狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

八重桜(ヤエザクラ)その8。

2018年04月05日 23時40分42秒 | お花に関する日記





 本日4月5日は、仏教排斥を唱える物部守屋が疫病の流行の原因が仏教崇拝にあると奏上した日で、オランダ海軍提督ヤコブ・ロッゲフェーンがイースター島を発見した日で、天皇の東京滞在中は太政官を東京に置くことが決定された日で、日本・イギリスがロシア革命への干渉のため陸戦隊をウラジオストクに上陸させた日で、ソ連が日ソ中立条約の不延長を日本に通告した日で、小磯國昭内閣が総辞職した日で、ローゼンバーグ事件でスパイ容疑によりローゼンバーグ夫妻に死刑判決が下った日で、よど号ハイジャック事件の人質が帰還した日で、北京で四五天安門事件が起こった日で、ペルー大統領アルベルト・フジモリが非常事態を宣言して議会を解散させて憲法を停止した日で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でサラエヴォ包囲が始まった日で、北朝鮮がミサイル発射実験を行った日です。

 本日の倉敷は晴れしていましたよ。
 最高気温は十六度。最低気温は十一度でありました。
 明日は予報では倉敷は雨となっております。お出かけの際はお気を付けくださいませ。




 上の写真に写っているお花は、八重桜です。

 八重桜のお花に関しては、2017年4月19日の記事2016年4月9日の記事2015年4月9日の記事2014年4月12日の記事2013年4月12日の記事2012年4月20日の記事2010年4月24日の記事もよろしかったらご覧下さいませ。
 2017年と2016年と2015年と2014年と2013年と2012年と2010年の八重桜のお花の記事です。


 八重桜のお花の花言葉は、「理知に富んだ教育」や「教養がある」や「おしとやか」です。


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最高を求めて終わりのない旅をするのは、きっと僕らが生きている証拠だから。もし辛い事とかがあったとしても、それは君がきっとずっと諦めない強さを持っているから僕らも走り続けるんだ。

2018年04月05日 15時31分21秒 | サッカーに関する日記






 明治安田生命J2は第7節まで終了してシーズンの1/6を消化しました。
 我等がファジアーノ岡山は、5勝1分1敗で勝ち点が16。得失点差は6。順位は首位です。

 今の時期の首位であることは意味はありません。
 最終節が終わった時点で首位でありたいのです。
 浮かれてはなりません。浮かれてはなりません。
 浮かれてはならないのですが。ファジサポの皆様。首位ですよ。ファジアーノは首位なのですよ。
 ひゃほおおおおい。
 第7節で初黒星を喰らってしまいましたがところがわっしょい首位なのですよ。ひゃほおおおおい。
 優勝争いの経験が乏しいファジアーノは出来れば先行逃げ切りで行きたいところであります。
 勝てるうちに勝ち点を稼いでおきたいところであります。


 優勝を目指すのならば7試合で勝ち点14欲しいです。
 14×6で勝ち点84に到達します。勝ち点84あれば優勝争いに絡めます。
 4勝2分1敗で勝ち点14ですね。優勝を目指すならばこのペースを維持したいです。
 きついペースではありますがいけるいける。
 頑張って勝ち点を稼いでいきましょう!


 シーズンの最序盤の7試合が終わって、各チームは最初の修正をしてくる時期に入ります。
 さらに7試合分の情報を解析して対戦相手の良さを消す方策を明確に練って戦いに挑むチームが増えてきます。

 ファジアーノは勝ち点を積み貸せることに執念を燃やしましょう。
 目の前の試合に集中して目の前の試合で勝ち点3を取ることに固執しましょう。
 そしてストロングポイントはどんどん伸ばしていきましょう。

 今季は優勝を狙いましょう。
 今季は絶好のチャンスです。
 期待していますよ。


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『ガダラの豚』/中島らも

2018年04月05日 13時30分57秒 | 小説・本に関する日記




 昨日の夜は、中島らもの小説『ガダラの豚』を読み返していました。

 アフリカの呪術医の研究が専門の民族学学者・大生部多一郎は、今はTVに引っ張りだこの人気教授。
 彼は、8年前に東アフリカで長女が気球から落ちて死んでから酒に溺れていた。
 妻の逸美は、奇跡体験を見せる新興宗教にのめり込みはまってしまって家族はバラバラ。
 大生部はマジシャンの男と共に宗教団体から逸美の奪還を企てるのだが…。

 日本推理作家協会賞受賞作。
 エンターテイメントです。


 まず、神秘体験や奇跡の絡繰りを提示する。
 真に不思議な事は滅多に起こらない。
 頻繁に起こるのなら絡繰りがある。と物語の中で読者に提示する。
 勿論、これは中島らものネタフリ。

 神秘や奇跡を科学的な考察で否定する。
 が、ちらちらと摩訶不思議なものが見え隠れする。

 次に、社会的なシステムとしての呪いを提示する。
 超常現象としての呪いではなく社会のシステムの中で成立する呪い。
 それはアフリカの地だけではなく全ての地域で存在する呪いや祝いの類。
 それを物語の中で読者に提示する。
 勿論、これも中島らものネタフリ。

