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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

新潟県立近代美術館「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」見に行ってきました。

2024-07-23 21:48:03 | Weblog




7/23(火)、長岡市にある新潟県立近代美術館へ、「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」を見に行ってきました。
はり絵で有名な山下清の作品を、その生涯を振り返りながら鑑賞できる展示になっていました。

まず、幼少期から好きだったという絵は、当時描いていた絵日記や、友達がいなかったから虫取りが好きだったということで描いていた虫の絵で、もうこの時点ですごく味があって見応えがあるから驚きです。
そして、幼少期に関東大震災を経験し、疎開先である新潟で病気になり吃音障害が残ってしまい、それでいじめられて学校が嫌いになるも、はり絵と出会ったことで才能を発揮していきます。

病気や障害、いじめを体験しながらも、子供時代から好きだった絵の才能を発揮していく、これってもう完全に、日本一有名なアール・ブリュットじゃないでしょうか。
しかも、当時はまだはり絵というものが美術的に評価されていなかったそうですが、そんなことは気にせず自分だけの表現を自由に切り拓いていったのも、絵は自由だ!という可能性や希望を感じます。

やがて戦争が始まると、徴兵から逃げるように全国を放浪しはじめ、やがて終戦を迎えても放浪が生き甲斐になり、その風景をはり絵にしていくことで、さらに画家としての才能を開花させていきます。
ドラマ「裸の大将放浪記」の影響で旅先で絵を描いていたイメージが強いけれど、実際は旅先で見た風景を目に焼き付けて家や学校に帰ってから描いていたそうで、それもすごい才能だと思いました。

当時は紙が不足していて、時には古切手も使って描いていたというはり絵は、どの作品も素朴な優しさと繊細かつ大胆な色使いが本当に美しく、見入ってしまいました。
やがて東洋のゴッホと呼ばれるまでの画家になりましたが、確かに油絵とはり絵の違いはあれどこの絶妙な色使いや、それに障害を抱えつつ自由に絵を描いたというアール・ブリュット的な良さも含めて、確かにゴッホと並ぶのも納得だと思いました。

その放浪も最初は徴兵から逃げるためだったわけで、さらに放浪中は自ら「ルンペン」と言う通り人から食べ物をもらいながらの貧しい旅だったそうです。
でも、それは果たして本当に「ルンペン」と馬鹿にできることだろうか…たとえ人から食べ物をもらうような貧しい放浪だとしても、もし周りと同じように戦争に行っていたらこの素晴らしい絵が現代まで残ることもなかったわけで、自分らしく描いたこれらのはり絵は、戦争よりずっと素晴らしい。

特に、会場と同じ長岡を舞台にした「長岡の花火」は、今も人々を感動させている長岡の花火に山下清も同じように感動したんだなあ…という歴史を感じて、感慨深かったです。
そして、そこに添えられた「みんなが爆弾なんかつくらないで きれいな花火ばかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」という言葉も、作品の美しはもちろん、その根底にあった戦争よりも芸術を愛した真っ直ぐな想いを感じ、山下清は生き方そのものがロックだなと思いました。

その後、放浪が好き過ぎて行方不明になり、発見されたところがテレビで放送されて有名になり、そのままプロの画家になってしまったという経緯も凄い。
プロの画家になってからは、日本はもちろん海外も旅行し、またはり絵以外にも油絵やペン画も描いたのですが、どんどん絵が上手くなっていくのが分かって感動しました。

本当に絵を愛し、絵に愛された生涯だったのだなあと思ったし、絵に添えられた日記も素朴な言葉が思ってしまうほど面白く、つくづく愛すべき画家だなあと思いました。
こんな風に自由に自分の好きな絵を真っ直ぐに描いて生きていける人間に自分もなりたいと、本気で思いました。
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