以下の文は、2020年5月13日の小宮山 宏・三菱総合研究所 理事長・元 東京大学 総長の『「コロナ禍からの脱出」のための知の構造化』と題した記事の転載であります。
「コロナ禍からの脱出」のための知の構造化
小宮山 宏 三菱総合研究所 理事長 元 東京大学 総長
2020-05-13
知の構造化と全体像
現象は常に複雑であり、そのすべてを理解するのは不可能だ。
現象の中から最小限の要素を選択し、目的とする全体像を表現するのがモデルである。
全体像モデルによって、人は現象の知りたい部分を理解するのである。
コロナに関してもおびただしい量の知識が手に入るが、「いつ、コロナ以前に戻れるのだろう」という素朴かつ最も重要な問いへの答えはない。
まるで、ジグソーパズルのピースの束をばらまいたようだ。
知の構造化とは、ピースの中から目的を表現するのに重要なものを選び出し、配置することである。
「コロナ禍からの脱出」のために知りたいのは、どれくらい怖いのか、隔離の有効性と失うもの、隔離以外の対策などだろう。
完全な隔離を行えばコロナは終息する。
しかし、社会の本質は人の交流である。
隔離は社会活動の停止を意味する。
経済もその一つだ。
長期隔離の下で、人がまともでいられるはずがない。
不機嫌、うつ、DV、生活習慣病や認知症の進行、閉店、不況、破綻、自殺、殺人など増えるだろう。
しかし、人の交流が感染リスクになるのは確かだから、専門家のみの議論は「コロナのためなら死んでもいい」ということになりかねない。
専門は重要だ。
専門知なしで全体像は描けない。
しかし、専門知は全体像の中でのみ生きるのだ。
ここでは、コロナ禍に関して、リアルタイムで世界の情報を分析し、全体像と、政策の基本の提案を行ってみたい。
また、「コロナ禍からの脱出」の全体像を描く過程で、重要な副産物として、世界から取り残される日本システムの状況が浮かびあがった。
日本は、「強い行政システムと馴致された国民」という構造から、「知の構造化と自律分散協調系」へと脱皮しなければならない、という結論に至ったことを述べたい。
教養とは「よりよく生きるための知の力」
イマジニア株式会社から、テンミニッツTVという教養コンテンツを配信している。
座長の私と、曽根泰教副座長を中心に議論した結果、教養は現下の課題にも役立つものでなければならない、コロナ問題の構造化に挑戦しようとなった。
これまでにウィルスの基礎、パンデミックの歴史、医療の現状、世界の状況、中国情報などを配信した。
これらは、この問題を理解する重要な部分全体像、つまり、「コロナ禍からの脱出」という全体像にとっては各論である。
全体像を描くにあたり、特に留意すべきは二点。
第一は、人類未知の問題だが、世界各国が総力を挙げて解決を目指しており、新しい知見が日々続々と生まれてきている。
どうやって集めて、評価するか
第二に、科学と科学技術が過去とは、けた違いだ。
ペストやスペイン風邪の時代とは比較にならないし、新型インフルの時にさえできなかったことが、今ならできる。
この10年ベンチャー企業の数と実力は格段に高まっている。
特に大企業と相乗効果を発揮するとすさまじい力が生まれる。
ワクチンや薬の開発スピードなど、過去の常識は通用しないかもしれず、過去の常識に囚われてはいけない
必要なことは、世界を俯瞰したリアルタイムの知の構造化だ。
そのために用いた主たる情報源は、これまで培った信頼できる人々のネットワーク、加えて下記引用文献[1,2]である。
私たちは、ディジタル時代の集合知的教養の形成へ挑戦していると言えるだろう。
世界の状況
【図表1~3】はWorldometer[1]に報じられたものから9か国を選んで図示したものである。
【図表1】は、新規感染者数の日変化で、この図のみ、各国で縦軸の値を変えてある。
この図からは、感染の勢いの消長が見て取れる。
多くの国で感染は収束に向かっている。
ドイツはイタリア、オランダに若干先行。
韓国は感染爆発を抑制、アイスランド、オーストラリアはゼロに漸近している。
シンガポールが感染増に見舞われている。
【図表2】は、【図表1】を百万人あたりの感染者数に換算したものである。
韓国の感染爆発は、ヨーロッパの国のそれと比較して、規模は小さなものであった。
台湾、オーストラリア、日本は新規感染率が小さい。
アイスランドの感染率は世界最高レベル、シンガポールの感染率が拡大している。
【図表3】は、百万人当たりの新規死亡者の数(死亡率と呼ぶことにする)を示す。
アイスランドは、感染率は高いが死亡率は小さい。
感染率の高いシンガポールを含め、非欧米国の死亡率は図では見えないほど小さい。
これらのデータのみでも多くのことが分かる。
韓国、台湾、オーストラリアは、新規感染、新規死亡ともに抑制に成功している。
アイスランドは感染率は高いが死亡率を抑えている。
シンガポールは、感染拡大にもかかわらず、断然少ない死亡率を誇る。
たとえ感染しても死なない、という抑制の仕方も可能なのだ。
日本は、後述するように感染検査PCRが他国と比べ10~100分の1と小さすぎて、感染率は信頼できないが、死亡率から考え、他の非欧米国と同様、抑制していると言ってよいのだろう。
【図表4】は、感染者、感染者当りの死亡者(致死率と呼ぶことにする)、病床数などを国別に並べたものである[3]。
死亡率の高い国は、致死率も高い傾向がある。
医療崩壊と関係が深そうだ。
世界を俯瞰して何が分かったか
コロナ禍とその対応の全体像を知り、日本を相対化することができる。
下記に例示しよう。
①欧米が特殊
ここに記した、シンガポール、アイスランドのほか、香港、ルクセンブルグ、UAE、カタールなど小国が健闘している。
小さいからよいわけではなく、サンマリノ、アンドラなどは悲惨である。
ガバナンスの良い小国ということだろう。
また、台湾、韓国、オーストラリアは小国ではないが、IT、ガバナンスで頑張っている。
しかし世界を俯瞰して最も顕著なのは、ヨーロッパと北米の特殊性だ。
死亡率が高い国はここに集中し、他地域との差は大きい。
札幌医大の提供するサイト[2]は最も秀逸なものの一つだ。
そこで、死者数(百万人当たり)の世界全体図を表示し、そこから北西南ヨーロッパと北米を消すと、グラフのスケールが変わる。
さらにイランとエクアドルを除くと、差は一けたを大きく超える。
日本の報道は、欧米に偏っている。
テレビと新聞だけだと、世界を見誤る。
②致死率は低い
もし十分な医療が供給されていたとしたら致死率はどのくらいなのだろうか。
これは、コロナ禍がどれくらい怖いものなのか、最も重要な指標だ。
まず参考にすべきは、20%が感染したダイヤモンドプリンセスのデータだろう。
その致死率1.8%は、WHOの2%に近い。
しかし、これは偶然の一致だ。
クルーズ船の乗客は高齢者に偏っている。
WHOは60、70、80代それぞれ、3.6,8,15%で、若い人を含めた平均で2.3%としている。
日本で知られたWHOの2%は、固有の状況(武漢)における値で、医療が適切なら、致死率は2%からさらに一桁小さいことをクルーズ船は示唆する。
コロナ固有の致死率を知るには、PCRを十分行い、十分な医療もある国を考えるべきだろう【図表4】。
ドイツは、感染率が英仏伊より若干低く0.2%、致死率は4.2%と3分の1だ。
しかし、悲惨な欧州の中で低いというだけだ。
他の国を見てみよう。
アイスランドは、PCRを国民の14.8%に実施、日本のちょうど百倍、世界一だ。
感染率は世界最高レベル0.53%で致死率0.56%。世界第二のPCR実施国はUAE、国民の12%に行い、感染率は0.14%、致死率0.89%。
シンガポールはPCR2.5%、感染率は欧州と同等0.33%だが、致死率は低く0.093%だ。
カタールは、PCR3.8%、感染率世界最高0.60%、致死率は0.070%である。
致死率は、医療、文化、BCGなど未知の要因、さまざまに影響されるだろう。
しかし、シンガポール、カタールの平均値の0.08%は一つの指標だろう。
慶應病院で行っている非コロナ来院者のPCRは、4月30日までの集計で、2.7%の陽性率、5月5日厚労省発表0.012%の230倍だ。
日本の致死率3.6%は、本当は0.02%の可能性があり、0.08%と同レベルになる。
結論として、PCRの大規模実施で測定される感染者の致死率は、WHOの2%、日本の3.6%などと比してはるかに小さく、0.08%以下と考えるのが妥当である。
さらに、3月ころから世界各地で抗体検査が行われて、無自覚無症状の感染者が多く、PCR測定値の、数十倍から数百倍に及ぶという可能性が高くなってきた。
ニューヨークでは21%と報告されている。
日本でも神戸中央市民病院が千人測定し、3.3%が抗体を持つと発表している。
これら個々のデータは、それぞれ、固有の状況に影響されており、大きな誤差も免れまい。
しかし、多くの知見を総合すれば、致死率は0.08%をさらに下回ると考えるべきだろう。
それならインフル程度だ。
このことは、「コロナ禍からの脱出」を考えるに際し、きわめて重要な希望ある知見だ。
③ウィルスの変異は大きな影響を与えていない
イタリアの悲惨な状況に対して、ウィルスが強毒に変異した可能性が示唆された。
事実変異はすでに、A、B、C三種など、さらにRNAの分析で分岐が報告されている。
しかし、強毒化の可能性は否定できる。
イタリアはフランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接する。
その北がドイツだ。
オーストリア、スロベニアの感染率はイタリアと大差ないが、致死率は3~4分の1、ドイツと同程度だ。
また、ルクセンブルグの感染率は高いが、致死率は、国境を接するベルギーの7分の1だ。
こうした状況に鑑みると、変異の影響はあったとしても大きくはない。
感染と死亡の爆発の主因は、医療崩壊、社会崩壊にあると考えるのが妥当だ。
④「コロナ禍からの脱出」3条件
こうして分析してくると、脱出の条件がおのずから明らかになってくる。
結論は、
1、新規感染者、新規死亡者の減少。
2、検査の充実による実態把握。
3、医療体制、ロジスティックスを中心とするガバナンスの確立。
現下の日本のデータは、新規感染者の減少、感染に2週間ほど遅れる新規死亡者の飽和を示している。
1はほぼクリアしているといってよいのではないか。
しかし、2,3に関して、公表データからは理解不能であることを以下に述べよう。
⑤日本はおかしい、特殊すぎる
1)なぜそれが日本だけなのか?
日本は、感染検査PCRが極度に少ない。
このことはすでに国民のコンセンサスになっている。
実際、人口当たりにしてOECD平均の9分の1しか測定していない。
PCRを増やすことの困難さについて説明はなされる。
しかし、私の唯一最大の疑問は、他国はできるのに「なぜ日本だけできないのか」だ。
感染者の多い国から並べると、日本は31位。
50位以内で日本よりも人口当たりのPCRが少ない国はメキシコ、パキスタン、インドネシア、バングラデシュ、エジプトだけだ。
OECDどころか、トルコ、サウディアラビア、ペルー、エクアドル、ベラルーシといった国よりもはるかに低いのだ。
他の国はできているのに「なぜ日本だけ」、これを明らかにする必要がある。
2)医療崩壊がなぜ懸念されるのか?
【図表4】にあるように、日本の急性期用病床数(ICUを除く)は他国に勝るとも劣らない。
しかも、感染率は他の国よりもけた違いに低い。
これだけ優位な資源の状況で、なぜ医療崩壊が懸念されるのか?
