7/24(水)、新潟市美術館「遠藤彰子展 巨大画の迷宮にさまよう」を見に行ってきました。
なんと撮影OKだったので、作品とともに感想を書いていきます。
遠藤彰子さんは、美術大学を卒業したあと、まずはこの「楽園の住人たち」などの、緑豊かな自然の中に大小さまざまな不思議な動物たちや人間たちがひしめき合うような、「楽園シリーズ」と呼ばれる作品群を描きはじめます。
この「楽園シリーズ」、当時暮らしていた相模原にはまだ多くの野山が残っていて、そこから着想を得たそうで、身近な自然からこんなに不思議な世界のイメージを膨らませて描いていたことに、まさに僕の好きな世界だ!と感動しました。
その後は、この「たそがれの街」(一躍有名になった代表作で、新潟市美術館が所蔵しているのでこれだけは見たことがあった)などの、様々な建物が複雑に入り組み、重なり合うような「街シリーズ」と呼ばれる作品群を描きはじめます。
この街シリーズ、ちょっと空間が歪んだような不思議な風景に、まるで自分が都会に行った時にその騒然とした大都会に圧倒された気持ちを思い出しました。
よく見ると、路上や建物の中にいる色々な人達にそれぞれ物語が見えてくるのですが、まるで大都会で、この大勢の人達の一人一人に人生があって、建物の窓の中の部屋の一つ一つに生活があるんだなと、その世界の深さに飲み込まれそうになるような驚きを感じます。
どこか全体的に哀愁が漂っているのも、当時は結婚して初めての出産や子育てを経験したそうで、その不安が表れたものだったといいます。
そんな遠藤彰子さんの描く世界は、次第にこの「みつめる空」のように、建物がまるで空間ごと歪んだように複雑に絡み合い、そこにたくさんの人間や動植物がひしめき合う、混沌の世界と化していきます。
特に、建物を目で追っていくと空が上にも下にもあるような、世界の上下が分からなくなるような空間が歪んだような不思議な世界は、エッシャーのようだと思いました。
その後の作品は、この「私は来ている 此処に何度も」「黄昏の笛は鳴る」などのように、建物だけでなく自然の風景までもが不思議な遠近感でダイナミックに描かれ、その中で人間や動物たちがまるで何かの物語のように躍動する、神話的な壮大な世界になっていきます。
まるで空間ばかりではなく時間も歪んで、過去と未来が混ざり合い、神話の世界がこの現実の世界に襲い掛かってくるようでした。
その後、遠藤彰子さんの絵画はどんどん巨大化していき、最終的に美術館の部屋の壁一面を覆うほどのサイズになり、さらにその内容もこの「見しこと」「その時ゆくりなき雲」のように、大空や大海原、大自然と大都会がダイナミックに描かれ、無限に時空間が広がるような壮大なスケールになっていきます。
遠くから見るとその壮大なスケールに圧倒され、近付くと細かいところまで様々なものがひしめき合うような混沌の世界が凄まじい情報量で描き込まれていて、まさに「巨大画の迷宮にさまよう」というタイトルのように、この不思議な世界に迷い込んでしまいそうなほど惹きこまれました。
最後の部屋は、本当に床から天井まで、壁一面を埋め尽くすほどの巨大な絵画がたくさん並んでいたのですが、この「いくとせの春 春」「織られし白き糸 夏」「在り過ぐす 秋」「白馬の峡谷 冬」は、春夏秋冬を表現しています。
どこからこんなに壮大な時間と空間を縦横無尽に行き交うような神話のような物語を想像して、それをどうやって巨大なキャンバスにぎっしり描き込めるのか、本当にすごい芸術家だなあと思いました。