オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その148 家庭菜園 08・09−17

2017-10-11 13:05:27 | 第141−150回
148号                    08−09−17

           家庭菜園



今年6月に始めたVegie Patch (家庭菜園)の野菜がようやく収穫できる
ようになってきました。
冬場で成長が遅かったのですが、最近気温も上がり春めいてきて、ぐっと大
きくなりました。
芽キャベツ、サニーレタス、ネギ、ケイル、ほうれん草、リークを植えてます。
目下、ナメクジとの競争です。
私が食べる前に、美味しいところを食べられてます。
一人暮らしなので、ほうれん草1束、レタス一個買うと持て余し、最後腐らせ
たりしてました。
サンドイッチに入れるだけ、レタス2−3枚とか収穫できるのはいいですね。


我が家の庭には、いろんなフルーツの木があります。

先月、マカデミアナッツを収穫しました。
あと1、2週間乾燥させて、煎って保存します。
3本の木から300個収穫しました。
マカデミアは小さな球状の実が枝からぶらさがってます。
これを取って干しておくと、外皮が割れてくるのでむきます。
その下に茶色の硬い殻があります。
これをマカデミア割り器で一個ずつ割ります。
なかなかお店で買うような球状には割れません。
細かく割れたしまったものは、ペーストにしたりクッキーに入れて焼いたり
します。

グレープフルーツも今年は大収穫で、まだ50個ほど実が残ってます。
これは日本でいう夏みかんですが、グレーツ(ぶどう)のように房状に実が
つくので、グレープフルーツと言われるようです。
私は、これでマーマーレードを作ります。
私のマーマーレードはファンが多く、瓶をあげるから作ってと言われます。
昨年は一個も実がならなくて、一年おきに実をつけるようです。

今は柑橘類の季節でレモン、ライム、オレンジ、みかんもなってます。

アボガドの木を5年ほど前に3本植えたのが、今年初めて本格的に実がつき
ました。2mほどの小さな木ですが、合計100個なりました。
今年は、アボガドが高くて一時は1個$8もしてました。
それで、友達や家族にあげてとても喜ばれました。
アボガドは、実が緑色の時に収穫して、寝かせておくと黒くなり食べ頃と
なります。
トーストに乗せて食べたり、サラダ、キッシュ、納豆とも相性が’いいです。

3月はフィジョアがたくさんなりました。
孫が誕生した時に記念に植え、10年たちます。
残念ながら虫がついて枯れ始めたので、この間ガーデナーに大掛かりに剪定
してもらいました。

アボガドもマカデミアナッツも花をつけ始めてます。
これから春、夏の間に成長して、秋4月ごろに実になります。


最近は、友人の中で一軒家を手放して、アパートに移る人も増えてます。
アパート暮らしは気楽かもしれませんが、植物がないのは寂しい気がします。
庭は芝刈り、雑草抜き等手入れがたいへんですが、もうしばらくは
この庭の四季折々を楽しみたいと思います。
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その147 国籍法 11−08−17

2017-10-11 13:02:02 | 第141−150回

147号          11−08−17

           国籍法


前回のメルマガ、オーストラリア、Waldさんの記事で気になったので、
ニュージーランドに関して調べてみました。
ニュージーランドの国会議員は、Dual Citizenship二重国籍を許されて
います。


最近、孫のデイケアでUnited nationのように、地球儀の絵の周りに
子供たちの写真が飾られていました。
孫は、顔だけ本人の顔で、ハッピ袴姿でした。
Konnichiwa, I’m K. I’m from Japan.と書いてありました。
孫は、日本国籍はないのですが、日本人です。
正確には、中国、日本、ビルマの血が混じってます。
孫のクラスは、16人で15の国の子供たちがいます。


先週、私の新しいニュージーランドパスポートが届きました。
今回から10年間有効です。

日本人として日本に住んでいれば、国籍のことをあまり意識することは
ないと思います。
しかし、出たっきり邦人にとっては大きな問題です。
今回は、私たち一家と国籍について書いてみようと思います。


その前に私たちのことを説明したほうが、話がわかりやすいかと思います。
私は、ビルマ人と夫と結婚し二人の子供、4人の孫がいて、現在ニュージー
ランドに住んでいます。


1993年に、私たち一家はオークランドに来ました。
1年後に永住権取得、1996年に一家全員ニュージーランド市民となり
ました。
ビルマ人の夫にとっては、政治的に安定した国のパスポートを取得する事は、
重要な課題でした。
その頃、ビルマのパスポートでは行ける国が限定されていて、ビザがないと
行けない国が多くありました。
一家がsettle downする為には、ニュージーランドのパスポートが必要
でした。
私たち一家は帰る国がない、ここで生きていくしかないと思っていました。


私の息子と娘は、1981年と1884年にビルマ(現在ミャンマー)で
生まれました。
1984年に日本の国籍法改正により父母両系血統主義となりました。
それまでは父親が日本人の場合だけ、子供は日本国籍を取得できたのです。
私たちの二人の子供は、ビルマ日本大使館でこの改正により日本国籍を取得
した第1号でした。
その書類に記された娘の従前の国籍はビルマ籍でしたが、息子は無国籍でした。
無国籍ということは、どこの国からもパスポートがもらえず、ビルマから
出ることができません。
日本人の私が息子を日本に連れて帰ることもできなかった訳です。
息子が生まれるちょっと前に、ビルマの国籍法が変わり、両親どちらもが
ビルマ国籍でないと、子供はビルマ国籍が得られなくなったのです。
その当時、私たち一家はビルマ脱出を考えていたので、私は日本国籍を捨てる
気はありませんでした。
日本国籍を取得した子供たちとのパスポート写真は、私と息子、娘が一緒に
写っています。
今のように生まれた時から一人用のパスポートではなかったのです。


そして今、息子の1歳と2歳の子供達は、ニュージーランド、オーストラリア、
アメリカの3つの国籍を有しています。
嫁は、香港生まれの中国人です。
香港中国返還の頃、一家でアメリカに移住しました。
その後、嫁一家はアメリカ国籍を取得しました。
10年前、オーストラリアに仕事で来て市民権を取得しています。
オーストラリア、ニュージーランド国民であれば双方の国にビザなして住み、
働くことができます。
市民権があれば、ワークビザの更新など煩わしいことをする必要がなくなります。


将来、私の子供達は、また別の外国に行って住むこともあると思います。
孫達は、アメリカやオーストラリアの大学に行くこともできると思います。
これからは、経済の変動、環境、個人の生き方、その時々のニーズにより、
私たちは住む国を変えることができると思います。
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