nokoの花図鑑

「みんなの花図鑑」に1か月あまり投稿していました。みなさまの投稿写真を見て刺激を受け、花の写真を撮りつづけます。

玉祖神社3 宮城森・放生池・摂社浜宮御祖神社・江良の厄神の森等

2020年01月15日 | カメラ散策

写真に従って記事を書きます。宮城森からです。

景行天皇が熊襲征伐の折にこの地に立ち寄られたことが伝わっており、

その折に、大きな木の下で休憩された場所が残っています。ここからは、玉祖神社の森も見えています。

25年位前に何があるのかと、友達と行ったことがあります。

先日細い農道を通って行ってみましたが、もう、中には入れない状態でした。

木も大きくなり、木の周りも3m位あるでしょう。

 

 

自然記念物 玉祖神社 樹林の案内板とその入り口です。入り口は神社の西側にあります。

ここから入ると本殿の横に出ます。木は見上げると高くなっています。

県下で唯一のキシュウナキリスゲの産地、だそうですが、ネットで写真は見ましたが良く分かりませんでした。

 

 

放生池は玉祖命がこの地で亡くなった為、社殿を造営して祀ったのがこの神社の始まりらしいですが

境内の西側に池の橋に使っていた飾りなどが、残っています。

人間の領域と神の領域との境界線で、渡ること自体に日常からの離脱する、という意味がある

神橋(しんきょう) などと呼ばれる半円形に極端に反った形の橋が作られ、単に川を渡るのではないことを

示しているのです。

 

奥に見えるのは宝物殿です 20年ぐらい前には地元の方がよくゲートボールをされていました

 

一宮摂社濱宮御祖神社は 
玉祖神社の神事が終わった後、各地から代表が集まり、暗い中を、宮司さんの後に続き

一宮摂社濱宮御祖神社まで歩いて行き、電気もない中、蝋燭の火で、宮司さんのお参りの後一人ずつ

参拝して行事を終えたことがあります。まさかこの様なことを書くことになるとも思ってもいませんで

したので、25年位前の事で記憶が定かではありません。

今回調べたことで、玉祖神社の元宮と考えられているとの事納得しました。

 

 

国弊社(コクヘイシャ)明治以降は祈年祭・新嘗祭(になめさい)には皇室から、例祭には国庫から

幣帛が奉られた。大社・中社・小社の別があり、主に国土経営に功績のあった神を祭る

昭和21年(1946)廃止されています

1の鳥居です 駐車所が奥にもありますので、歩いて参拝される方が少なくなりました

2の鳥居です

 

「江良の厄神の森」は少し離れていますが、旧社地と言われる。江良の桜は他に類を見ない位の大木で

地元の方がいつもキレイにされています。いつも、花見に行かさせていただいています


「紀元二千六百年記念 玉祖神社御神田」と書かれてる碑がある

玉祖樹林の北側(裏)・昨年ここに新しい駐車場ができた

西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年目に当たる

山口県神社誌ノ編纂などが行われている。


 
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