6/30(火)で、新潟の人達に長年愛されたホンマ健康ランドが営業を終了ということで、終了前日に最後のホンマ健康ランドを楽しんできました。
「ありがとう、さようなら、ホンマ健康ランド。」
また、6/30(火)は、これも新潟の人達に長年愛されたラジオ局であるFM PORTが閉局ということで、最後の放送が行われていました。
僕はこの日、最後の朝の番組「モーニングゲート」も聞いて、色々あって最後の放送終了直前までの最後の4時間の生放送の特別番組も聞いて、どちらも無事に録音できました。
放送終了までの最後の1分間はラジオごと動画に撮影したりもしました。
最初は、長年頑張ってきたラジオ局の最後を、ちゃんと見届けようならぬ聞き届けよう、という気持ちから聞いていたんです。
また、Twitterでも最後のラジオ放送を楽しみながらの実況するツイート、閉局を惜しむツイート、それぞれのFM PORTへの思い出を語るツイートなどで、「FMPORT」や「#ありがとうFMPORT」などが新潟県のトレンドばかりか、全国のトレンド入りするほどの盛り上がりを見せました。
いやあ、FM PORT愛されてますね…本当にお疲れ様でした!今までありがとうございました!
…という気持ちは、僕の中にも普通にあるんです!あるんですよ!
その気持ちにまったく偽りはないのですが…それと同時に、僕の中にまったく違う感情も生じていたことにも気付いたのです。
それは、みんなの、というか新潟県民達のFMPORTに対する気持ちに、いまいち自分が乗れないんだよな…という、ある種の疎外感のようなものでした。
例えば、番組の途中途中でFM PORTにこれまで出演してきたラジオパーソナリティの人達が次々とコメントしていったのですが、その中で、過去に「J's COUNTDOWN」という番組で「かなちゃん先生」の愛称で親しまれたパーソナリティの高橋佳奈子さんからのコメントが流れた時、TwitterのTLが「かなちゃん先生!」「かなちゃん先生!」という言葉で一気に埋まっていったのです。
高橋佳奈子さんは今ではラジオパーソナリティを引退されているということなので、それを懐かしむ当時のファンの方がいるのは理解できるんですよ。
ただ、僕は「ちょっと待って、こんなに人気なのこの人!?」と衝撃を受けてしまうわけです。
いや、僕だって知らない芸能人、この年になって新しく知る人だって大勢いるし、新しく知る文化だってたくさんあるし、それはごく普通のことなんですけど、新潟に生まれ育って30数年間暮らして(途中で数年間は長野に住んではいたとは言え)、今までまったく存在すら知らなかった文化が、僕の知らないところで、それどころか僕のよくよく知っている人達(フォロワーさん達)の間でも、当たり前のように絶大な知名度と人気があった、という事実に凄まじいカルチャーショックを受けたのです。
例えるなら、何十年も自宅と駅の往復で何気なく通っていた道を、ある日30代になって初めて横道にそれてみたらそこにディズニーランドがあった!しかもみんなは子供の頃から当たり前のようにそこに遊びに行っていた!知らないのは自分だけだった!みたいな感じなんですよ。
そんなの、カルチャーショックを通り越してホラーでしょ!そういう感じだったんですよ!伝わりますかね…
だから正直、僕は高橋佳奈子さんという方をまったく存じ上げなかったので、この記事も彼女のWikipediaを見ながら書いたわけですが。(てか、Wikipediaあるのすごいな)…
いや、正直に言うと、「そういう人がいた」という事実だけは、一応知っていたのです。
それは一年前…僕がある友人とドライブしている時、ふと、僕らの共通のある人物に関する話になったのですが、そこで友人は言ったのです。「知ってる?あの人、かなちゃん先生と結婚したんだよ」
