狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。

2017年08月16日 20時28分57秒 | VSの日記



 本日8月16日は、イギリス・マンチェスター郊外で集会に参加した群衆を警官隊が弾圧して11人が死亡・600人以上が負傷した日で、江戸幕府が外国奉行を設置した日で、酒田県で農民1万人が過納租税の返還を求める暴動を起こした日で、東北帝国大学の入学試験合格発表で3名の女性が合格(帝国大学初の女子学生が誕生)した日で、ロンドン賠償会議でドイツの第一次世界大戦の賠償金仕払いを緩和するドーズ案が採択された日で、連合軍の爆撃でイタリア・ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会が崩潰(壁画『最後の晩餐』は奇跡的に残る)した日で、東京都が上野動物園に猛獣の処分の指令を出した日で、スターリンの北海道北部のソ連による占領案をトルーマン米大統領が拒否して「日本は分割統治せず」と声明を出した日で、満州国皇帝溥儀がソ連軍により拘束された日で、元満州国皇帝・溥儀が極東国際軍事裁判にソ連の証人として出廷した日で、北方領土貝殻島付近で根室の漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受けて1人死亡・4人が拿捕された日です。

 本日の倉敷は曇りのち晴れでありました。
 最高気温は三十一度。最低気温は二十五度でありました。
 明日は予報では倉敷は晴れ一時雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。

 








 私、3歳の頃に川で溺れて死にかけたことがあります。
 偶然、川底に沈んでいた私を見つけてくれて助けてくださったお方がいて生還することができました。
 そのお方が気が付いてくださらなかったら私はその時死んでいて、今は存在していなかったでしょう。

 時々、救助された時のことを思い出します。
 気絶から目が覚めた私を覗きこむ誰か。
 その後、再び気絶して暗闇に堕ちる感覚。
 病院で目が覚めて最初に見たもの。

 川に落ちた瞬間の記憶もあります。
 でもその記憶はここには書けません。
 記憶と事実が反するからです。
 あの時の記憶は明らかにおかしい。
 ありえない記憶。でも覚えている。
 しかし事実とは合致しない。


 私が川に落ちた瞬間は誰も見ていない。
 客観的な観察者がいない。
 だからあの時何が起こったのかは分からない。
 今から調べようにも調べることは出来ない。
 そして私の記憶はありえない記憶。
 その時の状況から考えると大きな矛盾点が発生する。




 おそらく私自身が無意識のうちに捏造した記憶なのでしょう。
 あの時に何故私が川に落ちたのかは合理的な説明はできます。
 記憶とは違うけど。そちらのほうが正しいはずです。




 あの時のことを思い出すと奇妙な感覚に囚われてしまいます。
 もしかすると私はもう死んでいて死後に長い夢を見ているのではないか? とか。
 ありえない記憶なのに生々しく覚えている(おそらく偽の)記憶の薄気味悪さとか。



 できればこんな記憶は別の何かの記憶できれば楽しい記憶に上書きしたいなぁ。と思っているところなのであります。

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『聖母の部隊』/酒見賢一

2017年08月16日 15時00分57秒 | 小説・本に関する日記




 昨日の夜は、酒見賢一の小説『聖母の部隊』を読み返していました。
 短編小説集であります。
 収録されているのは、「地下街」と「ハルマゲドン・サマー」と「聖母の部隊」と「追跡した猫と家族の写真」の4編です。

 酒見賢一の作品は、デビュー作の『後宮小説』が架空の中国史小説でとても面白いです。
 中国史から題材を取った作品が多いですね。

 この『聖母の部隊』は酒見賢一の小説の中では異色作と言えそうです。

 面白いですよ。
 お勧めなのであります。

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正義を語る奴に正義はいない。

2017年08月16日 11時30分55秒 | その他の日記





 本邦では古来から功績があった人や偉大な人や徳がある人を讃えはしますが、功績があっただけでは偉大なだけでは徳があるだけでは神様に祭り上げることはほとんどしません。
 本邦で実在の人物で神様に祀り上げられた人物は、無念の思いを抱えて亡くなった人が多いのです。
 正しいとか正しくないとか善とか悪とかは関係ないのです。
 そして本邦の神話の中の神様達で格の高い神様達もよく調べてみるとお隠れになった経緯がかなり異質であることが多いです。
 そして生きながらにして神様とされた人達も功績があったからとか偉大であったからとか徳があるからとかの理由ではなく、贄の要員だったから贄となるまでは大切に扱おうという発想であった場合が多いのです。
 本邦は、善悪とは関係なく巨大な力を持つ者や存在や現象を神としてきたのです。

