Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

結局、どの会社に一番入りたいんだろうな、俺は。

2007年03月29日 21時49分37秒 | Weblog
今思えば、最初っから
「俺には!!ここだ!!間違いない!!」
というふうに絶対ここに入るんだ!!
というような企業はあまり意識していなかったように思う。

働きたいと思う企業はいくつかあったし、
その中で順位付けすれば、
当然一番上に来る会社はあったものの、
そこだけはもう別格扱いで、
他の企業とは訳が違うというような感じではなかったな。
てか、振り返ると、その企業がどこかさえもわからん。
なんとなーくフジテレビだったような気がする。
映像作れて、金もよくて、モテてみたいな感じで。
本当にここのドラマや映画が好きっていうのもあるけどね。

仮に数字で表すと、
フジが100で、他が2、3とかそういうんじゃなかった。
フジが100で、次が99.8で、その次が99.5みたいに、
かなり僅差だったように思う。
好きな女性の場合は一人だけ別格になるけれど、
企業の場合は違ったなぁ。
俺の場合は。
もちろん人によって、
1社だけ別格扱いにして、
もうそこ以外考えられないという人もいるだろう。
別に悪いことじゃないけれど、
そこがダメだったときのショックは大きすぎるし、
ハッキリ言ってリスキーだ。
まあ人それぞれの考え方があるわけで、
俺は1社に絞っていなかっただけのこと。
だから落ちてもあまり凹まない。
もちろん無傷というわけではないけれど。

大体志望度からして怪しいもんだ。
本当にテレビ行きたい人は、
ちゃんと対策して、
在京キー局以外も受けて……
ってやるんだろうけれど、
俺は民放5局しか受けなかったし、
それ以外受ける気も興味もなかった。
「テレビ」という軸よりは
「フジ」や「テレ朝」など
企業1つ1つに対する軸なわけだ。
この時点で志望度が疑われても仕方ないかも。
でも俺は業界よりもけっこう企業で選んでいる気がする。
ビールだって、アサヒやキリンは興味なくて、
あくまでもサントリーだけがよかったし、
おもちゃもタカラトミーやセガトイズは興味なくて、
バンダイだけがよかった。
まあこれは俺の嗜好などもあるんだろうけれど。

もし本当に行きたい企業だったら、
落ちたとき相当のショックを受けると思う
(行きたくなくても最終とかで落ちたら
 それはそれでショックだと思うけど)。
でも俺はテレビ落ちたとき、
そこまでショックではなかった。
そのことから、
実はあまり志望度が高くなかったということを
うかがい知ることができる。
あと絶対テレビじゃないと嫌だ!
といった変なこだわりがなかったこと、
いろんな人の話を聞いて、
人やら社風やら「俺には合わないかも」
と思い始めていたことなども、
落ちてショックを受けなかった理由だろう。
けっこう素を出せて落ちたから、
ある意味納得いったのかもしれん。

それよりはバンダイの方が相当ショックだった。
好きなこと扱っているのと、
自分の目的とバンダイの目的が合致していたこと、
俺自身が「この会社なら合う!」
と完全に信じきっていたから、
落ちてショックを受けたのだろう。
そういう意味では、
フジテレビよりも行きたかったのかもしれない。
頭で考えるとわからないけれど、
心がそう感じている気がするよ。

心。
人間の一番素直な部分で、
一番その人のすべてが表れる部分。
ここが感じたことが、きっとその人の本心。

意外とどこでもいいと思っているのかもしれない。
いや、そういうふうに考え方が変わったのかも。
あのままフジやバンダイの選考が進み、
仮に内定をとっていたのなら、
きっとこんなこと考えずに、
そのまま「やっぱ俺はここだわ♪」って思っていたかも。
でも、実際落ちて、いろいろ悩んでいるから、
今みたいな考えになっているわけで、
どっちに行こうが俺は俺だから、
まあ本当の俺の考えなんだろうな。
どこでもいいやっていうのも。

人生って
最初に決めた道のまま進めるとは限らない。
閉ざされたり、方向転換したりで、
そのたびに考え直さなくちゃならない。
「失敗したから、そう思い込みたいだけだろ」
っていうふうにも言えるし、
それもあるかもしれないけれど、
考えを変えていかないと前進できないわけで、
それもそれで俺の物語である。
てか人間みなそうしているだろう。
前にコースケの日記に
「人生を決めるモノ」と題して、
Flexibilityってのがあったけど、
そういうことかねぇ。

俺にとっての幸せは何でしょう?
好きなことやれて、金も稼ぎまくりで、モテて、
ってのがまあ人間誰しもが思うベストでしょう。
でもそれらすべてを満たすことは難しいわけで
(傍目から見れば、芸能人や経営者などがそう見えるが)、
そうだねぇ………
やっぱ好きなことしたいよねー、
でもお金も欲しいしー、
女の子にもモテたいよねー。
優先順位つけるとしたら、
好きなこと>金>女
かな?

人生死ぬその直前に何を思うんだろう?
「金いっぱいもらったけど、
 もうちょっと好きなことやりたかったなぁ」
「女には困らなかったけど、別のことしたかったなぁ」
「好きなことやってきたけど、やっぱ金欲しかったわぁ」
上の3つが同時に満たされることがないと仮定した場合、
どれをとって、どれを捨てても
結局、少なからず後悔はする気がする。
ならば、上の優先順位の通り、好きなことするべきか?

