狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

袖の香は花橘にかへりきぬ 面影みせようたたねの夢

2020年07月01日 23時48分40秒 | 季節の御挨拶
 本日7月1日は、古代オリンピックの第1回大会が開催された日で、アブリットゥスの戦いでゴート族がローマ帝国に勝利してローマ皇帝デキウスとヘレンニウス・エトルスクスが殺害された日で、舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成させて撰上した日で、レクセル彗星が地球から0.0146天文単位まで接近した日で、日米修好通商条約に基づいて神奈川と長崎と箱館が開港された日で、世界初の国際電話がカナダとアメリカ合衆国の間で行われた日で、第1回衆議院議員総選挙が行われた日で、ツール・ド・フランス第1回大会が開幕した日で、SOSが国際的な遭難信号として採用された日で、小林一三が宝塚唱歌隊を結成した日で、安徽督軍張勲の後ろ盾により清の元皇帝愛新覚羅溥儀が復辟を宣言した日で、中国の広州に中国国民党の国民政府が成立した日で、広東国民政府が「北伐宣言」を発表した日で、中央気象台臨時富士山頂観測所が設置された日で、日本軍がノモンハンで総攻撃を開始して第二次ノモンハン事件が始まった日で、駐留米軍の管理下に置かれていた羽田空港が日本に返還された日で、防衛庁設置法・自衛隊法施行により保安庁が防衛庁に保安隊・警備隊が自衛隊に改組された日で、スイスのジュネーヴでアメリカ・ソ連など62カ国が核拡散防止条約に調印した日で、本州四国連絡橋公団が発足した日で、内閣放射能対策本部が4日前の中国の水爆実験の影響で石川県内の雨から平常値の70~80倍の放射能が検出されたと発表した日で、東ドイツに西ドイツの通貨・ドイツマルクが導入された日で、ワルシャワ条約機構が正式に解散した日です。

 本日の倉敷は晴れでありましたよ。
 最高気温は二十九度。最低気温は二十三度でありました。
 明日は倉敷は予報では晴れのち曇りとなっております。




 昨日で水無月も終わり。
 今日から文月です。

 蒸し蒸しする日が続いていますね。
 皆様、如何お過ごしでしょうか? 
 私は夜空にかかる美しい天の川を仰いでは、よしない夢に想いをはせている今日この頃でございます。

 眩い夏がやってきますね。
 仄かな期待を乗せてやってきちゃいますね。
 
 皆様。この夏が素晴らしいものになりますよう張り切ってまいりましょう! 




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『惑わない星』第5巻/石川 雅之

2020年07月01日 16時17分34秒 | 漫画・ゲームに関する日記
 昨日の夜は、石川雅之の漫画『惑わない星』の第5巻を読んでいました。

 舞台は未来の地球。
 地球は荒廃して厚い雲に覆われ荒野が広がっていて地表では人は住めない。
 人類は各地の地下都市に身を潜めて暮らしている。
 S沢の仕事は「外宇宙へのメッセージ」を発信して宇宙人とのコンタクトをとること。
 快適な「内」ではなく「外」に出向いてボタンを押すだけの単調な仕事にS沢は嫌気を覚えながらも惰性で働いていた。

 ある日、外部に通じているS沢の仕事場に不思議な女性が現れる。
 外部である地球の地表は防護服無しでは歩けない。
 しかしその女性は防護服無しで現れて、宇宙空間へのメッセージをS沢にお願いした後に、倒れてしまう……。
 不可解な出来事にS沢は戸惑う……のだけれども……、さらに……。





 あはははは。
 第1巻で戸惑う読者が多く出たままこの第5巻でも突き進んでおります。
 最初の設定を受け入れたならば戸惑うことはないのですが、受け入れにくい設定ではありますね。あはははは。
 わけ分からん、と述べる人が出てきても致し方なし。あはははは。



 この物語がどの方向に向かっていくのか全く予想がつきません。
 ゆるくて脱力したところと緊迫したところと生真面目なところとが上手く混然と混ざっていて味わい深いです。

 面白いですよ。
 続きが楽しみです。


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平和主義は、平和の実現ではなくて、戦争の実現になる。つまり、平和という名の下に進行する戦争行為である。

2020年07月01日 15時06分55秒 | その他の日記
 以下の文は、『アゴラ 言論プラットフォーム』の『日韓交渉で韓国を助けた岸信介と邪魔した朝日新聞』と題した八幡和郎氏の記事の転載であります。








『日韓交渉で韓国を助けた岸信介と邪魔した朝日新聞

 1957年に岸内閣が発足したが、岸首相は日韓会談の成功に意欲的で、就任の当日にフィクサーの矢次一夫と一緒に韓国の次期事務次官に決まっていた金東祚(戦前の高等文官試験に合格)と会い、「日本の過去の植民地支配を深く後悔し、早急な国交正常化をめざしたい」という意向を、李承晩大統領に伝えることを要請した。
 矢次氏の紹介の言葉に終始、微実を浮かべていた岸首相は、次のようにいったと金東祚の回顧録にはある。

 「帰国したら両国関係に対する私の意見を李承晩大統領に必ず中し上げて、冷却した韓日関係が打開できるよう額む」
 「私は西日本の山口県の出です。
 ご承知のとおり、山口県は昔から朝鮮半島と往来が多かったところですね。
 とくに山口県の萩港は徳川幕府時代の貿易船だった朱印船が朝鮮と頻繁に往来した寄港地でした。
 それだけに、当地人の血には韓国人のそれが少なからず混じっているのが事実で、私の血統にも韓国人の血が流れていると思うほどです。
 いわば両国は兄弟国といえるわけです。
 ですから、今日、面国が国交も結ばず、相互にいがみ合つているのはまことにやりきれないことです。
 私は、日本の過去における植民統治の過誤を深差省し、至急に関係を正常化するよう努力する覚悟です。
 なにとぞ私の意中を李大統領にお伝えください」

 これでも分かるように、岸信介が日本政界にあって突出した親韓派であったことが分かる。
 ちなみに、政治家を片端から在日朝鮮人だと言い募る一部保守派の困った見解のなかに、岸・佐藤・安倍一族が含まれることがあるが、それは上記の発言を曲解したものだ。

 古代は別にしても、戦国時代の守護大名である大内氏は、公式の系図において百済王室の男系子孫であることを主張し、朝鮮王国との交易を通じて行き来があった朝鮮国王に対して百済の故地を領地として欲しいと要求したくらいである。

 したがって、吉田松陰から明治の元勲に至るまでの人々がもっていた半島への関心には、上記のような歴史観が背景にあったし、山口県人であった岸信介にとっても同胞意識はそれほど突拍子もないものではないのである。

 余談だが、吉田松陰の杉家は大内氏の末流といわれるから、そういう意味では百済王家男系子孫だ。

 日韓会談で日本側主席をつとめた杉道助(ジェトロ理事長など)は、吉田松陰の兄の孫だし、朴正煕が吉田松陰を尊敬していたというのも偶然でないのかもしれないし、岸・佐藤家は吉田松陰との縁も深い。

 このあと、矢次氏は首相特使として韓国に招かれ、李承晩大統領と会談し、「日韓併合は韓国にとって迷惑であったろう」という口上を伝え、さらに矢次は「長州出身の伊藤博文の後輩として、後始末を着けたがっているのでないか」といったこともいい、李承晩は岸首相となら交渉妥結も可能だと言って喜んだ。

 ただし、この口上について、国会で社会党の今澄夫から追及された岸は「私の意見でなく矢次の意見」と答弁し、今議員は「日本と韓国との間をすべてのものを譲歩して取り持たなければならないということは日本の国民は望んでいない」と釘を刺した。
 何やら、令和の時代の論戦と立場が逆転しているのである。