当然「誰それ?」と聞き返す僕に、友人は、かつてFM PORTで「かなちゃん先生」の愛称で親しまれていたラジオパーソナリティがいたこと、彼女のラジオのリスナーは「J'sっこ」と呼ばれていたこと、彼女はそれこそアイドル的な人気がありヘビーリスナーが数多くいたこと、彼女の番組が終わる時はそれはそれは多くのヘビーリスナー達が悲しんだこと、そしてその数年後、知り合いが「かなちゃん先生」と結婚したと知った時は信じられないほど驚いたこと、などを教えてくれました。
その時僕は「ふうん」と聞き流したのですが、なんというか、その時代の流行や熱狂みたいなものって、リアルタイムで体験していないとイメージしづらかったりするじゃないですか。
だからこそ、僕はこの日、FM PORT放送最終日に高橋佳奈子さんのコメントが流れた時のTLを見て、「こ、これがかなちゃん先生の人気だったのか…まさかこれほどとは…」とかなりのカルチャーショックを受けてしまったと…(この話長いな)
いや、高橋佳奈子さんに限らず、今では僕も大好きな「MORNING GATE」の遠藤麻理さんだって、2年前まで僕は存在すら知りませんでしたからね。
新潟の朝の番組を長年安定して続け、新潟の朝の顔、新潟県民にはお馴染みなんて言われる遠藤麻理さんですが、2年前までの僕にとって、エンマリ?誰それ?モーデー?何それ?だったわけです。
島村仁さんだって、一年前に何故か中学時代の初恋の相手から突然「JiN ROCK FESTIVAL」に誘われて加茂山公園に行って、初めて存在を知りました。(この話は広がるようで実はまったく広がらないし、そもそも余談なのでこのへんでやめます)
要するに、FM PORTのラジオパーソナリティ、しかも新潟県内でめちゃくちゃ人気のラジオパーソナリティでさえ、僕は全然知らない、知っていたとしてもものすごく浅いんです。
そもそも、僕は新潟出身の34歳だけど、7~8年前まで新潟のラジオなんて「FM新潟っていうラジオがあるらしい」という、名前を一応聞いたことはある、という程度の認識の人間でしたからね。
だからと言って、FM新潟の番組やパーソナリティの情報なんて一つも知らなかったし、PORTやKENTOやBSNに至っては存在も知らなかったんです。
地元のラジオを当たり前のように習慣として聞いているリスナーの方にとっては、そんな人いるの?感じかもしれませんが、いるんですよ!
逆に僕からすると何でみんなそんなに地元のラジオ聞いてるの?って感じなんですけど、どうやら出退勤や仕事の運転中(特に営業マン)なんかに聞く方が多いみたいで、そう考えると僕は仕事もしていないから、またそこで自分と世間のギャップを感じるわけです。
そういう意味では、色んな人達が「FM PORTに出演させていただいた思い出は忘れません」とか言っていて、ああ、FM PORTは地元の人を出してくれるいいラジオ局だったんだなと思うと同時に思うわけです、俺にはそんな思い出はねえ!
いや、一応一度だけありますけど、それは確か2013年に当時出演していた演劇の宣伝をさせていただいたんですけど、FM PORTの存在も知らずにラジオに出ていたとか今思うとヤバイですよね。(そして僕は過去の人間関係を捨てていくところがあるので、今ではその演劇関係者と何の繋がりもありません)
要は、僕に(というか、我が家になのかな)、新潟のローカル番組やご当地タレントを好きになる、応援する、みたいな文化が一切なかったんですよ。
そして僕には、いわゆる郷土愛というものがまったくない!アイシテナイヨニイガタ!
地元のスポーツチームとか応援する奴の気持ちとかも微塵も分からねえ!地元や母校のスポーツチームが勝ったからって何なんだ!
