オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その90 Give way ruleの変更 16-04-12

2012-04-20 14:45:46 | 第81-90回
..90..                    16-04-12

Give way ruleの変更


つい3日ほど前、4月1日にDay Light Savingが終わり、日本との時差は3時間になりました。
つまり朝1時間寝坊できるということ、だけど1時間日が暮れるのが早いのです。
しかしながら体内時計は急には対応できなくて、朝5時に目がさめるし、
そのせいで夜9時過ぎると眠くてたまりません。


Day Light Savingの終わる1週間、3月25日からニュージーランドの車のGive way ruleが変わりました。

ニュージーランド交通局のサイトに詳しくでています。
http://www.nzta.govt.nz/traffic/around-nz/road-user-rule.html

私がここで説明してもさらにややこしくなるだけなので、このサイトを見て下さい。
簡単に言うと、日本と同じになったということです。
このやり方が国際的だそうで、ニュージーランドのこれまでのルールは一般的でなかった
そうです。


私は、こちらに来た頃、左折の時、対向車が右折しようとするのに、先に左折してひんし
ゅくを買ってました。
それが3月25日からは、日本と同じように運転していいということです。


でも、相手が新ルール通りGive way してくれるかはわからないので、そろそろ出て行き
ます。
中には当然のように、前のルールで曲がる人もいるので、ぶつけられてはたまらないので、
いっそう注意深くなります。
一ヶ月くらい前から、このGive way ruleの変更をしつこいくらいコマーシャルの間にや
ってました。
新聞でもでかでかと載ってました。

でも実際始まってみると、ちゃんとやってる人は半分くらいですね。
テレビあんまり見ない人は、この変更を知らないんではないかと思います。
中には、こっちは直進してるのに、いきなり左折でつっこんで来る車がいます。
よくわかってないというか、解釈が間違ってます。
どんな場合でも、直進車が優先なのにです。

本当にこのルールが定着するには半年くらいかかると思います。

この混乱で、接触事故は多くなって、パネルビーダー(板金屋)が繁盛しそうです。


こっちは、ちょっとした車の事故が、本当に多いです。
パネルビーダーにお世話になることも結構あります。

バンパーやドアがへこんだまま、みんな平気で運転してます。
かすり傷程度なら事故のうちにはいらないのではないか、と思います。


3週間前、私は、車の事故にあいました。
赤信号で停まっているのに、右の斜線に斜線変更したジープに私の車の後方のタイヤの上
あたりにすり傷をつけられました。
孫をデイケア(保育所)に迎えに行った帰りで、パーンという音にひやっとさせられまし
た。

たいしたことはないけれど、停まってるのに、横を擦るなんて、まったくどじなドライバ
ーです。
みんな赤信号で停止してるから、目撃者はいっぱい。
車から降りてみると、あいつだよと、後ろの車のドライバーが教えてくれました。

事故がおきて、脇に車を移動させて相手方の詳細を聞いている間も、孫はぐっすり眠って
いたので、やれやれでした。
幸いに双方、full coverの保険があり、明らかに相手が悪いので、相手の保険でなおし
ました。


どんな事故でも、事故すると本当に面倒くさいのです。

火曜:まず自分の車の保険会社に電話をかけ、ケース番号をもらう。
水曜:保険会社指定のパネルビーダーに傷を見せに行く。
翌週月曜:保険会社から電話、相手が悪いということで、相手の保険で直すことが確定
火曜;パネルビーダーに車を持っていく。

代車は一日$20かかるので、修理中は夫の車を借りる
私の車はHonda spikeで、座席が高いのに慣れていて、夫の Toyota allex(カローラ)
は、沈み込んだようで視界が狭くて運転しにくいです。
車がかわると、ハンドル切るタイミングとかの微妙にちがうので、本当に不便です。

金曜:車修理完了。

ラッキーなことに、私がバックして柱にぶつけた時のきずもついでに直してくれてました。
バンパー全部を塗装するから、事故のとこだけということができなかったようです。

今回のようにすんなりいっても、事故から修理完了まで2週間かかってます。


私が、過去19年間にこのパネルビルダーを利用したのは、3回目です。
2回は相手の過失でした。

飲酒運転などによるシリアスな事故も多いけど、ボーっとしていてぶつかることのほうが
多い気がします。
自分がどんなに気をつけても、避けられない事故ってありますよね。


明日から4日間イースターのホリデーです。
田舎からやって来る人も多いし、遠出する人も多いと思います。

我が家は、なるべく出ないようにしてのんびり過ごします。
せっかく新品のようにきれいになった私の車、当分傷つけたくありませんからね。



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その89 ビルマ難民はいなくなる? 12-03-12

2012-04-20 14:42:55 | 第81-90回
..89..                      12-03-12

ビルマ難民はいなくなる?