 そこで、偽リベラル界隈は、岸らが利権目当てで日韓交渉で韓国に甘くピンハネしたとかいう。
 この時代、あらゆる政策と同様に、日韓双方でそれなりに利権とピンハネはあったかもしれないが、日本からの経済協力を活用して漢江の奇跡がなしとげられたことをみれば、利権目当てだったとか、採算性に影響を与えるようなものではなかったことが証明されている。

 また、このころ、日韓会談の沢田廉三首席代表が、「北朝鮮が半島を統一すれば日本はお先真っ暗になる。韓国の方が統一できるように武力では助けられないので日韓会談でできるだけ譲って韓国を援助する」と非公式に語っていると共産党が暴露し批判している。

 いずれにせよ、請求権問題については、岸政権が韓国に妥協しようとし、社会党などの野党や霞ヶ関が反対するという構図があったのは明らかだ。
 また、岸政権も朝日新聞も「本来は韓国にそれほど大きな金額を与える必要はないが」という点では同じ見解だったのである。

 これは、岸が安保改定を睨み、東南アジア諸国との賠償交渉をまとめ、蒋介石との関係を修復したのと同じ文脈である。

 そういう意味で言うと、韓国が請求権問題で安倍首相を攻撃するのは、まことに恩知らずの極みだし、朝日新聞はどの面下げてということではないか、といえば話が面白すぎか』
                             転載終わり。










 日本と韓国との問題を解決し両国の関係を未来志向へと変換させようとしていた勢力はどのような勢力で、日本と韓国との問題を蒸し返し捏造し問題を複雑化させてきた勢力はどのような勢力か? 
 「隣国と仲良くすべきだ」と主張しながら延々と問題を複雑化させ問題を作り出して隣国との仲を裂き続けてきたのはどのような勢力か?
 いわゆる従軍慰安婦問題を作り出し論点をズラしながら問題を長期化させたのは誰で、その問題を日韓合意で解決を図って日本と韓国との関係を未来志向へと向けさせようとしたのは誰か?
 その日韓合意を破ったのは誰か?
 日韓合意の破棄を支援して問題の蒸し返しを図っているのはどのような勢力か?
 真に日本と韓国との間を裂き続けているのはどのような勢力か?
 平和だとか友好だとか響きの良い言葉を使って人々を幻惑しながら日本と韓国との間を裂き続けているのはどのような勢力か?
 事実を無視してデマを拡散させて争いの元を生み出し憎悪を増幅させているのはどのような勢力か?
 韓国に親しみを持っている人達はよく考えてみるとよいです。

 相手の言い分を全て丸呑みする行為は友人の為になりません。
 自分の言い分を全て丸呑みしろと要求する相手とは友人にはなれません。

 いわゆる日本の左派勢力の嘘やデマや捏造によって日本と韓国の仲はズタズタに引き裂かれました。
 事実を無視し歴史を無視したいわゆる日本の左派勢力の主張によって日本と韓国の仲はズタズタに引き裂かれました。
 これを修復することは非常に困難な作業となるでしょう。
 そして日本と韓国との仲を修復する作業が出来る機運が起こっても、いわゆる日本の左派勢力は嘘とデマと捏造で日本と韓国との仲を修復する作業をぶち壊しにかかるでしょう。これは今までも何度も何度も繰り返し行われてきました。
 平和と友好を訴えながら、分断と不和を撒き散らす。
 このようないわゆる日本の左派勢力のような連中こそが、差別を生み出し人々を分断し事実を捻じ曲げ、そして戦争を生み出すのです。

 現状では日韓の仲を修復する作業は不可能です。
 残念なことでありますよ。




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memento mori

2020年07月01日 12時52分43秒 | その他の日記
 以下の文は、森田洋之氏の『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える』と題した記事の転載であります。



  人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?/コロナパニックについて考える
  森田洋之  2020/4/14