何年に文理高校が甲子園が出たとか知らねえよ!高校生にいい大人が盛り上がってんじゃねえ!お前に1mmも関係ねえだろ!…ってくらい、この件に関してはひねくれている人間だったりします。
あと、放課後は古町とか万代に遊びに行ったとか、万代のマックとミスドに行ったとか、そんな青春の思い出が一つも新潟にない!ってのもあるんですよね。
亀ジャスとか青ジャスとか何だその略称!イオン新潟南店、イオン青山店と呼べ!という感じで、新潟のローカル文化、特に若者の文化に関しては、思春期からめちゃくちゃひねくれているし、それがそのまま大人になってしまって、愛憎の憎の気持ちがとにかく強かったんです。
とにかく僕は、古町や万代などの今でいう中央区に遊びに行くという習慣はそもそもなく、新潟のローカル文化もまったく知らず、地元のお祭りとかイベントとかもまったく知らず、かと言ってメジャーな何かに詳しいわけでもなく、よくある東京に憧れる若者でもなく、これと言った趣味もなく、友達も少なく、携帯も持たずほしいとも思わず、なんとなく西区の住宅街でたまにTSUTAYAと坂井輪図書館に行くくらいで、それ以外の世界をほとんど知らずに、そのことに何の疑問も持たずにフラフラ育ってしまったような子供だったのです。
何にもハマらず、誰のファンでもなく、ライブハウスや劇場は縁がないどころか存在すら知らず、それが普通だから別にそれを不自由だとも思わない、みたいな10代で、今当時を振り返るととひたすら「無」でしたね。
僕の場合は、高校進学とともに信州大学に進学して地元を離れて色々経験して、そのあと新潟に帰ってきて地元を見る目が変わったりした、という体験があったけど、もしあのまま地元で進学していたら、あの時の自分のまま大人になっていた可能性も普通にあったと思うんです。
そういう人は実は結構多いんじゃないかなと思うんです、目立たないだけで。
だから、ちょっと話はそれるけど今の新型コロナウイルスから、文化を守れ!映画館や劇場やライブハウスを守れ!といくら関係者が主張したところで、こういう話がまったくぴんとこない人も結構多いと思うし、そういう人の気持ちが僕はちょっと分かるんです。
新型コロナウイルスで次々と中止や延期になる新潟のイベントやお祭りも、一昨年なくなったレインボータワーも、経営難から今年なくなった新潟三越も、ホンマ健康ランドも、FM PORTも、「何それ?そんなものあったの?」って思ってしまう人達、というか、そもそも知らないからそんなこと考えもしない人達は、目立たないだけで絶対大勢いると思うし、僕はそういう人達に実はかなり近い人間だと思うのです。
しかし、そんな自分が今では月刊ウインドに「新潟愛、かましたいの」なんてタイトルのコラムを書かせていただいているから本当に驚きです。
このタイトルが完全にNegiccoさんの「愛、かましたいの」のパロディ(というかパクリ)であるからも分かる通り、Negiccoさんとの出会いは、僕が生まれ育った新潟を好きになるとても大きなポイントでした。
Negiccoさんに出会ったことで、今まで知らなかった新潟の様々なイベントやライブハウスにも足を運ぶようになり、そこでまた新たな好きな人やものに出会い、そのことで少しずつ世界が広がるという、新潟の文化との出会いによって、新潟が少しずつ好きになっていきました。
それは、僕が松本から新潟に帰ってきた2011年から始まっているのですが、「あ、新潟が好きだな」って思えるようになったのは、ほんのここ2~3年くらいの出来事なのかなと思います。
