格も安くはなく、大きい子達から悪い言葉など学んでくるので、おじいちゃん
やおばあちゃん友人、ナニーに放課後の面倒を頼む人も多いです。


Yちゃんの最近のお願いは、デイケアのスクールビジットに行きたい、です。
生後半年から、ほとんど一年中通い、お友達や大好きな先生がいて、第二のマイ
ホームとも言えるデイケア、去りがたいでしょうね。


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その93 2回あることは3回ある 03-08-12

2012-09-14 08:36:25 | 第91-100回
..93..

03-08-12





やっと7月が終わりました。

私の親しい人のお葬式が2回続き、2回目のお葬式から帰ってきて、
メールを開けたら、日本で叔父さんが亡くなってました。

7月ひと月で、3人の人を失くしました。

2回のお葬式は、お花を作らせて頂き、その葬儀にも参列しました。

亡くなった人のこと、残された人の思いを考えると、眠れません。
仕事部屋でパソコンに向っても、考えがまとまりません。

7月は考えるのをやめよう、体をつかったことばかりで時間を埋め、
ひたすら走り続けでした。


今朝から三日間のホリデーで、娘一家とMt Ruapehuにスキーに行ってきます。
初めての雪山、楽しんできますね。

次回はニュージーランドの雪山、貸し別荘のお話の報告ができると思います。

今回は、時間にも心にもゆとりがなく、メルマガ短くてごめんなさい。
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その92 温泉気分でプール 26-06-12

2012-09-14 08:33:25 | 第91-100回
..92..

26-06-12

温泉気分でプール


オークランドでは、このところ寒い日が続いています。

先々週の水曜日の朝は1度でした。
5時半に起き出して、6時のジムのクラスに行ったのですけれど、
外へ出たとたん、寒っと震え上がりました。
まあ1時間もエクササイズすれば、ぼかぼあするんですけどね。


この間の日曜日の夕方、夫と近くのプールに行ってきました。
実はその日は、プールに行くのは二度目でした。

前日からお泊りしていた、4歳の孫のスイミングクラスがあったので、
8時55分にMt Roskillの Cameron Swimming Poolに行きました。

プールのサイト
http://www.clmnz.co.nz/cameronpool/

孫は土曜の朝はサッカー、日曜の朝はスイミングに行ってます。
ニュージーランドでは、土日はたいてい子供のスポーツデイなので、親は休みの
朝寝ができません。
子供のスポーツやお稽古事は、2,3歳から始まって、自分で車を運転する17歳
くらいまで続きます。その間、親はドライバーです。

我が家は、土曜の夜、夫婦でゆっくり外食、日曜の朝寝坊をしたい、娘のわがま
まを聞いて、時々孫を預かります。



孫のクラスは8時55分から20分。
先生は、若いハンサムガイです。
20分間、一対一で丁寧に教えてくれます。

始めてから2学期目、孫はもうボードなしで泳げるようになってました。
両手をまっすぐにして、顔をつけて黄色いワッカをくくるとこまで、泳ぎます。

その日は、だんだんにスタートからワッカの距離が長くなり、プールの幅の半分
くらいまで泳げるようになりました。
次は、クロールの手と頭の位置の練習を、ボード2枚を使ってやりました。
泳ぎの部分を分解して、ひとつ一つの動きが正確にできるように教えてます。
飽きっぽい幼児相手に遊びも取り入れて、うまく教えているな、と関心します。


お隣は赤ちゃんの親子クラス。
なぜか一緒に参加してるのは、パパばかり。
水の中のわが子をささえるお父さん達、本当にうちのべピーがかわいくてたまら
ない、といった感じでにこにこしてます。
こちらも日曜朝早くからご苦労様です。


孫のレッスン中、施設内を見て回ったら、サウナやジャグジーがあるのに気がつ
きました。
最近出不精で、家にひきこもりがちな夫をさそってこようと、と思いました。


思い出してみれば、ニュージーランドに来た当時は、毎週日曜の夕方は家族でブ
ールに行ってました。
そのうち子供達がついてこなくなり、私も行かなくなり、夫だけがNewmarket
poolにしばらく通ってました。

http://www.theolympic.co.nz/


ここ2,3年は夫もプールに行かなくなってました。


日曜の午後、1週間分の掃除、洗濯をすまして、午後4時から、夫とプールに行
ってきました。
夫は、シニア(65歳以上)$4.50、私は一般$5.80の入場料でした。
公立だから安いです。


ここのジャグジーは深くて、お湯の温度もほかより高めで気に入りました。
ブールだけど、温泉気分です。
窓から外のガーデンが見えるのもいいです。

スチームとドライのサウナも試しました。
体が芯から温まり、汗はだらだら出てきました。

ちょっと外で冷まして、ブールでひと泳ぎしました。

サウナ、ジャグジー、泳ぎを2回ほど繰り返すと、けっこう疲れてきました。

今日はこのへんで切り上げることにして、シャワーを浴びます。
ここのシャワー、頭の真上から降ってきます。
髪を洗うつもりはなかったのに、濡れてしまいました。
次回はシャワーキャップ持ってこなくちゃ。


家に帰って気付いたのですが、プールで充分暖まったせいか、寒さを感じません。

晩御飯は、娘の差し入れのチラシ寿司とビールで乾杯です。
なんか久しぶりで夫婦でゆったりした気分でした。
せめて冬の間だけでも、日曜日のプール通いを復活させようかな、と思いました。
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その91 いけばなインターナショナル世界大会 28-05-12

