川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

二松学舎と渋沢栄一

2024年09月20日 | 歴史
渋沢栄一は二松学舎にも縁があった。

その傾倒する陽明学と、三島中洲を通じて。

三島中洲は、明治19年に、もう「義利合一」の論陣を張っている。


渋沢の考えは三島の考えの影響を受けた。


渋沢が若い頃、従兄の尾形惇忠を通じて学んだ水戸学。

エキセントリックな尊皇攘夷かと思っていたら、熊沢蕃山の思想を重視していたんだ。

陽明学的なところもあったのかな。


昨日見てきたどこかの渋沢施設で、水戸学が「知行合一」を掲げていた的なことを書いているパンフレットがあった。

これ初歩的なミスだろう、知行合一は陽明学でっせ、って思った。でも、蕃山の思想が水戸学に入っているなら、

 水戸学は知行合一

はあながち間違いでもないのかもしれない。

その水戸学が井伊直弼にどれくらい影響を与えていたのか、とかも興味あるなぁ。

いずれにせよ、渋沢の学問の師である尾形惇忠は、知行合一を学則にしていたんだ。

だったら陽明学どっぷりですね。


渋沢は、60歳以降も、陽明学に傾倒。

日本陽明学の系譜を並べた林田明大さんの本に、渋沢栄一は出てこなかったけど、、






ドトール名誉会長の鳥羽さんも論語好きなんだ。


渋沢はアダム・スミスの道徳感情論を意識して、勇気付けられていた。

昨日渋沢施設で聞いた、渋沢の肉声の講演でも、彼はアダム・スミスのことは語っていた。


女子教育にも力を注ぎ、91歳から死ぬまで、ポンジョ日本女子大の校長を務めた。


ちなみにですが、一橋大学の淵源は、森有礼なんですね。勉強になりました。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« プロ野球代理人 1弁護士1選... | トップ | 私が好きな論語(セミナーで... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史」カテゴリの最新記事