本日4月23日は、イングランド王エドワード3世がガーター騎士団を創設した日で、バイエルン公ヴィルヘルム4世がビール純粋令を制定した日で、京都御所建春門前に公家の学問所・学習院が開設されて講義を開始した日で、明治天皇が歴代天皇で初めて伊勢神宮に参拝した日で、ロシア・ドイツ・フランスが下関条約で日本領有となった遼東半島の清への返還を勧告した日で、パナマ運河建設中に破産したパナマ運河会社をアメリカ合衆国が4,000万ドルで買収した日で、オスマン帝国のアンカラでムスタファ・ケマルを議長とする大国民議会が開催された日で、ドイツ国防軍のアテネ侵攻でギリシャ政府と国王ゲオルギオス2世が亡命した日で、GHQが日本円とアメリカドルとの交換レートを1ドル=360円に決定した日で、終戦後もウクライナで生活していた元日本軍兵士上野石之助が63年ぶりに一時帰国した日です。
本日も倉敷は曇りのち雨でありましたよ。
最高気温は二十二度。最低気温は十三度でありました。
明日は予報では倉敷は晴れとなっております。
何の用意も無しにパソコンに向かつた。
かういふのを本當の隨筆といふのかも知れない。
けふは、四月二十三日である。曇りのち雨である。
狐の生れた日は内緒である。
狐は子供の頃、妙に僻んで自分を父母のほんたうの子ではない橋の下で拾われた子だと思ひ込んでゐた事があつた。
のけものの獣であるやうな氣がしてゐた。
無表情だつたので一家のものから何かと不気味に思われそれで次第に僻んだのかも知れない。捻くれ者だつたのかもしれない。今は捻くれ者ではない。多分違ふ。違うんぢやないかな? 己の事はよく分からない。
両親の書き物をいろいろ調べてみたことがあつた。何も發見出來なかつた。
親族にこつそり聞いて廻つたこともある。
その人達は大いに笑つた。大爆笑だつた。
狐が生れた日の事をちやんと皆が知つてゐたのである。皆、笑い過ぎなくらい笑つた。笑い過ぎである。
何も不思議なことがない。平々凡々。
はつきり教へてくれたので狐も狐の疑念を放棄せざるを得なかつた。
なんだか、がつかりした。そして余りにもはつきりと教へてくれたので恥ずかしかつた。すつぽんぽんを見られたくらい恥ずかしかつた。
平凡な身の上は不滿であつた。もつと劇的な身の上であつたら良かつたのに、と。阿呆である。阿呆狐。
先日、知人から手紙をもらつた。
その人は狐と同じ誕生日なのである。
同じ誕生日の者同士、一夜、一緒に呑みませう。といふ手紙であつた。
狐は返事を出した。
「私は詰まらない人間であるから逢へばきつとがつかりなさるでせう。どうも怖いのです。どうか、あの、小心に免じてお許し下さい。嘘です。私は呑みの機会は逃しません。お誘い嬉しいです。どうか一緒に呑みませう。蟒蛇の本性をお見せいたしませう。狐だけど」
割に素直に書けたと思つた。