 無念の思いを抱えたまま死ぬ場合の想いは膨大な力で、その力は生きている人に伝播してしまう。
 その力が悪い方向に向かう可能性があるのならば鎮めなければならない。という発想が本邦の神道にはあるのです。
 そして無念の思いを抱えたまま死ぬ場合の強力で膨大な想いは自然災害と同じで悪いほうに働けば災害となり良いほうに働けば恵みとなると考えるのです。
 祀り上げることで鎮まったならば、その次には神様の由来から私達の悩みや願いに共感してくれるかもしれないと多くの人々が考えて様々な願いを神様に願うのです。
 そうして神様に性格が付け加えられていくのです。

 その意味で靖国神社にA級戦犯とされてしまい処刑されてしまった人達を祀るのは理に適っているのです。
 彼等が正しいか正しくないかは関係ないのです。
 本人達がどのような想いで処刑されていったのかは分かりませんが、残された人達があの人達は無念であったであろうと思っているならばそれは祀り上げることで鎮めねばならないのです。
 そして鎮まれば平和を願う神社・平和を誓う神社へと性格が変化していく可能性があります。
 しかしその可能性を朝日新聞社は滅茶苦茶に破壊しました。



 伊勢神宮に初めて参拝したのは明治天皇です。
 それ以前の天皇で伊勢神宮に参拝した天皇はいません。
 皇室と伊勢神宮の関係は複雑怪奇なのでしょう。
 しかし今では太陽の恵みを司る神様を祭る聖なる神宮です。
 出雲大社の大国主大神は太古では畏くも怖ろしい神様なのですが、今では様々な恵みをもたらせてくれる大社となっています。 
 皇室と日本の各神社との関係はとても複雑です。



 このような考え方は他国には理解しにくいでしょう。
 しかし靖国神社の問題は朝日新聞社が本邦の神道の考えを全く理解せずに一方的な報道をする前まではどの国も問題視しませんでした。
 宗教観の話にすぎなかったからです。
 政治の問題と宗教の問題は別。当たり前の話です。

 しかし朝日新聞社は宗教観の問題を朝日新聞社の一方的な見解で政治問題化しました。
 政治問題化して世界に広めて本邦と隣国との仲を裂きました。
 朝日新聞社は朝日新聞社の浅い見識と身勝手で一方的な朝日新聞社独自の正義を基に宗教観の違いを政治の世界に持ち込んで本邦と隣国との仲をずたずたに切り裂きました。

 隣国の政府がこの一件で矛を収めたいと考えても、隣国の国民が朝日新聞社の一方的な見解を信じているので宗教観の違いを理解できず納得しないので隣国の政府は矛を収めることができません。
 宗教観の違いをわざわざ国際間の政治問題化する新聞社が多様性とか寛容とかを唱えても私は信用する気にはなりません。
 朝日新聞社は、多様性の重視や寛容の必要性を説きながら、朝日新聞社の唱える正義に反する者には悪のレッテルを貼って徹底的に攻撃しています。
 自分達の意見とはほんの少しでも違えば徹底的に攻撃する報道を繰り返しておいて、多様性の重視とか寛容の必要性とかを述べても説得力が無いです。
 朝日新聞社は自分達の主張を補強する為に多様性の重視や寛容の必要性という言葉を利用しているに過ぎないと判断されてもしかたのない主張をしています。
 私には朝日新聞社が多様性を重視しているとは思えないし、寛容の精神をもっているとも思えません。

 そして日本と隣国との仲を裂く報道を繰り返し繰り返し行っている新聞社が平和を説いても説得力がありません。
 朝日新聞社は日本と隣国の仲を裂く報道を繰り返し繰り返し行っていてアジアの平和を裂き戦争を招き寄せようとしている、と思われてもしかたのない行動をしています。


 何を目的に朝日新聞社はこのような報道を繰り返すのか? 疑問に思っているところなのでございます。

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