舞い上がる。

日々を笑い、日々を愛す。
ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

「青春なんてなかった」~トーク・朗読・音楽!生きづらさを抱えた人間賛歌vol.2~で朗読した文章を公開します。

2017-07-05 11:28:40 | 生きづらさを抱えた人間賛歌
7/1(土)にえんとつシアターで「青春なんてなかった」~トーク・朗読・音楽!生きづらさを抱えた人間賛歌vol.2~というイベントを行いました。
これについてはブログにたくさん書いてきているので、振り返って読んでみてください。





その中で僕は朗読をさせていただいたのですが、せっかくなのでその文章を公開します。
まあ、一応記録の一つとしてここに残しておきます。





本日は皆様お越しいただきましてありがとうございます。
今僕が読んでいる文章は、今朝書いたものです。
どうして今朝になってしまったのか、それは単純に、僕の準備が悪いからです。
先ほどお見せしたパワーポイントを作り出したのも今日です。
日付が変わってから作り出して、明け方に完成しました。
褒められたものではありません。いつも準備が悪いのです。

昨日、本番前日という大切な日に、突然の何のやる気のなさに襲われました。
先々週などは、1週間も何も手に付きませんでした。
先々月などは、一ヶ月も何も手に付かずに、仕事をやめてしまいました。
大事な時に何も手に付かなくなってしまう、そしてギリギリになって焦り始める。
昔からそういう性格なのです。

思えば昔から、計画的に物事を進めることは出来ませんでした。
どんなに勉強は出来ても、受験や将来のことを考えることは出来ませんでした。
一言で言うなら、計算が出来ないのです。

人間関係も、相手からどう思われるかを計算して振る舞うことが出来ませんでした。
嘘をつかないと言えば聞こえはいいかも知れませんが、要は空気が読めないだけです。
常に周囲から浮いていたし、正体のわからないやり場のない気持ち悪さだけがありました。

それが、僕が高校卒業まで過ごした新潟の18年間です。
だからはっきり言います。青春なんてなかった。

高校を卒業した僕は長野県の大学へ進学し、そこで面白い友人たちに恵まれました。
ブログに文章を書く楽しさに出会い、演劇の楽しさに出会いました。
思えば僕の青春はあそこから始まったのです。

それから数年後、再び新潟に帰って来た僕は、ここでもう一度青春を始められるのか。
そのために、僕は今日、朗読をします。



今から読む文章は、僕が新潟で初めて読んだ文章、に、さらに言葉を加えた文章です。
去年、松本でも読んだもの、に、少しだけ言葉を加えました。
新潟で読むのは初めてです。それではお聞きください。



二人の友人について朗読します。

東日本大震災が発生した時、僕はニートでした。
当時、僕は松本で一人暮らしをしながら演劇をしていました。
テレビでは毎日、被災地のニュース、義援金やボランティアの話題が報道されている中、しかし僕は、自分のアルバイトさえ探せず、自分の生活費さえどうすることも出来ず、そんな自分が情けなくなる毎日でした。
そんなある日、演劇仲間であるBLUESのおもケンという男が、家にやって来るとテレビを消して、言ったのです。

「ちひろさん、ニュースを見てちひろさんがつらくなるなら、ちひろさんはテレビなんて見なくていいんです」

当時、日本に溢れていた、自粛や絆、がんばろうといったどんな言葉よりも、あの時のおもケンの言葉は僕の胸に突き刺さりました。
あの時の彼の優しさを、僕は忘れません。

それから約半年後、おもケンから、一度、激しく怒られたことがあります。
BLUESのみんなでコントライブを行ったときのことです。

その日は、本番の前日という大切な日だったにもかかわらず、僕はすごい鬱に襲われてしまって、家から出ることはおろか、連絡することさえしなかったのです。
そんな僕の家に、またしてもおもケンがやってきました。
いきなりドアを開け、「ふざけるなよ!」おもケンはそう叫びました。
情けなさと申し訳なさでどうしたらいいのか分からなくなりながらも、僕はおもケンに連れられて劇場へ向かいました。
そんな僕のことをBLUESのみんなは受け入れてくれました。
翌日、本番は無事に成功しました。

しばらくして、おもケンにあの時のことを謝りました。
するとおもケンはこう言ったのです。

「ちひろさん、あの時僕は怒っていたけど、でもあの時のちひろさんは何故か上半身裸で、僕が入って行ったら何故か上半身裸のまま、何も言わずにコンタクトレンズを目に入れようとしていたんですよ。それを見てたら、何でこの人上半身裸でコンタクトレンズなんて入れてるんだろう、何なんだろうこの人、この状況面白いなあって、怒りながらちょっと笑いそうだったんですよね・・・」