例えば、この日のFM PORTの最後の生放送に出演していた遠藤麻理さんだって、2年前にたまたまシネ・ウインドで(シネ・ウインドも、僕が新潟を好きになれたすごく大きな存在です)麻理さん初の書籍「自望自棄」が販売していたのを興味を持って買ってみたら物凄く面白くてハマってしまって、MORNING GATEを聞くようになり、そして、麻理さんがRYUTistのともちぃこと宇野友恵さんと(RYUTistさんも好きです)二人で北書店で(北書店も好きです)行ったトークイベントがめちゃくちゃ面白くて、本っていいよなってあらためて思って、それで生まれて初めて「本を書きたい」という夢を持って、それが今の自分に完全に繋がっています。
ちなみに、この夢にはさらに続きがあって、それは「本を書いて出版して、その本を遠藤麻理さんのラジオに出演させてもらって紹介させてもらうこと」だったりするのですが、その夢がFM PORTの閉局で叶わないのは切ないですが…まあ、それでも頑張ろうと思えるきっかけをくれたのがFM PORTと遠藤麻理さんであることに変わりはないわけです。
なので、やっぱり何だかんだ言っても、僕もまたFM PORTがあったから今の自分があるという新潟県民の一人だと思うし、そういう自分もまた、これから先の新潟の風景の一部となっていくんだと思うんです。
ちなみに、今書いている月刊ウインドの連載コラム「新潟愛、かましたいの」は、そんな僕が出会って新潟を好きになれたような、新潟カルチャー達への感謝を込めて毎月紹介していくというものだったりするわけで、小規模ながらもこうして新潟の文化に関わる活動がやっと自分でもできるようになったことも、多分僕の長い人生を考えたらまだまだやっと一歩を踏み出せたところだと思うので、自分が過去に感じた新潟に対するネガティブな気持ちよりも、未来の新潟を好きになれることがきっと大事なんだろうなと思うんですよ。
そんなことを、6/30(火)から日付が変わって7/1(水)になり、FM PORTの放送が終了した深夜に一人で考えていたら、気付いたら朝になってしまっていました。
生まれ育った新潟を好きになれずにひねくれていた時期が長かった人間だからこそ、新潟で色々なものが終わっていく度に切なさを感じても、どこか乗り切れずに自分だけ蚊帳の外みたいな気持ちが少しあった自分ですが、今では、これから好きになっていけばいいじゃない、という気持ちです。
レインボータワーや新潟三越やホンマ健康ランドやFMPORTをまったく知らない世代だって当たり前だけどこれからどんどん生まれてくるわけで、そういう世代が大人になった時も、新潟っていい場所だなって思ってほしいし、自分もそう思っていたい。
それを郷土愛っていうのか分からないけれど、どんな時代になるか分からなくても、新しい新潟で自分は楽しく生きていこうと思いました。
そんなこんなで、ずっと書いてきた2020年のブログも半分が終わり、いよいよ7月編に突入です!!
やったるぜ!!
「ありがとう、さようなら、ホンマ健康ランド。」
また、6/30(火)は、これも新潟の人達に長年愛されたラジオ局であるFM PORTが閉局ということで、最後の放送が行われていました。
僕はこの日、最後の朝の番組「モーニングゲート」も聞いて、色々あって最後の放送終了直前までの最後の4時間の生放送の特別番組も聞いて、どちらも無事に録音できました。
放送終了までの最後の1分間はラジオごと動画に撮影したりもしました。
最初は、長年頑張ってきたラジオ局の最後を、ちゃんと見届けようならぬ聞き届けよう、という気持ちから聞いていたんです。
また、Twitterでも最後のラジオ放送を楽しみながらの実況するツイート、閉局を惜しむツイート、それぞれのFM PORTへの思い出を語るツイートなどで、「FMPORT」や「#ありがとうFMPORT」などが新潟県のトレンドばかりか、全国のトレンド入りするほどの盛り上がりを見せました。
いやあ、FM PORT愛されてますね…本当にお疲れ様でした!今までありがとうございました!
…という気持ちは、僕の中にも普通にあるんです!あるんですよ!
