お経を上げるというのは、死者の魂を受け取る儀式。
何かの本、たぶん若松英輔の本を読みながら、そう思った。
死者を自分の中に生かすイニシエーション。
それが仏教のお経。
仏教(インド仏教にない、中国由来の、儒教的な仏教)の先祖崇拝は、先祖の魂?霊?を収める・鎮めるとかだけではなくて、死者の魂・魂魄・霊魂を、生きている子孫の魂の中に生かすこと。
To live in hearts we leave behind, is not to die.
遺された者の中に生き続けることは、死ぬことではない。
そういう先祖崇拝・先祖供養(家庭連合だと先祖解怨)は、どの宗教でもやる(キリスト教ではやらないらしい)。
むしろ、動物はやらない。人間だけがやる。
「人間が人間たる所以は、先祖崇拝をするところにある」とさえ言える。
その「最も人間らしい行為」が、先祖崇拝。
その最も人間らしい営みを、敵視しているのが、霊感弁連ですし、今の日本のメディアですし、それに忖度して毒された裁判所です。
家庭連合のみならず、PL教でも「信仰やめた、金返せ」請求が裁判で認められました。
由々しき世の中に一石を投じます。