昨日の夜は、『芥川龍之介集』をパラパラと読んでおりました。
その中の『杜子春』というお話は……、放蕩な駄目男が不相応な幸運に出会うお話、と思えてしまう私は心が汚れているのでせうか?
仙人は最後に主人公の男に家と畑を与える必要はあったのでしょうか?
普通に読むと、「孝」についてのお話であり、「正直な暮らし」についてのお話ではあるのですが、でもでも、私、ついついこのお話に出てくる仙人に物申したくなるのです(相手は物語の登場人物なのに)。
主人公の男を一度は助け、二度目も助けるのはよいのですが、三度目は「何やっとんねん!」と男に突っ込むべきではないかと。
さすがは仙人という設定だけあって、鷹揚で悠長だ!
いや、あの「試練」が仙人の突っ込みってことなのでしょうか?
まわりくどい、って気がする。
或いはこのお話は、この物語の主人公のような駄目男を更生させるには、叱責するのではなく、好きなようにさせて肯定しつつ自分で気付かせる迂遠なやり方が有効であるってお話なのでしょうか?
う~む。
こんなことを考えてしまう私は、心が汚れちまっているってことなのでしょうか?