今、ミャンマー(ビルマ)が注目されている。

4月1日に行われる補欠選挙で、野党党首のアウンサンスーチー氏が勝利をおさ
め、国政復帰することが期待されている。
現状の軍事政権から、民主化されれば、ビルマはよい投資先である。
「ゴールドラッシュ」ならぬ「ミャンマーラッシュ」だそうだ。

隣国のタイが近年の政治不安定や大洪水で、外国企業は打撃を受けている。
日本の工場もタイから撤退を決めたところもあるそうである。
そのせいもあり、タイのお隣のビルマに目がいっている。
これまで、ビルマの軍事政権を嫌い、経済制裁をしていた国も多い。
しかし、最近は、国の内外からの民主化への移行が期待されている。

4月1日の選挙でアウンサンスーチー氏が勝てば、その翌日からアメリカのファ
ーストフードチェーン、マクドナルドがオープンするそうである。

東南アジア諸国だけでなく、アメリカ、ドイツ、フランスなどもビルマへの経済
投資に熱心だそうだ。
すでに、ラングーン市内、下ビルマ、タイとの国境付近の不動産も値上がりして
るらしい。
ビルマは、石油をはじめとする自然資源があり、携帯電話に使われているレアメ
タルも産出する。


ヨーロッパの不況、中東の緊張、世界は今不安なことばかりだ。
これまでビルマは難民を出すような国であった。
しかし、世界のこの状況から見ると、まだポテンシャルのある国のようだ。



オセアニアのメルマガのはずなのに、なんでビルマなんだろうと思われる方もい
ると思う。
理由は、私の夫はビルマ人で、オークランドdrるビルマ難民のサポートを
しているためである。
その活動は、過去のメルマガを御覧頂きたい。
私は、2006年5月9日ビルマ難民、2007年2月9日ビルマ難民その後、ビル
マに関するメルマガを書いている。



ビルマの民主化への動きは、ニュージーランドに送られてくるビルマ難民にも影
響してくる。
難民となるためには、タイの国境付近の難民キャンプに入り、国連から難民番号
をもらわなければならない。
ところが、最近ビルマ人に対し、新たな難民番号が出されていないという。
きのう、オークランド空港近くのRefugee Campに最後のグループが到着した。
このグループの後は、数家族とかの少人数しか来ないらしい。



おとついの日曜日、夫とHamiltonまでビルマ難民に会いに行った。
寄付で頂いた、布団、食器、電子レンジ、コンピューターでバックシートに満載
にして朝からでかけた。

最初に行った家は、ニュージーランドに来て6週間、ハミルトンに移動してまだ
2週間である。
すでに、洗濯機、冷蔵庫、テレビ等の電化製品、レザーのソファー、ベッド、
子供の三輪車まで揃っていた。
地元でボランティアをしているスポンサーと社会福祉事務所が揃えてくれたそう
だ。

1時間半もかかって、オークランドからジャンクを運んでこなくてもよかったの
では、とがっかりである。
でも、まだあんまりすれてないこの家族は、喜んで受け取ってくれた。


3週間前にRefugee Campでこの一家に会った時は、キャンプのパンの食事が耐
えられない、お米が食べたいと嘆いていた。

今は自分の家に落ち着き、表情も柔和で、2歳の子供はふっくらしておしゃべり
になっていた。
Housing NZ(政府の住宅)とはいえ、3ベッドルーム、ガレージ、庭付きで立
派な家である。
すでにネットもつながり、スマートフォンを使っている。

数年前は時計も読めない難民もいたことを考えると、最近の難民は適応が早い。


昼間には、ハミルトン在住の難民家族20人ほどが、私たちに会いに来て、ランチをご
馳走してくれた。
チキンカレー、魚のからあけ、大根のスープ、かぼちゃの葉の炒めものとビルマの田舎
料理がでた。
素朴でなつかしい味でおいしかった。


難民たちは、平日はポリテックで英語の授業を受けている。
去年来た男性は、看護師のコースをとっているそうだ。

話題は当然のように、4月1日のビルマの選挙の話になった。
基本的に難民は、逃げ出してきた国に戻ることはできない。
どんなひどい国でも、彼らにとってビルマは祖国である。

ビルマの刑務所で政治犯として禁固されていた人、国境の紛争で家族を失った人、
将来もわからぬままタイの難民キャンプでの暮らしなど、私たちの想像を絶する苦労を
彼らはしてきている。

この一回の選挙の結果ぐらいでは、彼らの不信感は消えないだろう。
でも、祖国への期待をこめて、彼らの話はつきなかった。


ニュージーランドで教育を受けたビルマの子供たちが、ビルマに戻る日は来るのであろ
うか。
いや、子供らは、Kiwi Kidsとなり、英語をしゃべり、自分の将来に向って生きていく
だろう、と私は思う。

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