狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

其の生や浮かぶが如く其の死や休うが如し。

2017年08月26日 23時16分34秒 | 職場に関する日記





 本日8月26日は、承和の変が起こった日で、マラズギルトの戦いがあった日で、久明親王の子で8歳の守邦親王が鎌倉将軍に就任した日で、伏見城の戦いが始まった日で、ドレスデンの戦いがはじまった日で、日英修好通商条約が調印された日で、第二次ブルランの戦いが始まった日で、奈良市の奈良そごう建設予定地で大量の木簡・長屋王家木簡が発見されて長屋王邸跡であることが判明した日で、ヴァーツラフ・クラウスとヴラジミール・メチアルがチェコスロバキアの連邦解体の合意に署名した日で、アフガニスタンで日本人拉致事件が起こった日です。

 本日の倉敷は晴れたり曇ったりしていましたよ。
 最高気温は三十度。最低気温は二十七度でした。
 明日は、予報では倉敷は晴れとなっております。




 本日は私は月末恒例の事務処理をしておりました。
 ひたすら、データ入力作業をしておりました。
 万能著述支援用マシン『ワーカム』が欲しいです。
 誰か開発してくれないかな。まぢで。

 デスクワーク1時間で消費するカロリーと平泳ぎを10分間泳いで消費するカロリーはほぼ一緒らしいです。
 ということは本日私は平泳ぎを約80分間泳いだのと同じカロリーを消費したことになります。
 そう考えると何だか達成感が湧いてきそうなのですが、全く達成感がありません。
 そしてカロリー消費で駄肉が削ぎ落とされた雰囲気はまるでありません。
 やれやれでございます。


 まだ作業が少し残っています。
 明日はさくさくと作業を進めたいと思っております。

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『仙丹の契り―僕僕先生』/仁木英之

2017年08月26日 22時05分10秒 | 小説・本に関する日記




 昨日の夜は仁木英之の小説『仙丹の契り―僕僕先生』を読んでいました。



 舞台は、唐の時代の中国。
 お金持ちの家に生まれた主人公の王弁は、自分の家に死ぬまで遊んでいられるだけのお金が有ると気付き、仕事もせず勉学もせずフラフラと日々無為徒食を貪っていた。
 そんな日々を送っていた王弁はある日、父親に命じられて黄土山に住む仙人の元へおもむくことになる。
 王弁の前に現れた仙人はどう見ても十代の少女。彼女は自らを『僕僕』と名乗る。
 父親の意向により王弁は僕僕に弟子入りする。のだけれども……。

 雲南の地まで旅をしてきた僕僕先生達は、唐と並ぶ勢力を誇る吐蕃(チベット)という超大国に向かうことになった。
 薄妃と蒼芽香は紫蘭が暮らす村に残ることになった。
 僕僕先生と王弁と劉欣の3人旅となって王弁は少し動揺している。

 吐蕃との国境の街で王弁は吐蕃の医師・ドルマと再会する。
 国境の街では城の主が病に倒れて医師と薬師を募集しているらしい。
 しかし患者に触れずに診断することという奇妙な条件が出されていて……。
 
 僕僕先生シリーズの8巻目です。



 僕僕先生の教え方というのはとても迂遠な教え方でとても面白いです。
 今巻は、僕僕先生と王弁の関係が少し変わる展開であります。
 僕僕先生は実はそうなの? 否、まさかね? というあるキャラクターの僕僕先生を評した台詞が興味深いです。う~む?

 今巻も面白かったですよ。
 続きが楽しみです。

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堕天使たちのバラッド

2017年08月26日 21時15分05秒 | VSの日記




 狐は或る日の夕、またしても神社の境内の大きな木の下で友人が坐つてゐるのを見た。
 此の友人は姫君のやうに美しいかんばせを持つてゐる。
 こまねいた両手と云ひ、項垂れた頭と云ひ、恰も何事かに深く思ひ悩んでゐるらしい。
 狐は「またかよ」と思いながらも友人の身を気づかつた。
 友人が悪魔に魅入られてゐるやうな瞳をして美しいかんばせを曇らせ思案をしている姿に唯事ではないと思つたのである。
 狐は友人に近づき、何を悩んでいるのか仔細を問ひ質した。



