狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

自分自身を愛することは一生涯続くロマンスを始めることである。

2016年04月23日 18時46分32秒 | その他の日記




 本日4月23日は、イングランド王エドワード3世がガーター騎士団を創設した日で、バイエルン公ヴィルヘルム4世がビール純粋令を制定した日で、京都御所建春門前に公家の学問所・学習院が開設されて講義を開始した日で、明治天皇が歴代天皇で初めて伊勢神宮に参拝した日で、ロシア・ドイツ・フランスが下関条約で日本領有となった遼東半島の清への返還を勧告した日で、パナマ運河建設中に破産したパナマ運河会社をアメリカ合衆国が4,000万ドルで買収した日で、オスマン帝国のアンカラでムスタファ・ケマルを議長とする大国民議会が開催された日で、ドイツ国防軍のアテネ侵攻でギリシャ政府と国王ゲオルギオス2世が亡命した日で、GHQが日本円とアメリカドルとの交換レートを1ドル=360円に決定した日で、終戦後もウクライナで生活していた元日本軍兵士上野石之助が63年ぶりに一時帰国した日です。

 本日も倉敷は曇りのち雨でありましたよ。
 最高気温は二十二度。最低気温は十三度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れとなっております。





 何の用意も無しにパソコンに向かつた。
 かういふのを本當の隨筆といふのかも知れない。
 けふは、四月二十三日である。曇りのち雨である。

 狐の生れた日は内緒である。
 狐は子供の頃、妙に僻んで自分を父母のほんたうの子ではない橋の下で拾われた子だと思ひ込んでゐた事があつた。
 のけものの獣であるやうな氣がしてゐた。
 無表情だつたので一家のものから何かと不気味に思われそれで次第に僻んだのかも知れない。捻くれ者だつたのかもしれない。今は捻くれ者ではない。多分違ふ。違うんぢやないかな? 己の事はよく分からない。
 両親の書き物をいろいろ調べてみたことがあつた。何も發見出來なかつた。
 親族にこつそり聞いて廻つたこともある。
 その人達は大いに笑つた。大爆笑だつた。
 狐が生れた日の事をちやんと皆が知つてゐたのである。皆、笑い過ぎなくらい笑つた。笑い過ぎである。
 何も不思議なことがない。平々凡々。
 はつきり教へてくれたので狐も狐の疑念を放棄せざるを得なかつた。
 なんだか、がつかりした。そして余りにもはつきりと教へてくれたので恥ずかしかつた。すつぽんぽんを見られたくらい恥ずかしかつた。
 平凡な身の上は不滿であつた。もつと劇的な身の上であつたら良かつたのに、と。阿呆である。阿呆狐。

 先日、知人から手紙をもらつた。 
 その人は狐と同じ誕生日なのである。
 同じ誕生日の者同士、一夜、一緒に呑みませう。といふ手紙であつた。
 狐は返事を出した。
 「私は詰まらない人間であるから逢へばきつとがつかりなさるでせう。どうも怖いのです。どうか、あの、小心に免じてお許し下さい。嘘です。私は呑みの機会は逃しません。お誘い嬉しいです。どうか一緒に呑みませう。蟒蛇の本性をお見せいたしませう。狐だけど」
 割に素直に書けたと思つた。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『かぐらめ』

2016年04月23日 12時56分53秒 | 映画・ドラマに関する日記





 昨日の夜は、映画『かぐらめ』のDVDを観ていました。

 主人公の菊地秋音は東京の介護施設に勤めている。仕事は精神的に過酷で悩みを抱えている。
 彼女は、母親の十三回忌で故郷の実家に帰ってきた。
 実家には父親が住んでいるが、彼女は父親とは仲が悪い。
 何も言わずに家に上がり、今は亡き母親の部屋を覗く。
 すると、そこに見知らぬ女性がいた……。
 
 監督は、奥秋泰男。
 出演者は、武田梨奈、大杉漣、筒井真理子、黒川芽以、森岡龍、大河内奈々子、白須慶子、朝加真由美、信太昌之、滝沢涼子、足立智充、草薙良一、瀬駒妃、今井雅之、上條恒彦、など。




 相手の眼を見て話をしなければ伝わらないことがある。という言葉を私はあまり信じていません。
 直接会って話をした場合、情報量が膨大になってこちらの真意が伝わらないこともあります。
 ムードに流されて感情がシンクロしてしまい、もっとも伝えなければならないことや細部の細かいことが上手く伝わらないまま、合意がなされた(或いは合意がなされない)気分になってしまう。そんなことはよくあります。
 なので、重要な事柄(例えば何らかの契約の時など)では合意事項が明記された文書が取り交わされます。
 勿論、相手の眼を見て話をしなければ分からないことはあるのですが、それだけに頼っていたら勘違いをする可能性があります。
 では、文字による情報伝達が万能であるか? と問われれば、「そんなことはない」と私は答えます。
 どのようなコミュニケーション手段でも100%真意を相手に伝えることは不可能だと私は思っています。
 文字による情報伝達方法、映像による情報伝達方法、音による情報伝達方法、触覚による情報伝達方法、味覚による情報伝達方法、様々な情報伝達方法がありますが、それぞれに一長一短で万能な情報伝達の方法などありません。
 だからこそ、分かりあったと思える時は貴重なのだと思います。
 勿論、分かりあったと思えたこともほとんどは勘違いが入り混じっているケースなのでしょう。でも勘違いであっても分かりあったと思える時は気持ちいいです。

 直に会えば感情が邪魔して思考そのものが歪んでしまい、思わぬ言葉を発してしまう或いは思っていることを上手く伝えることができない。
 この映画では、その問題を手紙というコミュニケーション手段で突破しようとしています。
 直接、話し合おうとした人はほぼ失敗しています。



 うん? このような映画で上記のような感想が出てくる私は何処か少しおかしいのかな?
 妙に冷めている。う~ん? 仕切り直した方がよいかな?








 ある出来事がきっかけで関係が冷めきっている父と娘が和解するお話です。

 終盤に入る場面で「うおおおおい! ちょっと待て!」と言いたくなる場面があるのです。
 気持ちは分かるよ。でも展開としては強引です。と思えるような場面があるのです。
 一応はフォローが入っているのですが、伏線をきちんと張っておけば問題なかったのに伏線を張っていなかった為にツッコミを入れたくなる場面があるのです。
 でもね。音楽や映像で流されてしまう。冷静に考えるとツッコミを入れざるを得ないのですが、観ている側の感情を揺さぶられる場面なので目を瞑ってしまうのです。
 瑕疵はあるのですが、ま、いっか。

 面白かったですよ。
 楽しめました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする