6月4日は、豊臣秀頼と淀殿が自刃し豊臣氏が滅亡した日で、フランスのモンゴルフィエ兄弟が世界初の熱気球無人飛行を実施した日で、南米独立革命の志士アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍がコロンビアで暗殺された日で、東京・九段の東京招魂社を別格官幣社として靖国神社に改称した日で、満州にて関東軍の河本大作が軍閥の張作霖を爆殺した日で、近江絹糸紡績の女子工員が結婚の自由・信書の開封廃止など22項目を要求し106日間のストライキを開始した日で、民主化要求運動で数百万人の市民が集結していた北京の天安門広場に中国人民解放軍が戦車・装甲車で出動し市民を武力で鎮圧して数百人から数千人ともいわれる市民を虐殺した(←このことに関して中国共産党は歴史の捏造を続けている)日です。
本日の倉敷は晴れでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は十八度でありました。
明日も予報では倉敷は晴れとなっております。
本日の倉敷は晴れでありましたよ。
最高気温は二十九度。最低気温は十八度でありました。
明日も予報では倉敷は晴れとなっております。
今はもう昔のお話。
子供の頃、藏屋敷が立ち並ぶ観光地に狐は住んでゐました。
いつも獨りで歩くことが好きでありましたが、或る雨の日、いつものやうにぽつぽつ歩いていますと人間の男の子達ががやがや噺ながらやつて來ました。
狐は時々人間を見たことがありました。
人間は弐本の足で立つて歩いてゐるので狐は珍しくて面白くて仕方がないのです。
狐の母親は「人間の処へ行くと酷い目に遭ふから人間の処へは近づいてはいけませんよ。駄目絶対」といつも云ふのですけれど、狐は人間の姿が可笑しくて仕方がなかつたのです。
第一、ひよろひよろと立つて歩いてゐるのが可笑しくて仕方がなかつたのです。
狐は子供達の後ろからそつとついて行きました。
「此の辺は狐が出る処だぞ!」
一人の子供が云ひました。
「晝間から出ることはないだろふ」
また一人の子供が云ひました。
「晝間でも雨が降つているから出るかもしれん」
また、もう一人の子供が云ひました。
時々、遠くで雷が鳴つてゐます。
子供達は何となく氣味が悪くなつたのでせう。
歩いていた子供達はふつと足を止めて耳をそばたてました。
「狐は人を化かして悪さをするらしいな」
一人の子供が云ひました。
「狐ぐらい動物のうちで惡い奴はないの。あれは魔物だからな。雨の降る晩は必づ山に灯をつけて人を揶揄うし碌な事をせん」
また一人の子供が云いました。
「狐のやうな惡い奴は捕まえて日干しにして狐汁にして食つてしまうがよい。狐汁は食つたことはないが旨いかもしれん」
また、もう一人の子供が云ひました。
狐は吃驚しました。
狐は今迄にまだ一度も人間と間近に接したことはなかつたし、第一人間のような賢い動物を化したりなぞしたことは一度もなかつたのです。
人間といふものは何といふ嘘吐きなのだろうと思ひました。
狐はだんだん怖くなつてしまいました。
人間はとても怖ろしい動物だと母親が云つてゐたけれど本當だと思ひました。
だから自分達の仲間は晝間は穴の中に引つ込んでいて人間に見つからないやうにしているのだなと思ひました。
急に母親が懐かしくなり、涙をいつぱい溜めて息を殺してゐました。
すると一人の子供が不意に後を振り返つて狐を見ました。
「あ! 狐が出おつたぞ!」
子供達は吃驚してまるで豆が爆ぜたやうな凄まじい勢ひで走つて逃げていきました。
狐も吃驚しました。
さうしてどうしてあんな酷い嘘を云ふのだろふと思ひました。
雨の降る中、狐は濡れながらとぼとぼと「こお~ん。こんこん。こお~ん。こんこん」と泣きながら巣に帰つていきました。
それ以来暫らく、狐は人間達との接触は避けて巣の中で暮らしてゐたのでございます。