残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《霞飛び①》第三十回
一寸違(たが)わず…とは、正にこのことを云うのだろう。左馬介が後方を振り返ると、幻妙斎は左馬介の眼と鼻の先に立っていた。舞い降りた形跡もなく、寸分の息の乱れもない。━ このお方は、やはり神だ… ━ と、左馬介を、またもや確信させる荒技であった。
「これが、堀江流、奥儀一巻の末に認(したた)められた霞飛びの秘術じゃ…」
幻妙斎は、そう静かに口を開けた。暗闇の洞窟に霞飛びの妙が隠されていると云った幻妙斎は、今こうして霞飛びで左馬介の前へと降り立っているのである。
「観見の目付…そう云えば、そなたにも分かるであろう? のう、左馬介」
「…は、はい、先生!」と左馬介が軽く一礼をし、顔を前屈みに伏せた瞬間、ふたたび微かな気配が流れた。そして、左馬介が顔を上げると、もう幻妙斎の姿は跡形もなく消え失せていた。こうしたことは既に今迄、何度も左馬介は出食わしている。だから驚きはしない。驚きはしないが、妙に心臓の鼓動が速まっている自分に気付く左馬介なのである。幻妙斎が跡形もなく消えたのは夢ではないのだし、驚くことではない。しかし要は、その消えた過程なのである。頗(すこぶ)る跳躍力? または、一瞬にしてその場を去る迅速な脚力? それが左馬介には想像だに出来なかった。
霞飛び① 完