我々はしなければならない仕事を、しなくても済まし得る口実を持っているのかもしれない。
失敗や過失を弁護し、その責任を転嫁し得る口実を用意する事が出来るかもしれない。
しかし、かかる口実によって努力を惜しみ、自責を避けるならば、我々は永遠に進歩も発展も望む事はできない。
「○○らしいサッカー」というのは成功体験から生まれやすいのです。
失敗体験からは反省と対策は生まれるけれども失敗体験からベーズとなるものは生まれにくいのです。
成功体験からは何故に成功したのかという分析がなされた上で、成功したのだから続けてみよう、となるわけです。
各国の代表チームの独特の特徴や各クラブチームの独特の特徴は各チームが自ら経験した成功体験を基にしている場合が多いのです。
さてさて、「日本らしいサッカー」とは何なのでしょう?
「日本サッカーの日本化」とは何を意味するのでしょう?
日本サッカー界は世界を相手にした場合、成功体験は極めて少ないのです。
細かいパス回しで攻撃的なサッカーを目指して成功した例ってありましたっけ?
1999年のFIFA U-20ワールドカップ・ナイジェリア大会でのU-20サッカー日本代表は、動きのオートマチック化を目指していたような気がしますよ。
ワールドカップでグループリーグを突破した時は、2回とも堅い守りをベースにして速い攻めを目指していたような気がします。
「日本サッカーの日本化」は試行錯誤の末の成功体験からしか生まれないと私は思うのですよ。
まずは成功体験を作る。それも親善試合ではなく最も重要なワールドカップ本大会での成功体験を作る。
そこから分析し解析して「日本サッカーの日本化」を進めないと堂々巡りをする可能性があると思うのですよ。
今の日本サッカー界は「日本サッカーの日本化」の為に成功体験を作る試行錯誤をしている状態だと思うのです。
「これが日本のサッカーだ!」と言えるものはまだ出現していない、と思うのですよ。
一番重要な大会であるワールドカップの本大会で我武者羅に勝ちにいって成功体験を積んでいく段階に過ぎないと思うのですよ。
あやふやな「日本サッカーの日本化」を目指すと日本代表は泥沼にはまる可能性がありますよ?