好きなことすれば、働く気が起きて、がんばれる!!
→働くから、金もらえる~~♪
 →もらった金で自己投資+
  好きなことなので仕事が楽しくて、自然と業績アップ☆
  →キャ~、おーのさん、かっこいい~~♪

ってな具合にならんもんか。
好きなものって言うとだねぇ、
やっぱエンターテインメントは外せなくて、
さらに「映像」を使ったエンターテインメントがいいよねん♪

なーんてことを、
風邪をひいてダルダルダルビッシュな状態の中、
ポワワ~~ンと考えている
思春期まっさかりの俺でした。

さて、意外な会社説明会だったわけだが……

2007年03月29日 19時11分39秒 | Weblog
今日はとある企業の説明会。
業界じゃ有名な方だし、
知る人ぞ知るっていう感じかな。

レベルファイブ。

ドラクエⅧとⅨ作ってる会社。
開発ね。
販売はスクウェア・エニックスだけど。

司会の人がずいぶんキレイな人で、
「この会社、こんな美人がいるのか!」
って思ったけど、全然関係ない人だった。
だって、ガダルカナル・タカの奥さんだもん。
元福岡放送のアナウンサー、橋本志穂さん。
ドラクエがきっかけで結婚したらしい。
すげーの司会に選んだなと思いきや、
なんとパネルディスカッションのとき、
質問に対する答えはすべて
あるお笑いコンビのコントで回答されていた。
アメリカザリガニ。
マージおもしろいのね!!
やっぱお笑い芸人ってすげーや!!

まだそんなに大きくない会社だけど、
ここは今後すごく成長する気がする。
社長も来てたけれど、
会社全体で世界一になろうとしてる。
クリエイターの人はやっぱ
一癖ありそうな感じだったけど。
来年の新社屋の写真見せてもらったけど、
エンターテインメント丸出し。
会議室なんて、
スターウォーズみたいになってたし。
ちなみにヨーダも座ってた。

今日の説明会といい、
やっぱりエンターテインメントを追求しないと
絶対にやらないような企画だし、
そういうことを実行してしまうところが、
さすがエンターテインメント業界だけあると思う。

大企業で給料よくてモテて……
っていうことも俺にとっては大事なことだけれど、
今日のような会社もいいなぁ。
自分が埋もれることなく、
素を出していけそうな気がするよ。
社長が「モノ作り楽しい!」っていうときの顔が
ホントに楽しそうで好印象だった。

とりあえずエントリーだな。

でも質問している学生の頭が悪すぎると思った。
「そんなのちょっと考えればわかるじゃん!」
「自分の軸がしっかりできていれば
 聞くほどのことでもないじゃん!」
「それ聞いてどーすんだよ?」
と、心の中で叫んでいました。

でも社員の人たちはしっかりしてたよ。
よくゼミのOBとかに言われることを
そのまま話していた。

やっぱうちのゼミで学ぶことは大きいわ。

初めての……キャッ

2007年03月28日 14時09分14秒 | Weblog
履歴書というものを書く。
いや、バイトではあったんだけどね。
就活では初めてだ。

なんかめんどっちぃな。

ウィキペディア見てて思ったけど、
やっぱ慶應はすごいんじゃないかと思う。
特にテレビ。
かわいくて人気のある女子アナって、
大体慶應出身で、
内部生が多くて、
さらに体育会所属なんてことも。
しかも経歴に
「○○は大学の後輩に当たる」とか
「部活の先輩では○○がいる」の
○○に当たる人も
慶應内部体育会ってものが多い。

そういうつながりがあるのだろうか、
それともかわいくて力のある人が
たまたまそういう経歴の持ち主なのだろうか。

別に興味ないけれど、
世間は狭いなぁと感じる今日この頃。

あ、ついに明日発売か。

あれから1年……

2007年03月28日 00時55分46秒 | Weblog
去年、緊張しながらゼミの試験を受けて、
知らない先輩たちに囲まれて内心ビビリながら
懇親会に参加した。

んで、気づいたらゼミに溶け込んでいて、
俺は俺らしくその立場をまっとうしていたと思う。
たぶんね。
まわりからどう思われているか知らないけれど。

そして今日23期が入ってきた。
去年と同じ様に試験を受け、
合格発表し、
そして56に行った。

飲み会は去年よりも盛り上がっていたと思う。
そして2次会は……。
ひどかった。
すげーーーーーー下下下下!!!
楽しい~~~☆☆
思考回路が永遠の中学生の俺にとって、
あのトークはめっちゃ好きだわぁああああ。

あ、去年と違うとこあったわ。
試験終わった後の面談。
なんか23期がかわいそうだったなw
泣いてる人いたしw
でもきっといい思い出になるでしょう。

まっこさんと話して、
俺の面接でのいけないところがわかった。
「もっと自分のことを語ってがっつくこと」
それが俺には足りなかったらしい。
やはりバンダイは性格検査でも筆記でもなかったかも。
体育会有利というテレビや広告のような体質もあるが、
やはり俺の面接が行けなかったのかも。

くそー。
このことをもっと早く知っとけば良かった。
少なくとも1月に戻りたい。
そーすりゃ、もうちょっと企業受かってただろう。
面接でも。
まあこのまま何も知らずに進むよりはよっぽどいいけど。
仮に自主留年するとしてもね。

「就活はがっつかなきゃダメ」って、
前になんかで聞いたことがある。
でも、それって去年の今頃かもっと前か、
相当前のことなのですっかり忘れていた。
仮に覚えていたとしても、
こうやって実際に面接を何度か重ね、
人から忠告されないとわからなかったかもしれない。
やはり、俺は自分の身に降りかからないと
わからないタイプのようだ。
人間みんなそうなのかな?