 神秘や奇跡や超常現象を徹底的に否定しておいてそれらをひっくり返す。
 前半や中盤で否定していた事柄が終盤に入って主人公たちに襲いかかる……。


 これぞエンターテイメント! 
 読者を摩訶不思議な事柄を否定に導きながら「でも、もしや?」と思わせ翻弄する。
 飄々と人の心の暗黒面を深く突く筆致。
 精緻に組み上げられた日常世界が終盤で一気に崩壊する。




 面白いです! 
 私の中では中島らもの最高傑作! 
 お勧めであります。



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おお神よ。我らに与え給え。変える事の出来ないものを受け入れる平静さを。変えるべきものを変えるだけの勇気を。そして変えられる事と変えられない事を見分ける知恵を。

2018年04月05日 12時13分35秒 | その他の日記



 相撲は神事でもある。というのは今となっては確かではあります。
 おそらくはかつては大昔は相撲は神事として公に認められなければ存続できなかったのだろうとは思うのだけれども、だからこそ相撲は神事と結びついたのだろうと思うのだけれども、今は事情が変わって相撲は神事でもあるというのは確かなのだと思います。


 相撲の日本最古の記述の中に、相撲を伝えてきた一族はどのような一族であったのかが記載されています。
 それを読むだけで相撲を伝えてきた人達が如何に警戒され如何に蔑まされていたのか分かります。
 出雲の一族の末裔。その一族は後に菅原道真という傑物を生みますが、しかし彼も権力闘争に敗れて中央政界から追放されています。
 心・技・体の全てを揃えても対抗できないものがある。さらに学問が抜群であっても敗れ去る。それ故にせめて心・技・体を揃えておかなければ話にならない。相撲においては、心・技・体は目標ではなく出発点なのです。最低限クリアしなければならないものなのです。

 相撲の技を身に着けるということはその一族が伝えてきた技を身に着けることでありその一族を支持すると見做される……。かつてはそうだったのだと思います。
 それ故に相撲の技を身に着けるということは警戒対象となるわけです。

 かつては神前相撲は服従の証であったのではないか?
 服従の証だからこその裸形なのではないか?
 普通は畏きお方の御前での裸形はあり得ない。



 反逆勢力の核となりうる。と警戒された相撲は、しかし繰り返し服従の証を立て遥か昔に殉死の要因とされた一族に因んでいざという時には生贄の要員となることで許されてきたのではないか?
 力士は生贄の要員達と同じような或いは似たものを身に着ける時があります。

 人を素手で殺す技を身に着けた超常の力を持つ者はそれだけで警戒されます。
 さらに遥か昔の相撲を伝えてきた一族の因縁を加味されて相撲は常に警戒されてきたはずです。
 相撲で一番力のある者を神様扱いするのは、人を素手で殺す技を身に着けた超常の力を持つものであり、生贄の筆頭であるから。
 相撲を行う者が粗相をした時、真っ先に殺されるのが相撲で一番力のある者。
 人格抜群でなければ、つまり反逆の意思を示さない者でなければ、殺される対象となる。
 だからこそ、相撲を行う者の品格が問われ続けたのではないか?


 かつて相撲を伝えてきた一族は皇室の葬送の儀礼を担当していた一族とされています。
 かつては畏きお方がお隠れになった時には殉死の風習がありました。
 大地を踏みしめ地鎮する意味を持つ四股はその頃からの風習なのではないか?

 血の縛りはもう既に遥か昔に解き放たれているけれども、出雲一族の古来の技を伝える者達は近年においても警戒され続けてきたのではないか?
 相撲は単純に面白い。
 その面白い相撲を楽しむ為に存続に奔走した者達と、相撲を伝え素手で人を殺す技術を伝えることを警戒した者達、双方の交渉の結果が今の大相撲の原型となっているのではないか?
 しかし、江戸時代末期まで行われていた力士を制御するシステムは、現在は、多くは外されています。
 

 歴史を踏まえるならば相撲の世界での不祥事は非常にまずいと思うのです。
 そしてそれの隠蔽をするとか身内を庇うとかは大変にまずいと思うのです。
 伝統を重んじるのならば、不祥事を起こすことは厳禁となると思うのです。
 力があるから強いから神様扱いするというわけではないのですよ。本邦は。
 本邦で神様扱いされるということは非常に怖いことで責任重大なことなのですよ。
 そして神事を取り扱う集団であるということも非常に怖いことで責任重大なことであるのですよ。
 神事であるからには所作にそれぞれ意味が発生するのです。
 そして相撲は自らを厳しく律していなければ生き残ることはできなかったという歴史が存在しています。
 人を素手で殺す技を持っているからこそ、命に関わる問題には他の人達よりも厳しくそして敏感でなければならないのではないか? と思うのです。



 過去の頸木から逃れて解放されているのは好いことだとは思うのですが、野放図で手前勝手であってはならないと私は思うのであります。


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