5/11(土)、12(日)に行ってきた古町どんどんで、多くの人はせいぜい7番町か8番町までしか行かないであろう中、9番町まで足を進めてみたところ、フリーマーケットで会田誠さんが2015年に長岡の新潟県立近代美術館で開催した「会田誠 展 ま、Still Aliveってこーゆーこと」の画集という思わぬ掘り出し物を発見しました!
僕はもともと会田誠さんが好きなんですが、特にこの美術展は本当に大好きで、当時は何度も足を運んだ(うち1回は間違って休館日に行ってしまい長岡で牛丼を食べた以外何もせずに帰ってきた)ほどでした。
僕が最初に会田誠さんを知ったのは大学生の時で、当時は全然美術とかに興味はなかったんですが、それでも会田誠さんの絵はすごくセンセーショナルで「これはカッコいい!と思ったんです。
しかも、調べたら自分の高校の先輩であることが判明し、こんなすごい人が身近にいたとは!と感動して、絶対にいつかこの人に会おうと思いました。
新潟に帰ってきてから2012年の万代島美術館の「ジパング展」のトークを見に行って初めてお会いすることが出来ました。
その出会いやその時の美術展がきっかけで僕は色々な現代美術に出会って、今まで以上に美術を好きになれたりしました。
翌年、2014年に会田誠さんと大友良英さんが安吾賞を受賞した時は、大友良英さんの市民オーケストラに参加して会田誠さんのライブペインティングを目の前で見ることができました。
さらに、その年はりゅーとぴあで会田誠さんが「ミニミニ個展」というものをやっていて、そこで自分が高校の後輩であることを伝えると、会田さんが「僕は高校が嫌いすぎて何も覚えていないんですよ」と言って、それがまるで自分の高校時代と同じようですごく嬉しかったです。
そんな僕が、初めて会田誠さんの本格的な美術展をガッツリ堪能したのが、先程の画集に載っている、2015年の新潟県立近代美術館、「会田誠展 ま、Still Aliveってこーゆーこと」でした。
この時、会田誠さんの芸術作品が、決して一面的なテーマだけでなく見方によって多様な受け取り方ができるすごく豊かなものであること、そして会田誠さんはあらゆる受け取り方ができるように先の先まで読んであらゆる受け取られ方をする可能性を考えながら作品を作っていることに、僕は初めて気付いたのです。
そして、会田誠さんはそうやって芸術の長い歴史を踏まえてこの時代にどういう作品を作るべきなのかを考え、現代美術というものが表現できる可能性に挑戦し続けていること、それが芸術家、現代美術家として生きることだ、ということに、この時の展示で初めて思い至りました。
さらに会田誠さんは、芸術の勉強をしたわけじゃない自分みたいな人間には付いていけないような最先端の芸術を、親しみやすく伝えてくれているような感じがしていて、それはあの会田誠さんの脱力したコミカルなキャラクターによる部分も大きいのかななんて思っています。
会田誠さんは過激な作風なんて言われたりもするけど、僕は気持ちが不安定な時に会田誠さんの作品や文章に触れると何故か少しだけ気持ちが整う感じがするんですよね。
元気出すぞー!とか世界を変えるぞー!ってグイグイ来る感じじゃないけど、ま、こんな人生だけど地道にやっていきましょう…って感じで少しだけ前を向けるような気持ちになります。
そんなことを考えながら、会田誠さんの画集を読んでいたのですが、ふとTwitterを見ると、まさに会田誠さんの記事が流れてきました。
「会田誠一家の息子 寅次郎(17)を高校生エンジニア・アーティストに育てた、“無理をしない子育て術”|草野絵美とスーパーティーンの「わかってくれない親の口説き方講座」#003」
個人的に、僕は会田誠さんのエッセイ「カリコリせんとや生まれけむ」が好きで、中でも「子育て失敗中」という章が大好きなんですよね。
小学生の寅次郎くんの子育てに挫折する日々を自虐的な笑いに変えながらも、何でも子供に押し付ける学校教育はおかしくないかと書いたりもしているという、あらゆる子育てを書いた文章の中で一番好きなんですけど、それを読んでからこの記事を読むと感慨深いな…と思います。
会田誠 ドキュメンタリー映画「駄作の中にだけ俺がいる」
これも好きな映画なんですけど、このドキュメンタリー映画の中ではまだ幼かった寅次郎くんが登場していて、そう言えばコンピューターで絵を描いて遊んでいたんですよね。
そんな寅次郎くんが今や17歳になり、コンピューターで自分の作品を作っていたとは驚きです。