いろいろ収穫のあった日でよかった☆
とりあえず何かがんばろう♪

あ、もう新メンバーか。

2007年03月25日 21時22分59秒 | Weblog
あ、あさってもう23期入って来るんじゃん。
やべー。
モタモタしてる場合じゃなかった。

なんか去年を思い出すなー。
けっこう今のゼミに傾いてはいたけれど、
それでも斉藤のマーケティングと迷ってた。
でもなんだかんだで今のゼミを受けて、
経済学テストに向けて勉強は……
していなかった。

じょーしんさんが9章だけやればいいって言うから、
それを信じて9章だけやっていったら、
まったく9章の問題が出ずに、
全然できなかったことを覚えている。
知り合いはみさこと奥山しかいなくて、
試験日は奥山とずっと話していた。
あと、1年のときすばると英語いっしょだったから
「あー、英語いっしょだったよね?」
みたいな流れになった記憶がある。

んで、試験後はそのまま56に行った。
初めてだったからあの大人な雰囲気に驚いた。
最初の席は隣があつをでその隣が内堀。
向かいがせむりんさんとキャッツさんだった。
何気に緊張していた。

あれからもう1年かぁ。
早いなぁ。
つい昨日21期と別れたばかりなのに、
もう23期が入ってくるのか。
正直なんかビミョーだな。
心にポッカリ穴が開いた気分で、
それを新メンバーで埋められる気が
今はまだしない。

きっと21期も同じことを思っていたのではなかろうか。
20期がいなくなって、
その後すぐに俺ら22期が入ってきて……。
歴史は繰り返されるのだな。

とりあえず俺は俺らしくあろう。
この1年も。

負け犬か、発想の転換か

2007年03月25日 00時14分23秒 | Weblog
「どこでもいい」

そう考えるようになってしまう自分がいる。

就活する上で、将来働く上で、
俺には俺なりの軸があって、
一番のベストはその軸に合う生き方をすることだ。
まあ誰でもそうだろうな。
人には人それぞれの価値観や考え方があって、
きっとそれに合うような生き方をしたいと思うし、
そうなるように努力するだろう。

「人生一度しかないから、
 すべてが自分の納得いくように生きたい」

というのが、俺の考えである。
就活する上で、
人を感動させたいという想いがあり、
自分の好きなことや興味のあることで
それを実現したかった。
もちろんそれが叶えばそれが一番いいわけだし、
それが現段階で高確率で叶いそうだったら、
きっと今書いている
この考え方は生まれてこなかっただろう。

でも世の中、そうそううまくいかないわけで。
必ずしもすべてが自分の思い通りになるわけではない。
それはただ単に俺の実力がなかったことが原因で、
俺が本当にデキる人間だったら、
すべてがうまくいっていただろう。
ちゃんと自分の好きなことを仕事にし、
それで感動を与えられるという点で。

そして世の中、実力のある人は、
ちゃんと自分の軸に合った生き方を実現できている。
もちろん運やタイミング、
まわりの環境なども左右するから一概には言えないけれど。
あの中田英寿だって、
すごくいい選手だったのに、
こんな俺から見ても、
ちょっと残念な終わり方だったしなぁ。

で、自分の想定した未来があって、
それに向けて前進していても、
予期せぬ出来事や達成できなかった目標などがあって、
そのたびに進む方向を変えたり、
目標のハードルを下げたりする。
今の俺のように。
それは逃げの姿勢であるとか単なる負け犬だとか、
そういう考え方もできるだろうし、
俺自身もそう思っている部分もある。

でも、結局もともと設定した道を進むのが無理だとしたら、
やはり方向転換などは必要なわけで、
それはそれでいいと思うようになったきた。
あきらめや妥協といえばそれまでだけれども、
人生ってそういうものなんだろうなって思う。

そうやって軽く受け流せることは大事な気がするよ。
これで自分の設定した道に固執しすぎて、
もちろんこだわりは必要だけれども、
視野が狭くなりすぎて、精神的に弱って、
挙句の果てに自殺するなんていう結末よりは
断然いいだろう。

悪く言えば、負け犬、妥協、あきらめ、逃げだけれど、
よく言えば、発想の転換、考え方の変化
みたいな感じなのかな。
それが人生でしょう。
ってただ単に俺がそう思い込みたいだけかもしれないけど。

すべてが思い通りになるのなら、
俺は高校で学芸に行き、
大学は早稲田で、
片想いの人とは必ず結ばれて
という人生を送ってきたのだろうけれど、
結局、
高校は謎の都立、
大学は慶應、
片想いの人にはフラれる
という真逆の人生を歩んできたわけで、
でも楽しかったし、得たものも大きい。

やっぱり人生は最低2回は欲しいわ。
1回目はいろいろ試行錯誤して、
2回目以降はそれを生かして
1回目に進めなかった道を歩むためにがんばりたい。

なんか、人生いろいろ♪ですなぁ。

うかうかしていられない

2007年03月24日 23時51分46秒 | Weblog
俺は22年前にこの世に生まれた。
そう。もう22年という月日が経っているのだ。
早くないか?
22年ってけっこうな時間だぞ。
未来を展望すると長く感じるけど、
過去を振り返ると意外とあっさり感じる。

きっとこういうことだろう。
人間はすべてのことを覚えているわけじゃない。
過去のことを思い出しても、
印象に残っていることしか思い出せないのだ。
例えば昨日の飲み会を思い出してみても、
昨日という時間すべてを思い出すのではなく、
「こういうことがあって、ああなって……」
というダイジェストが頭の中で流れるだけ。
だから必然的に時間が短くなる。
昨日は24時間だったけど、
実際に昨日を反芻するのにかかった時間は5分ぐらいか。
だから、これまで生きてきた人生は、
時間の割には短く感じるのである。

大学に入学したのなんて、ついこの前だ。
けっこう最近のことのように感じる。
でも、あと10日もすれば俺も4年生。
最高学年になってしまうわけだ。
就活だって、浪人生のときにうっすら考えていたけど、
気づいたら今はもう真っ只中にいる。

人生は短い。
短すぎる。
気づいた頃にはもう老衰しているだろう。
22年がこんなに短いのだ。
次に来る22年。
つまり、44歳なんてすぐだ。
22年後、同じことを思うんだろう。
「ああ、短いな」って。
んで、66歳、88歳。そこでおしまいかな。
ということは、
生まれてから歩んできたこれまでの時間を
俺はあと3回しか繰り返せない。
フリーザの変身回数と同じである。