 「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」
 一人の医師としてこの言葉を聞いたとき僕はすべての思考がストップしてしまった。
 友人との会話中でなければ泣いてしまったかもしれない。 
 そうなのだ。
 不意に思いを言い当てられて自制が出来なくなるくらいには、僕はこの国の医療に対して思い悩んでいたのだ。
 僕は、僕がそんなに思いつめていたことに我ながらびっくりした。 
 おそらくその言葉は、僕がそれまでなんとなく感じていた「この国の国民と医療の世界に蔓延するモヤモヤ」をズバリと言い当てたのだろう。
 だからこそこんなにも僕の心をかき乱したのだ。 
    今回はそのモヤッとした空気感を自分なりになんとか言葉にしてみようと思う。
 自分の気持や空気感を描写すると言う作業に慣れていない僕にとって、これはかなり困難な作業になりそうだ。
 拙い表現になるとは思うが、しばしお付き合いいただけると幸いである。 
  
 皆さんがこのことをご存知なのかご存知ないのか、僕には分からない。
 しかし「人間の死亡率は100%」だ。
 僕の医者としての経験上それは多分間違いない。
 人間は必ず死ぬ。 
    新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも…原因は無数にある。
 人は死ぬのだ。 
 ちなみに、冬季の流行シーズン中は毎日100人くらい、年間で1万人くらいの日本人がインフルエンザ、もしくはそれに起因するざまざまな病態(インフルエンザ超過死亡という)で死んでいる。 
 交通事故で3千人〜5千人、インフルエンザで1万人、自殺で2〜3万人の日本人が毎年毎年死んでいるのである。
 ちなみにこれだけ大騒ぎしている新型コロナ肺炎は、この世に登場してから通算でまだ100人しか日本人を殺していない(2020年4月半ば現在)。
 もちろんまだ増える可能性はあるが、自殺のレベルにまで到達するかは疑問である。
 そういう意味では致死率が80〜90%にのぼるエボラ出血熱やコレラなどとは基本的に全く違う感染症と言っていい。
 当初から言われているとおりコロナ感染者の8割は軽症もしくは無症状。
 残りの2割は入院が必要なくらい重症、そのうちのわずかな人が死亡に至る。
 致死率はインフルエンザの10倍とも言われるが、死亡者の大半は高齢者や基礎疾患のある方である。 

 こんな言い方をすると必ずこう反論される。 
  
 「高齢者は死ねというのか!?」 
  
 それは間違いである。
 僕が言いたいのは 「高齢者は死ぬ」 だ。 
 いや、さっきから言っている通り正確には、「人は死ぬ」と言ったほうがいい。 
  
 こんな言い方をする僕は冷酷なのだろうか。
 人の死を数字で語る僕は非人間的な医師なのだろうか。 
 たしかにそうかも知れない。
 ただ、これだけは言っておきたい。
 僕はコロナで亡くなられた志村けんさんの人生を昔から知っていた分深く悲しんだ。
 しかし、それと同じくらいインフルエンザや肺炎やガンで亡くなられた多くの名もなき人たちの人生に寄り添い、悲しみを共有し、そして見送ってきた。 
 あなたはインフルエンザで亡くなられる人が毎日100人もいる事実をこれまで少しでも深く考えたことがあっただろうか? 
 あなたたちがいままで見てこなかった、あるいは知っていたとしても無視あるいは軽視してきたたくさんの死に僕は向き合ってきた。
 志村けんさんの人生の物語を知っている人はとても多い。
 だから日本中が悲しみに包まれ「コロナ憎し」という空気が出来上がった。
 でもね、これまでインフルエンザや肺炎や自殺で亡くなられた何万という人たちにだって、一人ひとり、それぞれに人生の物語はあったのですよ。
 僕に言わせれば、これまで高齢者医療にも終末期医療にも自殺問題にも殆ど見向きもしなかったあなた方、いまコロナで自分や家族の命が脅かされそうになって初めて大騒ぎしているあなた方のほうがよっぽど冷酷に映る。 
  
