「論語と経営・コンプライアンス」ってセミナーを、再来週くらいから開始します。
論語といえば孔子。孔子のことも触れようと思って、再勉強中。論語と経営に関する本はほぼすべて読破しようと思っている。
はて、孔子のことをどう形容すべきか。
政治家たらんとして諸国を漫遊したことは知っている。こちら そして、不遇な「政治浪人」である時期が長かった。
こちらの年表によると、52~57歳は魯の国で重用され、最高裁長官とか宰相代行まで上り詰めた。しかしその後74歳で死ぬまで、17年間も不遇続きだった。
人格的に成長を続けたような孔子だったが、現実世界では逆に、自己の成長とは裏腹に、挫折に終わった。忸怩たる思いは人一倍強かったはずだ。現実世界で何をも成し遂げられなかった。同世代の世の中を良くすることにこれっぽっちも貢献できなかったのだから。
単に「政治家」でもいいけど、功成り名を遂げたわけでもない。「政治コンサル」「政治請負人」ですかね。今風の言葉でいえば、「プロ政治家」という言葉が私にはしっくり来るんですが、結局政治家を務めたのは魯の国一国だけだと、ちょと正確には「プロ政治家」とはいいづらい。
当時の政治家はみな孔子のように、一国でずっと務めるのではなく、他国に行って猟官したりしていたのだろう。みんな「プロ政治家」っぽかった。
って考えると、一周して、要するに「政治家」だったんだなと。花を開かせることができなかった、不遇の、用いられない、売れない政治家。人気のない政治家。お高く止まっている政治家。
世界の四聖人とされる、釈迦も孔子もイエスもソクラテスも、現実世界では不遇に終わっている。何も成し遂げていない。死後に浮かばれた。
人を相手にせず、天を相手にした人生だったのでしょう。