生きたい。
もっと生きたい。
せめて800歳までは生きたい。

園遊会

2007年03月24日 15時02分11秒 | Weblog
昨日は園遊会。

1年のとき、KBFの出て、
クッソつまんなくて10分で帰ったけれど、
今年は楽しかったなぁ。

今は選考もなく、
ニートか自主留年街道まっしぐらなので、
お酒の買い出しを引き受けたものの、
一人では到底運べないことに気づいた。
秋田の車を使おうかと思ったけれど、
本人はインフルエンザでダウン。
他の人も手が空いていない中、
奥山が手伝ってくれて助かった。

しかし、渋谷から舞浜まであの量を運ぶのは
相当疲れた……。
途中でアドベンのみなさんとあやさんに会いながら、
俺と奥山はひーこら言いながらホテルに着いた。
よしみさんがすでにいたけれど、
他の人はまだまだ来ない様子。
お酒の追加分を買い出しに行き、
ムーさんが来たところで、
謎のエグ飲みが始まった。
ハイペースでニッカが減っていった。
あつをと石塚が来たとき、
すでにカオスが降臨しかかっていた。

その後、続々と人が来るも、
カオスはますます強まるばかり。
俺はそのままサークルの園遊会へと行った。
ホテルが隣なので助かったわぁ。
サークルの方もかなりみんなノリノリで、
ゼミ以上に多くの人がハイテンションだった。
そこでしばらく飲んだ後、
またゼミの方へ戻ろうとしたら、
ホテルマンに
「どちらに行かれるんですか?」と行く手を阻まれた。
俺は何を思ったのか、
「教室です」と言ってしまい、
「教室じゃないですよね」と冷静なツッコミを受けつつ、
「このビデオを返しに来ただけです」と言ったら、
「部屋の人にロビーまで来てもらってください」
とふざけたことをぬかされた。
でも俺のケータイは電池が切れていたので、
つながらないフリをして、その場を去り、
サークルの方に戻った。
サークルの方のホテルはガードがちょーゆるくて、
ホテルマンの「ホ」の字も存在していなかったため、
自由に行き来できた。

んで、そこで一晩を過ごし、
朝になってゼミの方に戻った。
すでにまりこ、あつを、上野の同期しかいなかった。
おいしい朝食を食べ、
みんなでイクスピアリに行き、
今年の園遊会は幕を閉じた。
終わりはけっこうあっけなかったな。
サークルも「お疲れさまでしたー」だったし、
ゼミに関しては最後、先輩いないし。
でも、まあこんなもんだよね。
園遊会って。
別にお互い死ぬわけじゃないし☆

とゆーわけで、あっしは疲れた。
そういえば、赤い銀行から昨日留守電が入ってた。
何やら選考の日程のお知らせのようだ。
今まで企業の人とはメールでしかやりとりしてなかったので、
電話がうれしくて、
もう何か銀行でもいいやみたいな気分になった。
それでいて今日、ディズニーランドの様子を見て、
どこでもいいから内定とりたい気分になってきた。
あー。
負けだ。俺の。

エンターテインメント

2007年03月22日 14時00分00秒 | Weblog
やっぱり俺はエンターテインメント
と呼ばれる業界で働きたいねぇ。
エンターテインメントっていう言葉は、
辞書的な意味だと「娯楽」ってことだけど、
俺はもっと広義に捉えて
「楽しみ」を生み出せることだと思っている。
でも楽しみって人によって違うわけで、
映画が楽しいと感じる人もいれば、
金融システムが楽しいと感じる人もいる。
そう考えると、
世の中にあるすべてのものはエンターテインメントであり、
わざわざ他と区別する必要がないのかもしれない。
うちのゼミ的に言えば、
「映画を楽しむ人と、金融の仕組みを楽しむ人、
 そこから得る効用はどこがどう違うの?」
ってことになるんだと思う。たぶん。
でもそんなこと言い出したら、キリがないので、
やはり仕事を選ぶ上で大事なのは「自分の軸」となるので、
ここは主観的に見ていいだろう。

そうすると、
俺の考えるエンターテインメントや
楽しみは何かということになる。
答えは1つ。
俺が楽しいと思えるもの。
つまり、俺が好きだったり、興味があったりするものを指す。
そういうのを扱っているところで働きたいわけだ。
せっかく働くなら楽しく働きたい。
楽しく働くためには、
自分が好きだったり、
興味あるものを扱っていたりするところで
働きたいと俺は考える。

それが何かを考えたとき、
映画、テレビ、ゲーム、音楽、おもちゃなどが挙がるわけよ。
やっぱり映像は好きだから、
映画、テレビ、ゲームはけっこう上位に来るのかな。
ここは完全に嗜好や価値観の違いなので、
これらを楽しい!と言う人もいれば、
くだらない!って思う人もいるだろう。
それは別にいい。
そういや、テレビも「マスコミ」という軸よりは
「映像」という軸で捉えていたな。
だから新聞や出版には興味が沸かなかったのかも。

んで、それらを扱っている企業っていうのは、
実は世の中にはたくさんある。
企画する会社もあれば、製作する会社もあるし、
下請けや孫請け会社も含めればかなりの数になる。
もちろんそのすべての場所が志望先となるわけではない。
ちなみに俺は商品企画や
プロモーション企画などがやりたいのだが。
でも特にこだわりはないかな。
その楽しみを提供することに携わっているだけで
効用MAXなのだから。
そして俺はミーハーかつわがままな人間だから、
知名度もあって、給料もあって、できればモテたい!
みたいな判断基準も加わるわけだ。
そうすると業界シェア1、2位とかの大企業になる。
あとはそこで働いている人が
自分に合うかどうかってのも大事だけれど、
その会社の作り出しているモノや価値を
過去に俺が享受して楽しいと感じたかどうかも大事。
そうなると数えるほどにしかならない。
志望する会社の数が。