その気持ちにまったく偽りはないのですが…それと同時に、僕の中にまったく違う感情も生じていたことにも気付いたのです。
それは、みんなの、というか新潟県民達のFMPORTに対する気持ちに、いまいち自分が乗れないんだよな…という、ある種の疎外感のようなものでした。
例えば、番組の途中途中でFM PORTにこれまで出演してきたラジオパーソナリティの人達が次々とコメントしていったのですが、その中で、過去に「J's COUNTDOWN」という番組で「かなちゃん先生」の愛称で親しまれたパーソナリティの高橋佳奈子さんからのコメントが流れた時、TwitterのTLが「かなちゃん先生!」「かなちゃん先生!」という言葉で一気に埋まっていったのです。
高橋佳奈子さんは今ではラジオパーソナリティを引退されているということなので、それを懐かしむ当時のファンの方がいるのは理解できるんですよ。
ただ、僕は「ちょっと待って、こんなに人気なのこの人!?」と衝撃を受けてしまうわけです。
いや、僕だって知らない芸能人、この年になって新しく知る人だって大勢いるし、新しく知る文化だってたくさんあるし、それはごく普通のことなんですけど、新潟に生まれ育って30数年間暮らして(途中で数年間は長野に住んではいたとは言え)、今までまったく存在すら知らなかった文化が、僕の知らないところで、それどころか僕のよくよく知っている人達(フォロワーさん達)の間でも、当たり前のように絶大な知名度と人気があった、という事実に凄まじいカルチャーショックを受けたのです。
例えるなら、何十年も自宅と駅の往復で何気なく通っていた道を、ある日30代になって初めて横道にそれてみたらそこにディズニーランドがあった!しかもみんなは子供の頃から当たり前のようにそこに遊びに行っていた!知らないのは自分だけだった!みたいな感じなんですよ。
そんなの、カルチャーショックを通り越してホラーでしょ!そういう感じだったんですよ!伝わりますかね…
だから正直、僕は高橋佳奈子さんという方をまったく存じ上げなかったので、この記事も彼女のWikipediaを見ながら書いたわけですが。(てか、Wikipediaあるのすごいな)…
いや、正直に言うと、「そういう人がいた」という事実だけは、一応知っていたのです。
それは一年前…僕がある友人とドライブしている時、ふと、僕らの共通のある人物に関する話になったのですが、そこで友人は言ったのです。「知ってる?あの人、かなちゃん先生と結婚したんだよ」
当然「誰それ?」と聞き返す僕に、友人は、かつてFM PORTで「かなちゃん先生」の愛称で親しまれていたラジオパーソナリティがいたこと、彼女のラジオのリスナーは「J'sっこ」と呼ばれていたこと、彼女はそれこそアイドル的な人気がありヘビーリスナーが数多くいたこと、彼女の番組が終わる時はそれはそれは多くのヘビーリスナー達が悲しんだこと、そしてその数年後、知り合いが「かなちゃん先生」と結婚したと知った時は信じられないほど驚いたこと、などを教えてくれました。
その時僕は「ふうん」と聞き流したのですが、なんというか、その時代の流行や熱狂みたいなものって、リアルタイムで体験していないとイメージしづらかったりするじゃないですか。
だからこそ、僕はこの日、FM PORT放送最終日に高橋佳奈子さんのコメントが流れた時のTLを見て、「こ、これがかなちゃん先生の人気だったのか…まさかこれほどとは…」とかなりのカルチャーショックを受けてしまったと…(この話長いな)
いや、高橋佳奈子さんに限らず、今では僕も大好きな「MORNING GATE」の遠藤麻理さんだって、2年前まで僕は存在すら知りませんでしたからね。
新潟の朝の番組を長年安定して続け、新潟の朝の顔、新潟県民にはお馴染みなんて言われる遠藤麻理さんですが、2年前までの僕にとって、エンマリ?誰それ?モーデー?何それ?だったわけです。
島村仁さんだって、一年前に何故か中学時代の初恋の相手から突然「JiN ROCK FESTIVAL」に誘われて加茂山公園に行って、初めて存在を知りました。(この話は広がるようで実はまったく広がらないし、そもそも余談なのでこのへんでやめます)
要するに、FM PORTのラジオパーソナリティ、しかも新潟県内でめちゃくちゃ人気のラジオパーソナリティでさえ、僕は全然知らない、知っていたとしてもものすごく浅いんです。
そもそも、僕は新潟出身の34歳だけど、7~8年前まで新潟のラジオなんて「FM新潟っていうラジオがあるらしい」という、名前を一応聞いたことはある、という程度の認識の人間でしたからね。
だからと言って、FM新潟の番組やパーソナリティの情報なんて一つも知らなかったし、PORTやKENTOやBSNに至っては存在も知らなかったんです。
地元のラジオを当たり前のように習慣として聞いているリスナーの方にとっては、そんな人いるの?感じかもしれませんが、いるんですよ!