 「人の価値感は人それぞれで考え方も人それぞれで好みも人それぞれであってそれを無理矢理一つにすることは不可能です。
  人の価値感は人それぞれで考え方も人それぞれで好みも人それぞれで好きな異性のタイプも人それぞれで性癖も人それぞれなわけです。
  『性的な表現がある』というのは直接的な性的な表現があるならば『性的な表現がある』とは言えますが、そうでない場合は人それぞれ感じ方が違うのです。
  『性的な表現がある』から自分は観ないという判断をする或いは『性的な表現がある』から自分の子供には見せないと判断をすることはそれは個人の自由です。
  しかし自分は不快に思うから全ての人が観てはいけないと判断して圧力をかけるのは価値観を無理矢理一つにする行為です。

  自分の性癖が絶対的な価値感となりうる正しさを持っていると自信を持って言える人がこの世にいるのでしやうか?
  人は思わぬものに欲情したり反応したりするものです。
  その意味で『性的な表現がない』ものは本当に存在するのでしやうか?

  人は皆、変態さんである。と私は思つているのです。
  皆、自分の性癖こそがノーマルと思つている変態さんなのだろうと。
  だからといつて開き直る必要はないとは思うのですが……。
  自分の性癖が絶対的な価値感となりうる正しさを持っていると自信を持つて言える人がこの世に居るとは私には思えないのです。
  居たとしてもその人はそう思っているだけの変態さんであると私は思つているのです。
  
  でも、そうは思つていても私は誰にも見せずに描いている漫画の内容に罪悪感を覚える時があるのです。
  私はいやらしい。いやらしい変態なのだ。
  そう思えて自分が厭になって哀しくなると気があるのです。
  これ程不思議な哀しさが又と外にありませうか。
  私はこの哀しさを味ふ度に、昔見た天国の朗かな光と今見てゐる地獄の暗闇とが私の小さな胸の中で一つになつてゐるやうな気がします。
  どうかさう云ふ私を憐んで下さい……。
  私は寂しくつて仕方がありません」」
 美しいかんばせをした友人はそう云つて涙を流した。


 狐は友人に云つた。
 「いちいち悩むな。描きたいものを描け。描くが良い。描いて私に讀ませろ」と邪悪な笑みを浮かべて狐は云つた。
 「案ずるな。君の云う通り人はみな変態さんだ。欲情する対象は欲情するシチュエーションは人それぞれだよ。気にするな。欲望の赴くまま思う存分描くが良い。描いて私に讀ませろ。そもそも君は自分がいやらしい人間だと思うことで哀しくもなるのだろうけれども自分で盛り上がって興奮もしているのだろ?」
 友人は瞳を潤ませ悪魔に魅入られたやうな表情でその美しいかんばせを上げて狐を見詰めてこくりと頷いた。
 「変態」
 友人はぽつと頬を朱く染め俯いた。



 神よ。我等を憐れむがよい。
 我等は業が深いのだ。

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構えたり受けたりする時に斬る心を忘れては負ける。斬る心を忘れて居着くは死処。

2017年08月26日 10時43分19秒 | サッカーに関する日記



 明日はJ2は第30節の日。
 我らがファジアーノ岡山は、アウェのえがお健康スタジアムでロアッソ熊本様と対戦いたします。
 キックオフは19時です。ナイトゲームであります。


 お相手のロアッソ熊本様は直近の試合ではとても粘り強いです。
 熊本様にとってはホームの試合となるので気合が入っているはず。
 明日の試合は我慢比べとなるかもしんない。
 ファジアーノ岡山は主力に怪我をしている選手が続出して再構成を余儀なくされていて少しピンチ。
 でもでもこのピンチを変化するチャンス或いはオプションを増やすチャンスとしましょう!
 ファジアーノはまだまだ伸びしろがあります。
 最終盤となる残り7試合までに可能性をどんどん広げていきましょう!
 臆することなく挑戦して大胆に繊細に戦って勝ち点を積み上げることに固執しましょう!

 明日は楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。

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