で、今もう持ち駒がないわけで、
かなりヤバイ状態なのだが、
現段階ではこの先銀行から内定もらっても、
(もらえない可能性大だが)
そこ行くくらいなら自主留年したいなーなんて。
ただし、俺の考えるエンターテイメント業界っていうのは、
景気がどうであれ、常に買い手市場で少数精鋭。
入りたくても入れないのが現状。
だから自主留年したところで入れる保障は一切ない。
それならエンタメ業界じゃなくても、
ギリギリ自分が興味を持てるもので、会社の雰囲気もよく、
給料もいいといった企業に入りたいとも思う。
単にわがままかもしれないが、
学生が選ぶ判断基準なんてほとんどこんなもんでしょう。

給料もよくモテることも大事と思う。
もし仮に俺がどっか総合商社の内定もらったとして、
もう1つ、経営がやばそうだけど、
自分の好きなもの作ってる企業から内定もらったら、
かなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーり
悩むなぁ。俺なら。

そんなことを寝ながら考える今日この頃でした。

追いコン・卒コン③

2007年03月22日 13時22分00秒 | Weblog
昨日はゼミの追いコンだった。

俺は企画係なので、
朝からあつをとみおと話し合っていた。

17:00から314教室で「卒業式」なるものが行われた。
あーゆー光景は懐かしいなぁ。
22期一人一人に成績表が配れたのには驚いた。
俺のは………意外と小学生の頃と同じような成績だったw
俺って変わらないのね……。
いや、人間誰しも絶対に変えてはいけない部分があって、
それが個性のような気もするが。
キャッツさんが商学部で10番目に成績がよかったのには
すげー驚いた!!意外すぎる。

そして56へ。
昼ドラに出てた店員さんを発見!!
テレビのまんまかっこよかった!!
けっこう時間押していたけれど、
企画で考えたクイズがかなり盛り上がってよかった。
最後の21期の一人一人のメッセージのとき、
絶対号泣するだろーなーと思っていたけれど、
案外そうでもなかった。
きっと卒業してもまたすぐ会えると思うからかな。
うちのゼミのOBはしょっちゅうゼミに来るし、
何だかんだでけっこう集まったりしていて、
このまま本当に
離れ離れになってしまうわけではない気がする。
だから不思議と悲しみはなかったのかもしれない。
あと、泣く泣く聞いてたから、
心の準備ができてしまっていたっていうのもあるかも。
前回のラストゼミのときの方が危なかった。涙が。

そして高田屋で2次会。
いつもと違い、かなり参加人数が多かった。
かなはやっぱりドSで、
よしみさんはやっぱりド淫乱で、
まりこはやっぱりドアホだと思った。

そしてムーミン谷で3次会。
桜木町から歩いてくるとき、
じょーしんさんとまりことでいろいろ話したが、
ホントにひどい内容だったなぁ。
ビデオとっとけばよかった。
んで、あとはみんなでまったりいろいろ語った。
なんか、一部、芸大会みたいな流れになっていたなぁ。

まわりから見ればどうか知らないけれど、
このゼミで俺自身はすごく成長できた気がする。
まあこれは来年のこの時期に語るとして、
21期のみなさん、
本当に今までお疲れ様でした。
そして、どうもありがとうございました。

俺の系譜 ~本当は早稲田大学に入りたかった~

2007年03月19日 23時03分45秒 | Weblog
忘れないうちに記しておこう。俺の生い立ちを。

気づいたらこの世にいた。
まあ、当たり前か。

幼稚園のときはとにかく美人な先生のおっぱいを揉んでいた。
この頃から俺はおっぱい星人だったのである。
もしかしたら、このときすでに
「マロ」と呼ばれることが
運命づけられていたのかもしれない。

知り合いにファミコンをもらい、ハマった。
ドラクエⅢとマリオブラザーズ3をやっていた。
ドラクエは意味がわからないのでやめた。
ここから俺のドラクエ嫌いが始まる。
マリオはすっごく面白かった。

小学校は学芸大附属大泉小に入った。
別に俺が決めたわけじゃない。親が決めたのだ。
地元の公立は当時荒れていたため、
親が心配して国立にしたそうな。
うちの小学校は試験を受ける前と受けた後に抽選がある。
それで当たりを引かなければ次へ進めないのだ。
だから試験に受かっても外れを引いたら
そこでおしまいなのだ。
我が家は親父が引いた。当然、当たりだった。
きっと親父はここで一生分の運を使い果たしのだろう。
そうでなければ、
その後の転職で収入が減るなんていうことはないはずだ。

俺はとにかく明るくて元気だったと思う。
まわりは面白いやつらばかりで、
倉田や塩田ともこの頃からすでに仲がよかった。
俺は色が白く、童顔だったので女の子と思われたのだろうか、
それともただ単にショタコンにウケたのかはわからないが、
電車の中ではしょっちゅう痴漢に遭った。それも男。
親の影響で映画はよく見ていた。
暇さえあればテレビとゲームだった。
常に「映像」と共にあったわけだ。

小4のとき、
『ファイナルファンタジーⅥ』をプレイして、感動した。
これを作っている会社に入ろうと決意した。
そもそもこれを買った理由は遠藤にある。
当時、最も仲の良かったあいつが
別の友達とFFⅥについて話しているのだ。
持っていない俺は会話に入れない。
それが悔しくて買ったのである。
今ではこの出来事に感謝している。
これで俺のFF好き、スクウェア好きが始まったのだ。

小さい頃からやっていた水泳のおかげで、
体育の水泳の授業は楽しかった。
『スラムダンク』に影響されてバスケを始めるものの、
かずまやがっしーにいじめられて、やる気を失くす。
でもバスケは好きだった。

中学はそのまま学芸大附属大泉中に進んだ。
小6のとき、倉田と寺山と俺の3人で
中学受験の模試を受けた。試しにね。
そうしたらうちの中学の合格率が5%だった。
後で外部から入ってきた人の話を聞いたのだが、
俺らの代は男子の倍率が11倍だったという。
すげーなと思ったよ。外部の人たちを。