逆に僕からすると何でみんなそんなに地元のラジオ聞いてるの?って感じなんですけど、どうやら出退勤や仕事の運転中(特に営業マン)なんかに聞く方が多いみたいで、そう考えると僕は仕事もしていないから、またそこで自分と世間のギャップを感じるわけです。
そういう意味では、色んな人達が「FM PORTに出演させていただいた思い出は忘れません」とか言っていて、ああ、FM PORTは地元の人を出してくれるいいラジオ局だったんだなと思うと同時に思うわけです、俺にはそんな思い出はねえ!
いや、一応一度だけありますけど、それは確か2013年に当時出演していた演劇の宣伝をさせていただいたんですけど、FM PORTの存在も知らずにラジオに出ていたとか今思うとヤバイですよね。(そして僕は過去の人間関係を捨てていくところがあるので、今ではその演劇関係者と何の繋がりもありません)
要は、僕に(というか、我が家になのかな)、新潟のローカル番組やご当地タレントを好きになる、応援する、みたいな文化が一切なかったんですよ。
そして僕には、いわゆる郷土愛というものがまったくない!アイシテナイヨニイガタ!
地元のスポーツチームとか応援する奴の気持ちとかも微塵も分からねえ!地元や母校のスポーツチームが勝ったからって何なんだ!
何年に文理高校が甲子園が出たとか知らねえよ!高校生にいい大人が盛り上がってんじゃねえ!お前に1mmも関係ねえだろ!…ってくらい、この件に関してはひねくれている人間だったりします。
あと、放課後は古町とか万代に遊びに行ったとか、万代のマックとミスドに行ったとか、そんな青春の思い出が一つも新潟にない!ってのもあるんですよね。
亀ジャスとか青ジャスとか何だその略称!イオン新潟南店、イオン青山店と呼べ!という感じで、新潟のローカル文化、特に若者の文化に関しては、思春期からめちゃくちゃひねくれているし、それがそのまま大人になってしまって、愛憎の憎の気持ちがとにかく強かったんです。
とにかく僕は、古町や万代などの今でいう中央区に遊びに行くという習慣はそもそもなく、新潟のローカル文化もまったく知らず、地元のお祭りとかイベントとかもまったく知らず、かと言ってメジャーな何かに詳しいわけでもなく、よくある東京に憧れる若者でもなく、これと言った趣味もなく、友達も少なく、携帯も持たずほしいとも思わず、なんとなく西区の住宅街でたまにTSUTAYAと坂井輪図書館に行くくらいで、それ以外の世界をほとんど知らずに、そのことに何の疑問も持たずにフラフラ育ってしまったような子供だったのです。
何にもハマらず、誰のファンでもなく、ライブハウスや劇場は縁がないどころか存在すら知らず、それが普通だから別にそれを不自由だとも思わない、みたいな10代で、今当時を振り返るととひたすら「無」でしたね。
僕の場合は、高校進学とともに信州大学に進学して地元を離れて色々経験して、そのあと新潟に帰ってきて地元を見る目が変わったりした、という体験があったけど、もしあのまま地元で進学していたら、あの時の自分のまま大人になっていた可能性も普通にあったと思うんです。
そういう人は実は結構多いんじゃないかなと思うんです、目立たないだけで。
だから、ちょっと話はそれるけど今の新型コロナウイルスから、文化を守れ!映画館や劇場やライブハウスを守れ!といくら関係者が主張したところで、こういう話がまったくぴんとこない人も結構多いと思うし、そういう人の気持ちが僕はちょっと分かるんです。
新型コロナウイルスで次々と中止や延期になる新潟のイベントやお祭りも、一昨年なくなったレインボータワーも、経営難から今年なくなった新潟三越も、ホンマ健康ランドも、FM PORTも、「何それ?そんなものあったの?」って思ってしまう人達、というか、そもそも知らないからそんなこと考えもしない人達は、目立たないだけで絶対大勢いると思うし、僕はそういう人達に実はかなり近い人間だと思うのです。