何とも言えない気持ちになりました。

公演が終わって間もなくして、新潟の実家に帰ることにしました。
躁鬱がひどくなっていた僕にとって、演劇とアルバイトを両立させながら一人暮らしをすることは、最初から無謀だったのかも知れません。
それでも約2年半、松本で演劇をやってきたことは自分にとってとても大切な体験です。

みんなと一緒に演劇をやってきた松本を一人で離れていった自分は薄情な奴だなあと、今でも思う時があります。
実は次の公演の出演も決まっていて、チラシに名前も載ってしまっていたんです。
それなのに、無理を言って、一人で松本を離れてしまいました。
そんな自分を、BLUESのみんなは何も言わずに肯定してくれました。
あの時のみんなの優しさを、僕は忘れません。

さて、もう一人紹介したい友人は、大学の友人の與那覇という男です。
與那覇は大学一年生の時に、深夜に僕の部屋を突然訪れ、彼の好きな歌ばかりを録音したCDを勝手にかけて、寝ている僕の横で一時間くらい熱唱していった頭のおかしい男です。

僕が双極性障害を発症したのは、大学三年生から四年生にかけての時期でした。
不登校になった僕は、卒業間近になっても卒論も就活もまったくできずに、汚い部屋に引きこもってばかりいました。

そんな僕の部屋を、またしても與那覇が襲いました。
彼は連絡もなしにやってくると、唐突にPerfumeのチョコレイト・ディスコを歌いながら勝手に上がりこんできたのです。
その時気付きました。その日は2月14日だったのです。
そして、與那覇は何を言うかと思ったら、こう言ったのです。

「ちひろ、鉄道員見ようぜ!」

何故このタイミングで鉄道員なのか!何故バレンタインデーに男二人で鉄道員なのか!
僕がそんな突っ込みを入れる間もなく、與那覇はゲオの袋から鉄道員のDVDを取り出し、僕のパソコンで勝手に再生し始めたのです。
2時間後、その汚い部屋には鉄道員を見て涙を流す、僕と與那覇の姿がありました。
自分にとって、生涯忘れられないバレンタインデーの思い出になりました。

そんな僕らにも卒業の時がやってきました。
卒業式の会場を出ると、與那覇はおもむろにスーツを脱ぎ、プロレスラーのような肉体美を見せつけてきました。彼はやっぱり頭のおかしい男でした。
その時、「ああ、親の顔が見てみたい」と嘆く声が聞こえ、誰かと思ったら、與那覇のお母さんでした。
與那覇のお母さんは愛知県でオカマバーを経営している人でした。

それから2年後、東日本大震災が発生した時、松本の僕の部屋に與那覇が遊びに来ました。
なんでも、全国を渡り歩いては遊び回っているんだそうです。
こんな時期によくやるよな、と思った僕に、彼は言いました。

「震災でいつ誰が死んでもおかしくないって思ったから、俺は会いたいやつには会っとくんだ」

本当の意味で命の大切さを学んでいるのは與那覇なんじゃないだろうか。
ニートだった僕は、そんなことを思いました。

僕は新潟の実家へと帰ってからも、しばらくニートとフリーターを行ったりきたりするような生活をしていました。
住む場所が変わっても、まるで何も成長していないような生活です。

そんなある日、與那覇のお母さんが亡くなったことを彼のFacebookで知りました。
一昨年のことでした。
與那覇のお母さんは、うちの母とも仲がよく、いつか愛知県に旅行した時は與那覇のお母さんのオカマバーに遊びに行きたいと言っていました。
いつか行ってみたかった與那覇ママのオカマバーに二度と行けない気付いた時、僕は與那覇のあの言葉を思い出していました。

「震災でいつ誰が死んでもおかしくないって思ったから、俺は会いたいやつには会っとくんだ」

僕は思いました。
あの時、ほんの少しの行動力と交通費さえあれば、僕はヨナハママのオカマバーにだって行けたのではないだろうか。
もっと僕が真面目に働いて、交通費を貯めていれば、愛知県まで、なんなら家族旅行でもして、與那覇のお母さんに会いに行けていたのではないだろうか。
働くことがどうしても苦手な自分ですが、それで誰かに会いに行くことが出来るのなら、少しだけ頑張れる気がしました。

そんな與那覇くん、今では何故か数年前に髪型をちょんまげにして、ちょんまげにしたまま就活をして、町おこしをして人気者になったり、かと思ったらその会社と意見が合わずに退職したり、今度は偶然会った会社の社長に何故か気に入られて就職したり、その会社が経営難で無職になったり、それでもまた仕事が見つかったりと、なかなか波乱に満ちた人生を、一人の武士として頑張っているようです。
そうか、そんな冗談みたいな人生送ってる奴でも頑張って生きているんだな。
何だか自分も頑張れる気がしました。

與那覇という大切な友人を、僕は忘れません。
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