一年(ひととせ)が巡り、また一年が通り過ぎた。兵馬は相も変わらずお芳の置屋通いを続けている。この一年で変わったことといえば、女中頭(じょちゅうがしら)のお粂の腰患(こしわずら)いで年若なお里が大抜擢され、俄かに女中頭の代役をすることになった変化である。お里は年の頃なら十八、九のおぼこ娘だったが大層、気走りのする娘で、お粂のお気に入りだった。だが、物事は思いに任せず、お粂の後釜(あとがま)を狙っていたお熊にすれば、面白いはずがない。お熊はすでに三十路を過ぎた古株だった。何かにつけてお里に邪険・・とはいっても嫌味の一つも吐こうか…といった程度だったが、それでもおぼこのお里とすれば奉公し辛(づら)く、思い悩んでいた。
その日も兵馬が番屋に立ち寄ったあと、屋敷に戻ったときだった。
「ったくっ! お粂さんに見込まれたんだから、もう少ししっかりしてくれないとね…」
どこからともなくお熊の愚痴が兵馬の耳に届いた。兵馬もお里がお熊に時折り甚振(いたぶ)られていることは知っていたが直接、その事実を知らされたのはこの時が初めてだった。
『お、おいっ! 身内の諍(いさか)いはやめてくれよ…』
兵馬は心の中で疎(うと)ましく思った。奉行所では内与力の狸穴(まみあな)のご機嫌取りに疲れ果てて帰って来たのだから、せめて屋敷内では気分よくいたかったのである。
「おいっ! 帰ったぞっ!」
「は~ぁ~いっ!」
お里の若々しい声が間髪入れず兵馬の耳に撥(は)ね返ってきた。お里にすれば、イビるお熊から逃れたかった訳だ。
「お帰りなさいましっ!」
愛嬌のある元気な声をかけられ、兵馬とすれば気分の悪かろうはずがない。框(かまち)を上がると、刀と脇差を腰から抜き、お里へ手渡した。
「何ぞ、変わったことはなかったか?」
訊(たず)ねるでなく、兵馬はお里に声をかけた。
「はい、旦那様。今日はこれといって…」
口が裂けても、お熊さんにイビられました…などとは言えないお里だった。
「そうか…。ほれっ! 蔦屋(つたや)の田楽だ。包んでもらったから、あとで食すがよかろう…」
「有難う御座いますっ!」
育ち盛りである。お熊にイビられた鬱憤(うっぷん)も、蔦屋の田楽で吹き飛ぶお里であった。お熊は本来、性悪(しょうわる)女ではなかったから、兵馬としてはお里のイビりが少し解せなかった。実はこのとき、得体の知れぬ物の怪(け)がお熊に取り憑(つ)いていたのだが、兵馬はその事実に気づいていなかった。
続