しかし、そんな自分が今では月刊ウインドに「新潟愛、かましたいの」なんてタイトルのコラムを書かせていただいているから本当に驚きです。
このタイトルが完全にNegiccoさんの「愛、かましたいの」のパロディ(というかパクリ)であるからも分かる通り、Negiccoさんとの出会いは、僕が生まれ育った新潟を好きになるとても大きなポイントでした。
Negiccoさんに出会ったことで、今まで知らなかった新潟の様々なイベントやライブハウスにも足を運ぶようになり、そこでまた新たな好きな人やものに出会い、そのことで少しずつ世界が広がるという、新潟の文化との出会いによって、新潟が少しずつ好きになっていきました。
それは、僕が松本から新潟に帰ってきた2011年から始まっているのですが、「あ、新潟が好きだな」って思えるようになったのは、ほんのここ2~3年くらいの出来事なのかなと思います。
例えば、この日のFM PORTの最後の生放送に出演していた遠藤麻理さんだって、2年前にたまたまシネ・ウインドで(シネ・ウインドも、僕が新潟を好きになれたすごく大きな存在です)麻理さん初の書籍「自望自棄」が販売していたのを興味を持って買ってみたら物凄く面白くてハマってしまって、MORNING GATEを聞くようになり、そして、麻理さんがRYUTistのともちぃこと宇野友恵さんと(RYUTistさんも好きです)二人で北書店で(北書店も好きです)行ったトークイベントがめちゃくちゃ面白くて、本っていいよなってあらためて思って、それで生まれて初めて「本を書きたい」という夢を持って、それが今の自分に完全に繋がっています。
ちなみに、この夢にはさらに続きがあって、それは「本を書いて出版して、その本を遠藤麻理さんのラジオに出演させてもらって紹介させてもらうこと」だったりするのですが、その夢がFM PORTの閉局で叶わないのは切ないですが…まあ、それでも頑張ろうと思えるきっかけをくれたのがFM PORTと遠藤麻理さんであることに変わりはないわけです。
なので、やっぱり何だかんだ言っても、僕もまたFM PORTがあったから今の自分があるという新潟県民の一人だと思うし、そういう自分もまた、これから先の新潟の風景の一部となっていくんだと思うんです。
ちなみに、今書いている月刊ウインドの連載コラム「新潟愛、かましたいの」は、そんな僕が出会って新潟を好きになれたような、新潟カルチャー達への感謝を込めて毎月紹介していくというものだったりするわけで、小規模ながらもこうして新潟の文化に関わる活動がやっと自分でもできるようになったことも、多分僕の長い人生を考えたらまだまだやっと一歩を踏み出せたところだと思うので、自分が過去に感じた新潟に対するネガティブな気持ちよりも、未来の新潟を好きになれることがきっと大事なんだろうなと思うんですよ。
そんなことを、6/30(火)から日付が変わって7/1(水)になり、FM PORTの放送が終了した深夜に一人で考えていたら、気付いたら朝になってしまっていました。
生まれ育った新潟を好きになれずにひねくれていた時期が長かった人間だからこそ、新潟で色々なものが終わっていく度に切なさを感じても、どこか乗り切れずに自分だけ蚊帳の外みたいな気持ちが少しあった自分ですが、今では、これから好きになっていけばいいじゃない、という気持ちです。
レインボータワーや新潟三越やホンマ健康ランドやFMPORTをまったく知らない世代だって当たり前だけどこれからどんどん生まれてくるわけで、そういう世代が大人になった時も、新潟っていい場所だなって思ってほしいし、自分もそう思っていたい。
それを郷土愛っていうのか分からないけれど、どんな時代になるか分からなくても、新しい新潟で自分は楽しく生きていこうと思いました。
そんなこんなで、ずっと書いてきた2020年のブログも半分が終わり、いよいよ7月編に突入です!!
やったるぜ!!