この2点に関しては「日本だけができない理由」を、明確にしなければいけない。
「コロナ禍からの脱出」3条件の2つであって、必須だ。
PCRはゲノム研究を行う通常技術であり、日本全体として、機器も人も技能も、世界の劣等国であるはずがない。
医療資源に関しても、感染者とベッド数の関係からも、足りないとはとうてい思えない。
3)国のガバナンスの劣後だろう
資源を有効に使うシステムが劣後しているに違いない。
国のガバナンスが悪いのだ。
どこに責任があるのか?政府か、厚労省か、医師会か、国民か、他の何かか、ここは明らかにしないといけない。
私は、日本のガバナンスの問題と考える。
「強すぎる行政と馴致された国民」という基本的構造が限界にきているように思える。
そして答えは、自律分散協調系への移行だと考える。
日本の未来にとって、これは最重要な問題である。
たとえ、ポストコロナになろうとも、決着をつける必要がある。
そうしないと、「全員が協力してやるべきときに、非難めいたことをいうべきではない」でコロナが終わり、終わった後は「みんな頑張ったんだし、もう済んだことなのだから、今更いいじゃないか」となる。
太平洋戦争もそうだった。
危機に際して日本が繰り返し犯した過ちだ。
⑥希望の兆しは見える
日本の課題が、強すぎる行政とそれに慣れてしまった国民にあるとすれば、コロナを奇貨として自律分散協調系へ向かいたい。
北海道、千葉市、川崎市、大阪府、新宿区など、自治体が、政府に先んじて、あるいは政府とは異なる方針を打ち出すところが出始めている。
それは地方自治体の自律の兆しと考えたい。
また、慶應病院、大阪市立大学附属病院、神戸中央市民病院、東京医師会はじめ、国に先んじてPCRや抗体の検査を行う例が散見され始めた。
これは希望だ。
日本は大国である。
アイスランドやシンガポールのようなわけにはいかない。
多様な背景を持つ地域が自らの意志で自ら動く、分散系の自律が不可欠なのだ。
アイスランドがやれたことを、富山市がやればよい。
人口は同規模だ。
それらを見ながら、政府は協調系としての機能を果たす。
国として自律分散協調系に移行しよう。
その点でドイツは参考になる。
悲惨な周辺国の中で火の粉を浴び、日本よりはるかに厳しいコロナ禍に見舞われながらも踏みとどまり、今でも日本より厳しい状況の中、すでに経済再開へと舵をきっている。
ドイツは、州の力が日本の都道府県と比してきわめて強い。
自律分散協調系を志向する国家である。
専門家と非専門家のあるべき関係
疑問は尽きない
1.接触を80%減らす
テレビでの説明の図を見ると、20%減らした場合、すとんと20%落ちて(そう見える)、そのあと感染爆発がまた始まる。
80%だと、すとんと80%落ちて、そのあとゼロへ漸近する。
どうやら、感染率一定で均質な、きわめて単純なモデルらしい。
モデルは、目的を表現できる限り単純な程よい。
しかし、接触確率は人の密度の2乗に比例する。
感染症の最も基本的なSEIRというモデルでもそうだ。
それなら、人出が55%減れば(0.45×0.45=0.20)、接触率は80%減るはずだ。
メディアが報じる人出の減少率は、接触率80%減をゆうに超えているように思える。
それで十分減らないと言うならモデルは欠陥品だ。
2.無駄な自粛が多すぎるのではないか
人出の減少から言っても、自分の周辺を見た直感としても、自粛はよくできているように思う。
それでも十分減らないとすれば、病院や介護施設(ヨーロッパでは破綻した)、営業を続ける一部のパチンコ屋(そこが本当に発生源なのか、トレースしてみたらどうだろう)などが局在化した発生源となっているのかもしれない。
そうであれば均質モデルはダメで、それに基づいた対策は間違いになる。
また、感染者の増え方に比べて減り方が遅いそうだ。
その理由は、PCR測定が徐々に増えてきているから、増え方が実態以上に加速され、減り方は減速されて見えるだけなのではないか。
こうしたことがあるとすれば、私たち善良な市民は無駄な自粛をさせられているのではないのか。
疑問は尽きない。
非専門家は専門家の前提を問うべきだ
専門家が全体像を持っているとは期待しない方が安全である。
その証左は枚挙にいとまがない。
最悪の例は、福島第一の事故だ。福島以前、五重の安全だから心配するなというのが専門家の言だったのだ。
コロナの専門家会議は、感染症や医療の専門家だけである。
あの危険この危険と思いつくから、隔離論に傾きがちだ。
「コロナのためなら死んでもよい」となりがちなのだ。
陥穽に落ちこまないためには、他の領域の専門家の批判を受けることだ。