2012-06-26 12:17:13 | 第91-100回
..91..
                                28-05-12

いけばなインターナショナル世界大会



先週、日本から戻ってきました。

5月1日から4日まで、東京お台場で開催されたIkebana international 10th World Conventionに参加し、
そのあと引き続き草月Post Conventionイベント、ワークショップに
5月5日―8日でました。
2週間花ざんまいでした。

東京滞在は2週間、最後1週間は九州で父のお墓参り、母の見舞い、友人との旅行と盛りだ
さんの3週間でした。



Ikebana internationalは、”Friendship through Flowers“をモットーとする友好団体です。
日本、世界中に支部があります。

サイトはこちら、
http://www.ikebanahq.org/


実は、10回大会は昨年の5月の開催のはずでしたが、3月11日におきた東日本大震災のため、
1年延期となりました。
第10回大会が、今年5月1日から4日まで、東京、お台場のGrand Pacific Le Daiba Hotel
で開催されました。

昨年は1000人の申し込みでしたが、今年は789人、35国からのメンバーが参加
したそうです。
一年延びるという事は、メンバーそれぞれの状況もかわりますし、ヨーロッパからは福島原発
を懸念してのキャンセルもあったと、聞いています。


789人でも、世界のさまざまな流派のイケバナニストが一同に会し、展覧会、お家元のデモ、
連夜ディナーパーティーとお祭り気分を味あえました。

私は、今回初めていけばなインターナショナルの世界大会に参加しました。
いけばな展にも出展しました。

いけばな展は、大使夫人による特別いけばな展、三大流派家元席、30ほどの家元席、
いけばなインターナショナル会員の展示で構成されてました。
初日には、美智子妃殿下が来場されました。

総数300くらいあったと思います。
今やっと写真の整理をしているのですが、見たのを覚えていないものもあり、
いまさらながら大きないけばな展だったなと思いました。


草月流のいけばなを始めてから、日本の花展に出展するのは初めてですし、3月
くらいから親先生のご指導のもとに、試作を始め準備しました。

私は「新聞」を活けました。
オークランドを発った日、4月28日のNew Zealand Heraldを主役に、アンスリウム、タニワ
タリ、ドラセナを活けました。
草月流には”異質素材を活ける“という課題があり、新聞も異質素材のひとつです。
新聞を使ったことで、みんな私の作品を憶えてくれてました。
きれいな、たくさんお花を使った作品は多かったので、新聞が目にとまったのだと思います。

それにしても、ホテル出店のお花やさんの高いこと。
ニュージーランドでは、枝もの、葉ものは自分の庭から取り、ふんだんに使えるので、
日本のお花は特に高く感じました。


わたしは、今回一般会員代表として、いけばなインターナショナルの会議にも
参加しました。
結局、参加者、委任状が足りなく、議決は行われませんでしたが、日本、世界
にかかわるいけばなインターナショナルの問題を知ることができました。
期間中、国籍を問わず、会議に参加した人と意見を交換し、短い間ではありましたが、
ぐっとお互いの距離が縮まりました。


類は友を呼ぶのか、特に草月流の人たちとは仲良くなりました。

オーストラリア、ニュージーランドの草月支部は、近いこともあり、よくワークショップで一
緒になり、以前から顔見知りで、オーストラリアの友達が増えました。
私の親先生が世界中で活躍されているので、親先生を知っている草月の人たち
とも仲良くなり、一緒に食事したりもしました。



会期中、各家元のデモが行われました。
これらは一般にもチケットが売られていて、会場の1時間以上前から行列ができていました。
デモだけでなく、ちょっと有名なレストランでも、日本人は並ぶので、
外国人会員から、「並ぶのは、日本の文化」かと聞かれました。
そうかもしれませんね。
日本人は決められた訳でもないのに並び、割り込みもしません。


各お家元のデモは、ライト、音楽を駆使し、ステージいっぱいのスケールで、
すばらしいものでした。
未生流、一葉、池坊、草月のデモを見ましたが、各流派の特色がよく出ていました。
今回は、次期家元の池坊由紀さんなどの若い後継者のデモが多く、最新のテクニックを取り入
れた、いけばなの次の時代を思わせる斬新さが印象に残りました。

草月流のデモは、勅使河原茜家元を中心に、3,11で被災された草月流の先生方、
Akeneアトリエとのすばらしいチームワークで展開されました。
草月ならではの、竹のインスタレーション、背丈よりも大きい、どうだんつつじ、もみじ、
芍薬など、一山切つぶしたのではないか、と思わせるような豪華な花材でした。
最後は光と花、音楽のショウで、さらに盛り上がりました。



Grand Pacific Le Daiba Hotelの大広間では、4日間毎夜、800人近いディナーがありました。
食事の前に琉球舞踊、尺八、お能、日本舞踊のパフォーマンスがあり、外国からの会員は、
興味深く見入ってました。
いけばなーナショナル名誉顧問である高円宮妃殿下は連日、お家元デモ、ディナーに
いらしてました。
高円宮妃殿下は,Welcome DinnerとSayonara Banquetで英語でスピーチをされました。
明瞭な英語で、会場全体を見渡すようにして、印象に残るスピーチでした。


一歩ホテルの外にでれば、お台場はゴールデンウィーク中でもあり、大変な混雑でした。
私は、お台場も初めてでした。
お台場、どこもかしこも人人、人。
ゆりかもめの台場駅では、駅の外まで電車に乗る人たちが溢れてました。
お台場のモールでは、人間の赤ちゃんと思ったら、犬が乳母車に乗っていて、
「日本は不思議なとこね」とヨルダンの友人に言われました。



文化、人種、言葉はちがっても、花で世界は一つなれる、そう感じました。
私自身、花を活けることは、生活の一部です。
これからも花を通じて世界にメッセージを発信し続けたい、と再認識したイベントでした。

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