ほとんどの人は小学校からいっしょだったから、
ホント小学校の延長のような感じだった。
俺は英語の波多野先生が好きだった。
褒めて伸ばすタイプだったのだろう。
やればやるほど褒めてくれた。
だからノートとかバカみたいにこだわったし、
教科書の暗唱とかBGMつけたりしたから。
そのおかげで「殿堂入り」という謎の称号をもらった。
この頃からモノ作りに対するこだわりの片鱗は
見えていたのかもしれない。

そして高校受験。
まわりは学芸大附属高校を志望していた。
もちろん俺も。
ただ俺は「みんなが行くから」という理由だったように思う。
てか、うちの中学入った時点で、
ほとんどの人はそのまま高校受ける流れになると思うけど。
俺は案の定不合格。
そりゃそうだ。
受験勉強中も映画見て、ゲームやってたから。
5教科なのに理科と社会はノータッチ。
でも俺は密かに早稲田に入りたかったりもしていた。
早稲田高等学院は偏差値的に無理だったので、
早稲田実業の商学科を受けた。
これも落ちたけれど。
なんで早稲田なのかはわからない。
なんとなく早稲田がいいと思っていたし、
早稲田に入りたかった。

おそらく中学の校長先生の影響だろう。
もうおじいさんなのにも関わらず、
水泳大会やマラソン大会に出まくっているその姿は
とても好印象だった。
そんな校長先生が退任するとき、
「私は早稲田大学に行きます。
 いいところなので、ぜひみなさんがんばって来てください」と
おっしゃっていた。

しかし早稲田も不合格。
すでに私立の高校は2つ合格していたが、
どうも行く気がしない。
んで、学費が安いからという理由で都立を受けさせられた。
俺のまわりに都立を受ける人はほとんどいなく、
正直下に見ていた。
一応、学芸と早稲田に向けて勉強していたため、
都立の問題はクソ簡単で、当日も満点近かった。

それで俺は都立青山高校に通うことになったのだが、
行く気がなかった上に、まわりの人のカラーが
学芸と大きく異なっていたために、
そこまでうまくなじめなかったように思う。
高校時代はとにかく部活で、水泳を続けた。
水泳部は楽しかった。
特に先輩たちとの付き合いが。
同期の仲は最悪。特に男子。
原因は俺らしい。
夏休みは毎日練習である。
でも俺は中学までのときと同じ様に
代ゼミの夏期講習に通った。
それが同期の勘に障ったようだ。
まったく悪いことをしているわけではないので、
正直俺がムカついたぐらいだ。

結局、仲のいい先輩が引退すると同時に俺もやめた。
後輩には興味がなかったし、同期はどうでもよかった。
水泳は好きだったが、あの部にいたくなかった。
だからやめた。

そして大学受験。
当然、早稲田を受けた。文系5学部全部。
あと慶應の文、商、経済。
そして滑り止め2つ。
ろくに勉強もせず、ゲームしかしてなかったため、全敗。
浪人の道を歩むことになった。
最初からそこまで現役には
こだわっていなかったのかもしれない。
なんとなく浪人するんだろうなぁと思っていた。
だから全部落ちてもそこまで悔しくなかった。

浪人時代は河合塾の池袋校に通っていた。
人との接触はなるべく避けた。
自分の力だけでがんばろうと思っていたからだ。
余計な馴れ合いは身を滅ぼすものだと考えていた。
ゲームも自分で封印したものの、映画は見ていた。
でも、それなりに勉強したと思う。
授業開始の1時間前に教室に着いて自習をしていた。
まわりにもそういう人がたくさんいたから、
いい刺激になった。
夏休みはグダグダしていたけれど、
秋は朝から晩まで塾の自習室で勉強していた。

相変わらず早稲田大学に行きたかった。
だから文系5学部すべて10年分の過去問を解いた。
慶應なんて行きたくなかった。
でもそのブランドに惹かれて経済と商だけ受けた。
後は滑り止めを3つ。
結果、早稲田は全敗だった。
この1年早稲田のためだけに勉強したのに。
あのときはマジで自分を呪った。
特に絶対イケると信じていた商学部の受験日、
いつもできていた英語がその日に限ってできなくて、
帰ってから自分に対する苛立ちのあまり携帯を2つに折った。

あのとき、俺には執念があった。
なんとしてでも早慶に入ること。
中学の友達はみんな一流大学に行った。
ここで俺も最低でも早慶に入らなければ、
絶対にバカにされると思い、
この身が滅びようとも
早慶どっかには喰らいついてやると思っていた。
やはり早稲田がよかったが、もう慶應でもよかった。

その執念のおかげか慶應の商学部だけ受かった。
受験当日、試験が終わった後、諭吉像の前で
「もう2度と来ることがありませんように」
とお祈りしたにも関わらずだ。
しかも過去問も4年分ぐらいしか解いてない。
でも受かった。
こうして俺は俗に言う慶應ボーイとなったのである。

慶應生はチャラいというイメージがあったが、
半分当たってて、半分外れているなというのが
実際に慶應に入学して思った正直な感想かな。
まずはサークルに入ろうと思うのだが、
浪人の1年はろくに人と話していなかったので、
自分一人で入るのが怖かった。
そのため知り合いがいるサークルに入ろうということで、
布施のいるバドミントンサークルに入ることにした。
しかしまわりにいる人やサークルのやり方などが合わず、
すぐに行かなくなった。
あとはずっとバイト。ジュンク堂で。
オープニングスタッフだったので先輩・後輩がなく、
とてもやりやすかった。
みんないいやつらばっかで親しみやすかったから、
書店業務に興味があったわけではないが長続きした。

2年になって水泳サークルに入った。
やっぱり大好きな水泳を続けたいと思ったからだ。
バイトが忙しくてそんなに練習出れたわけではないけれど、
みんなノリがよくて面白くて、
それでいて好きな水泳ができるのだからいい環境だった。
ここで知り合った先輩がきっかけとなり、
俺は次の3年でとあるエグゼミに入ることになる。