 そう、本当に残念なことだが、人はふとしたことで命を落とすものなのだ。
 これだけ医学が進歩しても、助けられない命は無数にあるのだ。 
  
 もちろん、助けられる命は全力で助ける。
 それが医療だし、それが医師だ。 
 しかしそれでも、リスクは決してゼロにはならない。
 なぜなら人は必ず死ぬのだから。
 いや、むしろ、リスクゼロを追求するべきではないと言ってもいい。 
 リスクをゼロにしようとする医療側の真摯な努力が逆に様々な弊害をもたらしてしまうことは、医療の歴史を鑑みれば容易に想像が出来るのだから。 



 「医療によるゼロリスク」の危険性 
  
      
 医療によるゼロリスクの追求は様々な弊害を社会にもたらしてきた。 
 その最大のものはやはり「高齢者」に対する医療だろう。 
 先程「高齢者は死ねというのか?」と言う意見に少しでも共感された方には是非この点を認識していただきたい。 
 批判を恐れずに率直に言う。 
 高齢者医療の現場である病院・施設は「ゼロリスク神話」による管理・支配によって高齢者の収容所になりつつある。
 誰しも高齢になれば自然に足腰も衰える、転倒を予防したければ「歩くな」が一番の予防策だ。
 今高齢者が入院する病院では、ベッドに柵が張られていることが多い。
 トイレに行きたいときは看護師を呼んで車椅子移動。
 行動を制限された高齢者の筋力・体力は急速に落ちていく、そして寝たきりになり、排泄はおむつになる。 
 また、誰しも高齢になれば飲み込みが悪くなる。
 食べては誤嚥し、肺炎を発症する。
 誤嚥性肺炎を予防したければ「食べるな」が一番の予防策だ。
 今高齢者が入院する病院・施設は、鼻から胃袋まで管を入れられる、もしくはおなかに直接穴を開けられて胃に栄養を送る経管栄養の高齢者で大賑わいだ。 
 こうして高齢者は入院・入所した途端に行動を制限され寝たきりになっていく。 
 多くの高齢者の願いは、「自宅で好きなものを食べて、自分らしく生活をしたい」という至極単純なものだ。
 それなのに、世間や医療のゼロリスク神話はいともたやすく高齢者の生活を奪ってしまう。
 リスクを恐れるあまり、多くの高齢者は今「かごの鳥」になっているのだ。(ちなみに僕は彼らを一人でも多く救いだすべく活動している) 
 この傾向は今回のコロナ騒ぎで確実に深刻化している。
 病院や高齢者施設はいま、完全に他者をシャットアウトしつつある。
 家族でさえ面会が困難な状況だ。 
 そしてその状況に至るまでの道程の片棒を担いだのは(もっと言えば先導したのは)我々医療従事者である。 
 「命を守る」「〇〇しないと死ぬ」という恐怖のメッセージは、我々の想像以上に効果的だったのだ。 
 今この恐怖のメッセージは、高齢者医療から新型コロナウイルス感染予防へ場を移し、猛威を発揮し始めている。 
 中国ではスマホの位置情報で個人の行動が管理されているという。
 韓国でもスマホの位置情報で感染者との接触情報が管理されているという。
 そして日本でもこの動きは少しずつ進展している。 

 (表示の都合上、自分のツイッターを貼っております。)
    感染防止にスマホ位置情報 政府検討、プライバシーは?
    :朝日新聞デジタル https://t.co/retIru5sx0 #新型コロナウイルス
        — 森田洋之@総合診療医・医療経済ジャーナリスト (@MNHR_Labo) April 14, 2020

 医療による死の恐怖は、まるで国民全体を徐々にカゴの中へ誘っているのかのようだ。 

 もちろん、今は緊急事態だから仕方ないのかもしない。
 ただ、一旦進んだ時計の針は戻せないのも現実。
 一度許してしまった権利の制限は、今後様々な形で進んでいくだろう。 

