舞い上がる。

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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

フランスの青春映画『はじまりのボーイミーツガール』を観て来ました。

2018-02-24 23:37:20 | Weblog
5/22(木)に、イオンシネマ新潟西で『嘘八百』を観て来たという記事を書きましたが…
武正晴監督最新作、中井貴一&佐々木蔵之介ダブル主演『嘘八百』を観て来ました。





その後続けて、『はじまりのボーイミーツガール』も観て来たので、感想を書いていこうと思います。



ひとまず予告編はこんな感じです。





フランスでベストセラーとなった青春小説を原作にした映画だそうで、この映画もフランスで作られています。
12歳の男の子・ヴィクトールと、女の子・マリーがダブル主演で、二人の出会いとふれあいを描いた、タイトルにもある通りボーイミーツガールな青春映画です。

マリーは、裕福な家の生まれで、勉強も得意る優等生で、チェリストを夢見て練習をしているのですが、視力が弱くて失明の恐れがあるという悩みを抱えています。
そんな彼女に恋をするヴィクトールは、父子家庭で育ち、勉強が苦手でクラスで落ちこぼれているのですが、友達とテクノミュージックを作るという趣味があったりします。

まず、この二人のキャラクターがすごく対照的であり、だからこそ、そんな二人が出会う物語が非常に魅力的になっている映画だなあと思いました。
例えば、二人が仲良くなるより前、勉強が苦手なヴィクトールは授業中に先生からもクラスメイトからもバカにされてしまってすごい劣等感を抱えているのですが、だからこそ、自分とは対照的な優等生のマリーに憧れを抱く、という下りが、非常に自然に描かれています。

また、二人が仲良くなるきっかけは、ヴィクトールがお父さんの職場のガレージの片隅で友達とテクノミュージックを流して遊んでいると、その近くを通りかかったマリーがガレージの横でチェロを演奏し始めるという展開なのですが、これは、まったく異なる二人が何故か出会ってしまうという物語を、ジャンルも楽器もまったく異なる音楽が即興で共演してしてしまうというエピソードで表現するという、すごく良く出来たシーンだったと思います。
で、落ちこぼれのヴィクトールは、優等生のマリーがまさか自分と仲良くしようとしてくるなんて想像もしなかったのでびっくりするのですが、積極的なマリーに付き合っているうちに徐々に奥手なヴィクトールは徐々にマリーのことを好きになっていくという、非常に微笑ましい恋愛が始まっていきます。

ヴィクトールがマリーの家を初めて訪る時も、ヴィクトールにとっては、初めて入る女の子の家であり、さらに自分の家庭環境とはまったく対照的な家で、驚きを隠せないというあたりも、よく出来ていたと思います。
そして、マリーは勉強が苦手なヴィクトールのために勉強を教えてあげるのですが、最初はまったく勉強が嫌いだったヴィクトールがマリーのおかげで少しずつ自分の劣等感がなくなっていくというあたりも、非常に微笑ましい展開でした。

しかし、映画の中盤でマリーがヴィクトールにずっと隠していた目の病気のことがバレてしまい、さらに、マリーは音楽学校に行くという夢のためには、目の病気が悪化していることを家族にも隠し続ける必要があるという本音を打ち明ける展開があります。
そこは、マリーの心の痛みが伝わってくるようなシーンであり、また、ヴィクトールにとっては、マリーが自分と仲良くしていたのは、マリーの目の代わりとなるために自分を利用するためだったのではないかと思いショックを受けるという、ここまで微笑ましかった二人がすれ違ってしまうという、切ないシーンになっていました。

とは言え、一度はすれ違ってしまった二人も、お互いを知っていくにつれて徐々に惹かれあっていくのですが、ここは何て言うか、対照的な二人でありながらも、それぞれが抱えている悩みを知ることによって理解を深め合っていく様子が感動的でした。
視力の低下していく病気を家族に隠していたはずのマリーは、途中から徐々に家族にバレてしまい、音楽の夢を諦めて入院させられそうになり、対してヴィクトールは、不器用な父親と上手く分かり合えずに悩んでいるという、立場は違うけれども同じく家族に関する悩みを抱えているという点で共通しているわけです。

こうして、一度はすれ違ったものの再び分かり合ったヴィクトールとマリーですが、そこで彼らが取った行動とは、なんと、マリーの視力低下を音楽学校の入学テストの日まで何とかごまかし続けてしまおう!という驚きの作戦だったのです!
ヴィクトールはマリーのために本気を出し、問題が読めないマリーのために本気でテストを二人分解いたり、自転車の乗り方講座の時にはまさかの学校に爆弾魔のフリをして学校に電話をかけてしまうというデマを流して学校を混乱させてごまかしたり、しまいにはマリーを連れて家出をしてしまうという、驚きの奮闘っぷりを見せます。

いや、冷静に考えたら、絶対やらない方がいいことばかりだし、ぶっちゃけマリーは正直に目のことを打ち明けて入院した方がいいんじゃないだろうか…という気持ちにもなってしまうんですが、12歳の少年少女が本気で悩んでこの作戦を考えて実行しているんだなあ…と思うと、心にぐっときてしまうものがあります。
とは言え、小学生が考えた作戦が成功するわけもなく、あっさり二人の家族と学校に見つかってしまうのですが、それでも諦めない二人は、やがて大人たちの心を動かしていくのであった…

そして、オチまでは書かないでおきますが、ある感動的な結末を二人は迎えます。
しかしそれは同時に切ない結末でもあるのですが、それでも、彼らが幼いなりに頑張ったからこそ迎えられた結末だと思うと、やはり感動せずにはいられないのです。



全体的にこの映画がいいなあと思ったところは、病気や生い立ち、世間の目など、自分一人の力ではどうすることも出来ないような世の中の理不尽を、あくまで子供の視点から描くということに徹していることです。
大人から見れば「諦めるしかないよ」としか思えないような障害でも、子供ながらの純粋さでその一つ一つにちゃんとぶつかり傷付き悩む姿をしっかり描いていることは、この映画が子供の目線、子供の気持ちを非常に大切にして作られているからだと思いました。

そして、そんな理不尽にしか思えない障害でも、子供たちは「何とかすれば乗り越えられるんじゃないか」「一人なら無理でも二人なら出来るんじゃないか」と運命に必死に抗う姿も、見ていてちょっと切なくもなるんですが、それでもやっぱり、そういう子供の純粋さが感動的なわけです。
だからこそ、最終的には彼らを見守るだけの立場だったはずの大人たちの心も動かしてしまうという、子供の目線を大切にしながらも、子供だけではなく大人たちに対しても愛を持って描いている映画だなあと思いました。



と言う訳で、この映画「はじまりのボーイミーツガール」、対照的な少年少女の出会いと恋に微笑ましい気持ちになり、最終的には幼いなりに必死に生きる二人に感動させられてしまうという、非常に感動的な映画でした!
映画を観終ったあとは、この物語が終わったあとのマリーとヴィクトリアがどうか幸せになって欲しい…と思わずにはいられませんでした。
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