たとえば、上のような疑問に答えることだ。
「国民に分かりやすく伝える」というが違う。
大事なことは、「他の領域の専門家(誰でもそうだ)が納得できる」ように説明することだ。
これは実は、自身の反省からの弁だ。
専門家による「原発五重の安全論」を私たちは、その前提を問わずに信じてしまっていたのだ。
高速道路の地震による崩落も、化学工場の事故も、専門家が計算間違いを犯したわけではない、設計の前提が誤っていたのだ。
専門家は、走り出すと前提を問い直すことを滅多にしない。
だから、詳細は専門家に委ねるが、モデルの前提は問う。
これが、失敗から学ぶべき、専門と非専門との関係なのである。
全体像と戦略的政策
場当たり的政策
たとえば、初期に国が行った一斉休校、これは誤りだと考える。
政策は、①感染を抑制する実態的意味、②危機意識の喚起、③副作用、がポイントだろう。
まず、感染の抑制という意味では休校の効果は二次的だ。
子供自身はあまりかからない。
居酒屋、バー、ナイトクラブ、カラオケ、密室ライブなどの閉鎖が優先順位として上だろう。
第二に、危機意識を喚起するためなら他に手段はいくらでもある。
第三に副作用が大きすぎる。
直接の負の経済効果が小さいからやりやすいが、社会的副作用ははなはだ大きい。
また、長期のマイナス効果は計り知れない。
休校なら台湾のやり方が参考になる。
台湾では1週間と決めて閉鎖した。
この間に、消毒薬の配布、教員の教育など準備をした。
開校後は、感染者がでるとそのクラスを学級閉鎖、二クラス閉鎖になると休校と決めた。
その結果、ほとんど休校はせずに済んでいるそうだ。
政策の良し悪しはここまで市民生活に影響するのである。
戦略的政策
コロナの政策で大事なことは、持久戦だ。
1、ロジスティックスの確保。マスクや消毒薬はもちろん、PCR、抗体など検査体制、医療体制、生活必需品の補給体制、ライフライン、その他重要物資のサプライチェーンを確保することが肝要だ。
2、個別政策を打つ場合の、効果、意識喚起、副作用の3条件の精査。
3、出口条件の明確化。新規感染(死亡)数、検査体制、医療体制の3条件。
全体像(もちろん現状での仮説)
公式発表に基づけば、日本の感染率は0.012%、致死率3.3%である。
しかし、PCRが他国と比して1~2桁小さい。
PCR測定数に対して陽性の比率が、OECD平均と比して特に高くないという事を根拠に実態を反映しているとの主張もあるが、OECDは医療はおろか介護など社会システムが崩壊した国が多い。
要は、シンガポール、アイスランド、UAEなどの値と比較できるかどうかである。
公表値のうち、百万人当たりの死亡者数は4人で、この値は信ずるに足るだろう。
ここで示した、あるいは報じられている情報を総合すれば、もし百倍測定すれば、感染者が10倍程に増え、感染率は0.1%、致死率は0.36%ということになる。
ありうる全体像だ。
慶應病院のPCR、神戸中央市民病院の抗体検査を見ると、感染者はすでに2~3%と考えるべきだろう。
たとえば、2%感染、医療の対象に入ったのは0.012%とすれば、99.5%の人は無自覚だ。
致死率は0.02%である。
致死率はインフル程度、ただし薬がまだない。
そうだとすれば、均一に接触確率を減らそうという基本策自体を修正すべきだ。
医療施設や介護施設、家庭での高齢者などの防護に資源を集中し、一般社会の速やかな活動再開に向かう。
そして、第二波、第三波に備え、ワクチン、薬の開発を急ぎ、さらにはウィルスの強毒化といった最悪事態をも視野に入れる持久戦だ。
さらに何よりも、コロナ禍を奇貨とすべく、「知の構造化と自律分散協調系」の新しい体制に日本を導く必要があるだろう。
強い現場の創発力は、日本の比較優位の最たるものだ。
コロナ禍でも、検査体制の不備、一斉休校といった場当たり的政策にもかかわらず、持ちこたえている根幹は現場力にある。
心の持ちようで自律分散協調系は可能なはずだ。
その他の主要な参考文献・ガイドライン[引用文献]
- Worldometer:https://www.worldometers.info/coronavirus/
- 札幌医科大学HP:https://web.sapmed.ac.jp/jp/news/press/jmjbbn000000p5j4.html
- 三菱総合研究所HP:https://www.mri.co.jp/knowledge/column/20200415.html
- プラチナ構想ネットワークHP:http://www.platinum-network.jp/
転載終わり。