 もちろん、清らかな医療者は「医療による恐怖で世界を支配する」なんてかけらも思っていない。
 しかし、コロナパニックは「医療的な恐怖で世界を動かせる」ことをにわかに証明してしまったのだ。 
  
 これまで何百年もかけて人類が一つずつ獲得してきた様々な社会的な権利。
 それらを一時的にとはいえ一気にむしり取るという前代未聞の体験を、いま僕たちは「コロナ」を理由に経験している。
 医療は、これまで誰も持ち得なかった「国民の人権さえも制限できる巨大な力」を持ってしまったのだ。
 「命を守る」の殺し文句がこれほど効果を持つとは……。

 この力を利用しようとする勢力は確実に現れるだろう。
 それが国家なのか巨大資本なのかGAFAなのか、それともその全部なのか。
 それらが牙を剥いた時、果たして我々医療者はその巨大な力に抵抗できるのだろうか。
 いや、上手に牙を剥く彼らは、我々医療者が気づかないように…医療者を盾にして国民の目をそむけながら、手を進めるだろう。 
  
 もう一度言う。 
 「人は必ず死ぬ」 
 死はいつも身近にあるのだ。
 新型コロナ肺炎だけでなく、インフルエンザでも、普通の肺炎でも、ガンでも心筋梗塞でも交通事故でも…人は死ぬのだ。
 世界に目を向ければ、3大感染症(結核・マラリア・HIV)で一日7千人もの人が亡くなっているのだ。 

 自動車を製造を止めれば、交通事故で死ぬ年間100万人の命を救えたはずだ。
 でも僕らは歴史上決してその選択肢をとらなかった。 

 意識するかしないかに関わらず、我々はリスクと共存し、それを許容して生きてきたのだ。 
 それなのに今、コロナによる恐怖と医療従事者による「ゼロリスク」の先導は世界中の経済を止め、生活を破壊し、人々は自らカゴの中に入ろうとしている。
 そして巨大な権力は近い未来、医療が持つ壮大な力を巧みに利用するだろう(もしかしたら今がその時かもしれない)。
 得るものに比べて失うものが大きすぎはしないだろうか。
 バランスが圧倒的に悪過ぎはしないだろうか。 
 その時になって我々は、「あ〜、あのコロナパニックが始まりだったんだ」と気づくのかもしれない。 
  
      
 そんな未来を子供達に残してしまうのか…しかも自分たちがその片棒を担いでいるのか…。
 漠然とそんなことを思っていた時に聞いたのが、 
 「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」 
 と言う言葉だったのである。 
  
 僕が感じている漠然としたもやもや感を拙い言葉で表現すると以上の様になる。
 いや、自分の今の気持ちをきちんと文字で表現できたかどうか…自分の拙い表現力に悔しい気持ちでいっぱいだ。
 でもこれが今の僕の限界だろう。
 仕方ない。
 僕は今ここで筆を置く。 

 最後までお読みいただきありがとうございました。 
  
 追記:
 これまで、BCGワクチンがコロナに効いてる?とか、圧倒的に低い日本の死亡率などの「安心材料」的な記事を書いてきたのは、そんな「医療的な恐怖で世界が動いてしまう」ことへのささやかな抵抗だったようにも思います。(もちろん、きちんとデータの裏付けをとった確からしい情報書いているつもりです。反発心だけで書いているわけではありません)


 追記2:
 決してコロナウイルスの感染拡大予防対策を否定しているわけではありません。
 高齢者医療に日々接している僕は、2月から旅行もキャンセルしていますし、多分誰よりも日々の手洗いをしています。
 ただそれは医師としてのモラルから、リスクがゼロにはならない前提で、出来る範囲のことを自発的に行動しているものです。
 決して国から指示されたものではありません。
 社会全体として「圧倒的にバランスが悪い」という主張の趣旨をご理解いただけますと幸いです。
                                 転載終わり。


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