中条潮研究会。
やってる内容はまっっったく興味なかったけれど、
先輩たちの優しい人柄に惹かれて入ることを決意。
斉藤のマーケティングと迷ったが、人で選んだ結果である。
マーケティングは興味があるので、
自分でも勉強できると思った。
俺は興味のあることは自発的にやる方なので。
それがアドベンにつながるのだが。
このゼミのいいところは、
人の個性を大事にしているところかな。
俺は三田論は特にがんばったわけではないけれど、
なんだかんだでみんなそんな俺を許容してくれている。

そして怒涛の就職活動。
これまで書いてきたように、「映像」に興味があった。
FFⅥがきっかけとなって、
人を感動させるものを作りたいと思うようになった。
それができる仕事がしたいと思っていた。
だから最初はゲームクリエイターを目指していた。
でも年収とか社会的地位とかも気になりだした。
うちはそこまで裕福ではないので、
お金に対する執着心はあったと思う。
浪人生の頃から何となく意識していた就職活動。
だからといって特に何かしていたわけではないけれど
(何かやっとけばよかったと思っているけど)、
気づいたら広告代理店は志望していた気がする。

でも「みんなの就職活動日記」で
テレビ局の年収が高すぎることを知り、
一気に志望業界は変わった。
テレビ局の中で順位があったわけではないけれど、
やっぱり映画も好きだったので、それに力を入れていて、
なおかつドラマが面白かったということで、
フジテレビが第一志望だったかな。
ずっとテレビ、広告の志望順位は変わらなかった。
ただ自己分析していく中で、
「自分はどういう人生を送りたいか」
という最終地点を軸に
「自分の好きなもの・興味のあるものに関わっていたい」
という答えが出て、
そこからテレビ、広告に加えて、メーカーが挙がった。
なおかつ「モノ作り」がしたいという想いもあった。
メーカーもいろいろあるけれど、
会社の雰囲気や
そこで働いている社員の人柄や知名度も参考にして、
業界選びというよりは完全に企業選びになり、
バンダイ、サントリー、資生堂などが挙がった。
あとはスクウェア・エニックス。
これはまたベクトルがちょっと違ったな。
俺の価値観を変えたわけだから。

特にバンダイは俺の好きなものも扱っている上に、
モノ作りができ、
さらに働いている人の人柄もよく、
「人々を感動させたい」ということを目標にしていて、
会社の雰囲気もよかったので、
俺にとってのベストプレイスとなっていた。
年収は下がるけれども、
ある意味フジテレビよりも志望度は高かったかもしれない。
テレビ局はモテるし、金もいいけれど、
忙しすぎる上に会社の雰囲気がガツガツしすぎていて、
俺に合わない気もしていた。
モノ作りも場合によってはできなさそうだし。
採る人数も少ない上にコネもたくさんあるので、
あまり現実的ではなかったかもしれない。
結局ESから数えてちょうど半分のところで切られた。
しかし同時にバンダイにも切られ、
スクウェア・エニックスに至っては性格検査で切られた。
フジはまあいいとしよう。
自分でも向いてないかもと思っていたし。
スクエニの性格検査もまだ何とかあきらめられる。
だってWebだもの。あっけなさすぎてどうでもよかった。
ショックだったけれどね。
しかしバンダイは二次面接まで進んでいたため
本当にショックだった。
女の子にフラれた気持ちとまったく同じだった。
俺の本心でオリジナルの気持ちを素直にわかりやすく伝え、
こう言うと勘違いと思われそうだけれど、
本当に絶対合ってると思ったし、イケると思った。
性格検査で切られたとしか言いようがない。

自主留年して
1年後にチャレンジしようかどうしようか迷った。
好き嫌いがはっきりしている俺は、
他に代替が効かないのである。
人で選ぶという軸もあるけれど、
正直、企業には多くの人がいるから合う人もいるし、
合わない人もいるのだ。
だからあまり参考にはならない。
自分が見た数少ない人から判断するしかないのである。
友達が
「面白い人とやればつまらないものでも面白くなるし、
 つまらない人とやれば面白いものでもつまらなくなる」
と言っていた。
基本的に一度好きになったものは嫌いにはならないし、
好きだったらつまらない人がいても平気だろうと思った。
でもこれまでを振り返ってみるとそうではないかもしれない。

高校の部活、水泳大好きだったのに、
まわりがつまらないから水泳もつまらなくなってやめた。
ゼミ選びも興味のあったマーケティング、
人が合わなさそうだったのでやめた。
反対に今のゼミは、
やってることは俺にとってつまらないものであるが、
まわりが面白いので、まあいまだに興味は無いけれど、
なんとかやっていける。

そう考えると、
興味のない企業でもまわり次第かなと思い始め、
今ではどこでもいいやー的な流れになっている。
「いっしょにやる人も大事」というのが
新しい軸となって現れた。
というよりもともとあったのかもしれない。
好きなものや興味のあるものを仕事にするといっても、
まわりの人がいい人で自分に合うというのが
大前提でのことだったのかもしれない。
やってることも興味あって、
まわりもいい人ばかりという点で、
アドベンは楽しかったし、
バンダイはベストプレイスであった。
まあ終わってしまったことだから仕方ないけれど。

そんなこんなで、「好きなこと・興味あること」、
「モノ作り」、「人」を主軸に
「知名度」、「年収」などを考慮して
うまく選考が進んだところが、
俺の行くべき場所なのだろう。
ヒト、モノ、カネの3つのうち、
2つがダメになるとその仕事をしたくなくなると、
任天堂のOB訪問したときに言われた。
確かに。
いっしょに働くヒトがよくても、
扱っているモノが興味なくて、給料も低かったら、
働く気を失くすだろう。
自分の好きなモノ扱ってても、
給料が低くて、職場のヒトと合わなかったら、
働きたくなくなるだろう。
給料が高くても、
職場のヒトと合わず、興味ないモノ扱っていたら、
つまらない仕事だろう。
どれか2つが満たされていれば、きちんと働ける。

