残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《霞飛び①》第二十四回
今は雪駄履きだから、取り敢えずは一度、戻って草鞋(わらじ)に履き換えてこよう…と、左馬介は思った。空はどんよりと曇り、梅雨の湿気が肌に纏わり付いて、妙に気分を損なう気候であった。
気づかれることもなく、左馬介がふたたび裏手の川伝いへ抜け出るのに、そうは掛からなかった。鴨下、長谷川とも左馬介の姿は見たが、別に言葉を掛けるでなく見遣った。草鞋は律義者の権十が時折り、野菜などとともに道場へ届けてくれたから、事欠くということは、まず無かった。
左馬介は真新しい草鞋の紐を括ると、急くこともなく外へ出ていった。丁度、鴨下と長谷川は稽古場へと向かうところで、遠目に左馬介の姿を見たのである。真逆に、左馬介も二人の姿を見つつ抜け出た。
草鞋は、やはり雪駄とは違って足元が安定している。それは、履き物と足が一体となる度合いが草鞋の方が大きいことを意味する。先程とは違うだろうが…と思いつつ、左馬介は五尺の高低差を一気に飛び降りた。着地した時の足裏に受ける感覚は、ほぼ似通っている。しかし、微妙に草鞋の方が足元を気にしていないのである。雪駄の方は、やはり着地までの間に脱げる恐れを意識し、気が削がれているのだ。僅かな内心の相違である。