どの企業に入るにせよ、
とりあえず5年は修行だ。
次の5年で実践。
仕事を楽しもうと努力する。
目的はバンダイかスクウェア・エニックス、
もしくは映画やテレビ局への転職。
そうやって10年経って、
まだ行きたかったら、そこに中途で入ろう。
リベンジを一応の目的とする。
高2のときも去年の6月もリベンジを誓ってがんばって、
気づいたら忘れていたので、また同じようになるのだろうか。
まあ人と会社は違うけれどね。

これからどんな物語が書けるか楽しみである。

追いコン・卒コン②

2007年03月19日 12時11分43秒 | Weblog
昨日はサークルの卒コンだった。
1次会の場所はいつもどおり佐賀。

最初人数が少なくてびっくりした。
いや、少ないということはなかったけれど、
去年の方が多かった気がする……。
まあ会が始まるとみんなかなりノリノリだったけれども。
塚尾さんの酢一気が久しぶりに見れた。
匂いをかいだだけで自分には無理だと悟る。
それをケロッとやってのけてしまうところがすごい。
ここの飯、相変わらずまずいな……。

2次会はシャレード……のはずが、
シャレードがつぶれてしまったので甘太郎になった。
ここはみんなかなりハイだったなぁ。
なぜか河本とか死んでるし。
阿部も途中から死に出したな……。
ことみさんは飛び跳ねてるし。
楽しかったー。

3次会は去年と同じカラオケ。
でも去年と比べてまったりしてた。
去年は男は全員脱いでたからな……。
俺は昨日のアドベンの追いコンの疲れで
ほとんどずっと寝てた。
かすみさんのディズニーの歌のうまさには
ホントびっくりだった。
クソウマス。
最後1時間は俺とたなけんとづめと梅とで
カラオケなのになぜか怖い話をしていた。
いや、でもマジで怖かったよ。あれ……。
でもWISEさんのおかげで助かったぁ。

4年生の方にはホントお世話になりました。
どうもありがとうございます。

追いコン・卒コン①

2007年03月18日 15時26分45秒 | Weblog
昨日から追いコン・卒コンのラッシュが始まった。
まずはアドベン。
ゼミの作業などをやっていて、
あまり手伝えなかったけれど、
8期の人は楽しんでくれたようでよかった。

アドベンはゼミの次に自分を成長させてくれたと思う。
ゼミでのインプットしたものを
アウトプットする場として、すごく活用できた。
それはやはりOBの方や8期の人たちのおかげだろう。

あとやっぱアドベンはいろんな人がいる。
大学が違うだけで、けっこう人って変わるもんだ。
ゼミは少数精鋭な上に
なんだかんだで似たり寄ったりの人が集まるから、
アドベンはいい刺激である。

しゅうへいさんの言葉が印象に残っている。
「広告は自分が合うと思えば絶対合うし、
 合わないと思えば絶対合わない」

「メーカーの宣伝部で好きな商品を広めるか、
 代理店でもっと大きなことをやるか。
 前者は自分の裁量でいろいろできるけれリスクが大きい。
 後者は広告出して儲かるのはメーカーだけれど、
 失敗したときのリスクは負わなくていい」とな。

どっちが自分に向いているのでしょう?

糸瀬さんとか、
アドベンの人たちがみんな社会に出て偉くなったら、
アドベンのつながりを生かしたコラボをやりたいと
おっしゃっていた。
いやー。マジワクワクするわぁ。
アドベンコラボ☆
やりてーーー!!

2次会のお店の女性の店員がかわいかったので、
バッチリ撮影しておいた♪

3次会の後、
俺とえーすけとたくまさんとやすと八島とあつしで
飯食ったけど、そこで並んでるとき、
後ろのギャル男が面白かった。
普段だったら絶対絡まないのに、
お酒が入ってるからなんか楽しかった。
男2人、女1人だったけど、
女の子が酔っていてあっちこっちフラフラしてて、
んで、おっぱい揉んでた。
「揉み放題なんでどうぞ♪」ってすすめられた。
くそー。揉んどきゃよかった。
ビデオに収めればSODに持っていけたかも♪

とにかく楽しい会合だった。
8期のみなさんは今まで本当にお疲れ様でした。

うーむ。

2007年03月16日 00時25分16秒 | Weblog
「当社の製品やサービスについて思うことは?」との問いに、
素直に自分が思っていることを話したけれど、
あれ間違ってたかも。
他の人は問題点を挙げてその解決策を言っていた。
俺は単に感想だけ。
でも思ってること言っただけなんだけれども。
問題点と解決策は考えていたんだけれど、
それ言ってたらもしかしたら受かってたかも。
落ちてたかもだけれど。
「最後に言い残したことは?」のところで言えばよかったかも。
でもただ自己主張の強い人ってレッテルは貼られたくなかったし。

まあ過ぎたことはしょうがないか。

あー、時間もどしてー。

『スペース・トラベラーズ』

2007年03月14日 01時58分43秒 | Weblog
最後にびっくりしたわ。

銀行強盗として入ったものの失敗して、
その場にいた人たちと仲良くなって、
事態を大きく見せようとする。
っていう流れはフジらしいよね♪

でもそれが裏目に出るとはねぇ。
最後のシリアスさには驚きました。
こういうどんでん返しって、
やっぱりすごく印象に残るわ。

もう邦画に関しては
表情について言うことは何もない。
みんな、いい顔してるわー。
でも昨日見た『海猿』の方がオモシロス☆

個人的に驚いたのは、
銀行員のチョイ役の中に星野亜紀がいたこと。
そう。今の「ほしのあき」です。
7年も前なのに全然顔変わってない。
見てすぐわかった。

そしてプロデューサーはサークルのOBであるという
臼井裕嗣さん。

監督は『踊る~』の本広克行さん。

豪華だねぇ。

2000年、学年大賞とったのはスペトラだったなぁ。
懐かしい。

スペーストラベラーズ

アミューズソフトエンタテインメント

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